第12話
それから三日後の朝、二の丸御殿から使いが来て修之輔は牢から出された。
「身なりを整え次第、すぐに二の丸御殿の表にくるように」
使いの小姓に告げられた通り、修之輔は手早く沐浴して着物を着替え、二の丸御殿に向かった。御殿に着くと通されたのは小さな座敷で、筆頭家老の加納の他に数名の家臣の姿があった。上座には弘紀が座っている。
弘紀は山水が色糸で刺繍された茜紫の羽織に、銀の散らしが施された灰縞の袴姿で、それは藩主の勤めにあるときの弘紀の公の姿だった。髪を乱れなく結い上げ、姿勢よく座るその姿は他の者とは明らかに一線を画した存在だった。
修之輔はその弘紀と目線を微か、二人だけにしか分からない程度に交わしてから、その場で頭を深く下げた。
「秋生、その方に仕事を命じる」
弘紀のその声には、いつも修之輔に向ける親しみはなかった。だがそれが本来の身分に相応しい口調だった。加納が不自然に身じろぎしたのは、加納が弘紀のその言葉を代弁するはずだったからだろう。
「詳しい説明は、加納がする」
弘紀に話しを促され、加納が修之輔に現在の状況を知らせてきた。
「現在、羽代軍の主力は竜景寺に設置した兵営にある。しかし、周辺諸藩からこの軍の移動について批判的な意見が相次いで届いた。幕府の耳に入れば要らぬ嫌疑を掛けられることにもなる。竜景寺に置いた兵の全てを暴動の鎮圧に向かわせることはできない状態にある」
その一方で暴動自体は現在、膠着状態だという。
「昨日一昨日で薩摩浪士の数が増えた。また、身分が明らかでない十数名が羽代各地あるいは他藩から集合し、併せて二十四、五人の浪人浪士が村を一つ占拠している」
様子を探ると、彼らは一見烏合の寄せ集めだが長州征討を始めとした実戦を経験した者が多く、争いに慣れている。
「歴戦錬磨の者達を相手に、人を斬ったこともなどほとんどない羽代の兵がどれほど戦えるのかは分からない。大砲や中筒などの飛び道具に頼っても、一人一人に止めを刺す前にせっかくの兵器を鹵獲されてしまっては形勢が不利になる」
加納にそこまで説明させると、弘紀は手に持った扇子で軽く足元の畳を叩いた。それは、後は自分で話す、という弘紀の意思表示だった。
「秋生には、馬廻り組の総力で一気呵成に暴動を鎮圧することを命じる」
頭を下げたままの修之輔の、おそらく首筋辺りに弘紀の視線が向けられている感覚があった。
「この任務を遂行し、十分な成果が得られれば、秋生の入牢の理由となった嫌疑をそれで相殺する」
それは修之輔のはたらきが弘紀の求める結果とならなかった場合、修之輔は再び牢に入れられる、とも解釈できる言葉だった。思わず修之輔が軽く上目に弘紀を見た視線は、弘紀の目に絡めとられた。
「秋生は今回の出兵、私の馬である松風を使うように」
そう云った弘紀の目は修之輔を信頼し、軽く笑んでいるようにも見えた。
藩主直々の命令を受け、修之輔は二の丸御殿を辞すと直ぐに
松風の額には鉄の馬鎧が充てられ、胸には革の鎧が掛けられている。それはまるで戦国の世の屏風絵から出てきたような、今では珍しい馬の軍装だった。加えて松風が脚を踏み下ろす度に鳴る金属音は、四肢の蹄に打たれた蹄鉄の音だった。
蹄鉄の音は松風だけでなく、馬廻り組の使う馬全てが同じ音を立てている。そして松風とは色違いなだけで同様の甲がそれぞれの馬に付けられていた。
「銃装備、確認!」
修之輔の合図で時谷が発した号令により、馬廻り組の者は皆、銃の外形を確認して撃鉄の機動を確かめた。彼ら馬廻り組が各自一丁ずつ持っているのは連発式のスペンサー騎兵銃だった。藩主である弘紀が好んで使用している銃と同じ型の洋銃である。
銃の点検に引き続き、馬廻り組の部下が胴乱を開けて火薬袋の中を確認している間に修之輔は陣笠を被った。
陣笠には縁に銀が施されている。この
空は薄曇り、波濤の音が雲に低く響いて聞こえる。
牢から出されたばかりの修之輔は、昼過ぎには馬廻り組の部下を率いて羽代城大手門から馬を駆けさせ、薩摩浪士によって扇動された暴動の鎮圧に向かった。
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