第3話 元遊び人の王子はぽっちゃり人魚と婚約破棄……は、絶対にしない。
これは、ヨハンとマーシャの結婚式より少し前の話である。
レーゲン国の王子であるヨハンは、三十になってようやく生涯の伴侶を得た。
海の国ゾンネの第三王女、ふくよかぽっちゃり人魚のマーシャである。
現在はまだ婚約の状態であるが、数週間後には正式に結婚式を行う予定だ。ゆえにヨハンは今、とても忙しい。国王である父親が「お前が結婚するならワシはもう引退かな~」などとのたまっているため、余計に仕事が押し付けられているのも理由の一つであった。
「まだ引退する気なんてないくせに」
長寿国レーゲンでは六十になる国王でも、まだまだ現役と言える。実際ヨハンが結婚を決めるまでは「まだまだ引退する気などない」とはっきり言っていた。だが恐らく、長いこと独り身であった息子にようやく伴侶が見つかったとあって浮かれているのだろう。ちょっとサボってもいいかな、などと呑気に思っているのだ。
そのためヨハンは今、マーシャとの時間をあまり取れないでいた。従者であるルイから彼女の様子は聞いているものの、直接言葉を交わすことはなく、彼女が食事をしている風景を見ることもなく。わかりやすく、ストレスが溜まっている状態であった。
マーシャも一人のんびりしているわけではなく、ヨハンの伴侶としての役割をこなしている。城を尋ねてきたゲストへの対応や、社交パーティでの挨拶回り。レーゲン国は色々とゆるい国のため、王妃教育はそこまで厳しいものでもないらしい。マーシャの優秀な姉二人も時折それを手伝いに来ている。
忙しいながらもヨハンとマーシャの関係はすこぶる良好で、結婚式まで何事もなく進むかと思われた。
――が。
マーシャにとって避けては通れない事件が起こったのは、定期的に行われる貴族たちとの親睦パーティだった。
レーゲン国の貴族は、その国柄のためか温和な性格のものが多い。それでも好戦的なものや嫉妬深いものがいないわけではなく、特にヨハンの隣を狙っていた令嬢たちは血の気が多かった。
高価なドレスを纏い髪を結い上げ、濃い化粧を施した令嬢たちは扇子で口元を隠しながら、嘲笑を含んだ声で話している。
「それにしてもわたくし、未だ信じられませんのよ。ヨハン殿下の選んだ方が、あのような見た目の方だなんて」
「えぇ、本当に。あの方、スレンダーな女性が好みだったのでしょ? 正反対じゃございませんか」
「そうそう、それに食べ物に対して貪欲ではしたないったら。殿下の気が狂ったとしか思えません」
マーシャは「令嬢」の中では珍しく、とてもふくよかで体格が良かった。最もそれは、彼女の家族も同様であるため、体格が良いのはその血のためだろう。ただしふくよかさは、彼女が食べることに何よりも幸せを感じる体質であるためだ。
自分が令嬢たちにとって異質な存在であることを理解しているマーシャは、彼女たちの悪口など気にも留めなかった。姉たちから、そういうことをする程度の低いものを相手にするだけ時間の無駄であると教えられている。自分に悪意を持つものより、自分に好意を抱いてくれるものとの時間を大切にしろと。
だからそのときもマーシャは、令嬢たちの陰口など気にも留めずテーブルの上にいくつも並べられた料理に舌鼓を打っていたのであるが。
「――本当に、殿下も殿下ですわ。あのようなものを選ぶなんて、わたくしたちへの当てつけかしら?」
「まぁ、殿下もある意味物好きですものねぇ。もしかして、国中の令嬢に見飽きてあんなものを選んだのでなくって?」
「きっとそうですわ、殿下と言えば女性好きの遊び人ですもの。甘いものばかりではなくしょっぱいものが欲しくなるときもあるでしょう。きっとそのうち飽きて、側室でも囲うのではない?」
「ほほほ、違いないですわ。艶やかなドレスでちょっと甘えたら、手のひらを返しますでしょ」
「殿下があの方で満足できるような『下半身』であることは、国中の女性が知っていますものねぇ」
マーシャの中で、何かが切れたような音がした。
手に持っていた料理をテーブルに置き、大股でピーチクパーチク騒いでいた令嬢たちのもとへ向かう。まさか向かってくるとは思っていなかったのか、令嬢たちは冷や汗を浮かべて視線を泳がせた。
「今、下品な言葉で殿下を侮辱したのはどなた?」
マーシャから、常にあったはずの穏やかな表情が消えていた。体格のせいもあり、その威圧感はとんでもない。
だがマーシャを自分より劣った存在であると決めつけている令嬢は、愚かにも言葉を発した。
「侮辱もなにも、真実ですわ。この国の令嬢の何人が殿下に抱かれたと……」
ばしっ、と。
強く叩く音と共に、令嬢はその場に体を崩した。頬は赤く腫れ、信じられないものを見る眼差しでマーシャを見上げている。
「な、なんてこと……」
マーシャはぎゅっと眉を寄せて、令嬢の頬を叩いた手を握りしめた。
ずきずきと胸の奥が傷んで、息が上がる。頭がカッとなった。不快な感情ばかりが心を占めた。気づいたときにはもう、手を上げていた。
「おい、何の騒ぎだ!」
騒然となったパーティ会場で、それまで馴染みの貴族と歓談していたヨハンが声をあげる。マーシャはヨハンを振り返ることが出来ずに、ただ奥歯を強く噛み締めている。倒れた令嬢は嬉々とした表情でヨハンを見ると、すぐに頬を抑えて叫んだ。
「殿下! マーシャ様がわたくしの頬を……わたくしに暴力をふるったのです!」
「マーシャが? そんなわけ、」
「いいえ、殿下! 私も見ていましたわ、マーシャ様がこの方の頬を叩くのを!」
「私たちは楽しくおしゃべりをしていただけなのに、急にこのような!」
きんきんと響く令嬢の声は、多忙によるストレスを抱えたヨハンにはかなり耳障りなものだった。被害を訴えた女性の頬は確かに赤くなっており、当のマーシャは拳を強く握ったままである。否定の言葉もあげないマーシャに、ヨハンは浅く息をついた。
「マーシャ、何があったのか知らないが、暴力は良くない。彼女に謝罪を」
「いやです」
きっぱりと答えた。ヨハンは訝しげに眉を潜める。
「私は私の行動に責任を持っています。彼女に謝罪をするつもりありません」
「だが頬を叩いたのは事実だろう? これだけ証人もいるし、まずはそのことについて」
「いいえ。……いいえ! 私は謝りません」
ヨハンはこのとき、マーシャの様子が普段と異なることに気づくべきだった。彼女がこんなふうに我を見せることが、どれほどの理由を持つのか。
「ヨハン殿下、このような乱暴な方は殿下に相応しくありません!」
「即刻、婚約を破棄すべきです! マーシャ様よりもっと美しく優秀な方がいくらもおりますわ!」
一介の令嬢が王子の結婚に物申すなど、不敬なことこの上ない。彼らの両親がいたなら顔を青くしていたことだろう。それを咎めることも、令嬢たちに愛想をふりまくことも面倒だと感じてしまっていた。
ヨハンの苛立ちは益々強くなった。ようやくマーシャと同じ場所にいられる時間を得たというのに、このような事件を起こされて。
思わずチッ、と舌打ちをする。マーシャが顔を上げて、ヨハンを見た。
「マーシャ、きみが謝ればここは収まるんだ」
「いやです」
「マーシャ!」
咎める声だった。ヨハンの表情も不機嫌に暗くなり、マーシャは喉奥が詰まるような感覚を覚える。腹の奥に渦巻く、重くて黒い感情を必死に抑え込むように息を飲んだ。
ヨハンはしばらくマーシャを睨んでいたが、マーシャの表情が変わることも、その口から謝罪の言葉が漏らされることもなく。
もう一度盛大にため息をついたあと、従者であるルイに声をかけた。
「マーシャを部屋に。しばらく頭を冷やすんだ」
ルイは頭を下げて、マーシャのそばまで歩み寄る。唇を噛んでいるマーシャは、小さく震えていた。ルイはちら、とヨハンを一瞥し、思わずため息が漏れそうになる。それを堪えて、マーシャを伴い会場を後にした。
「ヨハン殿下、」
「……きみたちもこのような場所で、騒ぎを起こすような真似をするな。それと婚約の件に関してはきみたちにどうこう言う権利はない」
ヨハンはマーシャのあとを追いかけようとして、やめた。
今この状態では、苛立ったままで会話を続けるのは良くない。頭を冷やす必要があるのはマーシャだけではなく、自分もだ。
久しぶりにした会話がこんなものになってしまうなんて。
ヨハンはその後も貴族たちとの歓談を続けたが、心はほとんど無の状態であった。
*****
「……は?」
「ですから。マーシャ様はご実家に帰られました」
「な、なんで、」
パーティが終わって落ち着いた頃合い、ヨハンはマーシャの部屋を訪ねようとした。けれどその前にルイにそんな報告をされて、頭がめいっぱいに混乱する。
「伝言をお預かりしています。『言われた通り、頭を冷やしてきます。婚約破棄については、ヨハン殿下の意向に従います』とのことです」
「は……はぁ!? 婚約破棄なんてするわけねぇだろ! しかもヨハン殿下って! 他人行儀か!」
「私に言われましても」
「っていうかお前! なんで引き止めなかった!?」
「マーシャ様がどうしてあのような行動に至ったのか考えず、苛立ちのままに謝罪を要求していた殿下に腹が立ちまして」
淡々としたルイの言葉に、ヨハンははっとする。
あのときは令嬢たちの耳障りな声と、常にないマーシャの言葉にただただ苛立っていただけであったが。ルイの言う通り、普段穏やかなマーシャが手を上げるまでに至ったのには何か理由があるはずだった。
「……その。……お前は見ていたのか」
「えぇ。マーシャ様の護衛を任されていましたので。当然ご理解の上と思いますが、マーシャ様があの令嬢に手を上げたは自身の保身のためではございません。むしろあの方は、自分に向けられる悪意には無関心でした。マーシャ様がお怒りになったのは、あなたを侮辱されたからですよ、殿下」
ぴくりと、ヨハンの肩が動く。
「あの令嬢たちは、それはそれは口汚くマーシャ様を、そして殿下を侮辱しました。ここがレーゲンでなければ、極刑に値するような言葉もありました。だからマーシャ様は手を上げたのだと思います。謝罪の言葉を告げなかったのは、あなたの伴侶として当然ことをしたまでだから、ではないですか?」
指先から血の気が引いていく。
誰よりもマーシャのことを知っているはずなのに、忙しさから来る苛立ちに任せて判断を誤った。まるで八つ当たりのように、マーシャを責めるような声で呼んでしまった。
今日のパーティ会場に出された料理は、半分以上残っていた。マーシャがいなくなったことにより、料理に興味を持つ貴族が減ったためだ。何よりマーシャ自身も、今日の料理はほとんど手をつけていないだろう。
「マーシャと揉めていた令嬢がどこのものかわかるか?」
「調べればすぐに」
「特定して、以後パーティへの参加を……いや、登城自体を禁止しろ。関わった令嬢全てにだ」
「かしこまりました」
王族を侮辱した罪への罰としては随分軽いが、それがレーゲン国である。もっとも登城を禁止されたと言うことは、今後一切ヨハン含む高位の貴族たちとの交流は絶たれることだろう。より高位のものとの結婚を望んでいた令嬢たちにとっては、何よりも有効な処罰だ。
「と、とりあえずマーシャのところに行かないとだな、あの姉たちに何か言われるかもしれないが」
「殿下。今でこそマーシャ様だけに心を寄せていますが、以前までのあなたの行動を思うと令嬢たちの陰口も起こるべくして起こったものです。これ以上マーシャ様を傷つけないためにも、しっかりけじめをつけるべきかと」
「……わかってる。ちょっとゾンネ国まで行ってくる、留守は任せた」
そう言って足早に城を出ようとして、客間の前を通り過ぎる。目の端に見たことのある色が飛び込んで、思わず足を止めた。
「あら、このお茶菓子美味しいじゃない」
「マーシャのためでしょ、料理の質が上がったって噂になってるもの」
マーシャの姉であるアマンダとブリアナが、そこにいた。ヨハンがぽかんとしていると、気配に気づいたブリアナが扉の方へ視線を向ける。
「あら殿下」
「いや、あら殿下、って……お二人がなんでここに」
「えぇ? かわいい妹の顔を見にきちゃいけないって言うの?」
「あ、いや、マーシャが実家に帰ったって、」
「はぁ? あんたまさか、マーシャが実家に帰りたくなるような真似をしたの!?」
しまった、とヨハンが口を塞ぐも、時既に遅しである。二人の姉は鬼のような顔で、オラオラとヨハンを威嚇している。体格も貫禄も、彼女たちの方が上である。ヨハンは思わず及び腰になっていた。
「姉さま~、やっぱり残ってましたよ、パーティの料理! コック長に言って持ってきてもら……」
「マーシャ!」
後ろを振り返り目を丸くするヨハンである。とっくに実家、ゾンネ国に向かったと思っていた。
「実家に帰ったんじゃ」
「あんた、あの従者に担がれたのよ」
「ここに嫁ぐと決めた子が、そうホイホイ実家に帰るわけないでしょ」
――どうやら相当、しっかり怒っていたらしいルイのことを思い出し、ヨハンは盛大に息を吐き出してしゃがみ込む。
どうにもこうにも、判断力が馬鹿になっている……と、ヨハンは深く反省した。仕事が忙しいから、やることが多いから、父親がサボるから。色々理由をつけてしまったが、結局は自身の自己管理能力のせいだ。しっかり息抜きをするべきだった。マーシャとの時間を作るべきだった。
「……ヨハン殿下」
ぴく、と、ヨハンの肩が震える。
怒っているのはルイだけではない。きっとマーシャもだ。
(俺のために怒ってくれたのに、あんな態度)
ヨハンは勢いよく立ち上がって、マーシャに歩み寄る。
「マーシャ、二人で話がしたい。いいか?」
今度はマーシャの肩が震えた。ぐっと唇がへの字に曲がり、表情が歪む。
「こ、婚約破棄のお話なら、今ここでっ! 姉さまたちの前でっ、してくださいっ!」
「は」
「「はぁあああ??」」
ブリアナたちの圧を感じて、ヨハンは背筋を伸ばした。冷や汗をめいっぱいにかきながら、慌ててマーシャの手を取り部屋を出る。
「違う違うそうじゃない、ルイも言ってたけどなんでそんな話になってんだ!」
「だってさっき、あの人がっ」
「何があっても絶対、絶対婚約破棄しない! 俺が話したいのはそういうんじゃなくて」
客間から少し離れた場所、姉二人が今じっとりとヨハンを睨みつけているが、ヨハンは意識をマーシャに集中させた。改めてマーシャの両手をぎゅっと握りしめ、その琥珀色の瞳を見つめる。
「ルイに聞いた。俺のために怒ってくれたんだって」
「それは、」
「それなのにキミだけ責めるような真似をして悪かった」
マーシャはまた、唇をぎゅっと噛む。
ヨハンは泣きそうな気持ちになった。
マーシャとの時間を何よりも望んでいたはずなのに、欲しかったマーシャの笑顔を少しも見られていない。パーティの最中も貴族たちと言葉を交わさねばならず、マーシャを見ることが叶わなかった。そうしている間に、あの事件である。あれからマーシャはずっと、むっとした顔のままなのだ。
「マーシャ、」
「ヨハン殿下は」
殿下、と呼ばれることには慣れている。だけれどマーシャにそう呼ばれるのは、あまり好きではなかった。公式の場や他の貴族の目があるときは仕方がないが、そうでないときはもっと気安く呼んで欲しかった。
「側室を、囲われるのですか」
「え、」
「綺麗な……殿下のお好きな、スレンダーな女性に誘惑されたら、その方と懇意になるのですか」
泣くのを堪えている顔をしていた。ルイは令嬢たちが何を言ったのか、具体的に口にすることはなかったが。マーシャのその言葉に、大体の予想がついた。確かにそれは、マーシャに出会う前のヨハンの行動を考えれば「起こるべくして起こった」陰口だ。
「こんな気持ちになるのは初めてで、……前もお腹の奥がモニャモニャすることはあったけど、今日はそれよりもっと嫌な、とても嫌な気持ちでした。あのひとたちの笑った顔が、勝ち誇ったような顔がとても憎らしくて、殿下が他の女性に触れたのだと思うと、苦しくて、悲しくて」
声が震えていた。それでも涙を堪えるように、何度も息を飲み込んでは唇を噛んでいる。
「だけどそれより、私を選んでくれた殿下を、その心を酷く侮辱された気がして、許せなかった。あのひとたちが殿下の心を疑う度に、私の心にも疑心が浮かんでしまうのが辛かった」
ぼろぼろと、とうとう堪えきれなくなった涙がこぼれ落ちる。マーシャははっとして、顔を俯かせた。
「マーシャ」
「あ、姉さまから、殿下の隣に立つものとして泣いてばかりなのはだめだと言われたんですっ。強くなるって決めたから、姉さまたちみたいに、堂々とするって、」
「マーシャ」
ヨハンはマーシャの体を抱きしめて、背中をよしよしと撫でた。自分よりも体格の良い、肉付きの良い体はそれでも、今日は小さく見えた。何度も何度もしゃくりあげて、もはや涙は止まらないのだろう。ヨハンは肩口が熱く濡れていくのを感じた。
「俺の前では泣いていいんだよ。俺はマーシャの伴侶だ。夫になるんだ。だから俺の前でだけなら、いくらでも泣いていい」
正直なところ、マーシャがあの姉二人のような強さを持ってしまうことは遠慮したいヨハンである。マーシャは今のマーシャのままでいいのだ。
「ごめん、マーシャ。俺は確かに遊んでた。運命の相手を見つけるとか言ってたけど、実際いろんな女性とお付き合いしたのは確かだ。だからマーシャが疑心を抱いてしまうのもわかるし、俺の言葉が信じられなくなるのも理解できる」
でも、と、ヨハンはより強くマーシャを抱きしめて言った。
「俺もこんな気持ちは初めてなんだ。キミといると楽しい。心底心が癒やされる。……キミが愛しい、マーシャ。これから先もずっと、キミと一緒にいたい」
マーシャの体の震えが、少しだけ弱まった。ヨハンは小さく笑って、もう一度優しくマーシャの背中をぽんぽんと叩く。
「それから、側室は迎えない。っていうか、この国は一夫一妻制だ。俺の父親ーー国王だって、生涯王妃だけを愛する誓いを立ててる」
はっと息を飲む気配がする。小さな声で、「そうだった……」という呟きが聞こえてきた。ヨハンはまた笑った。
「……その、なんだ。キミのことを傷つけてしまったのは事実だし、心底申し訳ないと思っている。何度も謝る気でいるんだが、……マーシャが嫉妬してくれたことが嬉しくて仕方がない」
「嫉妬?」
「嫉妬だろ? 俺が他の女性に触れたり、とか、側室のことだって」
マーシャの表情がまたむっとする。しかしすぐにはっとして、自身のもっちりした腹部に触れた。
「この嫌な気持ちが嫉妬……」
「うん。多分」
なるほど、と腹部を撫でたマーシャの眉が、またきっ、と上がった。ぎくりとするヨハンに、マーシャは詰め寄る。
「だったらもう、こんな気持ち絶対いやです! ヨハンさんを疑って嫉妬するなんて、いやです!」
ヨハンは自分の顔が盛大に緩みそうになるのを必死で堪えた。堪えきれていたのか、本人はわからない。
どれだけ疑われたって、令嬢たちに陰口を叩かれたって、今自分がマーシャに向ける愛は本物だ。彼女の仕草や言葉のひとつひとつが、かわいくて、愛しくて仕方がない。
「ヨハンさん、聞いてますか!?」
「うん、聞いてる。かわいいな、マーシャは」
「全然聞いてない! 私、まだちょっと、ほんの少しだけ怒ってるんですよ!」
「うん、うん。わかってる。好きだ、マーシャ。愛してる」
「私もヨハンさんのことは大好きだけど、今は私の話を聞いて、ちゃんと反省してください!」
ヨハンはそれからずっと、だらしない顔でマーシャを抱きしめたまま――寄りかかっていたかもしれない――うんうんと相槌を打って話を聞いていた。その話はマーシャの腹の虫が鳴るまで続いたので、大した時間でもなかったのだが。
その光景をやっぱり見ていた姉二人、それからルイは呆れたような顔でため息を漏らす。
「あの二人の諍いって、本当に犬も食わないなんとやらよねぇ」
「ヨハン王子ってクソ王子かと思ったけど、マーシャに対してだけは色ボケ王子ね」
「こちらとしては一途になってくださって、本当に助かってますよ。食費はアホほどかかるようになりましたけど」
このあとヨハンは国王である父親に、まだ引退しないなら仕事しろ!と押し付けられていた仕事を押し戻し、一日一回、マーシャとのおやつの時間を設けるようになった。それ以来ストレスもなくなって、執務も円滑にすすめられるようになったとか。
ヨハンにとっては嬉しそうに幸せそうに、何かを食べているマーシャが一番の栄養剤だと、ルイを筆頭に城で働くものたちには周知されている。
したがって、レーゲン国は今日も平和なのであった。
遊び人と言われた王子がぽっちゃり人魚にガチ恋した話 @arikawa_ysm
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