第7話

「やはり竜景寺に薩摩が潜んでいたか」


 先日の浅井宿の宿帳を調べ上げた時、既に弘紀はその可能性に気づいていた。そもそも竜景寺からして先年に不逞の浪士を雇い、藩主襲撃を企てた前科がある。羽代の役人が見廻る浅井宿よりも、役人の目が届かない寺院の奥に匿われた方が薩摩浪士と竜景寺の双方に都合がいいだろう。

 しかし武器まで持ち込んでいるとは。


 加ヶ里の云うように、早急に手を打つ必要があった。

 だが加ヶ里はあくまで密偵である。薩摩者の出入りや城に届け出のない武器を所有していることを明らかにしなければならない。軍を動かせば気づかれて証拠は隠されてしまうだろう。外田達のような少人数の小隊では、下手すれば返り討ちにあう。

 そうなると。


「弘紀様、もう少しご報告することがございます。件の寅丸様のことでございます」

 加ヶ里の声に弘紀の注意が引き戻された。その弘紀の様子を確認して、加ヶ里は寅丸についての報告を始めた。

「寅丸様はこのところ、二日と開けずに竜景寺にいらしていて、時には泊まり込んで何やら薩摩の御方々と話し込んでいるようでございます」

「寅丸が薩摩の者達の目論見に加担している様子はあるのか」

「それがどうやら違うようでございます」

「違う、とは」


 ちょっとは奇妙なことではございますが、と前置きして、加ヶ里は自分の見たことを話し始めた。


 寅丸は足しげく竜景寺に通ってはいるが大抵一人なのだという。たまに剣道場の門下生を同行させるがこれも一人で、どうやら寅丸はほとんど単独で行動しているようだ。

 そして竜景寺にやってきて、潜んでいる薩摩浪士の剣術鍛錬の相手をしているという。寅丸の家は元々竜景寺を守る地侍だった。竜景寺から頼みがあれば断りにくいし、それが言い訳にもなっているのだろう。

 けれど薩摩者と寅丸の間にあるのは友好的な関係ではない、と加ヶ里は云う。毎回とまではいかなくても、頻繁に言い争いが起きているようだ。


「言い争いとはどんな内容なのか」

 加ヶ里のことだ、しっかり聞き耳は立てているのだろうと弘紀が訊く。

「寅丸様は薩摩の方々を諫めておられるのです」

「寅丸が、か」

「はい。自分の土地でもあるこの羽代で、わざわざ内乱など起こしてほしくはない、と」

 それは弘紀にとって意外なことだった。寅丸は薩摩浪士と同調とまではいかなくても、敢えてその活動を傍観しているのではと考えていたのだ。


 これまで羽代で頻発していた暴動は、手に負えないものではなく、確実に鎮圧できる規模のものだった。農民が持っていた武器もほとんど農具で、農具でなければ農具を改造した稚拙な武器だった。洋銃どころか火縄銃を撃ったという報告もない。


 それはもしかしたら寅丸が薩摩浪士の扇動を抑えていたからなのかもしれない。


「加ヶ里、お前が寅丸に直接、接することはあるのか」

「はい」

 加ヶ里は躊躇わずに肯定した。


 寅丸は以前から加ヶ里を知っている。会えば言葉を交わす知己の仲というだけでなく、加ヶ里の任務もおそらく知っている。互いが互いを牽制しあって、そして情報を交換し合っているというのがこの二人の関係であることを弘紀は知っていた。


 それは罰するべきことではない。加ヶ里と寅丸が常に連絡が取れる状態であることは、有益なことだった。加ヶ里と寅丸に繋ぎがあるなら、弘紀から寅丸へ秘密裏に指示をする手段として利用できる。


 加ヶ里から聞いた最近の寅丸の様子から、寅丸に何らかの指示を出せるのではないかと弘紀は考えた。


 では、何を指示するか。


 考え始める前に、今度は弘紀の方から加ヶ里に尋ねることがあった。

「加ヶ里、調査に必要な費用は足りているのか」

 加ヶ里は艶のある紅い唇でにっこりとほほ笑んだ。

「あら、弘紀様、私、今浅井宿でお世話になっているんです」

 加ヶ里の話によると、飯盛り女を置かない浅井宿では芸者や仲居が無理に宿泊客に相手を強いられることがあるという。

「かといっていかにも用心棒なお侍さんなんて御座敷にはおけませんから、時間が空く度、私が御姐さんたちのお座敷に付いて行ってるんですよう」

 そして加ヶ里が酔客の狼藉から女たちを守っているのだという。

「お酒もお食事もいいものを頂いて、柔らかな布団を使わせてもらってます。お小遣いも十分に」

 竜景寺の近くに女人が滞在できるようなところはない。加ヶ里に心得はあるとはいえ、ずっと野宿というわけにもいかないだろう。宿に身を寄せ雨風をしのげる寝床どころか給料まで、弘紀から貰った調査費用と併せれば加ヶ里の実入りは思っているより多いのだろう。

 それ以上は聞く必要も心配もなく、弘紀は話題を変えた。


「ならば浅井宿の内側で何か変わったことはないか」

 外田達の見廻りとは異なる世間を加ヶ里は見ている。その様子を聞きたかったのだが、

「あら、私に可愛い相手ができました」

 加ヶ里はそんなことを言い出した。

「ちょっと前に西から流れてきたって娘なんですが、ぼうっとするところがあって、細かいことには向いていないんです。それで私が面倒見てやってるんですよ」

 異性にはどこか厳しい加ヶ里だが、同じ女性には時として深い情けを見せることがある。

「その娘、器量が良いから良いところに縁付けばって、女将さんが相手探しに張り切っているんです。色が白くって、細くって、まるで私とは正反対、白狐のようでございます。名前は小菊と、これだけは自分で名乗っております」


 任務以外のことについて、これだけ楽し気に話す加ヶ里は久しぶりで、弘紀は少々驚いた。その弘紀に気づいた加ヶ里は自分がしゃべり過ぎたことに気づいたのだろう、袖で口を抑えて頭を下げた。

「失礼いたしました」

「気にしなくていい。加ヶ里には長い間任務に就いてもらっている。親しく交わる相手がいれば日頃の気晴らしになるだろう」

 弘紀の労りの言葉に加ヶ里は改めて頭を下げ、ではまたご報告に、とだけ残して部屋から下がった。


 加ヶ里がいなくなった後の私室で弘紀は一人、畳の一点を見つめて考え始めた。


 先日の出雲の御師は、伊勢が薩摩に近づいていると言っていた。

 今、全国では直訴や一揆などの民衆の暴動が頻発している。暴動が起きる下地は、それこそ数十年前から蓄積していた。必要なのは火種だけだった。

 その火種を的確に、しかも時期を見計らって付けて廻っているのが薩摩で、現に下総や上野、下野では薩摩浪士自身が争議を起こしている。そこに伊勢の荷担が加わろうが加わるまいが、関わる薩摩浪士すべてに指示を与えている者がいるはずだ。


 さらにその指示は幕府や朝廷の動きと見事に同調している。


 これは凄まじく考え抜かれた薩摩の大規模な戦略であることを、弘紀は認めざるを得なかった。


 各地で騒乱が起きれば、その土地の領主は鎮圧に兵を割かれる。一方で幕府から課せられる役目は藩の内情はほとんど考慮されず、人員や兵士、金銭が吸い取られていく。疲弊が蓄積している各地の藩では土地の統治にほころびが出始めていた。


 薩摩に扇動されてはいけないのだが、農民を巻き込んだその力が強すぎて無視できない。暴動に手を取られて注意が散漫になるその隙に、薩摩の陰謀は武力を伴って着実に、しかも全国規模で進行している。


 薩摩の内部に、鬼才ともいうべき強大な軍師がいることは明らかだった。


 誰だ。

 身分の低い下士の扱いにも、農民を扇動する術にも長けている。思考の仕方が藩の統治に関わる上級の武士ではない。だがここまで大規模な戦略を実行しているのなら、島津公がその者を知らない筈はない。なのにその名が世に聞こえてこないということは、もしかしたら彼の軍師と島津の家中に不協があるのではないか。


 そこに、薩摩の瑕疵があると思えた。

 その瑕疵こそ薩摩に付け入る唯一の隙だろう。


 情報を知りたい。

 弘紀は強くそう思った。


 薩摩の地で、絶対的君主である島津公との対立を厭わずにこの戦略を立てた者の正体を。後手後手に回っている羽代が、薩摩相手に上手を取るための手掛かりを、得たい。


 薩摩の内実を知る者から情報を得る方法は。


「危なかったら知らせはするけれど、自分の身は自分で守ってね」

 艶はあっても剣を隠さない声音で加ヶ里は相手にそう告げた。

 風に秋の気配が混じる九月初め、修之輔は弘紀の命を受け、加ヶ里の手引きによって寅丸と竜景寺で会うことになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る