笑みと言っても色々ありまして

 概して、物事を傍から見ているときと、渦中に立って見ているときとでは、その事象から受ける印象というものは、至極違って見える。

 言うは易く行なうは難し、という。ただ指を咥えてみてるのと、いざ自分がやってみるのとで、同じ感想を抱くほうが難しいのかもしれないが。

 考え方を変えてみれば、何かをするのに洗練された動きほど簡単に見えるもので、何も考えずにやっている、というより、頭で考えるまでもないほど、反復に反復を重ね、常人の容易に達せざる至高の領域にいるのだ、ともいえる。

 

 俺の親父も、「如何に達人の仕事が容易くやっているように思えても、対価をけちろうだなんて愚かな行為は辞めるべきだ」と力強く言っていた。

 電装品を取り付けようとして、車の内装をDIY(Destroy It Yourself自ら破壊)したあとに。

 


 前置きが長くなったが、要するにこういうことだ。

 

 すべてのプロフェッショナルに敬意を払おう。


 俺はそんなことを思いながら、地面に倒れた。


 ああ今日の空はこんなに青かったのか。

 

 柄にもなくそんなことを思った。


 嫌に鉄臭いぬらぬらした液体の味を味わいながら。

 

  *


 血なまぐさい戦場から帰還し、手持ち無沙汰になった俺は、心の安らぎを求めて、部室へと向かった。

 喧騒と距離を置き、平静の中に身を置く。心の安寧を得るのにそれ以上の方法はない。

 一人安らかに部室で書物に親しめば、現代社会でもみくちゃにされて、ささくれだった俺の心も、幾分かまろやかさを取り戻せることだろう。


 校舎の階段を駆け上がり、我が城たる文芸部部室の戸を、ガラリと開けた。

 

 果たして、残念なことに、部室には先客がいた。

 

「クラス団結を目的とした行事だというのに、どうして君はこんなところにいるんだね」

 俺は自分の目的が、半ば、いやほぼほぼ達せられないことを悟り、恨めしい気持ちをにじませながら、中で優雅に茶を飲んでいた女に、声をかけた。


 その女、内海澪は、茶を飲み下してから

「あら。その言葉そっくりそのままあなたに返すわ」

 と俺に一瞥をくれる。


「……いや、別にクラスにいてもどうにもならんし」

 もう試合終わっちゃったし、その割にやかましい教室で残りの時間を過ごすのもなんか嫌だし。決勝トーナメントに進めなかった人間にできるのは、結成してまだ日の浅いクラスメートとの仲を深めることくらいだから、咎めたところでしょうがないのだが。

 そういう場にいないのが、俺が俺たるゆえんと言われたら返す言葉もない。


「それで私に会いたくて、会いたくて、震えて、ここまで来たというわけね。クラスの人はだれもあなたの事相手にしてくれないから」

「そんな俺のためにここに一人で待機してるお前もなかなかだな」

「そうね。これほど慈愛に満ちた人間はいないと、我ながら思うわ。自分の優しさに惚れ惚れする」

「さいですか」

 

 口ではそう言っているが、本心はどうなのやら。

 この口の悪さだ。クラスの連中も好き好んでこいつの相手をすることはないだろう。そうなると此奴も存外寂しい思いをしているのではないか。

 指摘はしないが。指摘したところで、彼女が肯定するとも思えないし、そもそも自覚すらしていないだろうから。

 この場所で優位性を保てる相手が存在することで、彼女は自尊心を保ち、なんとか学校に来られているのかもしれない。

 俺が相手をしてやらないと、こいつはかわいそうなやつになってしまうということか。言うなればこれは慈善事業なのだ。俺のありがたさに気づいたときには、俺はもうそばにはいなくて、彼女はその時初めて涙を流すのだろう。

 と、思っておこう。俺の精神衛生上、そのほうが好ましいから。


 どうだ、参ったか。


 俺が哀れな拗らせ少女を慈悲を湛えた目で見つめていたら

「顔どうしたの?」

 当の本人は、そんな気もしれず、俺の顔が変だとでも言いたげな目を向けてくる。

「何が?」

「鼻が赤いわよ」

 内海は自分の鼻をつんつん指しながら、心配そうな顔をした。正しくは心配している素振りを装った顔、といったほうがいいかもしれない。こいつが俺のこと心配する日にゃ、雪が降るからな。


「……そうか?」

 俺は自分の鼻を触った。鈍い痛みが走る。顔をしかめそうになったが、平気なふりをした。


 運動していたからだろう、とそれっぽいことを言いながら、俺は席についた。


 ドッヂボールでの突き指や、バスケットボールでの捻挫等々、軽微な怪我が発生したことを除けば、クラスマッチは大過なく進行していった。

 我がクラスの成績については推して知るべし。……ふ。



 俺が本を読み始めてから、幾許か経った頃合い

「お疲れー」

 ガラガラと伊吹が部屋に入室してきた。


「おう伊吹。クラスの方はいいのか?」

「今、ちょうど私の試合が終わったとこ。負けちゃったけど。他の種目ももう負けちゃってるし。だからひまつぶしぃ」

「そうか。ひつまぶしか」


 それから伊吹は内海と向かい合うように、俺の隣に座り、彼女とお喋りを始めた。

 服とか、コスメとか、俺にはようわからん話題ばかりだったので、俺はぬぼーっと、空気になっていた。


 俺が部室の空気と完全に一体化し始めていたところで

「げんくんのクラス、悲惨だったね」

 と話を振ってきた。

 本から顔を上げ彼女の方を見る。

 伊吹は俺の顔を見て笑っていた。お上から失笑憐れみの令でも発布されていなければ、できないような笑みだった。なんと邪悪な笑みだろうか。

「まあ、俺が活躍するには、少し役不足な試合だったしな」


 高校のクラスマッチごときで本気を出すなんて大人げない真似できるわけない。ここで俺の実力を見せつけるわけにはいかないのだ。能ある鷹はなんとやらだ。世界が俺を見つけてしまうからな。よもや現実世界で「俺、なんかやっちゃいました?」を実演するわけにも行くまい。そんなのは俺の頭の中の楽しい妄想だけで十分だろう。


「役不足って」粛々と淑女ぶって、だんまりを決め込んでいた内海が鼻で笑う。「あなたはむしろ、隅っこで大人しくしている方がよっぽど役に立つと思うけど」

「すみっコぐらしってコト!?」


 耳聡く、伊吹が茶々を入れてくる。

「それすみっコじゃなくて、ちいかわだし」

 そして俺はそれに訂正し返す。

「ちいかわじゃない。ハチワレだっ!!」

 はい、論破。

 そしたら、伊吹は小声で「うわぁ。出た、厄介オタク」とボソボソゴニョゴニョ言った。全く彼女は何を言っているのやら。


 そんな伊吹はひとまず放っておいて、俺は内海の認識を改める必要があった。

「どうやら内海は俺の実力を分かっていないようだな」

「バレーボール、得意だって言いたいわけ?」


「当たり前だろ。大の得意だ。俺が試合の前線に立てば、確実に圧勝する自信があるぞ、相手チームが」

「それ得意って言わないし!?」

 伊吹にぺシッと叩かれ、俺は呻いた。ちょうどバレーボールがあたり、青くなっていたところに伊吹の手が触れたのだ。

「痛いんだよ。もっと病人をいたわれよ。お前ゴリラみたいに力強いんだから」

「え、あごめん。怪我してたもんね。……て、ゴリラってひどくない!?」

 そう言ってまた叩かれた。だから痛いんだって。

 あと痛いとか関係なく、男に気安くボディータッチするなよ? 勘違いしちゃうだろ? 俺はしないけど。他のやつはね。

 本当、気安く触ってくる女って何なんだろうな。

 これは、俺の友達の友達の話なのだが、中学の時、やたらボディータッチしてくる女がいて、下の名前で呼んでくるし、「こっち来て」とか言いながら、手なんかも普通に握ってきたりするから、うっかり勘違いして「神崎さぁ、俺のこと好きなの?」とか聞いたら、笑いながら「どうだろうねぇ」と思わせぶりな答えではぐらかして、一見すると中学時代の甘酸っぱい思い出、みたいな風を装っていたくせに、後々、年上彼氏とお城ホテルに出入りしている目撃談が出回ったりなんかしちゃった、悲劇があったりなかったりするんだけど。いや別に惚れてたわけじゃないし、ダメージはゼロなんだけどね……。

 ほんとに何だったんだよ、あの女、神崎かんざき紗英さえ。他の男とちちくり合った手で俺に気安く触れるんじゃねえ。

 まあ中学生に手を出す高校生もどうかと俺は思うが。無垢なる少女を汚した罰を受けろ。天誅」

 

 俺が昔の話を思い出して、人知れず胸をむかむかさせていたら、

「心の声、漏れてるわよ」

 と内海が指摘してきた。やっべ。


「げんくん、そんな事あったんだ。なんかごめんね、勘違いさせてたら。別に変な意味はないから。これからは気を付けるね」

「あ、いや。……って友達がしてた話な」

 ぶねー。俺の黒歴史があと少しで露呈するところだった。

  

 と胸をなでおろしていたら

「あなた、友達いないじゃない」

 はぅあ!?


 なんか体だけでなく、心にも致命傷を食らった気がするので、もう帰ろっかなぁ、と心が折れそうになったが、ここで負けては、銭丸家の名折れ。やられたらやり返す。この女たちを泣かせるまで俺は帰らんぞ。


「で結局、あなたバレーボールは苦手なんでしょう?」

「上手かどうかは分からんが、ボールを味方陣地に叩きつける自信なら、あるぜ? 何なら味方の後頭部にぶつけられるぜ?」

「……もはや味方と言うのをためらうレベルね」


「ああ。俺も、お前らに八面六臂の大活躍を見せてやれたら良かったんだがな。世間がそれを許してくれないからな。うん。致し方あるまい」

「そんな活躍許されるわけないし。大体、げんくん、今日ほとんどコート外でのびてたじゃん」

「おい。言うなよ、それを」


「さっきから、病人とか、怪我とか言っているけど、どういうこと?」

 内海は怪訝そうな顔をした。


 いよいよカッコつけるのも限界が来たらしい。俺は堪忍して、事実を話した。

「別に、なんでもない。ちょっと華麗に顔面レシーブをしただけだ」

 俺が簡潔かつ的確な説明をしたところ、伊吹が

「鼻血吹き出しながらね」

 と余計な補足を付け加えた。

「……それは、なんというか……。悲惨ね」

「でしょう?」


 そう言って女子二人は顔を見合わせ、しばらく神妙な顔で見つめ合っていたが、堪えきれずに噴き出して、ひいひいけらけら言っている。人の不幸を喜ぶとは、意地の悪い連中だ。


 こいつらは、分かっていないのだ。

 まあ、無理もないか。

 あの場に立っていた俺達にしか分からないだろう。

 あのときの恐怖は。


 俺達は奴らに蹂躙された。

 そこはコートではなく、狩り場だった。

 俺達はハンターに駆られる小動物のようにプルプルと震えていたのだ。

 敵チームの練度もさることながら、一人、素人とは思えない体格をした御仁が敵チームにいた。俺達は密かにそいつを勇次郎と名付けた。勇次郎は、その巨躯からは想像もできないほどしなやかな動きで、殺人アタックを笑いながら放ち、俺達は一人また一人と撃墜されたのだ。

 

 最後はみんな必死で弾を避けていたよね。

 無理だよあんなの。死んじゃうもん。ていうか俺ほんとに気絶してたし。鼻が曲がらなかったのが奇跡みたいだ。


「誰にやられたの」

「H組。まあ強かったから、しょうがなかったけどね」

 俺の代わりに伊吹が答えた。


 伊吹は他人事みたいに言っているが

「大体、伊吹がプレー中にいきなり『げんくん、がんばれ!!』とか奇声を上げるのが良くないんだ」

 インプレーに「あれ、今、伊吹の声が聞こえた気がする」とか考えてたら、勇次郎が容赦なく俺の顔面に弾をぶち込んできたのだ。

「奇声って!? ひどくない!? 私、応援してただけじゃん!」

 伊吹はキーキー金切り声を上げた。


 全く伊吹はわかっていないな。年頃の男子は女子に名指しで「頑張れ!」とか言われただけで、体が硬直するのだ。たとえそれが馬鹿げた妄想だと理解していても、「え、あいつ、俺のこと好きなん?」とか一瞬考えてしまう、悲しい生き物なのだ。男子高校生というやつは。

 いや、別に俺はそんなこと全然思わないけどね。弁えてるからね。一般論としての話、というやつだ。


「そうやって誰かのせいにしているから、いつまで経っても、弱者男性という括りから抜け出せないのよ」

「おい。内海、貴様今、弱者男性を敵に回す発言をしたな」  


 内海は鼻で笑うように答えた。

「別に、敵にしたいわけではないけれど、積極的に味方になる気もないわね」

「この社会はな、弱者に寛容ではないのだ。弱者が弱者たる由縁は、弱者にあるのではない。この世界が弱者を弱者たらしめているのだ。つまりはだ」

 俺は決め台詞を言うため、そこで一度息を整えた。


「俺達は悪くない、悪いのはこの社会だ」


 

「結局、誰かのせいって言いたいだけでしょう?」

 内海は呆れたような顔をする。

 ああ全くわかってないな。


「なんかあれだよね。他人に助けを求めるのが下手な人っているよね。素直に助けてもらえばいいのに」

「違うな、伊吹。『男は強くなければならない』そういうジェンダー論が、男児にそれを許してくれないのだ」


 伊吹は不思議そうな顔を見せた。

「それ、その人達が勝手に思ってるだけなんじゃないの?」

「いや違う。俺でさえ『男の子なんだから』という枕詞で、いろんな大人にジェンダー論を植え付けられた覚えがある。我々にジェンダー論という呪いをかけたのは紛れもないこの社会だ」

 男なんだからという理由で、あんな殺人弾が飛び交うコートに立たなければならないというのは、いくらなんでも横暴じゃなかろうか。

 こんな世界は明らかに間違っている。世界にはその責任を取っていただきたい。だのに、この世界ときたら、弱い男への支援なんてこれっぽっちも考えちゃくれない。

 だから何度でも言おう。俺は悪くない。悪いのはこの社会。


「性別にかかわらず、強者は弱者を助けるべきだ。違うか?」


 内海はいたく重々しい口調で答えた。

「……つまり、銭丸君は私と結婚したいということ?」

「なぜそうなる?」

 神妙な面持ちで何を言うかと思ったら。俺がお前と結婚したいだと。まさか。


「だって、強者たる私が弱者たるあなたを助けると言ったら、そういうことになるでしょう? あなたは私のヒモになりたいということでしょう?」

「違う、そうじゃない。大体、お前は俺と結婚してくれんだろう」


 内海は少し考えるような表情をする。

「そうね。地面に這いつくばって、『あなたの奴隷にしてください』って頼まれたら──」

「頼まれたら?」

「やっぱり『気持ち悪いわ』って、断ると思うわ」

「結局、断るんじゃないか」

 にべもない。


「銭丸君は少し勘違いしてるようだけど」

「何が」

「弱者が弱者たる由縁は、助け合いの輪から外れたところにいるからよ」

「つまりどういうことだ?」


「誰も助けたくならないような人間こそが、弱者の正体ってことよ。人生は有限だもの。誰も彼も他人のため、それも自分が惹かれない人間のために時間を使えるわけじゃないわ。醜い人より可愛げのある人の方を助けたいと思うでしょう? 誰も醜いシンデレラになんて興味ないのよ」

「なんと残酷なことをいうか。つまるところ全てはルッキズムということじゃないか」

「見た目の問題じゃないわ。心が卑しい人にあえて近づきたがる殊勝な人はそういないってことよ」

「じゃあ俺も可愛げをにじませながら、お前に助けを求めれば、助けてもらえるということか」

 恥も外聞もかなぐり捨てて、魔女に媚びを売る。そんな覚悟があればだが。


「それとこれとは別ね。私、別にあなたのこと可愛いと思わないもの。天地がひっくり返っても」

 なるほどね。お前も可愛くないけどね。


 そんな都合よく、美少女が俺に手を差し伸べるはずもないと言ったら、そうかもしれんが。

 

 俺と内海の話を横で聞いていた伊吹が、口を開いた。

「まあ、難しい話は置いておいて、うちのクラスの男子もおんなじような感じで、負けてたし、多分、H組が優勝するんじゃないかな。今頃決勝戦だと思う」


 そうか、勇次郎達が決勝に進んだのか。

「じゃあ、あいつらが優勝したら、俺達は2位になれたかもしれないということだな」

「うーん。それはよくわからないけど」


「バレーボールくらい、俺にもできらぁと思っていたんだけどな。存外難しかったな」

「見ただけでできるほど、あなたそんなに器用じゃないでしょう?」

 内海という女は、どうも俺に手厳くしないと死んでしまう病に罹患しているらしい。不幸なことだ。

 そして伊吹さんは伊吹さんで、

「顔面レシーブするくらいなのに、どこにそんな自信があったんだろう」

 とか言わない。だってコートもそんなに広くないし、あんな大きいボールだもん。当てるの簡単そうに見えるじゃん。


「ドッヂボールなら少しは得意なんだけどな」

 追い詰められた俺は苦し紛れの虚勢を張った。

 が、彼女たちは攻撃の手を緩めない。

「影が薄いから、狙われないという話よね?」

「おい」


「でも、げんくん、あれでしょ。ドッヂボールで味方を盾にするタイプでしょ」 

「は? ドッヂボールってそういうゲームだろ。あれはいかに他人を蹴落として、最後まで生き残るかを競うゲームだ」


「いや絶対違うし。……げんくん、よくそれで今まで生きてこられたね」

「何言っているの、伊吹さん。すでに彼は瀕死状態よ、社会的に。だから誰も彼にドッヂボールの正しい遊び方を教えてくれなかったのよ」

「ああ、そっか」

 好き放題言いやがって。


 別にいいし、運動が多少できなくても、この社会生きていくのに不便ないし。困らないもん。

 この社会で成功するということはだなあ、決して玉突きがうまいということにはならんのだ。

 勝ち組とはすなわち権力者。人の上に立つものこそ人生の成功者なのだ。

 球乗りピエロどもめ。俺を怒らせたことを後悔するがいい。

 俺が生徒会長なり、執行委員長なりになったあかつきには、球技大会なんてもの廃止にしてくれる。


 俺が一念発起し、人知れず、壮大な野心を抱いたところで、不意に内海が

「そんなに恥ずかしがらなくていいじゃない」

 と優しく微笑みかけてきた。


「ほう?」

「人には向き不向きがあるのよ。誰にでも苦手なことはあるし、逆に強みもあるわ」

 なんだ。俺をいじめるのにも飽きたのか、とうとう慰める気になったらしい。

「強みねぇ。じゃあ、俺の強みは何だと思う?」


「……そうね。えっと、ほら……。ね」

 そこで黙るなよ内海。余計傷つくだろ。

「……あ、ご飯はきれいに食べるよね。割と」

 そんな下手なフォロー初めて見たぞ、伊吹さんよ。

「あ、そうね。確かに。こぼさないできれいに食べるわね」

 褒めるところ見つけられそうにないから、乗っかりやがったこいつ。

 

「おいお前ら。もうちょっとなんかあるだろ。俺は幼稚園児じゃないんだぞ」

 なんだいおまえら。珍しく優しいことを言うのかと思ったら。


「えー、だって、どんだけ他のことできても、ご飯の食べ方汚い人だったら、一気に萎えない?」

「私も同意見だわ」


「ご飯粒こぼして、『母性本能くすぐられる!』みたいのはないのか?」

 

 それを聞いた伊吹は

「は、そんな事言われたら『私あんたのママじゃないんだけど』って思うだけだし。ご飯もまともに食べられないとか、ダサすぎない?」

 と冷たい声で言い放ち、

「お里が知れるわよね。品性のない人間は嫌いだわ」

 内海はぴしゃりと取り付く島もない。

「ああ……そうですか」


「その点、貴方はご飯をちゃんと食べられる。だから自信を持ちなさい」

「そんなことで自信を持てと言われても」


「それに私、別に銭丸君が弱い人だと思わないわ。貴方は強い人よ」

「というと?」

「……無能な味方ほど、恐ろしい敵はいないというでしょう? つまりあなたは最強の敵になれる」


 ……。


「結局ただの悪口じゃないか」

 

 内海澪はどうしても俺の味方にはなりたくないようだ。


  *


 クラスマッチも゙全日程が終了し、放課後、俺達執行部と運動常任委員の面々は、後片付けに追われていた。

 伊吹は水泳部の部活に向かい、内海は引き続き部室で本を読んでいるようだ。

 伊吹はともかく、内海さんはたいそう良いご身分だ。

 彼女が後片付けをする義理もないので、そこに文句を言うのは八つ当たりに過ぎないのだが。

 

「先輩は下がっててください」

 葵先輩がテントの支柱を運ぼうとしていたのを見かけ、俺は手を出し、代わりにそれを持った。

 

「いいよ。これくらい」

 と先輩は遠慮したが

「重たいんで危ないですよ」

 と俺は答えた。


 実際のところは、女性が持てないほどではなかったが。

 先輩もそれを分かっているようで、不思議そうな顔をした。


「もしかして、私が膝が悪いって言ったこと気にしてくれてるの?」

「……やだなあ。知らないんですか。労働基準法で女性は重たいものを持ってはいけないって定められているんですよ? 遵法精神極まるこの俺が目の前で、法律違反を見過ごすわけないじゃないですか」

 俺が言ったら、先輩は笑った。

「多分これ、そんなに重くないと思うけどね。でも、ありがと」


 先輩の素敵笑顔にどきりとした俺は、照れくさくなって

「まあ『No load No 労働』ではありますけどね」  

 と、咄嗟に思いついた洒落を言った。ほんと先輩が笑うと心臓に悪い。

 シニカル内海さんも彼女の笑顔を少しは見習うべきじゃないか。

 内海さんが笑っても、俺の心臓はドキドキしちゃうけどね。大体酷い目に遭う前兆。

 

「そうだね。……ちなみに話変わるけど、おじさんが駄洒落好きなのは、理性を司る前頭葉の機能が低下した結果らしいよ。思いついた駄洒落を言うのを我慢できなくなるんだって。つまり老化だね」


「……え?」


 俺、老化? え、死ぬの? この世界のエンディングを見られないの?

 やだ。巻き戻しボタン、連打連打、レンダリング。


 あまり受け入れたくない事実を突きつけられて、ポールを持った手がプルプル震え始めたところで

「話変わるけどさ、今度のデートどこ行く?」

 などと、周りに人がいるのに、彼女はとんでもないことを言い始める。

 耳打ちするように、囁きボイスで言ってくれたのがまだ幸い。ポショポショ言うから、ゾクゾクしちゃったけれども。不意に可愛いことするのは反則だぞ。

 

「え、え? いきなり、なんですか」


「え? 何って、デートだよ、デート。この間も行ったじゃん。ゴールディンウィークの後半も時間あるでしょ? どこ行く?」

 お、お、おーん?


「あれはデートじゃなくて、お互いを理解するためのフィールドワークと呼ぶほうが正しい表現だと思います。だから誤解を生むようなこと言わんでください」

 やっぱりよく考えてみれば、デートというものを、そこら辺の適当な異性に捧げて良いものではないだろう。俺はともかく、葵先輩は。

 彼女のためにも、俺と彼女が外でするあれやこれやを、デートと呼ぶべきではないのだ。

 だからフィールドワークと呼ぼう。それなら別段、男女が二人でしていてもおかしくはないはずだ。


 そんな、俺の最大限の配慮を彼女ときたら

「もう面倒だから、デートで良くない?」 

 などとのたまい、台無しにしてくれる。


 良くない。デートというものは気になるあの子とするものであって、我々のようなビジネスライクな関係性の二人が使っていい言葉ではないはずだ。

 なんて俺の主張がされる前に

「じゃ、私、あっちの方、見に行かないといけないから! 行くとこまた決めようね!」

 言うだけ言って、ぴゅーと彼女は走り去ってしまった。


 全くあまり俺を振り回してくれるなよ。

 しょうがないから尻尾振って相手をしてやるけれども。

 いつだって本気。それが俺の信条。


 やれやれ、と言いながら女の子の相手をするのは、ラノベの主人公だけで十分だろう。


 まったくやれやれだぜ。

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