時谷と坂口に正体がばれるかとヒヤヒヤしました( ゚Д゚)おおぅ 蹄鉄登場でびっくりしました、戦の準備ですか。実際に本格的に蹄鉄が広まるのはいつぐらいなのでしょう?この時代だと、まだ小さな日本馬しかいないですし…… 競馬が始まる頃くらいなのでしょうか…… う~む知りたい病が出てしまったw葛西先生のお話がまた私の興味をそそるw
ご返信有難う御座います( ゚Д゚)
なんと!ペリーの後にもう既に入ってきていたのですね!知りませんでした。確かに馬は日本人にとってズッ友ですものねwなる程、鍛冶の技術力も相重なって広まったんですね。勉強になります(*´ω`*)いやーわくわくしてしまいます。葛西先生の素晴らしい御作に出会えたこと感謝致します。初めて大きい馬を見た当時の日本人のリアクションが気になりますww
作者からの返信
さっそくのコメントありがとうございます!
蹄鉄は、ペリー来航後すぐに国内に入ってきています。
下岡蓮杖という人が下田の外国人の馬を観察し、蹄鉄のコピー商品を作って流行らせたという話、井伊直弼がアメリカ大使ハリスの馬を借りて夕方返すまでにはその馬の蹄鉄のコピーを作っていた話などがあるので、きっと皆、興味深々で西洋の馬を見ていたのだと思います。
それほど馬が日本人にとって身近な生き物であったということもあるのでしょう。埴輪の昔からのズッ友です🐎
日本には、鎧兜や日本刀、洋銃のコピーとか作れる高度な鍛冶の技術があったので、日本馬サイズへのカスタマイズはもちろん、鉄の延べ板から作り出すのもさほど難しいことではなかったと思われます。
馬はいい迷惑だったかもしれません(^_^;)
蹄鉄が本格的に広まるのは明治政府が陸軍を組織して、軍馬の標準装備にしてからだと思われます。
読んでいただいてありがとうございました!
幕末というと新選組周辺しか触れてこなかったので、ここまで大変興味深く拝読させていただきました。
どこの藩主も心穏やかでないですよね。
弘紀は波笠に飲まれてしまうのかと思いましたが、修之輔と2人で話す時には常の状態に戻っているようで安心しました。
「そうですね」と答えた瞬間に灯りが暗くなる気がするというのは、不穏なもののようにも思えますが。
大きな戦闘を既に見据えているところは、さすがと思います。
実際にこれからいくつもの戦闘が起こっていくところに、どう絡み対処していくのか、とても気になります。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
朝羽さまがおっしゃるように、幕末と言えば新撰組、という風潮は根強くて、じゃあもっと他にたくさんいたはずの大名は何をしていたのか?という資料を集めるのがなかなか大変でした。
そしてやはり朝羽さまには気づかれてしまった舞台装置の"灯り"ですが、伏線としておいてみました。あまり上手くないですね。他のいくつかの伏線とともにクライマックスまで引っ張ります。
また、朝羽さまの作品を読ませていただいておりますが、今週末にレビューの方を書ければと思っております。「ファルファーラの翼の物語」の魅力を伝えられる文章になるかどうか、少々お時間いただいての時間差で申し訳ありません。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!