Interlude. 《知らない景色をまた、夜明けの先に》

(1)

 樹木の生い茂った林道を抜けた先、見渡す限り一面が草原の広大な平野の中に、よく整備された一本の道路が伸びていた。

 道路は平野を分かつように長々と続いており、道幅も広く、両端にはガードレールまで設置されている立派なものだった。しかし、今は通行車両はほとんど見当たらない。


 その道路を、一人の少女が大型トライクで飛ばしていた。


 少女は茶色のハーフ・レザーヘルメットを被り、取り付けられた半透明の遮光バイザーを下ろして目元を覆っている。手には薄手のグローブをはめていて、薄汚れたシャツの上に、たけが短く袖の余った黒革のジャケットを羽織っていた。ロングパンツのベルトには左右に一つずつレッグホルスターが付けられ、それぞれがももの辺りで固定されている。そこに、拳銃のような銃器が一丁ずつ収められていた。


 少女は対抗車両が何も見えないのを確認すると、ギアを一段階上げ、アクセルレバーを更に深く回した。

 ここぞとばかりに上げられた速度は、ゆうに時速70kmに到達している。

 少女の駆る大型トライクは後部が拡張されており、短く調節された後部座席の後ろが、縦に長い長方形の荷箱となっていた。外から中を見通すことはできないが、そこには少女が請け負った配達依頼の物品や、壁外を移動する上で入り用になる私物なんかが、場所を分けて積み込まれている。


「あーあー!ほんとならもう着いてる予定だったのになぁー!」


 運転手の少女――カナエは、道が長い直線になったタイミングを見計らってハンドルから左手を離し、バイザーを指で押し上げると、エンジン音に負けないようわざと大きな声を張り上げて言った。

 凹みを作るような形に改造された後部シートに収まり丸くなっていた尾の無い黒猫が、顔を上げて気だるそうに答える。


「んなこと言ったってしょうがねぇだろ、現に着いてねぇんだから…」

「マップが間違ってるとかあり得ないよ!それもあの担当のおじさん、なんて言って渡してきたか知ってる!?最新のって言ったんだよ、最新のって!これのどこが最新なのっ!もうっ!ほんっと!信じらんないっ!」


 こりゃしばらく機嫌わりぃな…。そう察した黒猫が口を挟むのを止めて、再び顔をうずめた。

 雲ひとつない晴天の下、道路の続く先に、目的地はまだまだ見えてこなかった。



 ◆



「やっと着いた…」


 カナエがトライクを停め、そう呟く頃には、もう陽は沈み始めていた。

 脱いだヘルメットをバックミラーに引っ掛け、ふう、と小さく息を吐く。

 それからカナエはもう幾度となく各地で目にしてきた、視界を埋め尽くすように高々とそびえ立つ"居住区きょじゅうくの壁"を見上げた。

 壁はツルリとした光沢を放つ明るい灰色をしており、高さを保ったまま継ぎ目なく横に続いていた。巨大な円形状に閉じているはずだが、左右に目を凝らしても、カナエの立つ位置からはその曲がり際さえうかがえない。


 正面に見える分厚く大きな門は固く閉ざされており、その右手に、外壁から繋がる形で小さな建物が併設されていた。


「よし」


 そこが恐らく入区の審査をする詰所だろうと当たりを付けて、カナエは一度ぺち、と両手で軽く頬を叩き、まだ少し不機嫌さの残っていた表情を和らげた。それからヘルメットや風の影響でぼさぼさぺたんこになった黒髪をなんとか整えようと試みて、全くうまい具合にならずすぐ諦めた。


「それじゃ、手続きだけささっとしてきちゃうね」 


 カナエは未だ後部座席でくつろいだままの黒猫にそう声をかけると、返事を待たずに歩き出した。

 黒猫は一瞬顔を上げたが、特に何も言わなかった。


 ◆


 居住区の外壁をもう一回り薄めたような色合いのその建物に、扉の類はついていなかった。恐らく、居住区の内側から出入りする造りなのだろう。代わりに一角が小窓が3つ付いた強化ガラス張りになっていて、そこから中が見透かせるようになっていた。ガラスを隔てた向こう側で、年齢層のばらばらな男女が10名ほど、大量の書類やタイプライターのような機械が積まれた机に向かってのんびりと働いている。


 カナエは小窓の一つの前に立ち、コンコンとやや強めにノックした。

 数名が気づき、そのうちの1人、20代半ばほどの男が小走りで寄ってきて、小窓を開けた。


「こんにちは」


 カナエはにっこり笑って、まず挨拶をした。


「こちらより南方の主要区リムサニアより、荷物のお届けに参りました。ミュールのカナエと申します。入区の手続きをお願いしたいのですが…」

「ああ、ご苦労さまです。ええと…」 


 男は感じの良い笑みを浮かべてねぎらいの言葉を返したが、カナエの容姿を目に留めるとすぐに怪訝な表情になって続きをにごした。視線が遠慮がちに、カナエの顔つきや背格好をうかがっている。

 カナエはその反応を見ると、慣れた手付きでネックレスのように首にかけた細い鎖を手繰り、シャツの下から小さな銀色の証明タグを引っ張り出して男に提示した。

 男が申し訳無さそうに苦笑いを返しながら頬を掻く。


「これは失礼致しました。あなたのような若い女性のミュールを目にしたのは初めてだったもので」

「いえ、よく言われます。慣れてますので気になさらないで下さい」

「そう言って頂けると助かります。おっと、入区手続きでしたね。少々お待ちを」


 男はそう言うとばたばたと一度奥へ退き、自分のスペースらしき机から一枚の用紙とペンを手にとって戻ってきた。そして、


「では改めまして」


 仕切り直すようにそう口にして、軽く表情を引き締めた。 


「まずはそうですね。こちらには職務上でお立ち寄りになられるだけでしょうか?それとも、滞在をご希望で?」

「滞在で。期間は一月ひとつきほどを考えてます。配達品も含め、荷物は全てトライクの中に」

「なるほど、かしこまりました。積み荷の確認は結構なのですが、携帯希望の銃器の類は規則上直接の持ち込みができませんので、一度こちらにお預け頂くこととなります。よろしいですか?」

「大丈夫ですよ、わかりました」


 カナエは素直に承諾すると、まず右腿のホルスターへ手を伸ばし、収まっていた濡羽色ぬればいろの実弾銃を抜いて男の前に置いた。

 正式名称を『At.R9Eエーティー・アールナインイー』。通称『アトリ』と呼ばれる9mm口径オートマチックピストルで、『リップ』という一定の貫通力を維持した特殊なホロー・ポイント弾を主に使用するのが特徴の代物だ。この弾丸は弾頭が8つの爪を束ねたような形状になっており、着弾時に炸裂してその部分が開き、鋭い刃片となって拡散する仕組みで、性質上、人体に対して強い効果を発揮する。


 次にカナエは左腿のホルスターから白金色はくきんしょくの銃を抜き、それを『アトリ』の隣に並べて置いた。それを見た瞬間、「おお」と男が短く感嘆の声を上げる。


「これはまた、珍しいものをお持ちで」

「あはは。確かに、一介のミュールが持ち歩いてるのは、少し珍しいかもしれませんね」


 その銃は一見すると『アトリ』に似たシルエットをしていたが、バレルが長く、その根本にリボルバーの回転式弾倉のような形式で長方形のカートリッジがはめ込まれていた。通常なら撃鉄(ハンマー)がある部分は平たくなっており、代わりに押込み式のスイッチが付いている。それは一般的にフェイザー・ガンと種別されている、非常に高価な対機工種用の銃器だった。


「以前お世話になっていた方…というかせんせいから、私がこの仕事を単独で始める際に頂いたものなんです。もっともあまり使う機会はないんですけどね。対抗手段があるとはいっても、機工種には関わらないに越したことありませんから」

「はは、違いないですね」


 正規の製造品ではないらしく、この銃に正式な型番や名称は存在していない。けれどそれでは何かと味気なくもあり、カナエは便宜上、その女性の名をとって、このフェイザー・ガンを『ユナ』と呼んでいた。

 受け取った際にひととおりの説明は聞かされているが、カナエ自身、そのメカニズムを完璧に理解できてはいない。【要はやたらと高度な水鉄砲なんだよ】とその女性はかつて話していたが、事実そのとおりで、カートリッジ内に蓄えられたナノマシン含有液を電力と圧力で瞬間的に高速射出し、着弾対象に感電による物理的損傷とナノマシン侵食による回路汚染を引き起こす、といった仕組みとなっている。無論人に向けて使用しても充分すぎる殺傷力を有しているが、引き金を引いてから射出までに0.5秒ほどのタイムラグがあることや、そもそもカートリッジの値段が実弾に比べとんでもなく高いといった背景から、対人使用は基本的に想定されていない。カナエにとっても、機工種と相対する事態が避けられない局面でのみやむを得ず使用する、お守りのような認識だった。


 男は「では失礼しますね」と断りを入れてから『アトリ』と『ユナ』を丁寧に手に取ると、それぞれを薄い布で包んで、脇に積まれていたケースの一つに仕舞った。そしてカナエに向き直り、軽く頭を下げる。


「ご協力ありがとうございます。確かにお預かり致しました。こちらはわたくし共の方で責任を持ってミュール寄合へと送らせて頂きます。正式に拠点の移行手続きを済ませて頂ければ、遅くともその翌日には区内での携帯認可が下りているかと思いますので」

「わかりました」 

「それとすみません、重要なことをお聞きしていませんでした。入区なさいますのはトライクを伴った女性がお一方ひとかたと、そちらの猫が一匹…でよろしかったですか?」


 男の視線が移り、カナエもつられて背後を見下ろすと、いつの間にかトライクから下りていた黒猫がすぐそばまで寄って来ていた。


「はい、それでかまいません」

「かしこまりま――」

 した、と男が言い切るより早く、

「おいこら、何が『はい』だ。ふざけんな、俺は猫じゃねぇ」


 黒猫が仏頂面で口を挟んだ。

 男が目を見開き、「うわぁ!?」と大仰に驚いて小窓の前から後ずさる。


「しゃしゃ、しゃべ…!?まま、ま、ままさかき、機工種ですか!?」

「あー…えぇと…」


 呂律もうまく回っていない気の毒なほどの男の慌てように、カナエがバツの悪そうな困り顔を浮かべながらその場にしゃがみ込む。


「なんだ、失礼なやつだな」

「うっさい」


 ぶつくさと文句を言う黒猫の頭をげんこつで小突いてから、カナエは黒猫を「よい、しょ…」と重そうに抱き上げた。詰所の奥でなんだなんだ、と他の従業員達がざわついている。カナエは抱きかかえた黒猫を男に見せつけるようにして、警戒を解くために柔らかく微笑みながら言った。


「まぁ確かに近いといえば近いんですけど、機工種ではないですし、危険もありませんので安心して下さい。私のパートナーで、キャットドロイドのミヤといいます」


 男は恐る恐る近づいて来ると、黒猫のドロイド――ミヤを間近で数秒見つめて、「な、なるほど、ドロイドですか…」独り言のように呟いた。


「この区でも確かにドロイドの文化はありますが、これほど精巧なものは始めて見ましたよ…。いやはや、世界は広いですね。今日は本当に驚くことばかりです。お見苦しい姿を晒してしまい申し訳ありません」

「とんでもないです、紹介が遅れたこちらが悪いので」

「…不躾ですが、少し触らせて頂いても?」

「いいですよ、どうぞ」

「あ?待て、なんだと?」


 嫌がるミヤを黙殺しつつ、カナエは男の方へ両腕を伸ばし、差し出すようにしてミヤを近づけた。男はその状態のまま不服そうなミヤをひととおり撫で回して毛並みや骨格といった構造を確認すると、手を引っ込めてこほんと一つ咳払いをした。


「わかりました。確かに危険なところはなさそうですし、ドロイドということでしたら、特に問題もございません。入区に際して必要な手続きは以上となりますので、取り急ぎこちらをお渡ししておきますね。簡素な紙面ですが、区内の大まかな見取り図になります。ミュールさんでしたら寄合所まで行けば周辺地域まで含めた詳細なマップを頂けるはずですが、それまではこちらをお使いください」


 ありがとうございます、とカナエが礼を言いながらそれを受け取り、男が朗らかに笑う。


「それでは、うら若きミュールさん…と、ドロイドの黒猫さん、ようこそ第87主要区ヴァナディへ!ここでのご滞在があなた方にとって良きものとなりますよう、心より祈っております!」


 カナエはもう一度愛想よく謝辞を述べてからミヤと共にトライクの元へと戻っていき、「もー。触られるの嫌だろうと思ったから、猫で通そうとしてたのにさー」ぶつぶつ文句を言いながらキーを回してエンジンをかけた。

 レザーヘルメットを再び被ったところで、ゴゴゴ、とまるで地鳴りのように重く大きな音が辺り一帯に響きだす。振り返ると、分厚い門がゆっくりと開いていくのが見てとれた。


 ミヤを後部座席に乗せて自身もシートに跨り、カナエはトライクを緩やかに発車させる。

 詰所の前を横切るタイミングでそちらをちらりと見遣ると、審査を担当した男がガラスの向こう側から大きく手を振っていた。

 男にわかるよう手を上げ返しながら、カナエとミヤは今回の拠点、主要区ヴァナディの中へと、その姿を消していった。


 ◆

 

「おいカナエ」


 門を抜けてすぐ、後部座席のミヤが声を上げた。


「なに?」

「お前、身につける銃器は渡せって言われてたんじゃねえのか」

「そうだけど?」

「そうだけどじゃねえよ、全部出してないじゃねえか」

「……?」


 その指摘に一瞬きょとんとした反応を浮かべてから、面白い冗談でも聞いたかのようにくすくすと笑みをこぼし、「やだなぁ、なにおかしなこと言ってるの、ミヤ」とカナエが答える。


「知らない土地に丸腰で入るわけないでしょ。何事にも用心は必要だし、護身のために武器をいくつか忍ばせて持ち込むくらい"普通"だよ。自分の命はひとつしかないんだからさ。それに」


 そこで一度言葉を区切ると、まるで悪戯っ子のようにはにかみながら、カナエは言った。


「こういうのはばれなきゃいいんだよ、ばれなきゃね」

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