第8話 筋肉、脱毛、メンズ化粧品
帰宅したら義父がみんなでざぶ~んに行きたいと言い出した。
ざぶ~んとは、沼津市の西部、原地区にある入浴施設だ。いわゆるスーパー銭湯というもので、複数種類の大きな風呂を備えた複合型娯楽施設である。露天風呂やサウナもあり、本物の温泉を引いているらしい。
つまり服を脱いで大勢の中で裸体をさらけ出す場所だ。
椿は悩んだ。
気をつかったみんなは椿に一人で家に残るという選択肢も用意してくれた。
みんな椿はひとに体を見られるのが嫌だということを知っている。
その気持ちがありがたくもあり申し訳なくもあって、気をつかわれたことにかえって気をつかってしまった。
ここで椿が残ると言っても禍根が残ることはないと思う。そのくらいならば信頼できるようになってきた。けれどその分話題は減るわけで、のけ者にされている、置いてけぼりにされているとは感じるだろう。向こうがどうというのではない、こちらがどう感じるかなのだ。
我ながら難儀な性格だ。
それに、ちょっとだけ興味があった。
椿は見られたくないが、池谷家の男たちは見られることに抵抗がなさそうだ。
ならば見せてもらいたい。
比較してまた落ち込むことになるのはわかっている。それでも、他の男性の肉体がどうなっているのかを生で見て確かめて客観的な自分のレベルを知りたい。
女性陣と分かれて、男性用の脱衣所に入る。
観察していることがバレないよう、何気ないふうを装ってちらりちらりと周りを見る。
広樹も大樹も稔も、周りを気にしている様子は一切ない。彼らは何にもためらうことなくTシャツを脱ぎ、ジーパンを下ろし、下着に手をかけた。そこまでいい脱ぎっぷりか。
椿はひるんだ。
恥ずかしくないのだろうか。
三人とも平気な顔をしている。
鍛えているからか。筋肉に自信があるからか。
稔の上半身も昨日の朝自宅の洗面所で見たし、大樹も広樹も裸族なので風呂上がりに居間で見たことがあったが、こうして改めて見るとまぶしかった。稔の引き締まった腹、大樹のごつごつした肩、広樹の脂がのった胸筋まで、彼らは男性であった。
貧相な自分の体を見下ろす。
洋服を着ていると女性に間違われるほど薄っぺらな胸と細い腕、なんだかとても悲しい。これでも体重を五十キロ前後まで増やしとうとう人生最大量の筋肉を身に着けたはずだが、この中で一番筋肉量の多い大樹と比べるとまだ三十キロ近く少ないようだ。これ以上はもう体質であって背伸びをするのは無理ではないか。
自分の下着に触れてまごついていると、他三人は一糸まとわぬ姿で堂々と浴室に入っていった。こういう時は腰にタオルを巻くのではなかったか。思わずまったく見ず知らずの他の客を見て確認してしまう。やはりタオルを巻いている人がいるので、間違ってはいないのだと確信して白いタオルを用意する。
考えてみれば椿はひとと旅行に行ったことがなかった。温泉に入る機会があればこういう時にもうまく対応できたかもしれないのに、と今になって思う。しかし椿の家族は椿が外泊するのを嫌がった。旅行であっても京都から出てほしくなかったのである。ここには何でもあるやろ、と言い放った母の怖い笑顔を思い出す。
例外は中学高校の修学旅行だったが、大勢で一緒に入ったのは中学の九州旅行で一回だけで、十五分のタイムトライアルで右往左往しているうちに時が過ぎたのをおぼえている。あとはホテルのシャワーだったので心配することはなかった。
あの中学の修学旅行も嫌だった。周りが気になってたまらなかった。周りも同級生たちを気にしていた。あの居心地の悪い空間は二度と思い出したくない。
それに引き換え池谷家の三人は周りを何にも見ていない。威風堂々、肩で風を切っているようにも見える。強い大人の男性の姿だった。
三人はまず普通の湯の入った風呂に桶を突っ込んで湯をすくった。体にかけて軽く汚れを落とす。そして、その風呂の中に三人横に並んで浸かる。
椿も慌てて追いかけて同じように湯をかぶってからいそいそと横に並んだ。
入り口から見て右から広樹、大樹、稔、そして椿の順になる。
まだ二十六歳の大樹が中高年男性のように「はあー」と大きく息を吐いた。両手で湯をすくって顔面にかける。
「サイコーだな、でかい風呂」
「だなあ」
「だねえ」
椿は無言で三人の様子の観察を続けた。
椿が言いにくいことを広樹は平気で指摘する。
「しかし稔、お前その股間どうした。つるつるじゃねぇか」
稔はいつもと変わらぬへらへらした顔で答えた。
「思い切って脱毛しちゃった。邪魔だし汚いし、あっても意味のないムダ毛だな、と思って」
「えー、恥ずかしくない?」
「もさもさのほうがオスって感じで恥ずかしいよ」
縦横無尽、あるがままの自然な体毛で生きる広樹大樹親子が、「おお……」と呟いた。椿もちょっと考え込んだ。オスで結構ではないか。椿は雄々しくなりたい。筋肉、体毛、すべて男性ホルモンのなせるものだ。椿には足りないものである。特別処理をしているわけではないのに椿は全体的に薄い。
「毛があると女の子が嫌がらない? 口でしたりする時」
「待って、おじさんそれ以上稔が汚れていることを知りたくない」
「考えたこともなかった。女の子に気をつかうと毛がなくなるのか? だから俺はふられるのか?」
そして恐れていた展開が来る。
「椿はどう思う?」
どう答えたものか悩んだ椿は口ごもった。この手の話題にはあまり触れたくなかった。どうしても自分のコンプレックスと向き合うはめになる。
「ノーアイディアだそうです」
大樹がそう言ってくれた。椿はほっとした。大樹はいつもこうして助け舟を出してくれる。
しかしどうしても仲間に入りたくて、ワンテンポ遅れてから口を開いた。
「僕は濃い人がうらやましいです。僕は自分に男性ホルモンが足りてへん気がして恥ずかしいです」
稔の「そう!?」という大きな声が反響した。大樹が勝ち誇った顔でガッツポーズをして二の腕にこぶを作った。
「三島駅の新幹線乗り場から普通電車に乗り換える時に通った通路にメンズ脱毛の広告がでかでかと貼り出されているこのご時世で、誰もがうらやむ綺麗な肌の椿くんが何を言うかと思えば」
「脂が足りてへんだけやわ、めっちゃ乾燥するし乳液手放せへんわ」
広樹が「ああ」と自分の両胸に手を当てる。
「いいよなーお前は、風呂上がりに背中にひまにミルク塗ってもらってるのおじさん見ちゃった。いいよなーそういうスキンシップ、サイコーだなー」
いつどこで見られていたのかとドキドキした。大樹が冷静に「お袋に塗ってもらえば?」と言う。
「おじさんまだ脂でぎとぎとだからな。いくつになったら乾燥するんだろ」
「げー、そんなんと一緒に風呂入るの嫌だわ」
「失礼な、今お湯で流してから浸かっただろうがよ」
「脂をコントロールするようなものを塗ればいいじゃないか、今帰りにウエルシア寄ってメンズ化粧品見ていく?」
「みのくんは今時の若者だからそういうこと簡単に言うだよなー、五十三歳のおじさんがメンズとはいえ化粧品とかさー」
「今時イケおじ目指すんじゃなかったのか? 自称沼津の福山雅治なんじゃなかったのかよ」
「福山雅治もメンズ化粧品使いこなせてるかな」
「そりゃそうだ、アンチエイジングしてるに決まってる。じゃなきゃ親父と同い年であんな若々しいわけがない」
「福山雅治と伯父さん、同い年なの?」
椿は福山雅治が何者なのかわからなかったがきっとイケおじ芸能人なのだろう。風呂から出たらスマホで検索することにする。
「僕もイケおじになりたいなあ」
稔が大きく息を吐いた。
「さっき里香子さんにどんなおっさんになりたいかと聞かれてちょっと考えてみたけど、かっこよくてさっぱりしたおっさんになりたいね」
広樹が「俺みたいな?」と言う。大樹が「親父はさっぱりしてねぇな、ワイルドでぎとぎと」と答える。言い得て妙だ。福山雅治もワイルドなタイプなのだろうか。
「将来の夢、と言われると大袈裟で抽象的だけど、二十年後三十年後どんなおっさんでありたいかと言われるともうちょっと具体的なイメージが湧くよ。ジーンズの似合う体型を維持していたい、とか。ひげ脱毛するかどうか、とか。最近のヨーロッパ人、ひげ率高いよなあ」
椿は思わず稔の顔を見た。
「最近のヨーロッパ人のひげ、どうなん? 極東に住む我々からするとワイルド系やないか?」
「東アジア人はね、毛の薄い人種だね。いや、伯父さんや大樹兄を見ていると人によるか」
「どういう意味だコノヤロー」
「ていうか」
苦笑する。
「やっぱり基準はヨーロッパ人なんやなあ」
椿がそう言うと、稔はちょっと笑った。
「オーダーメイドスーツの似合う英国紳士になれたらいいねえ」
広樹も笑った。
「金かかりそう」
大樹も笑った。
「それくらい稼ぐんだら?」
四人でくすくすと小さく笑い合った。
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