転換

死生観を持っているか。そんなことを一度聞かれたことがある。

この話を持ち出した彼は、そこまで深い意図を持っていなかったように思う。僕もそこまで深く受け止めてなかったし、きっと雑談のつもりなのだろう。彼に対して近日死ぬことは伝えてあるからこその質問だったのかもしれない。

深く考えたこともほんとになかった僕はそのままを伝えた。でも彼はそれを持っていた。それは不思議なことに思えた。人間は生を保つ上で死を基本的に考えないと思っていたから。南海トラフという言葉には聞き覚えもあるしいつか来るというのもきっとホントなのだろう。でも僕にはそれがまるで他人事に思えた。それは情景がイメージ出来ないからなのだと僕は解釈している。

それと同じなのだろう。死と言うのは基本的にただ存在してるものとしてしか人間は考えないと思っていた。ただの概念を逸脱しない、僕の中でもそうだ。僕は決して死というものに対してくっきりとしたイメージを持っているわけではなかった。勿論見たことはあった。死の演技を画面越しに見たことはあるし、実際の死の現場も一度だけ見たことはある。だから死を僕は知っている。しかしながら見たことがあるからイメージができるというわけではない。そうであったらとある大震災を一応経験している僕なら南海トラフを想像できるはずだ。できていないということはまだ僕の中で大震災や死は概念でしかないのだろう。

そのほうがいい気がしていた。人は川と等しく流れていくものだ。生命が生まれ育ちそして死ぬ。そんな中でまた別の人が生まれ育ちそして死ぬ。そこに理由はない。酸素が呼吸によって減っていく中で光合成によって新しい酸素が植物によって生まれる。そこに理由はない。循環していく時を止めることは誰にもできないのだから、それを考えることに生産性は多分ない。

彼は死の対義語は誕生だと言った。

その思考は僕にはとてもしっくりくるものだった。


最近みかんの味の違いを感じていた。いや、きっと変わらないのだろう。でも違うように感じた。それはきっと誰かがいるから。そんな気がした。

僕は自分をそれなりに料理ができると評価しているし、実際そうだと思う。しかしそこに趣は特になかった。美味しいなとは感じる。でもそれ止まりだった。

昔僕はファミリーレストランに行ったことがある。それ一回きりだったが、僕はそこで食べた料理を確かに美味しいと思ったが、きっともうここに来ることは無いと思った。

しかし不思議な事を知った。近くに家族連れが居た。その家族連れの中に小さな子供が一人。その子の顔はとても幸せそうだった。一食に対してとても何か不思議な幸福感を抱いていた。心の底から美味しそうに、いや、今にも本当にほっぺたが落ちてしまいそうな。いや、また違う。

その顔は僕の持つ語彙力では表現出来なかった。

そしてふと僕はそれを羨ましいと思った。

きっとこれはそういうことなんだろう。

僕の家で定期的に彼とみかんを共に食べるようになって、僕はみかんの味の変化に気づいた。それはきっと彼がいたからなのだろう。彼は僕と話す時よく笑った。そんな顔を見ながらみかんを食べる幸福感はそれなりにいいものだと思った。僕はきっと彼を友達だと思っていたのだろう。そして僕が人を友達と認識したのは彼が初めてだったのだろう。

「食べ物は、他者と笑いながら食べた方が美味しいな。」

ふと僕は彼にそう言った。でもそれは違った。他者ではなく、友達、と思っている。でもそうは言わなかった。それはこの気持ちが一方通行だったら悲しいと少し思ったから、そして少し恥ずかしいと思ったからだ。

そしてうっすらとだが、彼の表情が少しはにかんだような、そんなように見えた。


この世にはやってみないと分からない事というのがある。それに対してとてもわかりやすい例を出すなら死後の世界だろう。死んでみないと分からないのだから、そして死後の世界に興味を持ってる人間は数多くいると思う。それでもその人達が死を選ばないのはある程度現状を気に入っているから。又は保守的であるから。その二択なのだと僕は思っていた。

彼と僕はジャンルとして死に関する話を沢山した気がした。単純に記憶に残ってるだけなのかもしれない。でもその記憶の中だけでも数個あるということはそれなりに死について話したと言うことだろう。

その中で死後の世界について話したことがあった。その時僕はこんなことを言った。

夢を見たことがあるだろうか。夢というのはあくまで睡眠状態の時にふと映る映像のようなものだ。僕はそれを何度が見た事がある。

きっと人間は意識が無い時何らかの条件を達成するかほんとうにたまたまなのか、夢を見ることが出来るのだろうと思う。

大事なのはその条件などではなく、死後の世界はきっとこんなものなんだろうということだ。僕は科学者ではないから、夢の原理を知らない。でもきっと夢はひとつの空想でありくっきりとしたパラレルワールドなのだと思う。きっと人は死んだ時己の持つパラレルワールドに行くのだろう。それが天国や地獄なのかもしれない。それとも異世界なのかもしれない。それかまた別の人間に生まれ変わっていくのかもしれない。

そもそも今自分や周りの人間はある人間の持つ夢の中の所謂パラレルワールドの登場人物でしかないのかもしれない。

そんな世界だったらとても面白いと思う。

でもこれは僕の想像でしかないし、最初に言った通り、やってみないと分からない。

僕はこれを知りたい訳では無い。別に死に対して何かを期待してるわけではないんだと思う。勿論それは【思う。】に過ぎない。でもきっとそうなのだろう。何故なら僕が死に何か期待をしてるならすぐ簡単に死んでいるし、死をひとつのその場しのぎの形であるなどとは思わないと思うから。

そういえば死について話すと少し長くなることが多い気がした。みかんがいつもより多く減る。それは自分が死ぬと思っているからなのだろうか。


無駄という言葉は好きではなかった。

この世に無駄というのはあるのだろうか。いや。あるだろう。これは無駄だ、何あの人は無駄なことをしているんだ。そう考える部分が自分にあるということは僕の中でひとつ無駄という概念が存在しているということと同義であろう。

カフェオレとカフェラテの違いというのを少し考えていた。これについて思考するのは無駄なのだろうか。きっとインターネットの世界にアクセスしてしまえばすぐにわかるのだろう。

調べて結論を出してしまうのは簡単だ。でもそれはつまらない。思考がないものは娯楽にならないのだ。

これはきっと無駄なんだろう。でも僕はまだその無駄を楽しんでていいのだと思う。

人はいつ死ぬか分からないのだから、できる限り常に効率的に、無駄のない生き方をすべきであると言われたことがある。

でもそれは間違っているように思う。いつ死ぬか分からないからこそ、無駄を楽しむ事が大事なのだと思う。無駄を楽しむのはきっと無駄では無いのだから。

これは矛盾なのかもしれない。

しかし死んだら無駄を楽しむことも許されないのだ。生きているうちにしか出来ない事を生きてるうちにするのは決して無駄なことでは無いのだろうと思う。

「失礼致します。」

そんな声で僕は思考の世界から帰ってきた。

「どうしたんだい?僕のカフェラテが無くなってそろそろおかわりを求められると思ってわざわざ来てくれたのかな?」

この使用人は本当に忠実である。そして考えすぎる人のように見える。僕の発言一つ一つを間違いなく汲み取ろうとする。その意識はとても有難いし、きっと真面目な人なのだろう。でも僕はそこまで複雑な思考をしてる訳では無いのだといつか教えてあげようと思う。

「カフェオレとカフェラテは基本的には同じものなんですよ。」

どうやらそうらしかった。彼女なりに色々調べてくれたらしい。そんなことをずっと考えていた自分も自分だが、あまりにも生真面目すぎる彼女に対して僕は思わず笑いそうになってしまった。

「基本的には、ってどういうことだろう?」

最後まで聞こうと思った。僕が思考する事も勿論大事だけど、折角調べてくれて教えてくれるのだから。

「カフェオレというのはフランス発祥。

カフェラテというのはイタリア発祥の飲み物なのです。どちらも等しく和訳するとコーヒー牛乳という意味を持ちます。唯一違いをあげるならフランスで作られたカフェオレというのは普通のドリップコーヒーに牛乳を入れたものですが、カフェラテの場合は沸騰の蒸気圧を利用して抽出したコーヒー、所謂エスプレッソと言われるコーヒーに牛乳を入れたもののようです。」

どうやらそうらしい。自分がひとつ賢くなった気がして、とてもいい気分になった。そしてきっとはたから見たらとてもくだらない話題であろうものを真剣に調べて教えてくれる彼女をとても愛おしく思った。この家の使用人の人事を決めた人はいい目利きをしているのだろうと思った。

「私はひとつ謝罪しなければなりません。」

どうやら本題はこっちらしい。心当たりは一切ないが、謝罪というのは蔑ろにしてはならないものであると思っていた。謝罪する側にも責任はあるが、謝罪を受ける側にも責任はあると思った。だから僕は少しの覚悟を持って向き合うことにした。

「私がずっとカフェラテと頼まれお出ししていたのはどうやら全てカフェオレに分類されるものだったのです。

ただのドリップコーヒーだったのです。私達が使っていたのは。」

それを聞いた僕はもう吹き出してしまった。いや、実際には吹き出さずむせてしまった。本当に真面目な人なんだなと思った。数年使用人でいてくれてることからある程度彼女のことは知っていたし真面目なことも知っていた。それでもやはり笑いを堪えなくてはならなくなってしまうほど真面目で、本当に愛おしい人だった。

使用人である彼女をひとつフォローしてあげたいと思った。だから僕はマグカップにあるいい香りのする少しだけ残ったカフェラテ と思っていたものを飲み干してマグカップを渡して言った。

「では、おかわりを頂きたいな。ぬるめの"カフェオレ"を頼むよ。」

僕の使用人は少し顔を赤くして、承知しました。と答えた。

この人と友達になりたいと思った。そうしたら僕はまたきっと楽しく毎日を過ごせる気がした。寂しさを埋めるのではなく、それに負けず劣らずな程の楽しさを僕は欲していた。

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