(4)

「おう、どうだった?」

「美味しかったよ。食べ過ぎちゃって苦しいくらい」 

「そいつぁ何より」


 チェック・インしたホテルの一室、戻ってきた直後にミヤから投げかけられた言葉に、お腹をさすりながら満足気にカナエが答える。

 部屋は広さこそそれなりだったがとても清潔にされており、暖かそうな布団に柔らかいベッド、個室のシャワールームがついていて、そのうえ空調設備まで整っていた。おまけに食事は深夜帯でさえなければ一階のレストランに降りるだけで好きな時間に食べられると、正に文句の付けようがない内容といっていい。

 床に腰を下ろすカナエに、ベッドの上のミヤが呆れ顔で言う。


「しかしお前、その格好のまま飯食ってきたのか。 ったく…」

「しょうがないでしょ、人目に付く場所で脱ぐわけにもいかなかったし」

「着替えてから行きゃよかっただろ」

「もー、うるさいなぁ。おなかすいてたの」

「さいで…」


 売り言葉に買い言葉で返しながら、そこでようやく、カナエがこれまでずっと着っ放しだったレザージャケットを脱ぐ。


 露わになった右腕、肘から手首にかけて、骨組みのギプスのような代物が装着されていた。外側には丁度半円を描くようにセラミックプレートが接合されており、腕の半分ほどを覆い隠している。そして内側には、小振りの銃が仕込まれていた。41ショート弾を使用する、銃身が非常に短く弾倉を持たない、上下二連装の中折式拳銃。もはや骨董品といっても差し支えない旧式の、古典的な仕込み銃だった。

 カナエは右腕を軽く伸ばすと、仕込み銃のすぐ後ろについている小さなレバーをパチン、と指先で下ろした。途端にバシャッとスライド機構が音を立てて作動し、銃が一瞬で手元へ移動する。その動作を何度か繰り返し確認すると、「よし」と一言呟いて、ギプスと仕込み銃を別々に外して床に置いた。


 次にカナエは、ロングパンツの右裾をぐいっとまくり上げた。足首に細長いポケットが五つ付いたポーチが巻かれており、その全てに、何かが一本ずつ収められていた。

 カナエはポーチを外すと、収められていたものを全て引き抜いて床に並べ、一本ずつ丁寧に拭き始めた。それは一見すると刃の長いきりによく似ているが、鋭く尖った先端からやや下に、まるで開きかけの花のような五つの返しがついている、奇妙な刃物だった。すべて拭き終えるとポーチに戻し、ギプスと一緒に、既に運び込んでおいた荷物の元へとまとめて置いた。


 それから肌着の替えを引っ張り出し、拾い上げた仕込み銃と衣類だけを持って脱衣所へ入っていき、熱いシャワーを浴びた。

 しばらくして。


「はぁぁ…さっぱりした…」


 髪を拭きながら脱衣所から出てきたカナエが、仕込み銃をベッドの枕元へ置き、ふと思い出したように言った。


「そうだ、せっかくだし、あれ淹れてみようかな」

「うん?」

「ほら、なんていったっけ。リムサニアで買った変な飲み物」

「ああ、珈琲か」

「そうそう、こーひーだ」


 耳慣れない単語を確かめるように口ずさみ、カナエは手始めに備品のケトルに蛇口から水を注ぎ、スイッチを入れた。それと並行して荷物からステンレス製のマグカップと買った大袋を取り出し、テーブルの上に置く。大袋を開け、更に小分けにされていたパックの一つを破り、中身を手にとって…そこで動きを止めた。


「……ティーバッグ…じゃないよねこれ。失敗したなぁ、どうやって淹れればいいのか聞いとくんだった。ミヤ、知ってる?」

「そいつぁドリップバッグだな。上の口を開いてからカップに引っ掛けて、湯をそそぎゃいい」

「さっすが、頼りになるね」

「そりゃどうも」


 カナエが言われた通りに準備を整え、お湯の沸いたケトルを掴んだところで、ミヤが付け加えるように言う。


「あぁ、最初にちっと注いだ後、2、30秒待って蒸らすといいぞ。香りが良くなる」

「へぇ…なんかずいぶん詳しくない?」

「まぁ、ちょいと馴染みがあってな」

「飲めないのに?」

「ほっとけ」


 お湯が注がれると、途端に不思議な香りが立ち昇ってカナエの鼻孔をくすぐった。「おー」と思わず呟きつつ、きっかり30秒待ってから再度少しずつお湯を注いでいき、最後にドリップバッグを取り除く。湯気の上がる、黒々とした液体が出来上がった。

 カナエは上機嫌でカップの取っ手を掴むと、ふーふーと息を吹きかけて冷ましながら、ゆっくりと初めての珈琲に口を付けた。

 そして、んぐ、と顔を歪ませる。


「どうだ?」

「………苦い。美味しくない」


 カナエが率直な感想を述べた途端、ミヤが一瞬驚き、それから大声で笑い始める。


「そうかそうか、うまくねえか!そりゃ傑作だ!」


 カナエが思わずむっと頬を膨らませる。


「なにその反応」

「いや、なんでも。クク、お前の子供舌にゃあ、まだ早えってことだな」

「ばかにして…」


 愉快さを隠す気のないミヤの笑い声を聞きながら、むすっとしたカナエがちびちびと少しずつ珈琲を飲み干していく。

 普段の生活からは縁遠い、そんな警戒の薄れた緩やかな空気の中。

 ヴァナディでの最初の夜は、何事もなく、ゆったりと更けていった。


 ◆


 その日、辺りの建物からもついにおおよその明かりが消え、街中まちじゅうが眠りについたような、静かな真夜中に。

 ミヤは窓際のスペースに座り込み、時間が進むのをただじっと待ち続けていた。

 ベッドで眠る少女を時折見つめながら、意識の隅の保存領域メモリに、記録を残す。

 【珈琲、美味くねえとさ】

 そしてあてもなく、カーテンの隙間から遥かな夜空を見上げ、思いをせる。

 【やっぱり、あんたとは違えんだな、先輩】



 ◆



 翌朝。

 カナエはいつもより少しばかり長めに睡眠を取り、眠気覚ましのシャワーを浴びると、フレッダに伝えたとおり、ミヤを連れて区内の観光に出かけた。

 ときおり駐車して見取り図を確認しながら、のんびりとトライクを走らせ、街並みを見て回る。


 昼になるとちょうど目についた喫茶店へ入り、オススメは何ですかと尋ねた。店員が勧めるままに頼み、しばらく待つと、5段重ねの分厚いパンケーキによくわからない果物のソースとクリームがたっぷり挟み込まれた料理が運ばれてきた。値段の割に、暴力的な量だった。時間をかけてなんとか平らげ、店を出た。トライクで待っていたミヤがカナエの苦しそうな様子を見るなり呆れ返った目つきを浮かべていたが、カナエからしても、不可抗力だと言うほかなかった。


 店を出ると、今度はそのまま評判がいいという美容院へ赴き、傷んだ毛先を切り、全体をいて整えてもらった。あまり見た目に変化はなかったが、カナエは満足しているようだった。


 それから再びのんびりと区内を散策しつつ、必要な旅荷物の買い足しを済ませ、目をつけていた自然公園に寄り休憩をとった後、日が落ちてきた頃合いを見てミュール寄合に出向き、フレッダと少しばかり世間話をしてから『アトリ』と『ユナ』を回収した。

 そして寄り道せずさっさとホテルへ戻り、早めの夕食をとって軽装に着替え、衣服のクリーニングサービスを頼むと、早々にベッドへ飛びこみ、手に持っていたアトリを寝台に置いて幸せそうな表情を浮かべた。

 その緊張感のない姿を見て、ミヤが苦言を呈する。


「お前なぁ、食ってすぐ横になると牛になっちまうぞ」


 カナエはベッドに倒れ込んだまま、「それは困るなー」と間延びした声で答えた。けれど起き上がる素振りは見せず、そのまま続ける。


「でもねミヤ…、人ってお腹いっぱいの時にふかふかのベッドを見ると、どうしても横になりたくなっちゃう生き物なんだよ…。こればっかりは、どうしようもない…」


 結局その言葉を最後に、カナエはすーすーと寝息をたて始めた。

 ミヤは大きなため息をひとつついたが、特に起こすようなことはせず。

 少しの間見守った後、今日はいいかと、自らも意識を落とした。

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