要求

人生というのは一本の道なのだろうと思っている。そこには色々な分かれ道がある。しかしながらどんな分かれ道を通っても、行き着く先は同じなのだ。それを人は死と呼ぶ。

死というのはとても抽象的なものに見えた。それは僕が本質的に死を知らないからなのかもしれないと思った。実際に知らないのだと思う。知りたくないわけでは決してないが知るということはきっと死ぬということなのだろうと思う。だから僕は死のうと思った。

僕は死後の世界に対して一つ持論を持っていた。僕はその世界を愛せるだろうかと思った。その世界の創造主はきっと自分なのだろう。人は必ずしも自分が創造したものを愛せるのだろうか。いや、きっとそうではないだろう。僕は小学生の頃、粘土遊びを好んでいた。あれは素晴らしいものに見えた。なんにでもなれるのだ。必要なのは想像力だけだった。あれは僕に様々な世界を見せてくれた。同時にとても残酷なことを教えてくれた。

創造は難しいことだった。想像には限度があったのだ。しかし破壊は簡単だった。グーで殴るもよし。握りつぶすもよし。破壊に必要な時間は創造に必要な時間の何十分の一であり、何百分の一だった。

そして長い時間をかけて創造したものを必ずしも人間は愛せるわけではないのだと知った。そしてある日から僕は粘土遊びをやめた。

残酷なことを知るのは苦しいことなのだと僕は知った。


「カフェオレをお持ちしました。入ってもいいでしょうか。

勿論。ぬるめに作っております。」

我が家からカフェラテというメニューが消えた。これは一つの別れだった。きっと僕は別れをまた経験したのだろう。この別れは寂しかっただろうか。苦しかっただろうか。いや、きっとこんな事を考えてる時点で答えは決まっているのだろう。そうでもなかった。きっとそれはかわりがあったからだ。僕にとってカフェラテは癒やしの象徴だった。別にそれはカフェラテだけだったのだろうか。いや。そうではないと思った。内容は同じなのだ。呼称が変わっただけ。

きっとこれはこういうことなのだろう。

僕はあの人のおかげで一つ欲しいものができたのだ。それはあの人でなくともいいのだ。談笑したり、ともに娯楽を楽しむ者がほしいのだ。

僕は名前などどうでもいいのだ。カフェラテでも、カフェオレでも。僕の癒やしであればそれは同じなのだ。少しコーヒーが濃い目でも、ミルクが濃い目でも、それは等しく僕の癒やしなのだ。

別れとはどうやら悲しいことらしい。苦しいことらしい。寂しいことらしい。しかし別れは僕に一つのことを教えてくれた。悲しみは喜びで上書きできるということだ。

人というのは代わりがきかないと聞いたことがある。僕はその意見を半分肯定し、半分否定している。半分はあの人のことだ。僕はこれからもまた誰かと仲良く談笑し、娯楽をともにするのだろう。しかしながら僕の中にはきっとずっとあの人がいるのだ。あの人が僕の一つの感情を目覚めさせた。あの人を僕は忘れることはできないしきっと忘れなくていいのだろう。やはり電源のついていないこたつに足を突っ込んでみかんを食べながら談笑する相手はきっとあの人がいいのだろう。

そして半分はいまドアの向こうにいる僕の使用人のことだ。そして彼女が今手に持っているカフェオレのことだ。(カフェオレは人ではないが)僕はきっと彼女とも楽しく話したり、遊んだりできるのだろうと思った。そして僕はそれを心から楽しめるのだろうと思った。


「入っていいよ。」

僕は作り笑いが嫌いだ。いや、きっと嫌ではないのだろう。作り笑いというのは名のとおり作り物だ。僕の理想は悟られない作り笑いなのだ。それが作り笑いをする上での最低限の配慮であると思った。しないに越したことはないだろう。しかししてもいいのだろう。作り笑いも時には本当の笑顔になるのだ。なぜなら笑顔というのは相手が感じるものなのだから。

「カフェオレのおかわりをお持ち致しました。どうぞ。」

この使用人は本当に仕事ができる人なのだ。

何百回、何千回と飲んだ僕はわかる。彼女が作るぬるめのカフェオレは温度の誤差が基本的にないのだ。それは難しいことなのだ。なぜならこのカフェオレを作るキッチンからここまである程度距離もある。外気温は勿論毎日変わる。それでもなおここまで誤差なく仕事をするのだ。それはとてもすごいことのように見えた。

思考は気づきを与える。気づきとは生活に趣を与える。

僕はあの人にたくさんのことを教えてもらった。勿論僕が勝手に学習していっただけであの人はきっとなんの自覚もないのだろうけど。

「いつもありがとう。

そうだ。たまには娯楽を楽しまないかい。そうだね、オセロでもしないかい?」


あなたは娯楽を必要としない人だった。

あなたにとって他者の思う全ての娯楽は娯楽として成立していなかった。あなたは娯楽を求めていたのか否かは考えた事はないが、少なくともあなたは娯楽を欲しなかった。

それでもある程度は蓄えていた。そもそもこの家に蓄えがあった。私のような立場の人間を雇う程の財力は持っている家だ。ボードゲームの一つや二つはあった。

しかしあなたはその大抵の人間が娯楽として嗜むことを作業をこなしていくかのように行った。そして勝敗のあるゲームでは全てあなたが勝利した。

あなたは勝利を欲していなかった。ゲームとは勝ちを目指すものであるとあなたは考えていた。だから勝とうとした。あなたは勝ちたかったんじゃない。勝とうとしないといけないと思ったのだ。そしてあなたは全て勝った。それは必ずそうなる事だった。あなたはシナリオを常に作っていた。そしてシナリオ通りにことを進め続けた。だから負けないのだ。勝つのだ。

トランプのようなある程度自由度の高いゲームでは所謂イカサマをした。

ポーカーだったら常にフルハウス以上の役ができるようにあなたはカードを配っていた。そうしたらほぼ確実に勝つことが出来た。

七並べなら全マークの6、8、ひとつのマークのみ9又は5を持つ、そしてジョーカーが必ず手札に来るように仕向けた。そうしたら相手はパスしか出来ない。そして自分は9又は5を唯一持つマークを一枚出すことで1回多くターンを使える。そうしたら初ターンから動かず相手はパスをするしかない、全てが終わる。そして自分はパスを一度使わずに生きることが出来る。負けるのは相手だけ。こんなふうに。

これはあくまでひとつの手法だ。あなたの持つイカサマの手段は何個もある。そうでないとなんの意味もない。

あなたはそうするのが普通なのだと思っていた。勝つための行動に妥協をしてはならないのだと。だから勝とうとした。悪気を持っていたわけでもそれをしたら相手が不快になるなど一切考慮していなかった。勝敗があるのだから勝ちを目指さないというのは不誠実だとあなたは考えていた。

そんなあなたはオセロのようなイカサマの通用しないゲームにおいてはただただ実力を磨き知識をつけた。その実力は本当に凄いものだった。勿論イカサマが通用するゲームでもあなたは凄かった。よく見ても私には全然そんな形跡は見えなかった。

私はオセロというこのシンプルなゲームで少なくともこの家であなたに勝てた人間は居ないと聞いているし、私も見た事がない。勝つためにあなたは人並みでは無い努力を効率よく行ったのでしょう。

だから私はこの勝負を受けるか否か考えた。きっと勝ち目はないと思った。しかしあなたが欲してるのは勝ちでも負けでもないのだと思った。ただあなたは私と娯楽を共にしたいのだと思った。何故そう思ったのか、私にも分からなかった。でも、今のあなたの顔は悲しそうではないように見えた。何かにわくわくしたような。そんな顔をしていた。

そんな主人が望む物事をできる限り叶えるのは使用人である自分の仕事だと思った。なら答えはひとつだ。

「勝負です。手加減はいりませんよ。」

私は思わず腕をまくった。

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