(2)

 

「いい居住区だね、ミヤ!」


 渡された区内見取り図を頼りに大通りをミュール寄合所へと向かっている最中、信号機に引っかかったタイミングで、カナエが振り向いて楽しそうに言った。


 見取り図によると、この主要区ヴァナディには東西南北それぞれに大きな門が一つずつ備えられており、出入りは全てその門を介して行われるらしい。カナエ達が通ってきたのは南門で、運がいいことに、目的のミュール寄合所からは一番近い入出口だった。それでも距離や経路から換算するとトライクでもざっと4、50分は掛かる位置にあり、今は大体20分ほど、慣れない街並みで迷わないよう横道を避ける形で走行してきた状況となる。


「通り沿いはどこもとても賑やかで、背の高い建物もたくさん。道路はみんな丁寧に舗装されてて走りやすいし、交通整備もしっかりしてる。緑もバランス良く残ってて、息苦しい感じもしないし。ねえ見た?さっき大きな自然公園みたいなのもあったよ。落ち着けそうだし、一回は行ってみたいなぁ。それに綺麗なお店もいっぱい並んでるよ。美味しいごはんとか食べられるかな?私もう携帯食料レーションも乾燥肉も、しばらく見たくないや。あ、でも、そろそろちゃんとしたところで髪も切りたいな。リムサニアでは結局そういうとこ行かなかったし。ねえミヤどう思う?私はもうこの際ばっさり短くしちゃってもいいかなってちょっと考えてるんだけど…」


 まくしたてるカナエの様子とは対照的に、ミヤが冷ややかな声色で答える。


「なに浮かれてんだ、主要区なんて今までもこんなもんだっただろ。別に遊びに来てるわけじゃねえんだ、もうちっと落ち着け」


 む、とカナエが若干膨れて、


「たしかにそうだけど、こういう時くらい少しは浮かれたってばちは当たらないでしょ。楽しめる時に楽しめないのは損だよ。どうせまたすぐ外に出ることになるんだから。まったくもう」

「あーわかったわかった。んなことより、まずは前見ろ、前」


 ミヤが前足でちょいちょいと注意を促すのと、後ろで停まっていた四輪自動車が鋭くクラクションを鳴らしたのは、ほぼ同時だった。

 カナエが弾かれるように前を向く。目前の信号機はとっくに通行可を示す色合いに変わっていた。


「わぁぁ!ごご、ごめんなさいっ!」 


 誰に聞かせるでもなくそう叫びながら、カナエは大慌てでギアチェンジペダルを踏み込み、トライクを急発車させた。

 その姿を背後から、ミヤが呆れたように、けれど少し微笑ましいものを見るかのように、じっと眺めていた。

 こうしてる分にはただの年頃のガキなのにな、と。

 小さく呟かれた声は、誰の耳にも届いてはいなかった。


 ◆


 陽もすっかり沈みきり、辺りに夜のとばりが下りた頃――といっても、区内は大小様々な建造物の明かりで照らしだされており、大部分が暗闇とは無縁の様相だったが、ともかくそんな頃合いに。


 カナエ達はレンガ模様の施された目的の建物、ミュール寄合所の前へとたどり着いた。

 縦にこそ短い一階建てなれど幅や奥行きは相当ありそうなその建物に目を向けながら、駐車スペースの空いた箇所へとトライクを停める。


「着いたよ、ミヤ。ほら降りて降りて」


 声をかけながらカナエは気持ちを落ち着けると、念の為に周囲をざっと見回した。辺りには大型・小型のトラックから一般的な四輪乗用車、果てはバイクに至るまで、様々な類の自動車が停められていたが、今は丁度タイミングがいいのか、目の届く範囲に人影は見当たらない。


 そのことを確認すると、カナエはジャケットの胸ポケットに入れていた小さなキーケースを取り出し、トライクの荷箱を開けた。

 荷箱の中は間に仕切り板がはめ込まれ、上の段と下の段に分かれていた。今は比率で言えば3:2といった割合で、上が広く、下が狭い。上の段にはカナエ達の私物がギチギチに押し込まれていたが、下の段はスカスカで、先程審査官しんさかんの男が使っていたものと同じようなケースが縦に3つ、積まれているだけだった。


 カナエはまず、一番上のケースを脇に退け、間に挟んでいた二枚の書類を手にとった。納品書と、紹介状。どちらも重要な書類だ。その二枚をそれぞれ折りたたんでからシャツと胸の間に挟み込み、ケースを全て降ろして荷箱を閉めた。そして、再びまとめて抱えなおす。


「もう、なにぼーっとしてんの、早くしてってば」


 準備を整えたカナエが急かすと、


「わぁったよ…」


 知らん顔で丸まっていたミヤがぼやきながら、ようやくもそもそと身体を動かし始めた。座席上で器用に伸びをして、ひょいと地面に降りる。

 そしてそのまま、並んで建物へと歩いていった。


「おおー、自動ドア」

「へぇ、珍しいな」


 ◆ 


 中へと入ったカナエが真っ先に感じたのは、濃密な酒と食事の匂い、それから、視線だった。どうやら受付窓口とは別にレストランのようなスペース――ほぼ酒場と化しているようだが――が備えられているらしく、匂いと視線の主な出処はそこからだった。グループだったり、はたまた一人だったりで飲み食いをしていた幾人いくにんもの男性陣が、こぞって場違い気味なカナエ達を奇異の目で窺っている。その中に、女性は一人としていない。


「…ねえミヤ、ここってほんとにミュール寄合だよね?」

「なんか対策とってんだろ。こういうとこもあるってこった」

「ふうん…ならいいんだけど」


 無遠慮な視線を慣れた様子で飄々ひょうひょうと受け流し、カナエはとりあえず荷受け担当の窓口へと向かった。

 抱えていたケースをどさりとカウンターの上に下ろし、ふう、と小さく息をつく。それから、


「おつかれさまです」


 向かいでせわしなく働いている従業員の男を呼び止めた。

 男はカナエの姿を見留めると例にもれず一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに笑みに繕い、言った。


「ご丁寧にどうも。こちらの受け渡しで?」


 胸元から納品書を引っ張り出し、開いて差し出しながら、カナエが答える。 


「はい。リムサニアよりお届けに上がりました。確認をお願いします」

「承りました。少々お待ち下さい」


 数分後、滞りなく確認が終わり、ご苦労さまでしたと労いを述べる男に礼を返して、カナエは次に、受注窓口へと向かった。

 いくつかあるうち、丁度手が空いていそうな女性の窓口に目を留め――、そこで、少しばかり迷う。

 緩いウェーブのかかった明るい茶髪をしたその女性は、カナエの目から見ても、まだずいぶんと若そうに映った。さすがに自分よりは上だろうが、それにしたってたいした開きはないように見える。せいぜいが二つか、三つ程度の差。そんな印象。ひょっとしたら、まだ正規の職員にもなっていないかもしれない。


 これまでカナエは、明らかに経験が少なそうな案内官に関わるのは、なるべく避けるようにしていた。理由は至極単純で、依頼の受注や諸々の手続きで不備やミスを起こされてはたまらないからだ。どんな事情があれ、他人の失敗で自分が被害をこうむるのは決して面白いものじゃない。

 けれど今回に限っては結局、まぁいいかと思い直し、


「あの、こちらよろしいですか?」


 カナエはその女性に声をかけた。

 しょせん外見の印象なんて、指標のひとつにしかならない。

 たとえ経験が浅くとも真摯に対応してくれる人もいれば、ベテランだろうが雑でいい加減な仕事をする人だっている。

 そんな教訓を、改めて得たばかりだったからかもしれない。

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