第6話 キラメッセぬまづ 1

 八月十四日日曜日、そのイベントはキラメッセぬまづで開催されるはこびとなった。


 キラメッセぬまづ――沼津駅北口から徒歩三分にある巨大コンベンションセンターである。駅周辺では最安値の有料駐車場とダイワネットホテルを備えた施設で、沼津市で屋内イベントと言ったらだいたいここで開催される。


 今日はこの一階大ホールに大勢の人が集まってきた。


 沼津にはラブライブサンシャインという地元を舞台にしたアニメがある。今回はその聖地巡礼で来ている若い男性を呼び込んでのアニメにかこつけた沼津の物産展、名付けて沼津地元愛祭りである。


 お盆休み中だというのによくぞここまで人を集められたものだ。


 アニメに出てくる架空の女子アイドルグループの歌が爆音で流れる中、椿と稔は通りすぎる客に試飲の冷茶を配る仕事をやらされていた。しかも、ライトグリーンの生地で胸の真ん中にでかでかと筆文字で香爽園と書かれたTシャツを着せられて、だ。


 ティーバッグを買ってくれた客と金銭のやり取りをしていた桂子が、にこやかな笑顔で客を見送ってから、溜息をついた。


「男三人に私一人じゃ花がないなあ。まあお父さんまで来てブースがぱんぱんになるよりはマシだけどさ」


 ブースの内側で急須にお湯を注いでいる大樹も、溜息をついた。


「しょうがねぇら、ひまがイベント主催者側の人間になっちまったんだもんよ」


 向日葵が勤めている会社は沼津市が何かとコラボをするたびに手を出すイベント企業でもあり、こういう行事の時はその企業側の仕事をしなければならないのだ。


 たかだかこんな仕事なんかのために、遠く引き裂かれた気分だ。


 だが、いいのかもしれない。こういうところで媚を売る向日葵など見たくなかった。

 若くて可愛い女性である向日葵が立っていたら男が群がるに決まっている。代わりに自分が立つことで少しでも抑止力になるならいいのだ――と思ったが自分より大樹のほうがよほど抑止力として強く自分では役に立たない気もする。


 可愛いパッケージのティーバッグが飛ぶように売れていく。

 世はおひとりさまの時代だ、茶筒が必要なグラム売りの茶葉は出にくい。しかしこの五個入り一袋のティーバッグなら使い切りだし、お土産として配るのにもちょうどよい。観光で来た人がちょっと買っていくのに向いている。

 こういう戦略は向日葵が考える。向日葵はマーケターでもある。


 パッケージを見る。煎茶は全部で四種類あり、春夏秋冬を意識している。

 椿は特に夏のパッケージが好きだった。大柄なひまわりの花が浮島地区のひまわり畑を連想する。シンプルだが華やかな現代アートだ。なんとも言えず愛らしい。

 これらのパッケージも向日葵の知り合いのデザイナーに発注したものだ。向日葵は顔が広いし、地元のクリエイターを大事にしている。

 実は香爽園のTシャツの筆文字も沼津西高校の書道部の子にバイト代を渡して書いてもらったものだ。沼津では今この書道ガールズを強く売り出しているのだとかで、何事も一芸だなと思った。


 ぶらぶらとブースを見て回っていた老人が近づいてきた。ひょろひょろと痩せた八十歳前後とおぼしき老人だが、足取りはしっかりしている。


「おっ、商売繁盛してんね」


 桂子が「久しぶりー」と手を振った。


「お知り合いですか」

小長井こながいのおじちゃん。愛鷹の同業者で農園主仲間よ。家がちょっと離れてるからなかなか会う機会ないんだけどね」


 椿は内心では焦りつつもにこりと微笑みを作って頭を下げた。


「おいでやす。飲まはりませんか」

「いつから宇治茶の店になっただ?」


 小長井老人はにやにやと意地悪そうな笑みを浮かべていた。


「今日はひまちゃんはいねぇのか。ひまちゃんを拝みたかったなあ、ひまちゃんは沼津茶界隈のお姫様だからよ」

「せめぇ界隈のお姫様だな。ていうか俺がいるだろ、俺が王子様じゃだめなのかよ」

「俺は若い女の子に接待されたいのよ、大樹みたいな図体のでかい悪ガキには興味ねぇんだよ」

「セクハラならキャバ行けや。うちの向日葵はコンパニオンじゃねぇ」


 椿は大樹に感心した。同時に嫉妬もした。やはり彼は向日葵の兄としてきちんと妹を守っている。


 小長井老人が勝手にブースの中に入ってくる。あたかも最初から自分用だったかのような顔をしてパイプ椅子に座る。


「いやー、にぎやかでいいら。最初はアニメなんざオタクの食い物になるって思って恥ずかしかったんだけどさ、なんだかんだ言って救われてるら。今の市長さんもよくやってくれてるし、最近の沼津は若いもん向けに変わってきてていい。本音を言えばうちっちの方面もなんとかしてほしいけどな、港や西浦ばっかでなくて」

「そこはうちのひまちゃんに任せてちょうだい、あの子のことだから何か考えてると思う」

「やっぱ若い子がいるっていいなあ。俺はもう先がないからな」


 ふと、遠くに目をやる。


「うちは俺の代で廃業だ」


 そんな目をしてもこの老人の悪印象が変わるわけでもないのだが、滅びゆく伝統工芸の街から来た椿はいろいろ考えてしまう。


「カンタさんがうらやましいわ。俺からしたら大樹やひまちゃんどころか広樹だって若い跡取りだわ」

「そっか……」

「死ぬ前に元気な沼津が見れそうでよかった」


 老人の目がこちらを向いた。


「この子たちはどこで調達しただ? ひまちゃんの友達か?」


 桂子が左手で近くにいた稔の肩を抱いた。


「この子は稔くん、正樹さんの息子で広樹さんの甥っ子」


 老人が「あー」とすっとんきょうな声を出す。


「正樹のか、言われてみれば似てる! お前さんお父さんそっくりだって言われねぇか?」


 稔が「あはは……」と元気のない愛想笑いをした。


「どうも、稔です。まあ……時々似てると言われます……」

「そうだら、気づかなくて悪ぃね。いやーなつかしい」


 老人の目がこちらを向いた。


「じゃ、この子も姪っ子ちゃん?」


 絶句した。

 こんな侮辱を受けたのは、沼津に来てから初めてのことだった。

 油断した。高校生くらいまではこんな無礼もよくあり笑って流していたものだが、この年になってまで言われるとは思ってもみなかった。

 どうしよう。ダイレクトに傷ついてしまった。


 言葉を失った椿の代わりに、桂子が口を開く。


「この子はひまの旦那! ひま去年結婚したの、聞いてない?」


 小長井老人は「旦那!?」と仰天した。


「男の子なのか、ごめんごめん。今時の子は男なのか女なのかわからんつるつるの美人が多いでな」

「もう、これだから年寄りは!」

「さみしいね、ひまちゃんも人妻か。いやーでも、美形の旦那捕まえてきてよかったね」


 気まずくなったのだろう、彼は立ち上がった。ブースの机の上にパン屋で買ってきたらしい菓子パンの山を置く。


「これあげるから許して。じゃあな、またな」


 老人が人混みに消えた。香爽園一同は無言で見送った。


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