Sequence 1. 《私が何より大事なモノ:α》

(1)

 カナエは、朝日が昇りきるよりも早く目を覚ました。


 警戒心も薄く長々眠りこけてしまったためにかえってぼうっとする頭を覚まそうと洗面台で顔を洗い、ケトルのスイッチを入れる。珈琲コーヒーを、と一瞬考えてすぐに思い直し、代わりに飲み慣れた安い紅茶のティーバッグを取り出してマグカップに引っ掛けた。ミヤによればそのまま飲むのが苦手ならミルクや砂糖を入れるといいとのことだったが、生憎どちらも手元になかった。ミルクはともかく砂糖は買ってくるべきだったかな、と昨日の買い物内容に少し後悔を覚えながら大窓のカーテンを開けたところで、お湯が湧いた。


 火傷しないよう気をつけながら紅茶を一口すすり、小さく息をつくと、カナエは床の上へシートを敷いてから『アトリ』と『ユナ』を並べて座り込み、銃の整備を始めた。まず『アトリ』を手際よく分解し、パーツごとに掃除してから、組み直す。それからマガジンの中の弾丸を新しいマガジンへ移し替えようか少し思案し、まだ大丈夫だろうと判断してやめた。


 次に、カナエはフェイザー・ガンである『ユナ』を手にとった。こちらは『アトリ』とは違い、おおまかな分解に留める。構造の理解が完璧でないためだ。そのぶん『アトリ』よりも丁寧に各部を掃除して組み直し、半分ほど目減りしていたカートリッジを新しいものへ交換した。そして『アトリ』のスライドを引いたり、『ユナ』のスイッチを入れたりと動作をひととおり確認した後、片付けを終えた。あっという間の出来事だった。二丁共にホルスターへと戻したカナエがマグカップを手にとった時、紅茶がまだ温かいままだったくらいには。


 それからしばらく私物の整理をして過ごした後、レストランへ降りて軽い朝食を取り、部屋でシャワーを浴びた。


 カナエが肌着姿で脱衣所から出てくると、つい先程まで窓際のスペースで丸くなっていたミヤが起き上がり、身体を伸ばしているところだった。ちらりとカナエのほうを一瞥いちべつして、起き抜けの小言を口にする。


「んだその格好…、ちゃんと着替えてから出てこいよ。せっかく脱衣所がある部屋だってのに」 


 何を今更、とでも言いたげな表情で、カナエが答える。


「別にミヤに見られたところで、今更気にしないし」

「そういうこっちゃねえ。ちったあ恥じらいやら慎みってもんを持てって言ってんだ」

「いや持ってはいるよ、失礼な…」


 まるで親子のような言い合いを交わしながらも、カナエはてきぱきと着替えを済ませていった。クリーニングを終えて届けられていた衣類の中からロングパンツとシャツを引っ張り出して着用し、髪を乾かす。仕込み銃のついたギプス、『アトリ』と『ユナ』の収められたレッグホルスターに、錐のような刃物が入れられたポーチ。全ての装備を身につけ、最後にいつもの袖の余ったレザージャケットを羽織る。そして準備を終えると、必要最低限の荷物とレザーヘルメットを抱え、


「ふぅ……、よし」


 目を閉じ、ひとつ大きく深呼吸をして、言った。


「お休み気分は終わり。ほら、仕事もらいに行くよ、ミヤ」

「…あいよ」


 ミヤが短く応じ、軽やかに床に跳び下りるのを見届けて、カナエはシューズラックの上に置いてあったトライクのキーを手にとった。


  ◆


 街中には既に早朝の活気が広がりつつあったものの、時間帯を考えれば当然のことながら、ミュール寄合は普段に比べるとずっと閑散としていた。職員は相変わらずせかせかと動き回っているが、備え付けのレストランスペースはまだ開いておらず、訪れているミュールの姿もほとんど見当たらない。


「あ、カナエさん、ミヤさん、こちらですーっ!」


 窓口の一つから手を振り呼びかけるフレッダに気づくと、カナエ達は気持ち早足でそちらへ向かった。隣の窓口でやり取りを交わしている先客の男をちらりと見遣り、席へ着く。机の上にはフレッダが前もって用意してあったのか、大きな地図が一枚広げられていた。ミュールが寄合から支給される、拠点区を中心とした職務用の詳細マップだった。


「おはようございます、フレッダさん」


 先んじて挨拶を口にするカナエに、にっこり笑ってフレッダが答える。


「はい、おはようございます。ほんとに朝早いんだね。準備してて良かった」

「習慣づいてるだけですよ。勝手に目が覚めちゃうんです」

「いいなぁ、羨ましい。私昔から朝弱くて…。朝番苦手なんですよね…」


 多少交流を重ねた影響か、幾分いくぶん砕けた口調で返すフレッダにカナエが親近感を覚えていると、彼女は口元に手を当てて、ふあ、と小さく欠伸をした。くすりと笑みをこぼしながら、カナエが言う。


「確かに、眠そうですね」

「ごめんなさい、お仕事に支障は出しませんので。それじゃ早速、今届いてる依頼のリスト、お持ちしますね」


 恥ずかしそうにはにかみながら言って席を立とうとするフレッダを、


「あ、その前に一つお聞きしたいんですけど」


 カナエが呼び止める。


「この辺りのモノリスの分布がどうなってるかって、わかりますか?」

「……? ものりす?」


 小首を傾げて聞き返すフレッダに少し違和感を覚えつつも、カナエが続ける。


「はい、モノリスです。無い…ってことはないと思うんですけど」

「うーん…えっと、どういうものか伺っても?」

「機甲種が周囲に集まってくる性質のある、つるっとした石碑みたいな形の…んー、建造物?です。私達、あれを探してまして」

「俺は別にどうでもいいんだがな」

「はいはい、いつもありがとね」


 足元から口を挟むミヤをカナエが軽くあしらっていると、説明を聞いたフレッダが、あぁ、と何かに気づいた反応を見せる。


「もしかして、"遺産いさん"のことでしょうか」

「遺産?」

「ええ、ずっと昔からそこにある、用途も材質もわからない古い文明の名残り。そうした意味合いを込めて、ヴァナディではそれを"遺産"って呼んでるんです。他の区だとモノリスっていうんですね、始めて知りました。ちょっとお待ちくださいね」


 フレッダは一度席を外してカナエの視界から消えると、すぐに一枚の地図を携えて戻ってきた。それを開いて確認しながら、


「…ここですね。この辺りだとひとつだけみたいです」


 机上のマップに丸印を付け、経路のメモを書き加える。こころなしかフレッダの表情が少し曇ったように見えたが気にせずに、場所を確認する。

 ヴァナディから見て北東に位置する、広い森の中。ざっと見積もっても、かなり遠い。


「ありがとうございます。この進路上の依頼って何かきてますか?」


 カナエの重ねた質問に、フレッダの表情が更にさっと陰りを見せる。


「あー…そちらの方角は、その…」

「機甲種のことでしたら、心配して頂かなくても大丈夫ですよ。極力避けるように心がけてますし、もう慣れてますから。いざとなれば対抗手段もありますし」

「いえ、確かにそれも心配ではあるんですけど、そのことではなくて…。うーん…まぁ、とりあえず確認してみますね…」


 歯切れの悪いままに切り上げ、フレッダが再び席を外した。後ろ姿を見送ってからミヤと目を見合わせて、カナエが首をかしげる。


 数分後、フレッダは戻ってきた。透明なファイルに入れられた一枚の書類を持っていた。


「一応ありました、一件だけですけれど…」


 差し出された書類――依頼書を受け取り、カナエが目を通す。


 モノリスのある森を抜けて更にずっと先に位置する居住区『アノール』へ、小型分類となる機密指定きみつしていケースの配達依頼。


 機密指定というのはミュールへの依頼を申請する際に一部の顧客のみが付与できるオプションの一つで、請け負ったミュール当人も含め、受注から完遂かんすいまで内容物の詳細が一切開示されないという、特殊な代物だ。性質上、重要度の高い厄介な品に用いられるケースが非常に多く、通常の依頼に比べ報酬額も大きく跳ね上がる――のだが。


「…機密指定なのを差し引いても、ずいぶん報酬が良すぎますね。これじゃ怪しんでくれと言ってるようなものだと思いますけど…。理由って聞いても大丈夫な奴ですか?」


 そこに記されていた、いくらなんでも不自然に過ぎる金額に、カナエがいちミュールとして当然の疑問を呈する。

 フレッダはほんの一瞬安堵したような表情を浮かべると、「もちろんです」とひとつ頷いた。そして、


「実は―――」

「野盗が出んだよ、そっちはな」


 不意に、右から横槍が入った。


 カナエが反射的に顔を向ける。隣の窓口で案内を受けていた男が、椅子を傾けるようにして上体を反らしながら、カナエを見ていた。歳は20代の前半から中頃といったところだろうか。線は細めだがそれなりの体格を持ち、どこか野性味を感じさせる精悍な顔つきをした、くすんだ金髪の男だった。


「だからやめといた方がいいと思うぜ、嬢ちゃん」


 カナエは何も言わず、少しの間ただじっと男の顔を見つめていた。その視線に思うところがあったのか、


「あぁいや、盗み聞きするつもりはなかったんだ。聞こえちまったもんだから、ついな」


 男が慌てて弁解する。カナエは尚も無言で男を見つめていたが、結局そのまま視線を外すと、どこか気まずげな空気にあたふたとしているフレッダに向き直り、こともなげに言った。


「ほんとですか?」


 フレッダが「えあっ」と素っ頓狂な声を上げてから答える。


「えっと、その、はい、事実です。7年ほど前から、年齢層の低い賊による被害がたびたび報告され続けてます。傷害付きの事例が極端に少ないことから、完全な物資狙いの野盗だと考えられてるみたいですね。もっともここ1年近くは被害報告が上がっていないようなので、今どうなのかはちょっとわからないんですが…」


 あえてフレッダに確認を取り詳細を伺うカナエの対応に、男が苦笑いを浮かべながらこぼす。


「そう露骨に信用されないと、さすがにちょっと傷つくな。そんな警戒しなくても、嬢ちゃんみたいな可愛らしい同業者に嘘なんてつかねえよ」

「すみません、癖というか、性分でして。他意はありませんので、気になさらないでください。それと、可愛らしいはやめてもらえませんか。嬢ちゃんって呼び方も。私はカナエです。これでも―――」


 シャツの下から引っ張り出したタグを見せながら、カナエが淡々と言い放つ。


「――あなたと同じ、正規のミュールですので」

「…それこそ他意はなかったんだけどな。悪かったよ」 


 男が困ったように頬を掻いて――その瞬間、カナエの左足に小さな衝撃が走った。突然の感触に思わずピクリと反応したカナエの脳裏を、脛にベシッと猫パンチを入れている、事実そのとおりなミヤの姿が一瞬よぎり。


 カナエはそこでようやく、ふっと肩の力を抜いた。小さく息をつき、気持ちを落ち着かせてから、深く頭を下げる。


「ごめんなさい、こちらこそ感じ悪かったですね。ちょっと神経質になりすぎてました。お詫びします」

「あぁいや、やめてくれ。そもそも横から口出しなんてマナー違反を先にかましたのはこっちなんだ。当然っちゃ当然の反応さ」


 態度を軟化させたカナエに男が軽い口調でそう答え、そのまま続ける。


「まぁなんだ、俺としちゃそっちへ行く案件はやめといたほうがって言いたかったんだ。見覚えのねえ顔だし、移ってきたばかりか、もしくは渡りなんだろ?この辺の事情にも明るくないみてえだったから、つい気になっちまってな」

「わ、私としても、正直おすすめはしかねます…」


 その後を押すように、フレッダも反対の意を示す。


「被害報告がしばらく届いていないといっても、懸念けねんが残る進路なことには変わりありません。厄介なお荷物を、厄介なルートで。失敗に繋がりかねない不安材料に、失敗時の未知数のリスクを重ね合わせたようなご依頼ですので…」

「…確かに、そうみたいですね」


 相場をかけ離れた報酬に見合うだけの、二重の不安要素。シルバータグの一般的なミュールなら、まず忌避きひするたぐいの依頼だ。先程フレッダが少し安堵の面持ちを見せたのも、高い報酬に飛びつかず警戒を優先したカナエに、それと同様の姿勢を感じたからなのだろう。


 実際、カナエもこの手の依頼は当然避ける。


 ――普段なら。


「でもまぁ、受けますよ。この依頼」


 あえてなんてことないかのように受注を意思を示すカナエに、フレッダと金髪の男が揃って驚きを見せる。


「…カナエさん、危険そうな依頼は避けるって言ってましたよね?」


 カナエの言葉を飲み込んだフレッダが、咎めるような口調で言う。もはや心配を通り越して静かな怒りに発展しかけているような、圧のある声音。


「いやいや、普段なら避けますよ、もちろん」


 今の言い方は失敗だったかな、と苦笑いしながらカナエが答える。


「普段なら避けます。リスクをきちんと天秤てんびんに乗せられるくらいの判断基準は持ってるつもりですし、その辺、私は普通より臆病なくらいだとも思ってます。ただ、私にとってそれは時と場合によって大きく揺れるものだってだけの話で」

「目に見える地雷に女の子が掛かりそうになってんのを見過ごすってあんま気分がいいもんじゃねえんだけどな…。一応聞くけど、考え直すつもりは?」


 男が微かに硬さをにじませた声音で問いを投げ、


「ないですね」


 カナエがきっぱりと切り捨てる。


「私、気になることはさっさと潰してしまわないと気が済まないタイプなんですよ。要するに、優先順位の問題なんです。私の目的はこの進路上にあって、行くことまではもう決まってる。あとはついでにこの依頼を抱えて行くか、手ぶらで行くかの二つに一つで、その二択なら私は前者を選ぶ。そういう判断に基づいての結論です。そんなに心配して頂かなくても、考え無しに言ってるわけじゃないですから大丈夫ですよ。お気持ちは嬉しいですけど」


 あくまで穏やかな口調で結論を変える気はないと主張を続けるカナエに対して、フレッダが「はぁ…」ひとつ大きなため息をついて、


「…わかりました。でも、くれぐれも無茶はしないでくださいね」


 諦めたように呟き。


「もちろんです。私だってしたくはないですから」


 カナエが端的に、それに答えた。 


 そんな二人の様子を見ていた男が一瞬心苦しげな表情を浮かべたことに、気づいた者は誰もいなかった。

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