第36話 フローズン・タイム その②

 風の音は止み、葉から垂れた朝露は空中で静止した。


「……」


 全てが静止した世界の中で、少女はただ一人歩み出す。


(……九重糸……次元計を壊した1年生……時空を破壊する者は後輩だろうと許さない)


 時谷は俺の後ろにゆっくりと回り込み、スタンガンを取り出した。静止した時の中では水も電気も流れないため、スタンガンによる攻撃はできない。したがって、時谷は時が動き始めたらすぐに攻撃できるように、スタンガンを俺の首元に近づける。


(九重たちの旅もこれで終わり。……時は再び動き始める)


 カチ…………カチ……カチカチ……


 時が動き始めた瞬間、時谷は俺の首にスタンガンを当て、ボタンを押した。


 シュッ!!!!


 時谷がボタンを押す瞬間、俺は思いっきりかがんで回避した。


「避けられた……!? どうして……現実の時間の感覚では、絶対に避けられない速さなのに……」


 通常、時谷以外の人間には静止した時の記憶はない。したがって、時谷は0秒の間に動いているのと同じであるから、その攻撃はもはや光速を超えた速さなのだ。160 km/hのデッドボールを避けるとか、1500 km/hの弾丸を避けるとか、そんなレベルを遥かに超えている。


「うおおおおお!!!」


 シュルッ!! バシッ!!!!


「あ……っ!!」


 俺はかがんだ体勢からぐるんと足を回し、時谷の脚を蹴りはらった。まるで、時谷が瞬間移動した先を的確に把握していたように。


 ドテッ!!


 不意を突かれた時谷は膝を崩され、尻もちをついた。


「はああああ!!!!」


 更にその隙を見逃さず追撃、俺は握り拳を振りかざした。


「時よ止まれ!」


 カチカチ……カチ…………カチ……


 ピタッ……


 俺が振りかざした拳は、ギリギリ時谷の目の前で静止した。

 時谷はゆっくりと起き上がり、地面で汚れたスカートを手で払う。


(九重の能力は『次元の歪みの修復』。私の『時を止める能力』は【逆時間の次元】を歪めることで起こる現象……。今になって考えてみると、闇のセンサーを時空に張り巡らせていた松蔭ならともかく、一度瞬間移動を見ただけで九重にこの能力の正体が見破られるのもおかしい。まさか……九重にはこの時が止まった世界が見えているというの……?)


 時谷は石を拾ってきて、俺に向かって投げた。投げられた石は俺の目の前で静止した。


(これは確認。この石は普通なら絶対に回避できない。もし時間が動き始めた時この石を防ぐことができれば、九重は時の止まった世界が見えているということ……)


 カチ…………カチ……カチカチ……


 シュッ!!!


 時が動いた瞬間、石は勢いよく俺の方へ向かってきた。


 パシッ!!!!


「……!?」


 俺はその石を右手でキャッチした。


「……やっぱり、九重には見えているんだね」


「さあ……なんのことかな」


「でも、見えていても動けないのなら同じこと。どんなイレギュラーがあっても、私は私の使命を全うする。時空を護るために、ここで九重を捕まえる…………時よ止まれ!」


 カチカチ……カチ…………カチ……


(くそ……また止められた……! 確かに俺はこの世界が見えているけど、全くもって動けない……。きっと俺のマナが体内の時空の歪みを打ち消して、心臓や脳がゆっくりと動けているから俺にはこの世界で意識が保てるんだ。でもまるで水中にいるかのように息ができない……まさか、肺は動いていないのか……? 長時間この状態は苦しいぞ……!)


 スッ……


(後ろに回り込まれた。何も見えない……時谷は何を仕掛けてくるんだ……)


「……」


(スタンガンの準備をしているのか? 石を思いっきり投げつけているのか? くそっ……こんな能力、チートすぎるだろ……! 何か……何か弱点はないのか……?)


「……」


(こんな何も音のしない世界で後ろに回り込まれたら、もう何も分からないじゃないか……!! ……あれ……音のしない世界……? そういえば、風の音も足音も、まるで耳栓をしているように何一つ全く聞こえない。音って確か空気の振動で伝わるから……音が聞こえないってことは空気が振動していないってこと? まてよ、水が固体のように流れない世界なら、空気の状態も現実とは違うんじゃないか? ……もしかして、この世界の空気は気体ではなく、もはや液体のように動きが重くなっているんじゃないのか……? それなら水中のように息ができないことにも納得できる)


「……」


(もしそうなら、時谷もこの世界では息ができないはずだ。ということは、時間が動き始めた時にたくさん息を吸うはず……! 人間は息を吐いている時よりも吸っている時の方が弱いから、そこを狙えば……!!)


 ぐる……ぐる……


(なんだ、脚に違和感が……って、これは!? 時谷が俺の両脚にロープをぐるぐる巻いている……!)


 ぐる……ぐる……


(時が止まっている間に俺を拘束して捕まえようというわけか)


 時谷は黙々と俺の脚にロープを巻き付けるが、だんだんと表情が苦しそうになっていった。息の限界が近づいているようだ。


(おそらく、最後に結び目を入れて確実に縛ってから時間を動き出させるはずだ。完全に縛られてしまうと動けなくなってもう詰みだ。結び目が入れられる前になんとか動かないと……!)


 俺は自分のマナに集中する。一瞬だけでもこの歪んだ時空による拘束を解けないだろうか。


 そう強く思っていると、ズボン左脚の後ろポケットに入れていた杖からパワーを感じた。その杖の周りは、他の場所よりも動かせそうな気がした。


(左脚だけなら一瞬動かせるかも……!)


 ついに時谷はロープを縛ろうとした。


(うおおおおおお!! 動けええええ!!!)


 スッ……!!! シュルッ!!!


 俺は一瞬だけ左脚を動かすことができ、ロープを振り払った。


「……ッ!?」


 時谷は動揺し、時間の静止を解除してしまった。


 カチ…………カチ……カチカチ……


「すーーーーーっ」


 ずっと息を止めていた時谷は大きく息を吸う。


「今だ!! くらえ……時谷!!!」


 ドカッ!!!!


「が……はッ……!!!」


 息をめいっぱい吸っていた時谷のお腹に重い蹴りを入れた。時谷にとっては災難なことに、雪夜の一撃を受けた場所とほとんど同じ場所だった。


「が……はあ……うう……」


 時谷は涙目で苦しそうにお腹を押さえてうずくまった。


「この杖を持っていれば、止まった時の中でも少しだけ動けるのか。これなら時が止まった世界にもなんとか対応できる!」


「……はあ……はあ……。それでも……私は負けない……私が時空を護らないといけないから……!」


 時谷も服に隠していた杖を取り出した。そう、それはなんと俺の持つ杖と同じ、『次元の杖』。


「嘘だろ……!? な……なんで時谷も『次元の杖』を持っているんだ……!?」


 『次元の杖』は持ち主のマナを蓄え、さらに増強させるという最強の武器だ。時谷ほどの強いマナの持ち主が『次元の杖』を持つとどうなってしまうんだ……!

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