(3)

 声をかけられた受付の女性――フレッダ・クラエスは、ひどく困惑していた。


 それもそのはず、ミュールという職業は一般的にとても危険な仕事として周知されており、成熟した男性の占める割合が極めて高い。

 壁の外で過ごすための専門的な知識や経験、職務上必要不可欠な車両の運転技術に、自身の身を守るための術。それら全てを併せ持っていなければとてもやっていけない仕事だからだ。

 無論女性もいないわけじゃないが、全体の比率で言えば1割すら切るだろう。その女性たちにしたって、特殊な経歴を持っていたりで例外的に腕や能力に覚えのある、20代半ばから30代にかけての者がほとんどなのが実状だ。


 ――にもかかわらず。

 そう、にもかかわらず、目の前にたたずむその少女はあまりにも若く、普通の女の子のようにしか、フレッダには見えなかった。化粧っ気はまったく無いが整った印象を受ける、まだ少しあどけなさを残した顔立ちに、肩口まで伸びた毛先の傷んだ黒髪。トップが潰れてぺたんとなっているのは、恐らくヘルメットを被っていたからなのだろう。たけが短い割には妙に袖が余っているレザージャケット、薄汚れた無地の白シャツに、上からベルトポーチと空のレッグホルスターが付けられたロングパンツ。装備こそそれなりで身体つきも引き締まってはいるものの、身長は高めに見積もっても160cmに満たない程度で、全体的に小柄かつ細身な印象はぬぐえない。


 とてもじゃないが、ミュールなどという過酷な仕事が務まりそうな風貌ふうぼうには見えなかった。区が区なら、まだ学校教育を受けていてもおかしくなさそうな歳にすら思える。


「えっと、大丈夫ですか?都合が悪いようでしたら、他の方に伺いますが…」

「あっ!す、すみません、大丈夫です。どうぞお掛けください」


 少女の遠慮がちな言葉にハッと我に返り、フレッダは慌てて着席をうながした。会釈えしゃくを返しつつ対面に座る少女を見つめながら、いけないいけない、と心の中で反省し、気持ちを改める。どんな人が相手だろうと、軽んじるような態度を見せるのは言うまでもなくご法度だ。


「ご案内致します、フレッダ・クラエスです。お気軽にフレッダとお呼び下さい。まだ研修の身ではありますが、責任を持って対応させて頂きますので、その点はどうかご容赦を」


 フレッダのマニュアル通りの対応に、あーそんなかしこまらないでください、と胸の前で両手をひらひらさせながら少女が答え、そのまま話を継ぐ。


「こちらこそ、よろしくお願いします。準中型じゅんちゅうがたミュールのカナエです。姓はありませんので、ただのカナエで。それとこちらが――」


 続けようとした少女の言葉を遮るように、足元にいた尾の無い黒猫が跳躍し、膝の上に飛び乗った。瞬間、


「ぐえっ」


 少女がうめき声を上げて、目を不満げに細める。


「…重い」

「知ったことか」

「えっ」


 思わず素っ頓狂な声を発してしまい慌てて口を塞ぐ仕草をとるフレッダを見て、少女がふふ、と忍び笑いをこぼす。


「――こちらが私のパートナーで、キャットドロイドのミヤです。入区の際にも誤解を生んでしまったんですが、ちょっと特殊なドロイドというだけで無害ですので、ご心配なく」

「これが、ドロイド…ですか?嘘…」

「もし気になるようでしたら、今度話し相手にでもしてみてください。口は悪いですけど、こう見えて結構お人好しなので、ちゃんと応じてくれると思います。ね、ミヤ」

「ああ? ったく…まぁ、少しくらいならな」


 若干うんざりしたような様子でそう答えて、ミヤと呼ばれたドロイドはそのまま身体を丸めた。


「それよりもう時間も時間ですので、今日のところはささっと手続きをお願いしたいんですけど…」

「あっごめんなさい、つい。それで、どのようなご用件でしょう」

「お聞きしたいこともいくつかあるんですけど、とりあえず、私の拠点区きょてんくの移行手続きをお願いします。こちらがリムサニアの寄合からの紹介状と、私の証明タグです」


 言いながら、少女は胸元から三つ折りにされた書類を取り出し、首から外した証明タグと合わせて机の上へ置いた。

 それをひと目見て、


「シルバータグ…」


 フレッダがぽつりと呟く。


「どうかしましたか?」

「あ、いえ、失礼しました。お預かりします」


 ミュールの身分証でもある証明タグの仕組みは、ちょうど車両の運転免許証のものによく似ている。試験を経て初期登録をするとまず仮免許のような形でブロンズタグが発行され、そこから少なくとも十数件、多くて三十件程の依頼を不備なくこなすことで寄合から正式なミュールとして認められ、シルバータグへと更新されるのだ。つまりタグがシルバーということは、それだけで、相応の実績を持っているなによりの証拠となるわけで。

 フレッダは改めて実感する。目の前の少女はまるでそうは見えないが、まぎれもなく確かに、一人前のミュールなのだと。


「まずお名前はカナエ様で、生年月日が712年|卯月(うづき)2日の、現在17歳。利用車両は大型トライク。積載量の区分は準中型、ですね。なにか変更点はございますか?」

「ありません。リムサニアを出る前に更新したばかりなので、上がったばかりの年齢も含めて登録情報はすべて問題ないはずです」

「そうでしたか、わかりました。でしたら後は…依頼を受けるにあたって、なにかこちらで考慮すべき点はございますか?例えば、こういったものは受けないようにしている、とか」

「特には、ですね。あまりに割に合わなかったり危険そうなものは避けるようにしてますけど、基本的には何でもオッケーなスタンスだと思ってもらえれば」

「となると…その、ワームパックなんかも?」


 フレッダの質問に苦笑いを浮かべながら、少女が答える。


「進んで受けようとは思いませんけどね。積める範囲に収まる方なら、一応お受けはできますよ」


 それを聞いたフレッダが、同調するように苦笑いを返す。


「まぁ、そうですよね。でも、そう言って頂けるのはとても助かります。やっぱり、どうしても避けられる方がほとんどなので…。届くこと自体滅多にない依頼ですので、大丈夫だとは思うんですけど」


 そこで一度話を切り、少しお待ち下さいね、と少女に伝えると、フレッダはタグと紹介状を交互に手に取り、手元の用紙に何かをすらすら書き込んでいった。そして2分程経った頃、顔を上げて言った。


「はい、ありがとうございました。紹介状も頂いてますし、登録情報の変更もないとのことでしたので、ご同席頂くのはここまでで大丈夫です。あとはこちらでやっておきますね。20分程お待ち頂ければ今届いているご依頼の閲覧もすぐできるようになりますけど、見ていかれますか?」

「いえ、今日はもうこのまま宿に直行して、明日は1日区内の観光をして回ろうと思ってます。なので依頼についてはまた明後日に。あと、そのことでお聞きしたかったんですけど、この辺りに一月ひとつき程の長期宿泊ができるおすすめのホテルとか宿ってありますか?多少値は張っても構いませんので、とにかく宿泊費とは別払いで食べられる食事と、熱いシャワーに、ふかふかのベッド。その三つがあって、なるべくセキュリティがしっかりしてるとこがいいんですけど…」


 少女の質問にフレッダは少し考えを巡らせた後、近隣のミュールを中心に評判の良いホテルをいくつかピックアップして伝えた。

 少女は見取り図に場所のメモを取りながらそれを聞き、書き終わると、丁寧にお礼を言ってから膝上で丸まったままだった黒猫を床に降ろした。そして席を立った。


「じゃあ、今日はこの辺りで。一応明日も預けた銃の受け取りにだけは来る予定なので、時間が合いましたらまたその時にでも」

「でしたら夕方…そうですね、16時以降にお越し下さい。それくらいには確実に手続きも済んで、お返しできるようになっているはずですので」

「了解です。それじゃ、失礼しますね。お疲れさまです」


 少女は最後に屈託なく微笑みながらそう言って、その場を離れていった…が、少し歩いたところで急にきびすを返し、フレッダの元へそそくさと戻ってきた。何かを急に思い出した、そんな表情だった。


「あの、そういえば気になってたんですけど、ここミュール寄合ですよね。どんな用件にしても車両で来られる方ばかりだと思うんですけど、お酒なんて出して平気なんですか?」


 いたって真面目な面持ちで投げかけられたその問いに、フレッダが一瞬きょとんとして、それから可笑おかしそうにくすくすと笑い始める。

 少女と黒猫が首を傾げながら、揃って顔を見合わせる。


「ああ、ごめんなさい、本当に渡りの方なんだなぁと思ってしまって…。確かに区外から来られたなら、不思議に思われるかもしれませんね。実はヴァナディでは、ミュールの方を対象に、運転代行というサービスを格安で行ってるんです。だからお酒を飲まれても問題ないんですよ」

「運転代行…ですか?」

「…………」


 少女が耳慣れない単語を繰り返すように呟き、黒猫は黒猫で無言のまま目を丸くする。各々の反応を見て、フレッダはこほんと小さく咳払いをすると、順を追って説明を始めた。


「まず、カナエさんもご存知の通り、アルコールを摂取して…つまりお酒を飲まれたりといった状態で何らかの車両を運転するのは、法律で全面的に禁止されてます。危ないですからね。これは世界中、大抵の区で共通のルールだと思います」

「まぁ、そうですね。常識的なものかと」

「それでここヴァナディでは、出先で車の運転ができなくなってしまった方のために、それを肩代わりするサービスを実施してるんです。ええと、タクシーはご存知ですか?」

「わかります。使った経験はあまりないですけど」

「でしたら、その派生のようなものだと思って頂ければ大丈夫です。車両の持ち主の代わりに派遣された作業員が運転をして、その方を車ごと家や宿泊先までお送りするんです。文字通り、運転を代わりに行うわけですね。作業員の数が少なかったりといろいろ事情もあって、今のところはミュールの方限定の特典として扱われてるんですが…」


 ひととおり話を聞き終えた少女が、なるほど…と感嘆の声をもらし、素直に感心した素振りを見せる。


「納得しました。確かにミュールだとお酒を嗜む機会なんてなかなかないと思いますし、便利で助かりそうな試みですね。…ミヤ、どうかした?」


 少女が不意にそう言って、足元を見遣った。フレッダも釣られて身を乗り出すように覗き込むと、黒猫がこらえきれないといった様子で、くっくっと笑みをこぼしていた。


「あぁいや、何でもねえよ。ちっとな」

「えぇ、なにそれ。気になるんだけど」

「気にすんなって。人の考えることなんざいつだって変わんねえなと、ちょいと思っただけだ。お前にゃ関係のねえ話さ」

「むう……まぁいいや」


 少女が追求するのを諦め会話を打ち切ったタイミングで、やり取りを眺めていたフレッダが「そうだ!」とパンと手を叩きながら言った。そして、頭に浮かんだばかりの名案を楽しそうに口にする。


「もし興味がありましたら、一度ご利用なさってみてはいかがですか?このままホテルへ向かわれるのでしたら、お酒を楽しまれても支障は無いと思いますし、ちゃんとしたお食事からおつまみまで、ここでも色々お出しできますし――あっ」


 ひとしきり思いついた内容を言い切ってから、はっとフレッダが口をつぐむ。

 今度は少女のほうが、きょとんとした反応を見せる番だった。そしてそれからすぐ、あはは、と今まで見せていたものとは少し違う、歳相応の笑顔で可笑おかしそうに笑い始める。

 その声を聞き、周囲にいた幾人いくにんかが彼女らの方へと顔を向ける中で、フレッダが「すみません、つい…」と小声で呟く。


「いえいえ、むしろありがとうございます。お誘い頂いて」


 気恥ずかしそうに微笑むフレッダにそう返してから、尚も口端からくすくすと笑みをこぼしつつ、少女はきっぱりと言った。

 

「でも、せっかくですけど遠慮しておきます。私、まだ未成年なもので。これも大抵の区で共通のルール、ですしね」

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