空腹
――まぶたがゆっくり開く。ぼやけた視界は徐々に鮮明になり、天井が見えた。寝起きの頭に少し前の記憶がどっと押し寄せてくる。
そうだ、気を失って……。
「……いよっ、……ぬん」
体を起こそうとしたが腕に力が入らない。空腹の限界である。栄養が足らず体を動かすこともままならない。
それでも必死に、這いずるように少しずつ動かして、壁にもたれかかるようにして上半身だけ縦にした。
そうすることで室内を見渡すことができた。狭い、二メートル四方ほどしかない空間。地面は土がむき出しで、自分はゴザのような布切れ(そう表現するのもはばかられるほどに汚いが)の上にいた。
体にかけるものはないが、幸い寒さは感じない。
起きたはいいものの、動くこともできず家主も見当たらない。
「緑の、男?」
最後の光景、ここの家主と思わしき人物を思い出す。暗くて分かりづらかったが、肌の色は確かに緑色だった。未だに多くの記憶には靄がかかっているような状態だが、今までに出会ったことはないような、変わったものな感じがある。
――それでいて同時に、”変わったもの”はひどく見慣れたような、不思議な感覚がある。
なぜだかは全く思い出せないけれど。
気になるのだが当人がいないのでは仕方がない、それよりもこの空腹をなんとかしなければ。
困っていると自分の横に、何かが落ちている。
「パンとスープに、干し肉?」
パンだというのは想像であり、知っているものとは少し違う。茶色く四分円状の、パンを力いっぱい潰したようなもの。
スープはほんのり黄色っぽく色のついた液体にゴミと言うのは失礼だろうか、焦げ茶色の木っ端が二つ浮いている。干し肉はどれだけ放置したのだろうか、からからに乾いて枯れ枝のように縮まっている。
「俺の分でいいのだろうか」
そんなような気もするし、違ったのだとしたら悪いようにも思える。
「まあいいか」
違ったら謝れば良い。
パンを少しだけかじったが、石のように硬かった。それをスープに浸し(それでも硬いが)なんとか胃に押し込む。木っ端は苦く、スープに味は感じられない。干し肉も硬く味も薄いがそれも無理やり飲み込んだ。
勝手に食べておいてひどい言い草だが、それにしても褒められるようなものではない。少なくとも自分にとってはそう感じた。
贅沢をしてきたのだろうか、思い出せはしないが暴飲暴食をしてきたような気もしない。
……綺麗サッパリ忘れている可能性もあるが。
ごく少量ではあったがこればかりは(おそらく)縮んだ体のおかげでいくらか腹は膨らんだ。栄養も少しはあるだろう、少し休めば回復できるだろう。そうしたら自分の置かれている状況をより詳しく把握したい。わずかでも改善できるようなヒントでも見つかれば良いのだが。
「――よし」
まだクラクラするがそれでもかなりマシにはなった。そしてある程度冷静になった頭で一連の行動を思い返すと、めちゃくちゃに不用心かつ危険な行動をしていたものだ。
最低限の警戒はしていたつもりだが、もう少しうまくやれたのではないのだろうか。少しばかり自身に反省を促すと、気を取り直して家から外に出る。その際に室内にあった布を拝借して体に巻き付けた。
とはいえ全く未知の状況においての最適解は結局の所結果論でしかない。援軍の見込みもなく、仲間もいないのであれば、自分を守ることにのみ注意すればよいとも考える。
そういうわけで敵意にだけ警戒を向けて足を動かす。
外に出ると強い光が視界を照らす。隙間だらけの家なので日中なのは把握していたが、この日差しに肌掛けもいらない温度。
温暖な気候の地域か、あるいは春や夏に相当する季節のようだ。山間部のようなので夜は冷えるかもしれないが、昨晩の記憶ではそういった心配もいらなそうだ。
遠くに見える家屋も積雪のある地域に見られる形状にはどれも当てはまらない。通年において雪がない、もしくは少ないのであれば住むぶんにはメリットであるだろう。こういった場所の集落に見られる、段々になっている畑も見えた。
それらも気になるが、まずは手前の景色に目を配る。周囲には他に家屋は見当たらず、ぽつんとここだけに家がある。しっかりと見なくてはよくわからないが、別のものと比べてもこの家はかなりくたびれた、みすぼらしいと言ってもよいものだ。
もう一つ気になるのは家のすぐ裏、山に向かって作られた坑道と思しき空間。人力で掘ったと見られる縦長の、上部が弧を描いている形の入り口を木材で補強してある。その周りには運び出したと見られる鉱物もあった。
おそらくはここの家主が奥にいるのではないだろうかと考えられるが、選択肢は二つ。集落の方に向かうか、この奥に進むか。逡巡した後に足を向けたのは後者の方。
暗がりの中を歩いていくが、足元にレールといったものはなく、また道中に明かりもない。どうやら彼(まだ男女は不明だが)はかなり夜目の効く人物らしい。
本当ならば自分も苦労するところだが、相棒様様である。完全に呼び起こすのは不可能だが、視覚のみならば、暗がりを見通す程度ならば応えてくれた。彼は私と一心同体、様々な面で身体機能を強化してくれ、また堅牢な鎧にもなる。いつからか共にあり、もはや細胞レベルで一体化している。最初の形状は白い機械じかけの甲虫のようであったがそれも今や昔。もうその形を見せることはないほどに体の一部と化している。頼りになる相棒なのだが、今はエネルギーが減っていくのを感じるられるほどに自身諸共かなり衰弱している。
もしも戦闘にでもなれば切り抜けるのは相当に厳しく思われるので、そういった意味でも行動には気を使ったほうが良さそうだ。ただでさえ体が小さくなっているのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます