海外長期出張で10年単位で帰って来ないと勘違いした幼馴染が暴走した
海外出張が決まった。
その日の昼に偶然街角で幼馴染の一ノ瀬慎太郎と会った。そのまま一緒に昼飯を食べる。そして食事の最中に海外出張の話題になった。
「ほう、このご時世に海外視察、しかも一週間とはリッチだな」
「弾丸工程だぞ。ろくに寝れない上に時差もあるだろ?のんびりとした視察旅行じゃないんだよ」
「いつ出発するんだ?」
「一週間後、時間がないから準備するのも大変だよ」
せめて決算期を外してくれてればよかったのに。そしたら、現地待ち合わせで楠瀬真琴、僕の彼女と観光も可能だったかもしれない。小さい頃からの幼馴染だけど二人で海外旅行した事はまだない。
「ふーん。じゃあ、視察の事、もう真琴に言ったのか?」
「いや、まだだよ」
「ほう、それはそれは」
何かを思いついたのか慎太郎がニヤニヤし出した。何かを企んでる顔だ。
どうせろくな事を考えてないはず。
「土産なんて期待するなよ」
「土産なんて期待してないさ、当然だろ?」
何が当然なんだろう?
それよりそのニヤニヤ顔を今すぐやめろ。不気味すぎる。
「事前に彼氏の疾風に断っとくわ。彼女の真琴に一言伝えておきたい事があるから連絡するぞ」
付き合っているからといって真琴の交友関係まで束縛する気はないぞ。そもそも慎太郎も真琴の幼馴染だろ。もはや悪友というレベルで悪さしまくってた二人だ。
「どうぞ、ご自由に。ただし変な事は吹き込むなよ」
「いつ俺が真琴に変な事を吹き込んだ事ある?」
恋人偽装事件とか色々やらかしてるのを無かったことにする気はないぞ?
「慎太郎?一から全部言わないとダメか?」
「冗談だよ、冗談。ま、変な事じゃないから心配するなって」
ここの支払いは任せたぞと、僕に会計を押し付けて慎太郎は去っていった。
俺に任せとけ!という台詞には不安しか感じない。
***
その夜、待ち合わせの場所に現れた真琴の衣装は気合いが入っていた。
軽く軽食を食べに行くはずだったのに、フランス料理のフルコースでも食べに行くつもりなのか?
出張の準備でからっけつの僕には無理。
「どうしたの?おめかしして」
「う、うん?何でもないわよ。たまに着たくなるのよ」
そういうものなんだ。男の僕には分からないけどね
店に入ると客もまばらでゆっくりと会話が出来そうだった。
「真琴に言っておかないといけない事があってね」
「は、はい!」
真琴が食い気味に返事する。声が裏返ってた。
「来週から出張なんだ」
「は、はい!」
「それでしばらく会えないけど心配しないで。お土産は何がいい?」
「えっ?」
真琴が鳩が豆鉄砲を食ったような顔で僕を見つめてくる。照れちゃうよ。
「どうかした?」
「お土産?」
「そう、絨毯とか結構有名らしいんだ」
ペルシャ絨毯程には高価でなくて手頃な価格なのも魅力の一つ。一枚くらい家にあってもお洒落かもしれない。
「じゅ、絨毯なんていらないわよ。それより!」
「それより?」
何か真琴の様子が変だ?着飾ってるから尚更そう感じてしまう。
「べ、別に何でもないわよ」
何か渡すものがあるでしょ?と消えそうな真琴の声が聞こえた。
「うん?何か言った?」
「別に!!」
真琴の具合も気分も悪いようだったのでそのまま店を後にする。家まで送ると言ったが断られた。
タクシーに乗せたから大丈夫だと思うけど。
***
出張三日前、日曜日、デート日和の快晴だった。しばらく、といっても一週間だけど、真琴と会えなくなるのでしっかりと真琴成分を補充しておくのだ。
「お待たせ!」
「今日も可愛いね」
真琴と無事恋人となってから催促される前に褒める事にしている。いつまでも幼馴染感覚でいては真琴に捨てられる恐れがある。
それは断固拒否する!
今日の真琴のコーディネートは秋らしく落ち着いた色で、上は茶系統のブラウス、下は灰色のスカート。派手好みの真琴にしては珍しいといえる着こなしだった。
「どこから回ろうか?」
久しぶりに来る動物園。本来ならデートコースには不向きなんだけど、真琴のたっての希望だった。真琴って動物好きだったっけ?
「パンダは並ばないといけないから、外して他から回ろうよ」
臭いの少ない動物って何がいたっけ?
動物と動物の糞の匂いに、臭い仲になりきれなかったカップルが破局するという修羅の世界、それが動物園。
僕たち二人には関係ないとはいえ、舐めて掛かると痛い目に遭いかねない。
「まずは ミーアキャットね」
真琴が僕の手を引いて走り出した。転ばないように僕も走り出す。
ミーアキャットのコーナーは空いていてゆっくりと見ることが出来た。
ミーアキャットが勢揃いして並ぶ姿は何かを思い起こさせる。何かに似ている何だっけ?
「ねえ、何かに似ていない?」
「あ、そうだよ。チンアナゴ、チンアナゴだよ!」
「そうかしら?何か他に似ているのがあったような気がするわ」
真琴はまだ思い出そうとしているが、先に思い出せた僕は満足していた。
「プレイリードッグ!」
悩むこと三分、やっと思い出せた真琴も満足したようだった。
次に訪れたのは象のコーナー。春先に生まれた子象がヨタヨタと母親象の後をついて歩いてる。
「可愛いわね」
「そうだね」
「やっぱり動物でも子供は可愛いわ」
ニコニコして喋る真琴は可愛い。でも、そこまで真琴が動物も子供も好きだったとは僕は知らなかったよ。
「私たちの子供だともっと可愛いかしら?」
「そうだね。ぶふっ!」
何気なく相槌を打っていたら問題発言をぶち込まれた。思わず咽せかえす。
「どうかしたの?」
「いきなりだったからね」
「何が?」
「子供の話。びっくりした!」
「そう?いずれ結婚したら子供が居てもおかしくないでしょう?」
それは即ち、僕との将来を考えていると受け取っても良いのかな?自惚じゃないよね?
「そうだね」
「そうよ」
真琴は何かを期待するかのように僕をじっと見つめている。それでも僕は何も出来ない。
準備も何もしてないよ。出張の準備に掛かりっきりで他の事をする暇がない。
真琴へのプロポーズは帰国後にしよう。本当なら今すぐにでもしたいんだけど。ごめんね、真琴。
結局、その後すぐに不機嫌になった真琴を家まで送り届けて解散となった。
部屋に上がってコーヒーの一杯でも飲めるのかと期待していた僕が馬鹿だった。
***
出張前日に会いたいと真琴から連絡が入っていたけれど時間が取れなくて、結局会えたのは出張当日の飛行場のロビーだった。
「ごめんね、時間が取れなくて。見送りありがとう」
「疾風、本当に行っちゃうの?」
「仕事だからね。サラリーマンの辛いところさ」
「私と仕事、どっちが大切なの?」
「どっちも大切だよ」
「じゃあ、早く私にプロポーズしなさいよ!」
話の流れが分からないよ?真琴が大切な事=プロポーズに繋がるの?
駄々を捏ね出した真琴を宥めるのは不可能だと知っているので素直に諦める。
サプライズも何もない。
帰国後にするつもりだったプロポーズする事を真琴にバラす。
「今は何も準備出来ていないから我慢して。帰国したら改めてプロポーズするから待ってて下さい。無事帰ってくるから」
「い、いやぁ!!!」
歓喜の声を上げると思っていた真琴は正反対の反応を見せる。
「いやぁだぁ!私もついて行く!捨てないでぇ!」
「えっ?いや、真琴はパスポート持ってないよね。それに急に座席を確保できるわけもないし。予防注射とか色々準備が必要だからね」
連れていけないんだよ。本当なら一緒に行って観光とか楽しみたいんだけど。
涙と涎でぐちゃぐちゃになった顔で真琴が僕の足にしがみついて来る。
「絶対について行く。ダメだって言うんなら死んでやるーー!!」
死ぬ程、海外へ行きたいの?また今度じゃダメなのかな?
「もう帰って来ないんでしょ?」
片道0泊2日の弾丸工程、現地支社で会議して、工場視察して帰って来るのは一週間後だ。
「帰って来るさ」
「絶対に?」
「ああ」
お土産楽しみにして欲しい。
「じゃあ、今すぐ私をお嫁さんにしてよ。そうしたら寂しくても我慢して待ってるから」
「帰国後でいいじゃないか?」
「待てないわよ!今すぐお嫁さんにして!!それが無理なら連れてってぇえーー!!わーん!!」
もはや空港ロビーは僕たち二人の独壇場となっていた。僕たちを囲むように人垣が出来ており、握り拳を振り回して応援してくれてる外国人観光客の姿も見える。
「今すぐと言っても無理なものは無理だよ。僕だって結婚できるならしたいけど」
「じゃあぁあぁ、今すぐここにハンコ押してぇええーー!!」
ゴソゴソと真琴がポーチから婚姻届を取り出した。既に僕が署名捺印すれば届出出来るまで記載されている。
いつの間に!?
というか、そこまで真琴に執着されているとは思ってもみなかったんだけど?
「押したくないの?やっぱり私を捨てるんだ。捨てないでぇーー!!」
足にまとわりついた真琴の声が大きくなる。
何かがおかしい?真琴との会話が噛み合っていない。脳裏に浮かぶ一人の人物。慎太郎だ!奴が何か吹き込んだに違いない。
「真琴、冷静になって欲しいんだけど。慎太郎から何か聞いてる?」
「うぅん、あの、ね」
真琴は素直に頷くと鼻水を啜りながら話し出した。
「慎太郎が、疾風は、今度会社で、大抜擢されたって、それで、海外支社の、管理を、任されて、最低10年、長かったら、30年ほど、現地滞在、する事に、なったって、言って、た」
謎は全て解けた!一番の失敗は出張の期間をうっかり真琴に伝えなかった事だ。そこを慎太郎に上手く突かれてこの様になったと。
「疾風が、私を、好きなら、プロポーズ、して、一緒に付いて、きてくれって、言わ、れる、はずだって。もし言われ、ない、なら、諦めるか、押し掛けろ、って言われ、たの」
辺りを見回すと既に僕たち以上に観客のテンションが上がっている。
もう何も足掻く事は出来ない。僕は素直に婚姻届に署名捺印するのだった。
大好き真琴と一緒になれるのだ、何の不満があるだろうか?例えただの晒し者だとしても。
「真琴、二人で幸せな家庭を築こうね」
「はぁいぃいー!疾風、大好き、だょおう」
僕は飛びついて来る真琴を抱きしめた。そして二人は取り囲む観光客達からのカメラのフラッシュに包まれた。
こうしてまた一つ立派な黒歴史が誕生した。
***
「ねぇ、母さん」
リビングでくつろいでいると台所から娘、琴美の声が聞こえて来た。
「耳にタコが出来るくらい聞いてるけど、三度目の告白でお情けで付き合ってあげて、足に縋りついてプロポーズされたから結婚してあげたって言ってるけど本当なの?」
「嘘じゃないわよ」
ずいぶんと懐かしい話をしてるな。
「娘の私から見ても母さんが父さんにベタ惚れなのがよく分かるんだけど」
「そんな事はないわよ」
「今だって作ってるの唐揚げでしょ?」
「そうよ」
「父さんの大好物の」
「たまたまよ。そんなに気になるなら直接父さんに聞きなさい」
琴美がバタバタと足音を立ててリビングにやって来る。
「ねえ、父さん。どうして母さんに三度も告白して、足に縋りついてプロポーズしたの?もっと他に良さそうな人いたんじゃないの?」
足に縋りついて、って部分は逆だけどわざわざ訂正する必要もない。
「父さんが母さんの事を好きだからだよ」
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