起(あるいは前日譚)
「諸君、わたしは勉強が好きだ」
西日の差し込む小さな教室。
どこかで聞いたことのあるようなフレーズとともに、冬は大きく手を振り上げた。
「諸君、私は勉強が好きだ。諸君、私は勉強が大好きだ」
夏奈は頬杖をついて、冬の顔をじっと見つめていた。
綺麗だなあ、とぼんやり考える。
「国語が好きだ、数学が好きだ、化学が好きだ、歴史は……ちょっと苦手だ」
全部好きであれよ。
夏奈は冬の演説を聞き流しながら、「あたしはふゆゆが好きだな」と思った。
つり目がちのぱっちりとした目が好きだ。
艶のある黒い髪が好きだ。
不健康なほど白い肌と、きゅっと締まった腰つきが好きだ。
冬の演説に合わせてそんなことを考えていると、いつの間にか彼女の顔が目の前にあって、夏奈は驚いた。
「わっ」
「……ねえ、聞いてる? わたしの演説」
「ごめん、あんまり。あたしはそんなに勉強好きじゃないからさ」
高校入学以来ずっと学年一位をキープしている冬と違い、夏奈の学力は至極平均的だった。
「もったいないよ。勉強ほど面白いことなんてないのに」
「そんなこと本気で言う人、ふゆゆ以外に見たことないよ……」
呆れた顔でそう指摘すると、冬は小さく首を横に振った。
「あのね、それはみんな気が付いていないだけなの。人間は、”できないことができるようになった瞬間”とか”理解できなかったものが理解できた瞬間”に多好感を得られるように作られているんだよ。脳科学的にもそう証明されて―」
その持論を聞いた瞬間ぴくり、と夏奈の指が震えた。
冬のことは大好きだったが、いくら好きと言えども、聞き捨てならないことはある。
真っ向から喧嘩を売らなければならない瞬間が、ある。
それが、今だった。
「どっっっかー--------------------ん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
夏奈は立ち上がり、奇声をあげた。
二人の間に沈黙が流れる。
窓の外、遠くのほうから運動部の掛け声が聞こえてきた。
「……」
「……」
「……いまのは?」
先に沈黙を破ったのは冬だった。
「今のはね、爆発」
「それはわかってるの。赤い帽子のおじさんとか人食い花が出てくる緑色のパイプとは勘違いしていない。わたしが聞きたいのは、どうしてわたしの話を遮って爆発したかってことよ!」
夏奈はニヤリと笑って答えた。
「今のはね、理不尽な爆発オチってやつ」
「……」
一瞬、冬の目元が怒りに歪んだ。ふう、と息を吐いて艶のある髪の毛を掻き上げる。
「どうして、わたしの話が理不尽な爆発オチで締められなきゃならないの?」
「それはね、ふゆゆ」
彼女は言葉を溜めて。
「理解できない理不尽こそが、一番面白いからだよ」
かみ合った二人の視線の間に火花が散る。
冬はふん、と鼻を鳴らした。
「来なさい、あなたのすべてを否定して、
「そんなに強い言葉を使うとあとで恥ずかしくなるから、撤回するなら今だよ」
夏奈は黒板に大きく「ホラー映画」「両片思い」と書いた。
「あたしはこの二つに焦点を当てて説明するね。ふゆゆはホラー映画を観る?」
「まあ、それなりには観るわ。スプラッタは苦手だけど」
夏奈は頷いて、もう一つ質問をする。
「それなりに観るってことは、面白いホラー映画も何本かぱっと思いつくでしょう。でも、ラスト三十分、クライマックスの部分が面白かったホラー映画って、何本思いつく?」
「……」
冬の肩が揺れる。
「正直、ラストの幽霊や殺人鬼との直接対決や事件の解決は、惰性で観てるなあって思ったことはない?」
「……」
「不可解な現象が次々と起こってビクビクしていた前半に比べて、主人公が謎を解き始めたり、反撃の手段を探しに行くようになってから、『ああ、面白くはあるけどもうホラーではないな』と思ったことは、ない?」
「……」
「人はね、”何かが起きているけど、なぜそれが起きているかがわからない”という理不尽さに、どうしようもなく惹かれてしまうんだよ」
「……でもっ」
「もうひとつ!」
冬の反論を遮り、夏奈は黒板の『両片思い』という文字を叩いた。
「恋愛は両片思いのタイミングが一番楽しくて、付き合ってからは惰性、ってよく言うよね」
「……誰とも付き合ったことないくせに」
「あ”あ”ん?」
「ごめんなさい、続けて」
ガルルルル、と夏奈は吠えた。
「その言葉が証明するように、人の気持ちっていうのは、”おおよそ確信があるけどまだわかっていない”状態、つまり理解の一歩手前の状態が一番楽しいんだよ」
一息でまくし立てた彼女は、大きく息を吸って、「何か反論は?」と笑った。
冬は勢いよく立ち上がり、「あなたの論理は論理と呼べないね」と言う。
「なにおう?」
「あのね、物事の一部だけを切り取って、瞬間瞬間のいいところを述べるだけでは完璧な論理とは呼べないの。物事を漏れなくダブりなく、全てをきちんと網羅したうえで説明しなきゃ。これだから勉強嫌いの馬鹿は」
「馬鹿にしてる?」
「『馬鹿は』って言って馬鹿にしていないシチュエーションのほうがレアだよ」
冬は、次は自分の番だと言わんばかりの大げさなジェスチャーと共に語り始める。
「テストでいい点を取った瞬間、対戦ゲームで相手を負かした瞬間、美味しいクッキーが焼けた瞬間。わたしたちの感じる楽しい思い出の多くは、成功体験と紐づけられている。夏奈、あなたが最近一番楽しかった瞬間はいつ?」
突然話を振られた夏奈は、思わず『今この瞬間だよ』と言いかけて飲み込んだ。
「普通に今日のお昼休み、みんなでご飯を食べていた時間は楽しかったけど」
「それは、『面白いことを言って周りの雰囲気をよくした』や『みんなで協力して楽しい時間を創ることができた』という成功体験をしているのよ。逆に楽しくないお昼休みを想像してみて。きっと、誰かが理不尽に機嫌を悪くしていたり、あんまり仲良くない子がその場に居たりすると思うわ」
「……」
「ほかにも、『怒られることが確定しているにもかかわらずどうして怒られるかわからない』状態よりも、『怒られる内容がはっきりしている』状態のほうが気持ちは楽になる。人間の気持ちよさは”理解”と密接に結びついているの。どう? 腑に落ちない?」
夏奈は顔をしかめて「ばーかばーか!」と言った。
「そんなことないもん! よくわからないもの、理不尽なもののほうが面白いもん。だって、そうじゃなかったらこの世に爆発オチなんて生まれないでしょう」
「あれは逆張りオタクの悪いところを煮詰めたオチよ」
「なんてことを言うんだ」
その後二人はしばらく議論を重ね、日が落ちかけたころ、冬が「じゃあ」と声をあげた。
「夏奈、あなたに”理解すること”の面白さを教えてあげるわ」
「どうやって? 勉強するとか嫌だよ?」
冬は呆れ顔で、今日の議論に関係なく勉強はしろよ、と思った。
そして彼女は、県内でも悪い意味で有名な武田廃線跡地の名前をあげた。
武田廃線跡地は、ここ数年でも実害の出ている心霊スポットである。
十年前、ハイキングに来ていた数十人が行方不明となった事件を皮切りに、その廃線跡地のトンネルに近づいた人間が消失する現象が幾度となく起こっていた。
捜索隊にも被害が及び、今では原因不明のまま、『パトロールを強化し誰も近づかせない』という対症療法のみが継続的に行われている。
そんな、”本物の心霊スポット”を指して、冬は言った。
「あのトンネルの謎が理解できた時、きっとわたしたちはとんでもない多幸感に包まれるわ。夏奈にもそれを体験してもらって、”理解できなかったものが理解できた瞬間”の快感を味わってほしい」
実のところ冬は前々から武田廃線跡地に興味津々だったため、パトロールの経路からバレずにトンネル内へと侵入する方法を見つけ出していた。
いい機会だということで、夏奈にその作戦を話し、一緒にトンネル内へと潜り込み、神隠し事件の真相を解明しようと提案したのだった。
夏奈は正直かなり気が進まなかったが、冬がいるならよっぽどのことは起こらないだろうと事態を軽く見ており、休日に二人で廃線跡地へと向かうことになった。
そしてトンネルへと侵入した夏奈は、そのあまりの暗さと長さ、不気味さに、とても後悔していた。
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