第6話
明日から九月になるというその日の朝、羽代の下士が羽代城前に広がる砂浜に集められた。皆、着物を脱いで下帯一枚つけるのみの裸姿で、頭には鉢巻を絞めている。鉢巻は紅白の二色で、その人数はきっちり半々に分かれていた。
浜にあるのは下士だけではない。良く育った大玉の
「皆々すべて揃い、西瓜の準備も整いました」
作業を終えた者が小走りで首尾を伝えた先は、浜に生える松の下、設えられた陣幕の中にいる家老の西川だった。西川は流石に下帯一枚ではないが、
陣幕の中には西川の他、羽代藩主である弘紀を中心に、筆頭家老である加納ら藩政に関わる者達が揃っていた。皆、西川と似たような出で立ちで、弘紀だけが陣羽織を纏っている。
西川から準備万端の報告を受けた弘紀は床几から立ち上がり、浜に並んで平伏する下士達の前に進み出た。
「これより家中を紅白に分けた
弘紀の声は海風に流れることなく波打ち際まで伝わっていく。
では、と西川が頭を下げてから弘紀の横に立ち、
「各自、位置につけ!」
と号令を発した。
紅白の鉢巻を絞めた下帯一枚の下士達の中には山崎や外田、小林の姿も見える。彼らは皆、わっせわっせと砂を蹴り、二手に分かれて砂浜の上に陣取り始めた。
「山崎は白か」
「そういう紅組はいつもの顔ぶれ、外田十人組だな」
腹の肉に下帯が埋もれる山崎は、手加減はせぬぞ、と真面目に外田に宣戦した。
そんなやり取りの間にも、先ほどまで浜に積まれていた西瓜は小舟に乗せられ海の上に運ばれていく。そして舟が十間ほどまで漕ぎだしたところで紅白の札が付いた西瓜は波間に一つずつ放り投げられていった。
浜からは下帯一枚の外田や小林が腕を擦り、足を揺すりながらその西瓜の様子をじっと見ている。
「紅組は紅札のついた西瓜を紅旗の舟に、白組は白札のついた西瓜を白旗の舟に運び入れろ。先に十二個を自軍の舟に運び入れた方が勝ちだ。もちろん、相手の妨害を認める」
西川が決まりを確認する間に、全ての西瓜が海面に浮かんだ。それを確かめた西川は小舟に乗り込んで海上に進み、紅と白の旗指物をそれぞれ掲げた舟がそれに続いた。
「用意!」
海上から西川の声が聞こえ、皆が走り出す構えを取った。
「始め!」
パァンと高らかに空砲が打たれ、紅白両方の下士達が一斉に海の中へと走り込んだ。
水しぶきを上げ、やがて泳ぎ始める彼らの姿を弘紀は望遠鏡を片手に眺めていた。
「どっちが勝つでしょうか」
目線は動かさないまま発せられた独り言のような弘紀のその問いかけは、背後で護衛の任に就く修之輔に向けられたものだった。いつものように気軽な受け答えはできず、修之輔は返事の代わりに黙礼で応えた。
海の上ではいよいよ西瓜に手が届いた者達の争奪戦が始まろうとしている。浜の近くの波打ち際では互いに西瓜に近寄らせまいと取っ組み合いをする者達もちらほらいて、見物している家臣の中も次第に声援が熱を帯びていく。
「浜に出て応援しても良い」
弘紀のその一言で早速浜に出ていく者はもちろん、陣幕の中で行方を見守る者もこの催しの見物に心を昂らせているようだ。
「いつ起きるか分からない戦の準備もそうですが、暴動の鎮圧も向かってみれば相手は血縁があるかもしれない羽代の領民ということばかりです。そんな状況は兵の意欲を次第に削いでしまいます。名ばかりとはいえ、合戦の名目で充分に本気の競争させることが彼らの鬱憤を晴らすために必要だと思ったのです」
弘紀がそう云いながら少しだけ、修之輔に見上げる視線を寄こしてきた。床几に腰を下ろす弘紀に修之輔は支度されていた冷茶の汲み出しを手渡した。
「褒美は何を」
修之輔が周囲を慮って小声で弘紀にそう聞くと、弘紀があれです、と陣幕の隅を指さした。そこには樽酒が三つ積まれていた。
「羽代の今の財政では、番方が暴動の鎮圧のために出動しても一人ずつ個別に報償を出すことができないのです。けれど評価されないまま働き続けるのは誰でも困難です。なので大きく二つの組にまとめて褒賞してしまおうというのが本音でもあるのです」
海上では派手な水しぶきがそこかしこで上がっている。海に面した羽代に生まれて泳げない者は一人もいない。自分の西瓜を抱え込み、相手の西瓜を放り投げ、あちらこちらで西瓜合戦が繰り広げられていた。
良く見ると、次第に小舟に揚げられた西瓜の数に差が出初めているようだった。
「白が多いでしょうか。やはり山崎の練兵は質を上げているようですね」
弘紀は望遠鏡を目から離し、他の者達の注意が海に向かっているのを好い事に、修之輔に直に話しかけてきた。それでも目線を外そうとする修之輔を弘紀は眺めて首を傾げた。
「……貴方も西瓜合戦に参加したかったのですか?」
西瓜合戦は、弘紀の見立て通りに白組が勝った。紅組は途中で西瓜を雑に扱い過ぎて札が落ちてしまい、自軍の舟に運び込んでも一体どっちの西瓜なのか分からなくなってしまったのが敗因だったという。
弘紀による表彰も褒美も白組が得たのだが、その後の宴会で山崎が褒美の樽酒を紅組にも振る舞ったので、結局、皆が存分に暴れて十分に酒を飲んだことになった。
名誉を得られた山崎も、気の合う友人たちと一緒に戦うことができた外田も、皆が充足してその一日を過ごせたことは明らかだった。城に近い外田の屋敷は、西瓜合戦のその後も、夜遅くまで多くの下士達で賑わったようだった。
翌日、まだどこか先日の西瓜合戦の余韻が残る羽代城で、弘紀は竜景寺を見張らせていた加ヶ里からの報告を聞いていた。
「いくつか大事なことがございます」
玄人の雰囲気の漂う京紫の着物姿の加ヶ里が珍しく緊張している。
「薩摩に関することがあればそれから報告を」
弘紀の指示に加ヶ里は心得たように頷いた。
「竜景寺内には常に三名の薩摩浪士が滞在しております。それだけでなく洋銃を始め武器も境内に運び込まれております。弘紀様、早めの措置が必要です」
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