Listen to me
クラスマッチを終えた、連休の間、二日間だけの授業。校内の雰囲気はすっかり弛緩していた。
このスケジュールでは無理もないが。
教師陣も、けだるさを隠すことなく
「こんな天気いいのに、勉強なんてやってられんよな」
などと冗談を飛ばしながら、それでも、真面目に授業をしている。
御存知の通り、神高生は皆個性が激しい。内海みたいにおもしれー女はいるし、葵先輩みたいに後輩を引き摺り回すのが趣味だと公言する人もいる。
教師陣はそんな生徒にも負けないくらい、個性が強い。
そんな愛すべき県立神宮高校の個性的な教師陣を紹介しよう。俺のお気に入りの若手の御三方だ。
まず社会科の山本先生。地理の授業を担当している。得意技は隆起準平原のモノマネだ。何を言っているのかわからないと思う。俺も何を言っているのかわからない。調子がいいとマッターホルンのマネを始める。本当に何をしているのかわからない。うちの高校のOBでもあり、執行委員長もしていたらしい。ドラゴンズの熱狂的なファンだ。
「今年こそは優勝できると思うんだよね」
とよく言っている。多分毎年言っている。ご愁傷さまである。
続いて数学科の外野先生。野球部の顧問ではあるのだが、何故か坊主頭だ。ちなみにウチの野球部はもともと、髪型は自由だったし、今もそうなのだが、外野先生が顧問になってからみんな自発的に頭を丸め始めたらしい。顧問自ら頭を丸めることで、無言の圧力でもかけているのだろう。俺は密かに環境型パワハラと呼んでいる。
筋骨隆々な体躯で、校内一でかい声で授業をする。
去年着任してから一学期が終わるまで、校長先生に体育科の教師と勘違いされていたらしい。外野先生も神高OBで、山本先生とは同期であるという。
数学教師になった理由に触れるにつけて
「俺は数学が苦手だったんだけど、高校時代、唯一無二の親友に数学を教えてもらったのがきっかけで教師になろうと思ったんだよ。そいつは、海外の大学に行っちまったんだけど今は日本で医者をしていて──」
とよく海外の大学に行った友達の話をしている。よく、というか、ほぼ毎回その友達の話をしている。多分大好きなんだと思う。
最近は美しい放物線を描くのに御執心である。この前は「Πってでかいパイだからデカパイって読めんか?」と言っていた。そのうち捕まると思う。
そして英語科の久留和先生。外野先生や山本先生とは同い年ではあるが、彼女は神宮高校OGではない。というか高校すら出てないらしく、高卒認定を取って大学に行ったという少し変わった経歴の持ち主だ。可愛らしい先生なのだが、少し世間離れしたところがある。
「私はみんなと同じ年の頃、王子様に勉強を教えてもらってて、あ、王子様って言うのは幼馴染の男の子のことなんですけど」
とよくわからない話をすることがある。ちなみに王子様とやらは意地悪なお姫様を連れ戻すためヨーロッパに行ってしまったらしい。多分長い白昼夢でも見ているんだと思う。俺は密かにミス・デイ・ドリーム・ビリーバーと呼んでいる。お大事にしてください。
そんなことを考えていたら隣の教室から
「π―π相互作用!」
と叫ぶ外野先生の声が聞こえてきた。なぜ数学の時間に、有機化学用語が登場するのかは知らない。そのうち逮捕されると思う。
神宮高校にいると個性豊かになるのか、個性豊かだから神宮高校に集まるのか、卵が先か鶏が先か。
果たして真実はいかに。
そんな感じで、エキセントリックな教師たちのエキセントリックな授業を受け終えて、ゴールデンウィーク後半を迎えた。
*
葵先輩からデート……もといフィールドワークの誘いを受け、迎えたゴールデンウイーク後半。
先輩のリクエストにお答えして、俺は岐阜市へ赴いていた。
本音を言えば、名古屋大帝国臣民としては、国外旅行は気乗りがしない。ただ国外の現状を知ることは、帝国のさらなる発展にも役立つだろうから、今日は勉強だと思って、隣国に降り立つ決意をしたわけである。
帝国の唯一にして、最大の欠点が、観光地としての集客力のなさだからな。
県民自体が地元の魅力を理解していない節がある。
そこら辺の愛知県民に「愛知でおすすめの観光地教えてよ」などと聞こうものなら、苦し紛れに「え……名古屋城? ……あと大須とか?」というのがせいぜい。酷いと「……ナガシマスパーランド?」とかいい始める。帝国臣民はしばしば忘れているのだが、長島は三重県であって、帝国領ではないのだ。
愛知の魅力発信大使を自称する俺としてはとても悲しい。決して愛知県に遊ぶところがないわけじゃないのに。
例えば、ほら、……海もあるし川もある。……あと山もある。一応、スキー場もあるからな。茶臼山っていう、素敵な場所に。電車で行けないけど。名古屋から車で2時間かかるけど。二時間あったら岐阜の大きなスキー場行けちゃうけど。
……。
ほらね! 愛知県は楽しいところがいっぱい!
みんな、愛知においでよ。
それはさておき。
隣国、美濃国の玄関口、岐阜駅。
県庁所在地の駅なだけあって、駅周辺含めそれなりに栄えているのだが、一番目を引く、というか異彩を放っているのが、駅前にある、風呂屋街だ。
駅前の一等地に風呂屋が固まっているのが不思議でならない。岐阜市民というものは、綺麗好きなのだろうか。
実際、何人もの中年男性が吸い寄せられるように、風呂屋街に消えていくのを目にした。
察するに、名古屋大帝国帝都に都入りする前に、俗世の穢れを落としてから、という習慣が、岐阜の民にはあるのだろう。
良い心がけだ。
綺麗好きな岐阜市民に感心していた俺の肩を、先輩が軽くたたいた。
「リス村のリスって、日本原産じゃないらしいよ」
これから行くところの情報を見ていたようだ。
本日は晴天なり。今日も先輩は美人なり。
あといい匂いがする。
今日の先輩は、やけに戦闘力の高そうな服を着ている。
レースブラウスにスカートを履いて、Gジャンを羽織っている。大変危険である。
何が危険かといえば、レースからチラチラ肌色が見えているのが、大変気になるし、下着が透けたりしないのかしらんと、心配になる。そういうふうに、気をそらせて、出来た隙を容赦なく攻撃するのだろう。それでなくとも、道行く男は先輩に目を奪われて、転けて頭でも打つんじゃないだろうか。
実際、転けるまではいかなかったが、好色そうな男が、先輩に見とれて、改札に股間をぶつけていた。ざまあみろだ。
特筆すべきは、ショートブーツ。可愛い見た目で一見すると無害そうに見える。だが、俺クラスになると、アレの危険性は一目瞭然だ。
見るからに頑丈そうな造り。そして蹴りを入れるのに最適化された形。
そこらの男の拳より遥かに攻撃力は高い。
あれで股間でも蹴り上げられたら、ひとたまりもないだろう。彼女をいやらしい目で見る不埒なやつは皆蹴り上げられてしまえばいい。
彼女こそ我が校の象徴、
「ちょっと、話聞いてる?」
先輩は、先輩のことを直視できずに、挙動不審になっていた俺を咎めるように、頬を少し膨らませた。怒ったところで、可愛いが可愛いになっただけなので、ダメージはゼロなはずだが、俺はなぜかダメージを受けている。そのうち血を吐くかもしれない。人知を超越した妖術を使う危険な女だ。
えっと、リスの話だっけか。
「リスが海外産って話でしょう。なんか意外ですね」
岐阜というと、アルプス一万尺で有名な槍・穂高連峰を始めとする飛騨山脈の急峻な山々に見下ろされ、清流長良川に栄養される自然豊かな土地というイメージが強い。だから、飼育されているのも、日本固有のニホンリスかと勝手に思っていた。
ちなみに、アルプス一万尺よろしく、本当に小槍の上でアルペン踊りなんかしたら、常人は確実に滑落するので、良い子は真似してはいけない。多分、この替え歌を考えたやつ、山頂のテントでビールでも飲みながら歌ったんじゃないかと思う。途中から呂律が回らなくなって、ランラン言ってるし。
というわけで、テレビはあの歌を流す時、「※良い子は真似しないでね」とテロップを入れる必要があると個人的には思っている。
「逃げ出したタイワンリスが金華山で野生化してるんだって。それを捕まえて、調教したのがリス村なんだって」
「調教されたリスですか」
「どんな感じなんだろうね。楽しみだね!」
一体どんな芸を仕込まれているか知らないが、俺の敵ではないな。何せ、俺の調教師は葵先輩である。
「どんなリスだろうと負ける気がしねえ」
「君は何と闘っているんだい?」
*
岐阜駅から金華山の麓、岐阜公園まではそれなりに距離がある。バンテリンドームナゴヤ換算すると、外周5周分。歩いていけない距離ではないのだが、結構な運動になってしまう。
俺はともかく、先輩を歩かせるわけにも行くまいし。
ちなみに名古屋駅から岐阜駅まではバンテリンドームナゴヤ換算でおよそ外周44周分だ。覚えておこう。
葵先輩はバス停に着いたところで、時刻表と腕時計とを見比べる。
「バスあと5分くらいだね」
そんな何気ない仕草が、まるでドラマのワンシーンのように見えるのだから、不思議なものだ。
たった今、脳内議場で、葵日向主演の映画製作が決定された。大ヒット間違いなしだな。うむ。
時刻通り来たバスに乗って、揺られること十数分。目的地の岐阜公園で降りて、そこから金華山山頂へつながるロープウェイに乗った。
金華山はそもそも山頂に再建された岐阜城が鎮座する、岐阜市内でも有名な観光地のため、連休であることも手伝って、ロープウェイのゴンドラの中は満員状態だった。
自然、先輩との距離も近くなり、先程から俺の体と彼女の体とで交通事故を起こしている。眼の前に先輩の頭があり、彼女の絹のような髪の毛一本一本がしっかり見えるほどだ。ふわふわしていて、食べられそうなものにすら見えてくる。そして何度でも言うが、甘くていい匂いがする。
ゴンドラはガラス張りで、岐阜の眺望を楽しむのに、最適なはずだが、体を少しでも動かせば、あらぬところとぶつかりかねないこの状況、景色を楽しむ余裕なんてない。
俺ははっと気付いた。自らが置かれている、致死的な状況に。
今ここで彼女が「この人痴漢です!」と叫んだら、俺は確実に死ぬ、社会的に。
誰もが映像記録放置を持ち歩く時代になったのだ。そんな騒ぎが起きれば、みんなカメラを俺の方に向けるだろう。真実がどうあろうが、ネットで拡散されれば、どうすることも出来ない。
人生はいつだって死と隣り合わせだ。
「どうしたの銭丸くん? 顔色悪いよ」
冷や汗を流し、心臓をバクバクさせている俺を見て、先輩は心配するような顔をした。
「俺の命は、先輩の掌の上にあるって自覚したので」
「君は何言ってるの?」
彼女は、首を少しだけ動かし、上目遣いで、俺のことを見ていたが、そんな愛くるしい見た目に騙されてはいけない。彼女は魔性の女なのだ。
「後生ですから、命だけは」
「本当に君は何を言っているの?」
「お願いします。何でも言う事聞きますから」
「何でもって……。じゃあもし私が、結婚してよって言ったら、結婚してくれるわけ?」
俺は青い顔をして尋ねた。
「せ、生命保険に入れってことですか。一番高いやつに」
「何で私と結婚したら保険金殺人に遭う前提なの?」
「は!? まさか金華山に連れて行かれるのも、俺を埋めるため? ……いや、死体が見つからないと保険金が下りないか」
「話聞いてないし」
「きっと、まだ見つかっていない特殊な毒で、病死に見せかけて殺されるんだ。父ちゃん、母ちゃん、ごめんなさい。親不孝な息子でした。来世ではちゃんとします」
「おーい。戻ってこい」
あひゃ。
先輩はモゾモゾ、他の人にぶつからないように、器用に手を動かし、俺の脇腹を小さく突っついてきた。
「そんなことしないよ。私がそんな事するような人間に見える?」
軽く
「だって、先輩みたいに綺麗な人が、いきなり俺みたいなやつにプロポーズしてくるわけないじゃないですか」
あなたに美人が言い寄ってきたら、ねずみ講か結婚詐欺よって、内海も言ってたし。……駄目だろ内海。俺に本当のこと言っちゃ。
先輩を見ると、彼女は眉間を指で押さえていた。
「君は口が上手いのか下手なのか、分からなくなってくるよ」
「口が上手い?」
まさか。仮に俺の口が上手かったとしたら、友達が百人くらいいないとおかしいではないか。
「そんなに自分を卑下しないで。私だってどうでもいい人に構っていられるほど、暇じゃないんだよ」
「つまり俺は先輩にとって特別な存在ってことですか?」
てれる。
「さすがにそこまでは言ってないかな」
*
ギュンギュン詰めのゴンドラから開放され、俺達は金華山の山頂に降り立った。
眼下に広がる岐阜の街。長良川に二分されたその街は、平らなところを埋め尽くすように、家々が並んでいる。
弱小国に過ぎなかった尾張の当主信長が難攻不落とされた稲葉山城を攻略し、地名を岐阜とあらためてから、数百年。天下統一の足掛かりとなった城は失われてしまったが、戦火を幾度も経験しながらも、この街に息づく者たちの命は脈々と受け継がれてきたわけだ。
俺が景色に見惚れているのを見て、先輩はスマホを取り出した。
「写真撮っちゃお」
「いいですね」
せっかくの景色だ。一枚くらい撮っておいてもいいだろう。
俺も先輩に倣って、スマホを取り出そうとしたのだが
「ほらこっち来て」
先輩は見晴し台の手すりの前に立ち、せっかくの眺望に背を向け、俺に手招きしてくる。自撮りツーショットを撮るつもりらしい。笑わせてくれる。
「ほら何してんの。早く来て」
「……いや、それだと景色入らないですね」
俺はどうにかして、写真を撮られるのを阻止しようと、難癖をつけた。
「そんなに私と写真撮るの嫌?」
「だって、恥ずかしいですもん」
「君が恥ずかしかったら、女の子に恥かかせていいの?」
先輩はむっと不服そうな顔をしている。
「別にそんなつもりは」
まさか怒らせてしまうとは思っていなかった俺は、先輩の問い詰めるような口調にたじろいで、しどろもどろになった。
「私だって、誘うのちょっと勇気いるし、そういう反応されたら傷つくんだよ」
「はい」
「私と君の関係がどうあれ、君も了承してここに来てるんだから、相手に嫌な思いさせるようなことしないでよ。そんなに嫌なら、最初から来なきゃいいだけの話だし。せっかくなんだから、仲良くしようよ」
「はい」
「何か言うことないの?」
「ごめんなさい」
「もうもう、全く」
先輩はぷいと拗ねてしまった。あの温厚な先輩を怒らせたと内海が知ったら、なんと言うだろうか。
俺だって、別に先輩を傷つけたくて、そんなことを言ったわけではない。
「先輩」
「何」
「写真、一緒に撮ってください」
先輩は腕組み、むくれた顔で俺に一瞥をくれてから
「いいよ。私は君と違って、お姉さんだからね。許してあげる」
と告げてきた。
「せっかくなので、他の人に撮ってもらいましょう。それならちゃんと景色も入ると思うので」
「確かに……。あ、すみません。写真撮って頂いてもよろしいですか?」
先輩は近くにいた、女性の観光客に声をかけた。その女性は、快く了承してくれた。
先輩は彼女にスマホを手渡してから、写真を撮ってもらうため、手すりの前、俺の隣に来て、俺の腕を取ってから、小声で
「ごめんね。ちょっと怒っちゃって」
と謝ってきた。
「いえ。俺が悪かったですから」
「今なら、肘でちょっとおっぱいつついても、不問にしてあげるよ」
そう言ってぎゅっと腕を強めに組んでくる。
「……遠慮しときます」
さすがにそこで腕を振り払うような真似はしなかったが、だからと言って女性の体をいいようにするほど下卑た倫理観は持ち合わせていない。
「ええ。せっかくのチャンスなのに」
「俺が断るのわかってて言ってますよね?」
「まあ、そうだけど。元気出るかなって思って。あ、君の大事なところの話じゃないよ」
「……」
全くこの人は。
「はい、撮りまーす」
俺が断ったと言うのに、先輩がガッツリ腕を両手で掴んだおかげで、フニフニしたものが、上腕のあたりに触れるのを感じた。お嫁に行けなくなっても知らんぞ。
先輩はその女性にお礼をいい、受け取ったスマホを確認した。
「もう、顔硬いなあ」
などといちゃもんをつけながら。
女性が腕を絡ませて、あんなに顔を近づけてきたら、緊張しない訳が無いではないか。俺は悪くない。先輩が悪い。俺が何年童貞をやっていると思っているのだ。あまり俺を舐めるなよ。
「でも晴れてよかったね。連休中は確か、夜景も見られるんじゃなかったかな」
「そうなんですか。夜来ればよかったですね」
岐阜市街を一望できるここから見る夜景は、さぞかし綺麗なことだろう。
「でも、リスちゃんにも会いたかったし」
「先輩、動物好きなんですね」
「澪ほどじゃないけどね」
「え、内海ってそうなんですか?」
あまりイメージ沸かないな。俺としては彼女に
陸の豊かさ(俺含む)も守ろう。
「あの子、動物園の年パス買って、通い詰めるくらいだよ?」
「ええ。想像できない。誰と行くんですか?」
「一人だけど」
「え……」
それは、なんというか……うん。まあ、本人が楽しければそれでいいけれど。
「動物園に誘ったら、無条件でついてくるよあの子」
「大丈夫なんですかそれ」
変なやつに、騙されないか心配だ。
「心配なら、今度からついて行ってあげたら?」
「いや、それはちょっと」
ハードルが高いですね。私のライフが持ちませんね。
俺が微妙そうな顔をしたのを見て、先輩は唇をとがらせた。
「えー、澪の可愛さ、君にもわかって欲しいんだけどなあ」
あの毒舌から先に生まれてきたような女のどこに可愛さを見い出せばいいのやら。
それから俺達は、お待ちかねのリス園に入って、リスたちと戯れた。
スタッフさんが手のひらに餌を置いてくれ、それをリス達が食べにくるのだ。
先輩は、そんなリスたちをうっとりとした目で眺めている。
「かわいいなあ。一匹持って帰りたい」
「可愛さなら勝ってるじゃないですか」
先輩は、胡乱げな目を向けてきた。
「君がリスに勝てるところがあるとして、少なくともそれは可愛さじゃないだろう」
先輩は面白い勘違いをしている。
「違いますよ。可愛さで勝っているというのは、先輩のことです」
彼女はすぐにはその言葉に反応しなかった。
「なんでそういうことは言えちゃうのかなぁ」
リスに餌をやるのが忙しいのか、そっぽを向いて聞き流すようにボソボソ答えた。
まあ、これだけ容姿に恵まれていれば、これまでの人生いくらでも褒められてきただろう。今更俺の言葉なんておべんちゃらにしか聞こえないはずか。
彼女は自分がどれだけ可愛い生き物か自覚していないのだろう。
俺の精神力が強くなければ、とっくのとうに彼女に惚れて、今頃大事故を起こして、ベッドで寝込んでいたに違いないのだが、無自覚に愛想を振りまく彼女は、その愛想が人ひとり殺しかねないことを自覚するべきだと俺は思う。
彼女はこの先々の人生でも、哀れな男どもの屍の山を築き、彼女の通った後は死屍累々の道となることだろう。
まあ彼女からしてみれば、凡夫どもが勝手に壁に激突して、勝手に参っているだけなので、言ってみればフロントガラスに衝突する羽虫くらいのものでしかなく、いちいちそんなものに気をかけていられないのかもしれない。身の程知らずの夢を見た、馬鹿な男どもには、少しばかり同情はするが、同時に分相応な人生を歩むべきだったという訓戒も授けるべきか。
リスに餌をやりながら、先輩は不意に妙なことを言い始めた。
「そろそろ次のステップに進むか」
はてステップとは何ぞ。モンゴルにでも行くのかな。
口を開いて何を言うかと思えば、彼女は冷酷な判事のように、俺に審判を下した。
「澪と楓子ちゃん。彼女たちを外に連れ出してご覧なさい」
俺はその言葉にひどく狼狽えた。
「急にどうしてそんな」
どうして俺をそんな死地に送り出そうとするのだ。やはりこの人は、俺を殺そうとしている(社会的に)。衝突事故を華麗に避けた俺にこの仕打ちとはあまりに惨い。
「いいかい、銭丸くん。人間関係というものは、絶対的なものではないんだ。私と君の関係が前進からといって、君はすべての人間関係について知ったことには、当然ならないだろう。灯台下暗しと言うし、色んな人と関係を深めることは、個々の関係を更に深めるのにも役立つはずだよ。だから、手始めに、彼女たちのことを詳しく知ろうとしてみなさい。で、あの子達のいいところを見つけて、私に報告しなさい」
あいつ等と仲良くすることで、更に先輩と仲良くなれる。そんなことあり得るのだろうか?
俺はその答えを知らない。
「……つまり、あいつらと、……フィールドワークしろってことですか?」
「君も強情だなあ。デートをフィールドワークと呼んだところで、結果は変わらないのに。……まあ呼び方は好きにすればいいけどさ」
「ちなみに連れ出すっていうのは、一人ずつですよね」
「君に二人同時にエスコートできる自信があるなら、それでもいいけど? ジゴロくん」
ないです。あるわけ無いです。一人エスコートするのですら怪しいというのに。
「外に連れ出せさえすれば、特別なことはしなくていいんですよね?」
「まあそうだね。でも、忠告しておくけれど、彼女たちは私みたいに君にとって都合のいい女は演じてくれないよ。ちょっとでも怒らせようものなら、すぐ帰っちゃうからね」
本当に先輩が都合のいい女であったかどうかはさておき、確かに彼女たちは俺が何言っても優しく微笑むなんてことはしてくれないだろうな。普通に冷たい目で見てくるし。すごい毒舌吐くし。
まあ、失言する私が悪いんですけどもね。
「……知ってます。内海なんて、俺に何言うかわかりませんよ。酷いこと言われたら慰めてくれますか?」
あの子、ほんとに怖いんだよなあ。考えただけで胃に穴が空きそう。
「おやおや。本当に澪が怖い子と思うかい?」
「何言ってるんですか? そうに決まってるでしょう」
あれを怖いと言わずして何を怖いというか。
「案外、楓子ちゃんのほうが、怖いかもよ。君の性格を考えると」
「まさか」
「まあ、そのへんも含めて、あの子達が、本当はどんな子達なのか、よく見ておいで」
「はあ」
「じゃあ、ルールだけ決めよっか。一つ、私が命令したから、とか言わないこと。二つ、彼女たちをちゃんと楽しませること。三つ、これが一番大事かもしれないけど、君も楽しむこと」
先輩は一本ずつ指を立て、俺にその三カ条を告げてきた。
「俺、生きて帰って来れますかね」
「生きて帰ってきたら、結婚してあげよっか?」
「勝手に死亡フラグ建てるのやめてください」
彼女はけらけら笑った。まったく、人の命を何だと思っているのだろうか。
神宮の女神も、少しは下賤の民に優しくしてほしいものだ。
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