だから浮くんじゃないの?

 ゴールデンウイーク前半が終了し、暦通りに生きている我々は、学校への登校を余儀なくされ、かったるいことこの上ない、連休のはざまを迎えていた。

 そうは言っても、クラスマッチというイベントが催されることになっているので、大部分の生徒にとっては、それほど心理的な負担は重くはないのかもしれない。運動センスの塊、みたいな連中にとっては、まさに晴れ舞台であるだろうし。

 俺はというと、さして嬉しくもないし、かと言って憂鬱というわけでもなく、今日の晩飯はなんだろうな、くらいの事を考えながら、その日、校門をくぐっていた。

 

 問題なのはむしろ、選手として何をするか、というよりも、なんやかんやでやることになってしまった、執行委員の仕事がまともにできるのだろうか、というところ。

 結局、自分が何をするのかよくわからないまま、当日を迎えてしまったが、大丈夫なのだろうか。


 一応、言われていた集合場所に向かう。

 あおい先輩は既に、集合場所であるグラウンドに設置された本部テントにいた。体操着姿であるというのに、なぜか華があるのが、彼女らしかった。


 先日のこともあるし、俺を見てどんな顔をするだろうかと思っていたが、存外あっさりとした表情で俺に挨拶をしてきた。わざわざ俺から話を振るのも、なんだかガキ臭いなと思ったので、俺も先日のことは口にしなかった。委員会の仕事中にする話でもないし。別に俺だって意識してるわけじゃないし。あれも結局のところ、葵先輩の策略なのだ。俺は全然たじろいでないからな。……ホントだよ?


 執行部中心に関係する委員全員で一通り、今日の流れを確認したあとは、本部テントでの仕事は、時間交代していくということなので、各々クラスの方へと戻っていった。俺の当番は最初だったのでそのまま残った。

 葵先輩もテントに残り、運動常任委員や放送委員などと話をしていたが、それも終わって、俺の隣のパイプ椅子に腰掛けた。


「先輩は何に出場するんですか?」

 時間が合えば、覗きにでも行こうかなと思った俺は、彼女に尋ねた。


「ドッヂだよ」

「へえ……。応援しに行ってもいいですか?」


 先輩は嫌そうな顔こそしなかったが、特に歓迎する顔もしなかった。

「私、多分、そんなに動けないから、見てもつまんないと思うよ」

「ドッヂ、苦手なんですか?」

 なんとなく、運動は何でもできそうと思っていたので、少し意外だった。


「いや、苦手というか……、私、膝の調子が悪くて、あんまり激しい動きができないんだよね」

「あ……そうなんですね」

 そういえば、伊吹から先輩は膝の怪我で水泳を途中でやめている、と聞いていた。


 あまり、触れられたくない話題だったかもなあ、と自分の迂闊さを呪った。


 話題を変えようと思い、目についたものについて尋ねた。

「そういうの履いてても、問題ないんですね」

 先輩の足元。すらっと長い脚がハーフパンツから生えている。何を食べたら、こうもスタイルが良い体になるのだろう。俺も先輩の赤ちゃんになれたなら、きっと八頭身のイケメンになっていただろうに。

 いや、今はその話じゃなくて。先輩はハーフパンツの下に膝下丈のスパッツを履いていた。一年の女子はみんな生足だったので、てっきりそういうのは禁止されていると思ったのだが。執行委員長が本部テントでそのような格好でいるのに、周りの教師は全く気にもとめていない。


「ああ。うちはそういうの特に厳しくないからね。別にアンダーシャツ着てても特に何も言われないし。ほら、あそことか」

 先輩が指し示した方には、坊主頭の野球部員らしき連中が、ガヤガヤと密集しているのが見えた。確かに彼らの多くが、学校指定のポロシャツの下に、黒や紺のアンダーシャツを着ている。


「上が良くて、下が駄目な道理はないでしょ?」

「確かに」


「今どき夏とかは日差しも強いし、それで火傷したとか、言われたら、学校側も困るじゃん。だから、何も言わないんだと思うよ」

 そういえば先輩は、制服のときもストッキングを履いていたし、日焼けにはかなり気を使っているのだろうな。


 俺と先輩がいるのを見つけたからか、伊吹いぶきがテントまでやってきて声をかけてきた。


「おはようございます、葵先輩!」

「あ、おはよー」

 ニコニコとした顔の伊吹に、先輩も笑顔になって挨拶をした。

 

 俺がスルーされるのはもはや平常運転なので、気にしない気にしない、と自分を慰めようと思ったら、

「あ、ゲンくんもいたんだ」

 あ、今気づいたんだ。……いや、別にいいけどさ。うん、そうだよね、楓子ちゃんが僕の事無視するはずないもんね!


「うっす」

 伊吹に向かって軽く会釈する。どうも存在感の薄い銭丸玄徳です。


 その後、伊吹と葵先輩とで、きゃいきゃい女子トークに花を咲かせて、俺は物言わぬカカシみたいに二人の会話を聞き流していたが、不意に伊吹が俺にも話を振ってきた。仲間はずれにするのは、流石に可哀想だから、少しくらいは話を聞いてやるか、みたいな雰囲気で。


「ゲンくんは何出るの?」

「バレーだな」


「へぇ、得意なの?」

「どうかな? 違う方の競技だったら、ゲーム中全くボールに当たらない自信はあるのだがな」


「男子のもう一個の競技って、サッカーだよね? ドッヂじゃなくて」

 伊吹は「この人何言ってるんだろう」みたいな不可解そうな顔をしている。


「……相手フォワードが突っ込んできたら、怪我しないように、避けるが?」

「サッカーで弾除けドッヂしてどうするの」

 ふ、伊吹はサッカーというスポーツをよく分かっていないようだ。

「何なら向こうから避けてくれるが?」

 皆、俺の覇気に圧倒されてか、面白いように避けていく。


「そりゃそうでしょ」

 伊吹は呆れたような顔をした。


「というわけで俺はバレーだ」

 いくら俺が強くても、ボールに触れないんじゃ仕方がないからな。


「あ、そうですか。E組は大変そうだね」

 言外に「俺みたいなお荷物がいて」という意味が含まれていることは、火を見るより明らかだった。


「あ、いただけないな。その発言は」

「どうして」

「俺に小学校時代のトラウマを思い出させるからだ」

「トラウマって?」

「遠足の班分けで俺を押し付け合い、最終的にクラス全員が担任にお説教された、あの悪夢のような時間のことさ」

 あの時のことを思い出すと、感動で目に涙が溢れ、胃がキリキリして胸にせり上がってくるものがある。あの場で下賜された、師のありがたいお言葉は今になっても鮮明に思い出される。「あなた達はどうしてクラスの仲間を仲間外れにするのですか?」

 

 俺は「本当に俺が仲間なのだとしたら、そもそも仲間はずれにしないのでは?」と当時は思っていたし、今も思っているし、おそらく十年後も思っている。


「え、なんかごめん」

 伊吹は至極申し訳なさそうな顔をした。


「……いや、そこで謝られると、ほんとにかわいそうな子みたいだから、楓子さんには笑い飛ばしてほしかったんだけど」

「私、そんな人の不幸で笑える人間じゃないんだけど。ゲンくんの自虐ネタ、時々本当に笑えないやつあるし」

「今のはギリギリ笑ってもいい奴」

 そうして、「俺、この話題で笑えるようになったんだ」って、悪夢を過去のものにしたい。そういうふうにして、人は強くなれるんだ。


「だからその線引が難しいんだよ。逆に笑っちゃいけないのはどんなのなの?」


 そんなのは難しいことではない。俺が口にしない裏話こそ、笑っちゃいけない話だ。例えば、今、あえてしなかった話の続きとか。

「例えば、さっきの話には続きがあるのだが、お説教をされたあと、俺のことを不憫に思った女子の学級委員長が、自分のところの班に俺を入れてくれたんだが、その後『委員長、銭丸の事好きなんだろ!?』ってからかわれて、『そんな訳無いじゃん!!』ってガチギレして、ガチ泣きした上、しばらく学校来なくなった話、とかは流石に笑わないでほしいかな」

 

「それはなんというか、悲劇だね」

「俺が可哀想というより、委員長が可哀想だったな」

 あの事件をきっかけに、その後クラスが分裂し、卒業までギスギスした雰囲気で過ごすクラスメートの様を、俺はクラスの端から観測していた。人間関係というものは、いともたやすく瓦解するものなのだ、ということを齢十二にして知った。

 まあ、事の発端は俺だったんだけどね。俺がいなければみんなで仲良く過ごせただろうに。みんな、ごめんな。


「ゲンくんも十二分に被害者なのに、他人事みたいに話せてるのが不思議なんだけど」


「当たり前だろう。俺はな、俺にまつわる事件を他人事のように叙述することで、俺の心を守ってるんだよ。フロイト先生はこれを「分離」と呼んだ」


「……分離? ゲンくんがクラスから分離されてたってこと?」

「そうだけど、そうじゃない。楓子さんはフロイト先生を御存知でない?」

「フロ……あ、フロートのこと? 美味しいよね」

 伊吹の頭の中でフロイト先生が、ソフトドリンクとソフトクリームのハイブリッド飲料に化けてしまった。いや確かに、文字起こししてなかったら、フロートに聞こえるかもしれないけど。え、何? 俺の滑舌が悪いの? そっかぁ。それなら仕方ない。フロートおいしいもんね。コーラの刺激とソフトクリームの濃厚さがマッチして奏でるハーモニー。絶品です。

 

 伊吹はなにかに納得したような顔をしてみせた。しかし口から出てきたのは到底理解しがたい文言だった。

「確かに、フロートってソフトクリームの部分と、ジュースの部分を分離させて食べたほうがおいしいもんね」

 

 なん……だと。


「聞き捨てならない事を言ったな貴様」

「え、え、何?」


「分離させて食べたらフロートではないではないか! 普通は混ぜながら飲むものだ!」

「えぇ、だってソフトクリームはそのままで美味しいし、メロンソーダはそのまま飲めば良くない? どろどろしてると気持ち悪いもん」

 なん……だと。


「まさか、伊吹、お前、メロンソーダ派だったのか?」

「え、フロートって言ったらメロンクリームソーダじゃないの?」

「違う!! フロートと言ったらコーラフロートに決まっておるだろう!」

「ええ!! 普通、フロートって言ったら、メロンクリームソーダでしょう?! コーラフロートなんて邪道だよ!」

 なん……だと?!


 コーラフロートがフロート界の王……ではないのか?


 ちょうどそこへ、内海澪うつみみおが通りすがった。

 彼女は俺たちの白熱した議論から発せられる並々ならぬ雰囲気を察したのか、警戒したような顔でこちらに近づいてくる。


「ねえ聞いてよ! 澪ちゃん! ゲンくんがフロートは普通混ぜて飲むし、フロートと言ったらコーラフロートっていうの。普通混ぜないし、フロートといえばメロンクリームソーダだよね!? ゲンくんは、こんなんだから仲間はずれにされるんだよね!!」

 と伊吹は内海に訴えた。最後の一言はただの悪口だった。


 それを聞いた内海は、眉間に手を当てため息を吐いた。

「……何を大きな声で騒いでいるのかと思ったら、あなた達よくそんなくだらないことで、熱くなれるわね」


 おっと、内海さんその態度はいただけないな。何でもかんでもくだらないと切り捨て始めた途端、人間は後退を始め、いつしか老害と呼ばれるようになるのだ。

 などと思っていたら

「そんなのコーヒーフロートが一番メジャーに決まってるじゃない。あとソフトクリームは混ぜるものじゃないわ。自然にものよ」


 内海は常識よ、と言わんばかりのすまし顔をした。


「まさかの第三の勢力の登場!?」

 伊吹は自分の味方になるどころか、新たな流派が出現して、目を丸くしている。


「甘味に甘味を足すなんてナンセンスだわ」

 と内海は自分の流派がいかに正統であるか論じ始めた。


 俺たちは、「いやコーラだ」「ううん、メロンソーダ!」「コーヒー以外ありえないわよ」「最初に混ぜるんだ!」「別々にするのが普通!!」「徐々に溶けていく過程を楽しむものよ」

 と侃々諤々のフロートディベートをし始めた。


 そんな俺達を見て、すぐ近くで静観を決め込んでいた葵先輩は

「君ら、本当仲がいいなあ」

 と笑っていた。


   

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