(2)


 ミュール寄合を出た時点から見て、およそ三時間の後。


 カナエ達は延び続ける道路の脇へとトライクを停め、最初の小休止を挟んでいた。東門から『ヴァナディ』を抜けた直後は惚れ惚れするような舗装路(ほそうろ)が敷かれていたこの道も、進むにつれて人工の色を薄れさせていき、現在は石を取り除いた土を丁寧に踏み固めたようなそれへと変わっている。


 辺りには相も変わらず広大な草原が広がっていたが、その草原を占める草の背は、カナエの視界を阻害するほどに高い。時折(ときおり)吹き抜けていく気持ちの良い風が、濃密に漂う自然の匂いを攫(さら)い、空気を瑞々(みずみず)しく爽やかなものに入れ替えていた。


「んで、大体検討ついちゃいるが、今回の予定は?」


 トライクのシート上で丸まったままのミヤが、顔だけを持ち上げて聞いた。


「んー、ふぉうあえぇ」


 味気なさそうな表情を隠しもせず、携帯食料(レーション)を千切っては口に入れを繰り返していたカナエが、もぐもぐ口を動かしながら一言だけ答えた。そしてミヤから行儀悪いと小言を言われる前にさっさと飲み込み、


「まずはこのまま森に入って、モノリスに寄る。その後は多少遅くなってでもいいから一気に森を抜けて、そこから少し逸れた先にあるっていうちっちゃな居住区で一泊させてもらうつもり。 さすがにこんなの積んだまま、この地域で野宿なんてしたくないしね」


 話しながら、コンコンとトライクの荷箱を叩く。


 機密指定(きみつしてい)依頼に特有の、黒々とした金属で作られた一点物の特注ケースが、今はその中に収まっている。驚く程小さかったそのケースの内容物についてカナエ達には詳細の一切が開示されていないが、纏(まと)わりつく未知数のリスクを鑑みれば、感覚的には大きな爆弾を抱えているのと大差ない。


 ここまでの見通しに一抹の不安を覚えたミヤが、口を挟む。


「そこ、ほんとに泊めてもらえんのか? ミュール用のマップにしか載ってねえようなちっせぇ区じゃ、閉鎖的な可能性もたけえだろ。村社会ってのは存外(ぞんがい)馬鹿にできねえぞ」

「大丈夫でしょ、仮にも寄合員(よりあいいん)のお墨付きだよ。確かにちょっと痛い目みたばっかりではあるけどさ。 出る時詰所でも聞いてみたけど、同じような反応だったし」


 曰く、そこは名も無い小規模な居住区ではあるものの、年配の方が多く、外から来た者も快く逗留(とうりゅう)させてくれる穏やかな場所、なのだそうだ。ミヤの言うとおり、他区との直接的な関わりを持たない閉鎖的な側面こそあるようではあったが、少なくともカナエが聞いた限り、評判は悪くない。


 もしダメだったら仕方ない、壁沿いで見つからないようにテント張って仮眠だね。と心底嫌そうにカナエが言って、そのまま話の続きに戻る。


「一泊したら朝方にはそこを出る。距離的に考えて、そうすればその日のうちに余裕を持ってアノールに着けると思う。 帰りのことはまたその時に改めて考えるけど、ルート的には同じかな。途中で一日泊めてもらって、次の日にヴァナディに到着。 現時点での予定としては、とりあえずそんなとこ」

「まぁ、妥当だな」


 聞かされたスケジュールを吟味(ぎんみ)したミヤが納得を示し、


「ところでお前、この依頼受けたってことは、野盗のことそこまで重く考えてねえんだろ。いつものお前なら、例えモノリスが絡んでても見向きもしねえだろう内容だからな」


 話の流れを別の方向へ移す。

 その言葉に、カナエの表情がにわかに真面目さを帯びる。休息の延長線上にあったどこか弛緩(しかん)した雰囲気が鳴りを潜め、代わりに経験を積んだミュールとしての側面がちらりと顔を覗かせ始める。


「うーん…まぁ、普段以上に警戒はしてるよ、もちろん。過去被害があったのは確かなんだしね。 ただ、あんな前のめりに忠告されるほどのものだとは思ってないって意味なら、そのとおりかな」

「根拠は?」

「一つ目は、単純に被害報告がなくなってから時間が経ちすぎてること。 頻度(ひんど)自体そこまで多くなかった上に、傷害とか誘拐付きのケースはほとんどゼロ。おまけに若い集団っていうなら、十中八九(じゅっちゅうはっく)寄合の見解どおり、完全な物資狙いの野盗なんでしょ。それも多分、自分達で使うための生活品や食料目当ての。そんな集団が1年近くなにもしないでいて平気だとは正直考えにくいし、とっくに場所を移動したとか、人知れず全滅してたとかのが、可能性としてはよっぽど高いと思う。 二つ目は、仮にその野盗がまだ残ってたとして、間(あいだ)を大きく開けての一発目で、こんなろくに積めなさそうなトライクなんて狙わないでしょってこと。 根拠…ってほどでもないけど、理由としてはこの二つかな。あとはまぁ、私の外見の問題、とかも一応あるにはあるけど」


 指折り数えながら考えを述べたカナエに対し、


「なるほど。 まぁ俺の私見と概ね同じではあるな」


 ミヤが端的(たんてき)な感想を口にする。

 ミヤが寄合でのやり取りを受けて似たような考えに至っているだろうことは、カナエもわかっていた。受注を決めたあの場で口を挟まなかったのが何よりの証拠だ。

 だからカナエは小さく頷くだけで反応を済ませ、


「だからそれより、私が気になるのは、どちらかというとあっちかな…」


 おもむろにこれから進む先である森の方を指差して、気が重そうな声音で言った。


 その示す先に、ひとつの山が突き出ていた。

 妙に角張(かくば)ったフォルムを持ち、森を食い破るように姿を晒しているその山は、鬱蒼(うっそう)と立ち並ぶ周りの木々と比べても遥かに背が高い。周囲との対比がその威容(いよう)をより一層際立たせており、遠目からでもそれがどれほど巨大か否応(いやおう)なくはっきりと理解できてしまう。


「ねぇミヤ、私からじゃ遠くてよく見えないんだけど、あれ、何だと思う?」

「なにって、機甲種(きこうしゅ)だわな。バカでかいタイプの」

「やっぱり…?」


 予想通りの嫌な答えが返ってきて、カナエが細い肩を落とす。


「おっきいなぁ…。動いたりしないよね、あれ…」

「ぱっと見の印象としちゃぁ、9割がた大丈夫だとは思うが」

「…ぜんっぜん安心できないんだけど。 1割もあるの?確率…」


 じとっとした目つきを浮かべて思わず答えの知りようがない問いを投げるカナエに、


「んなこと俺に言われても困る。 あくまで印象だ、詳しくなんざわかりゃしねえよ」


 ミヤがド正論を返し、


「うっ…いや、そうなんだけどさ…」


 カナエが言葉に詰まる。そのわかりやすく意気を落とした姿に、ミヤはひとつため息を吐くと、仕方ねえなとでも言いたげな表情で補足を入れ始めた。


「表面を苔(こけ)やツタがびっしり覆(おお)ってる上に、いくつか鳥の巣みてぇな痕跡が残ってるし、小動物の姿もちらほら見える。少なくとも、何十どころじゃねえ年月止まったままなのは間違いねえ。寄合の嬢ちゃんが特になんも言ってなかったってのも、ようはそういうことなんだろ。 ただ、それはあくまで前例だ。今この瞬間から先の保証にはなり得ねえし、ましてやお前がモノリスに近づくとくれば、今までに無かった反応を見せる可能性も充分考えられる。 そういう不明瞭(ふめいりょう)な部分を大きめに見積もっての1割なんだよ」

「なるほどね…。 はぁ、初(しょ)っ端(ぱな)から雲行き怪しいなぁ…」

「生憎(あいにく)、雲ひとつ無い快晴だけどな」

「…笑えないんだけど」

「そうかい。で、どうすんだカナエ」


 尚もむすっとした表情のまま千切った携帯食料(レーション)を一欠片(ひとかけら)口に放り込むカナエに、ミヤが問いかける。


「どうって?」

「モノリスに寄るか、寄らねえかさ。 今回の依頼は機密指定だ、軽々しく破棄するわけにもいかねえ。とくれば、実質的な選択肢はそこだろう? 少なくとも余計な寄り道をしなければ危険が減るのは確かだ。障らぬ神に祟りなしってな」


 考えるまでもないと、間を置かずにカナエが答える。


「…寄るよ、そこは譲れない」

「了解」


 『もしもこれから生きていく上で何か目的が欲しいのなら――そうね、モノリスを巡るといいわ。あれは、あんたには意味があるものだから』

 

 始めこそ、別れ際に師(せんせい)が残した助言に従って行(おこな)っていたそのモノリス探しも、今ではもう、カナエの唯一の目的として深く根付いている。ミュールを務めながら旅を続ける限り、それを捨てるなどという選択肢はあり得ない。もっともそれは、ミヤからしてみれば時に不要な執着とも映るものだったが。


「……うん。よし、ありがとねミヤ、もう切り替えた。これ食べ終わったら出発しよっか」

「はいよ。くれぐれも警戒は怠らねえようにな」

「もちろん」


 カナエは最後にそう答えると、再びもくもくと携帯食料(レーション)をつまみはじめた。ミヤも再び、丸めた体に頭を埋(うず)めた。

 

 空は晴天、気温は良好、されど雲行き悪し。

 一人と一匹の心境は未だ不安な方へ一致していたが、引き返す意思はなく、進む先を見据え続けていた。

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