第8話 追跡調査②

ん? この声は猫?


大雨で増水している川の方を見ると、木材に乗って濁流を流されている子猫の姿があった。そして、それと並走しながら奇声を上げている親猫らしき姿も。


見覚えがある。あれはたぶん、昨日アスカが遊んでいた猫の親子だ。

状況はわかった。このままじゃあ、子猫の命が危ない、助けなきゃってこと!


でも、川の流れが速いし。川幅もとても広い。助ける術が思い浮かばない。 

それでも次の瞬間、アスカはその子猫めがけて走っていた。


「待ってくれ。俺も行く!」


俺も走る。増水した川には子猫の乗った木材だけでなく、上流の山々の木々と思われる流木やらでごった返していた。ひえー、こりゃ、おっかねえ。


アスカは全力疾走の勢いそのままに、まるで走り幅跳びの選手のように、大きく飛び跳ねた。


「川に飛び込む気か? 無茶だ! 流木に押しつぶされるぞ!」


ところがアスカは、川に落水することなく、川に浮かぶ流木を足場に、ピョンピョンと飛び跳ねながら、子猫の乗っている木材へと近づいていく。そしてついにアスカは子猫を抱き上げた。


「やった! すごいぞアスカ!」


ところがその時運悪く、巨大な流木が子猫とアスカの乗っている木材に当たってしまった。アスカと子猫の姿は、ドボンと激流の中へと消えてしまった。


「ウソだろ。やばい」


俺の全身に冷たい汗が流れる。母猫と共に、その場に立ち尽くす。

次の瞬間、濁流にアスカの顔が出た。

水面から高く掲げた腕には、子猫の姿もあった。


「ハルト! 子猫を投げる! 絶対に受け止めろ!」


子猫は大きな弧を描きながら宙を舞う。


「えっ、ちょっ、待っ、わわわっ」


俺は子猫にできるだけ衝撃を与えないように、受け止めた。それでも思わずしりもちをついてしまった。

子猫はプルプルッと体をひねり、水を吹き飛ばす。そして母猫がすぐさま子猫の体をなめ始めた。

子猫は助かった。だが、アスカは? 上がってこないじゃないか。


「アスカー! どこだー!」


呼びかけるも返事はない。くそっ、何やってんだ俺は。見てるだけかよ! どうする? 下流に行くべきか? それとも飛び込むべきか?


 一瞬なのか、数秒なのかわからない時間が経過した。


ザバーッ。


目の前の激流の中から、アスカが飛び出してきた。

あっけにとられている俺の目の前で、アスカは先ほどの子猫のように、全身をブルブルブルーッとひねり、水滴を飛ばした。 


 

「にゃんにゃんにゃーん。にゃん。にゃおん」

俺とアスカは昨日の住宅街を歩いていた。アスカの腕の中には、猫の親子がすっぽりと収まっている。アスカの提案で猫の親子を、飼い主の住む家にまで送り届けることになったのだ。家は昨日、猫についていったら判明したらしい。


「なんて会話しているんだ?」


「もう危ない場所に行くなよ、と言ったのだ」


「本当に猫の言葉がわかるのか?」


「……冗談に決まっているだろう……」


……冗談に聞こえない調子で冗談言うの、やめてくれる? 

あと、その憐れむような目もやめてくれる?


それにしても……、先ほどから目のやり場に困る。アスカの制服はかなり乾いているものの、胸の方はまだ濡れていて、ブラジャーが透けて見える。


って、何見てるんだ俺。

鎮まれ、俺よ。

……。


そうだ。研究しよう。えっと、ブラジャーの色は、水色だ。一昨日のパンティはピンクだった。ここからわかることはなんだ? 

それはエイリアンでも地球人と同様の下着を装着するということ。

おそらく毎日のように着替えるということ。

そうだ。胸の大きさはどうだろうか? 

パッと見、ひばりの方が大きいと思われる。

だがいま俺の目に映る、制服の上から透ける水色のブラジャーとそこから描かれる制服のふくらみの放物線から計測するに、普段の制服から想定される胸の大きさよりは一回りか二回りは大きいサイズなのかと推測される……。


「ん? 私の胸がどうかしたのか?」


「えっ! いや、えっと、ぬ、濡れっぱなしで風邪ひかないのかな? って」


「心配無用だ。詳細は話せぬが、特別なシステムにより、通常の風邪ならかからない」


「そ、そうなんだ。さっすがー。と、ところで猫たちの飼い主の家はこの近くなのか?」


「あっ、マロンにマカロン! お母さーん、いたよ! こっちこっちー」


「どうしたの? ケガでもしたの?」


猫たちの飼い主と思われる小学生の女の子と、その母親が駆け寄ってきた。


「……説明を頼む」


「俺が?」


アスカは俺の脇腹を肘でぐいぐいと押してくる。


「……わかったよ。飼い主さんですよね。えーっとですね。子猫が川で流されてまして。で、それを彼女が助けたんです。そしたらこの猫をこの辺で見たことがあるっていうもんで、猫たちのおうちを探していたんです」


「そうだったんですね! ありがとうございます。確かにこの子たちは私たちの家の子です。助けてくださってありがとうございます」


「お姉ちゃん、ありがとう!」


またしてもアスカは耳を真っ赤にし、笑いそうになるのをこらえているような表情になった。エイリアンには笑っちゃダメっていうルールでもあるのか?


「お返しする」


アスカが女の子に猫たちを渡そうとかがんだとき、ペロリ、ペロリと、まるでお礼を言うかのように、二匹の猫はアスカのほっぺたを舐めた。


「わあ、マロンとマカロンもありがとうって言ってるよ!」


「どういたしまして」


驚いた。いや、アスカが返事を返したことにじゃない。

アスカが素晴らしい笑顔を見せたことにだ。恥ずかしそうに、でもにっこりと笑ったその表情は、とてもかわいらしいものだった。


「これで失礼する。さあ帰るぞ、ハルト」


「お、おう。じゃあ、俺たちはこれで失礼します。バイバイ」


猫たちの飼い主に何度も頭を下げられながら、俺たちはその場を離れた。


「む? どうしたハルト。顔が赤いぞ。熱でもあるのか?」


俺の心臓は先ほどから、急にバクバクと速いテンポで脈打ち出していた。


「いや、大丈夫。今日はあわや大事故の現場を見たり、アスカが川に沈んで、焦ったりしたからかな。疲れが出たのかもしれない」


「そうか。ならゆっくり休むといい。そうだハルト、子猫を無事に受け取ってくれたこと、礼を言う。ありがとう」


アスカは先ほどのちょっと恥ずかしそうな笑顔で、俺にお礼を言った。


「どどどどどどういたしましてー」


声が裏返ってしまった。そして、なぜだろう。また心臓のテンポが速まった気がする。


『ピピッ。情報のロックが一部解除されました。ピッ』


「ん? また何か音声が聞こえたぞ? なんなんだ?」


振り返ると、そこにはもうアスカの姿はなかった。


―追跡調査 まとめ―


翌日、金曜日。俺はアスカから新しい情報が聞けるかもしれないと楽しみにしていた。しかしこの日、アスカは休みだった。まさかカゼでも引いたのだろうか?


昼休み。ヨネスケとひばりに追跡調査の話をして、驚かせてやることにした。


「では俺のわかったことを発表する! まずアスカは、本当はものすごい身体能力を有している。しかし地球人にばれないように、体育の時は、実力を隠している。つまり猫をかぶっているのだ。で、しかも、なんと猫好きだ! これは大発見だ! エイリアンは猫が好きなんだ!」


「なあ、アオハル、それってダジャレか?」


「違うって。まじめな話!」


「ねえハルト、白雪さんってどんな風に、すごかったわけ?」


「よくぞ聞いてくれた、ひばり! まずジャンプ力が凄いんだ! 高いビルもひとっ飛び! それに 巨大なトレーラーだって、持ち上げるんだ!」


「「はあ……」」


なんだ二人とも、その、かわいそうな人を見る目は。


「ねえ、ひばりちゃん、こいつ大丈夫かな? 白雪さんがエイリアンだって、本気で信じ込んでるみたいだよ」


「私も長いことハルトの幼馴染やってるけど、こんなにおかしいのは久しぶり。ねえハルト、他に何か発見はなかったの?」


「発見? えーと、あ、そうそう、エイリアンもブラジャーとパンティを身に着けていることが観察できたな」


「なにっ、アオハル、そこのところ詳しく教えてくれ!」


「ちょ、ちょっと待って、ハルトまさか白雪さんの下着見たの?」


「ああ、ずっとつきまとって観察していたからな! すごい大発見だろ? この次は、下着の下がどうなっているか、観察する必要があるな」


「な、中身ですって?」


「そうだ。なにしろエイリアンだからブラジャーとパンティの中身が、地球人と一緒ではない可能性が大きい。さて、どうやって確認したらいいものか……。やはり、男らしく、ブラジャーとパンティの中を見せてくれ! と頼むのが礼儀だろうか。いや、それには学校だとさすがに無理があるな。うーん、やはり先にアスカの家の場所を抑える方がスムーズか……」


俺が真剣に思案していると、ひばりとヨネスケはひそひそと話し始めた。


「なあひばりちゃん、早いところ病院に連れて行った方がいいんじゃないか? アオハルのやつ、このままじゃあ、本物のストーカーになっちまうぜ」


「そうね。あたしも責任を感じるわ。この場合、何科を受信したらいいのかしら?」


こらこら、人を変態みたいに言うんじゃない。って、思い出した!


「しまった! 明日と明後日は土日で学校が休みだ。ストーカー……じゃなかった、追跡調査ができない! アスカの家もわからない。俺はいったいどうしたらいいんだ?」


「やばいよ、ひばりちゃん。アオハルを野放しにしていたら、そのうち犯罪をおかしてしまう気がする」


「わかった。任せてヨネスケ君。ね、ねえハルト」


「なんだ? ひばり」


「ハルトがこの数日間、すごい頑張ってストー……じゃなかった。追跡調査をしたのはわかったよ」


「おっ、わかってくれるか。さすがひばりだな。結局、俺のことを一番わかってくれているのはひばりだぜ」


「そ、そう? やっぱり? だよね。えへへ」


「ひばりちゃん、しっかりしてくれ」


「あっ、そうだった。それでね、ハルト。疲れただろうから、明日の土曜日はゆっくり休みなよ。ね? それで体調を万全にしたら、日曜日にあたしと一緒に街で白雪さんを探すっていうのはどうかな?」


「ひばりと? 街へ?」


「うん。そう。えーっと、だって、白雪さんだって街でお買い物したりするかもしれないでしょ?」


「ふーむ。それもそうだな。現に下着も地球製と思われるものを装着していたしなあ」


「そうでしょ! それに女子が行きそうなお店なら、あたしに任せて! ね? 一緒に日曜日に街に行こっ?」


「よし、わかった! 土曜日はゆっくり休む。そして日曜日にひばりと一緒に街へ行こう!」


「あのー、ひばりちゃん、それって、ただのデートなんじゃ……」


「ち、違うよ。デートじゃないよ、ね、ハルト」


なぜかひばりは顔を真っ赤にしながら焦っていた。


「ああ、すべては研究のためだ! ひばり、よろしく頼むぜ!」


「了解! ハルト!」


「なんだよもー。ああ、うらやましい! ひばりちゃん、俺も行くよー!」


「あ、いいから、いいから。ヨネスケ君は生徒会執行部の活動が忙しいでしょ? がんばってね。ハルト、今日からまた一緒に帰ろうねっ」


こうして、明後日の日曜日、ひばりと俺は街へ繰り出すことになった。

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