執行委員長
初めて部員全員が揃った流れで、俺たちは新入生歓迎会を行うことになった。歓迎会といっても、ファミレスで食事をするだけなのだが。
土曜の昼に現地集合ということになったので、当日それなりの格好をして、電車に乗り込んで、ゆるゆると揺られていた。
一ヶ月の通学ですでに見飽きつつある車窓からの風景を、それでも他に見るものもないので、仕方なしにぼんやり見ていたところ、
「やあ。銭丸くん」
と俺に声をかけてきた女性がいた。
「あ、先輩。こんにちは」
見上げれば、キャスケット帽を被りフェミニンな装いをした葵先輩が、微笑みながらそこに立っていた。
「先輩もこっち方面なんですね」
俺は今まで彼女と電車で遭遇したことがなかったから、感じた多少の驚きを素直に口にした。
「まあね。隣失礼するよ」
先輩はそう言いながら、俺の隣に座ってきた。電車内で女性は敵と思えと叩き込まれている俺は、如何に女性客から距離を取るかを考えながら通学するのが常であったので、こう距離を詰められると、己の社会的生存権が多分に脅かされる恐怖を禁じ得ないのだった。
そうはいうものの、これから会食を取ろうという人間同士が、お互いを認知しながら、距離を空けるのも妙であるので、ここは彼女のことを信じて、身を預けるより他はない。
今この瞬間、俺と彼女は運命共同体になったのである。なってない。
俺は彼女の体から発せられる芳醇な分子と、己の嗅粘膜の受容体とが結合するのを知覚しながら、彼女と歓談のひと時を過ごすことを決意した。このように叙述すると、大変変態的な一文のように思えてしまうかも知れないが、どうということはない。彼女の体臭を嗅いでいるだけだ。この距離で座っていれば、普通に呼吸をしていれば、香ってきてしまうのだから仕方あるまい。誰も俺を責められまい。
と俺が葵分子を肺いっぱいに吸い込みつつ、彼女の整った容姿を目で楽しみながら、幾分か高尚な思索に耽っていたところ
「銭丸くん。夢はある?」
「……はい?」
彼女は不意にそんな質問をしてきた。俺の下卑……もとい真理を追求せんとす鋭い視線を感じ取ってそのようなことを言ったのではあるまいな。
「夢だよ。将来の夢」
「……急にどうしてそんなことを?」
「私の趣味なんだ。人の夢を聞くことが」
妙な趣味を持ったものだ。
「……まあ、無難に生きられれば、それでいいですかね」
普通に生きるのさえ難しい世の中だ。あまり多くを望むのは罰当たりだろう。
俺がそう言ったら、先輩は「はぁ」とわかりやすく大きなため息をついた。
「少年よ、大志を抱け」
「あ、はい」
「あ、はい、って君なぁ。君も生まれてきたからには、この世に爪痕を残したいと思わんのかね。燃やしたまえよその命を」
「なんか、少年漫画の主人公みたいな考えしてますね。先輩」
この世から何かを駆逐しそうな勢いである。
「酷いこと言うなあ。私はどちらかと言うとたをやめを目指しているのに」
「それはすでにそうなのでは」
彼女が嫋やかでないというのなら、何を嫋やかというべきか。
「あー。そうやって思わせぶりなこと言っても駄目だぞ」
しかしながら先輩は俺の軽口と思ったらしく、胡乱げな視線を投げかけてきた。
「じゃあ先輩は気風の良いたをやめだと思います」
「適当言うなぁ。それ熱い氷ぐらい矛盾してないか?」
「そうですか?」
先輩は俺のことを呆れたような目で見ていたが、話を元に戻して
「まあ、私のことはいいんだよ。ともかく、銭丸くんはますらおにならないといけないと、私は思う」
「……どうしてですか?」
「そんなの、私の趣味に決まっているだろう」
何の恥ずかしげもなくそう言った。
「……わあ、暴虐ぅ」
「君が本当に立派なますらおになったら、結婚してあげてもいいぞ。来世……いや来来来世ぐらいで、気が向いたら」
「結婚する気さらさらねえじゃねえか」
「あったばかりの人間と結婚の約束なんてできるわけがないだろう」
「何でそこは冷静なんですか」
「ともかく、将来の夢くらい持っていたほうがいいぞ」
将来の夢か。俺は小さい時から大人たちにそれを聞かれるのが、何よりも苦痛だった。世の中に夢を叶えている大人がどれほどいるだろうか。ほとんどの大人はやりたくもない仕事をやって、過ぎるばかりの人生を過ごしている。そんな大人たちがどうして子供に夢を訊けるのか。
「だいたい将来の夢って難しくないですか。大人でさえ夢を叶えられないのに、子供の俺に夢がどうとか言わんでくださいよ」
「子供だからこそ夢を見るんじゃないか」
「残念ながら俺はもう夢を見れるような年でもないんです」
先輩は残念そうな顔こそしたが、それ以上俺を叱責することはなかった。その代わり違うことを尋ねてきた。
「じゃあ、質問を変えよう」
「はあ」
「人は何のために生きるのだと思う?」
またまた漠然とした質問だ。彼女は心理カウンセラーか何かか。俺の心に問題が有るのかどうか見極めようとしているのか。
仕方なしにそれっぽいことを言う。
「……愛を知るためとか」
またからかうなり文句を言うなりするのだろうと思っていたら、先輩はほんの少しだけ口の端を上げて、キャスケット帽を深く被り直し
「悪くない」
と呟いた。
車内が混んできたのもあってか、俺と話すのにも満足したらしく、それきり彼女は、電車を降りるまで口を開かなかった。
*
レストランに着いたところ、伊吹と内海が先に席についていた。伊吹は午前中部活をしていたらしい。
「とりあえず、自己紹介からしよっか」
注文を終えたところで、先輩は俺たちに向かってそういった。
伊吹と内海については知っている以上のことは知り得なかったが、先輩に関して、彼女が理系であることだけは新たに分かった。
飯を食いながら、とりとめのない話をして、入店してから2時間を過ぎる前くらいには解散となった。
*
俺と先輩は再び同じ電車に乗って、帰路についていた。
「みんないい子たちでよかったよ」
先輩は不意にそう呟いた。
「女子二人は元々お知り合いだったのでしょう?」
「そうだね」
「……じゃあ、俺だけが問題児かどうか気掛かりだった、っていうふうに聞こえるんですけど」
「まあ、問題児には違いないだろうけどね」
「……」
そこは否定しないんですね。
「でも、そこは問題じゃない。澪は、君も十分知っているだろうけど、かなり尖った性格をしているからね。君くらい捻くれていないと、逆に仲良くはできなかったんじゃないかと思うよ」
「仲良くやれてる気がしないんですけど」
あいつの俺を小馬鹿にしたような態度を見るに、向こうは仲良くする気などないのではないか。
「はは。まだそこまで澪を知っているわけじゃないか。あの子は気に入った人間以外には、目さえ合わせようとしないよ。もちろん話しかけたり、笑いかけたりもね」
「警戒心の強い猫みたいですね」
俺が言ったら、先輩は笑った。
「確かに」
猫っていう生き物は、家で自分が一番偉いと思っているらしいからな。さしづめあいつは俺のことを音の出るおもちゃか何かだと思っているに違いない。銭丸くんは叩けば叩くほど良い音で鳴くからな。
俺が今後の高校生活の行く末を案じて、頭を抱えていたところ
「銭丸くんはどうして文芸部に入ろうと思ったの?」
と先輩が唐突に質問を投げかけてくる。
「……本を読むのが好きだから? ですかね」
「そうか」
ありきたりすぎて、つまらない解答だったが、それ以上の理由もなかったので、そう答えるよりほかなかった。
先輩はどういう答えを期待してそんなことを聞いたのだろうか。逆に先輩は何を思って、この部活に入ったのだろうか。
気になった俺は先輩に問いかける。
「先輩はどうして文芸部に?」
「……誰かを探していたんじゃないかな」
「え、なんです? それ」
予想外の答えが返ってきて、思わず訊き返した。
「一緒にいて、安心できるような人、と言ったら月並みだけど、私のことを分かってくれるような人を探していたんだと思う」
「……見つかったんですか、その人は?」
「ご存知の通り、今の二年生の部員は私だけ。人がいないんじゃしょうがないよね」
先輩は静かにそう言って、俺の方を見た。
不思議と彼女がそれを冗談で言っているのではなく、本気で言っているのだと分かった。
「意外です」
「何が?」
「先輩はもっと強い人だと思ってました」
俺とは違う世界を生きている人。毎日が輝いていて、悩みなんて青春パワーで吹っ飛ばしてしまう。
そんな人だと思っていた。
「私はとてもじゃないけど、強い人間になんてなれないよ」
先輩は寂しそうに笑いながらそう答えた。
ただの謙遜のようにも聞こえたが、俺の勝手なイメージを彼女に押し付けるのも、迷惑だったと思い直した。彼女には彼女の事情があるのだろう。
外面は強くても、内面までそうとは限らない。人には人の悩みがある。それは当たり前のことだ。
失言だったと苦々しく思っていると
「私はね、君も私と一緒だと思ってるんだ」
と先輩は言ってくる。
「どうしてですか?」
俺は聞き返した。
彼女は俺の目をひたと見据えて言う。
「君も誰かを探しているんじゃないか? 君を理解してくれるような人を」
その時の俺はまさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていただろう。俺が俺の理解者を得るために文芸部に入っただと? 一体何を見てそう思ったのやら。
「あり得ないですよ」
俺は回りくどい冗談を言われているのだと思って、半笑いでそう返した。
しかしながら、先輩はどこまでも真面目な顔で
「澪から聞いたよ。君はあまり人との交流を好むタイプじゃないらしい」
と続ける。どうやら本気で俺が自分を理解してくれる人を探していると思っているらしい。
「まあ、それは否定しませんが」
あまり人と関わりたくない。そうでなきゃ、あんな校内で一、二を争う影の薄い部活に入っただろうか。部活への加入が必須でなければ、部活にすら入ろうと思わなかっただろう。
先輩は続ける。
「君は周りの人間がお馬鹿さんに見えているんだろう」
「そんなことはありません。ただ分かり合えないだろうなと思うだけです」
反射的に否定した。
「見栄を張ろうとしなくていい。澪に話す時みたいに、もっと正直に話しなよ」
先輩は咎める風でもなく、俺をそう諭した。
公に人を馬鹿にするような行為なんて誉められるものじゃない。少なくとも昨日今日あったばかりの人に話すようなことではない。
あの文芸部の部室で俺と内海がした会話は、とじられた空間だったからこそ、できたものであった。そうか、それを彼女に聞かれたくないと思う気持ちが、見栄を張っているということになるのか。
ああ、内海はきっと俺との話の内容を、ベラベラと彼女に話しているのだろうな。そうであれば、今更彼女によく見られようとしたところで何の意味もないか。
「……大勢でつるんで、馬鹿騒ぎしているのを見ると、関わりたくないな、とは思います」
「そこに彼らを馬鹿にする気持ちがないと、言い切れる?」
「……」
今度は否定できなかった。
肌に合わないから距離を置く。そんなに大人びた気持ちで俺が動けていたかは、自信がない。
「君は馬鹿な彼らと自分は違うと思っている。なんでだか教えてあげようか。それは君が彼らを理解しようとしないからだ」
「世の中には理解できないことの方が多いですし、理解できると思うことの方が傲慢です」
「だからと言って理解しようと努力さえしないことが立派なこととも私は思えないけどね」
「分かり合えないって割り切るのも大事だと思います」
「そうだね。それは私も否定しないよ。だけど誰とも分かり合えないっていうんじゃ話は別だよ」
「どうしてですか」
「人は一人じゃ生きられないからだ。誰しも、自分のことをわかっていてほしいと思っている。でも逆に誰かを理解しようとすることは難しいし、時に苦痛を伴い、そうしようとする気力さえ削いでくる」
「結局自分が一番可愛いってことじゃないですか」
「それが人間というものだよ。君」
「じゃあ、どうにもならないじゃないですか」
「それをどうにかしようと足掻くことこそ、実りある人生を送る秘訣だと思うよ」
「そんなの疲れませんか」
「はは。君はとことん捻くれてるなあ」
先輩は笑っていた。
「……すみません。生意気でした」
「ともかく君は人というものを理解しようとする練習をした方がいい。だから手始めに私という人間を理解してほしい」
「なるほど」
「その代わりと言っては何だが、私も君のことを理解してあげる」
「……じゃあ、具体的に何をすれば良いんですか?」
「そうだなあ。まず手始めに執行委員会に入りなよ」
「執行委員会?」
「そう。ちょうど人員を探していたところなんだ」
「どさくさに紛れて俺をこき使おうとしてません?」
「そんなことないよ。理解し合うには一緒にいる時間を作ったほうがいいだろう? そのためだよ。どう?」
俺は目を逸らした。彼女の瞳を見ていると、思わずはいと答えてしまいそうだったから。なんか騙されている気がする。美人と話す経験というのは、人生でそう多くできるものではない。だからこそ気分が高揚して判断を誤りやすい。
そもそも何で先輩はここまで俺を気にかけるのだろう。こんな生意気な後輩、気にかける方がどうかしている。
何か裏があるに違いない。
「何でそこまで俺に構うんですか?」
「え、そんなの、君が私の後輩だからに決まってるじゃないか」
先輩はあっけらかんとして答えた。
やっぱり彼女は俺とは違う。俺はそんな理由で他人のために、何かをしてやれる気がしない。
「少し考えさせてください」
「いいよ。存分に考えたまえ。その気になったら連絡ちょうだい。とりあえず連絡先だけ教えてくれる?」
俺が彼女に連絡先を教えたところで、彼女の家の最寄り駅に着いた。
先輩は電車を降りてから発車するまでホームに立ち、中に残った俺に向かってにこやかに手を振っていた。
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