第6話

 製鉄の村の次は、茶の木の栽培を率先している須貝の庄が巡検の目的地だった。

 ここで山崎は三日後に予定されている番方の軍事訓練の指揮を執るために、羽代城に戻ることになっていた。いなくなる山崎の代わりに羽代領地各地を転々と移動している外田とその部下がやってくるはずだったが、約束の刻限になっても待ち合わせの場である郡代の館にやってこない。


「あいつは役目が上がったというのにこういうところが昔のままだ」

 館の庭で外田を待つ山崎は恰幅の良い己の腹を、ぱん、と一つ叩いた。苛立っているというよりも呆れている。

「ここから須貝まではそれほど遠くはない。我ら馬廻り組だけで大丈夫だ」

 修之輔が残雪の馬具を緩めながらそう云うと、

「それはできない。馬廻り組を単独で行動させるな、と言われていてな」

 山崎はこともなげにそう告げた。聞きようによっては馬廻り組を監視しているのではないかというその内容に、修之輔は軽く目を細めた。

「ああ、秋生、違う違う」

 修之輔の警戒の気配に気づいた山崎が手を横に振る。

「筆頭家老の加納様にな、馬廻り組は弘紀様の代わりのようなものだから、絶対に番方が回りを固めて置けと強く命じられているんだ」

 山崎のその言葉に修之輔は視線を軽く後方に巡らせた。背後にいる部下は違い鷹羽に下り藤が組まれた紋の旗を掲げている。羽代城馬廻り組を表すその紋は、藩主代行としての威光を持つものである。修之輔は目を伏せて軽く山崎に一礼した。


 馬廻り組が背負っている責任は修之輔一人の判断でどうにかなる物ではない。昇進が早すぎて自分の身分に実感が追い付いていないのは、外田だけでなく修之輔も自覚するところだった。山崎はそんな修之輔の心情を読み取る機微に長けている。


「秋生の剣の腕を信頼していないわけではない。何か事があっても十分に馬廻り組は対応できるだけの力がある。だがその事が起きてはいけないのだ。頭数にしろ、武器の数にしろ、数を揃えることで不届き者が退くのなら、それに越したことはない。これは我らの使命だ。秋生はもっと気を大きく構えていろ」

 そう山崎は言いながら修之輔の肩を軽く叩いた。この辺りは以前から変わらない山崎の親しみだった。

「申し上げます」

 そこに館の者がやってきた。

「ただ今、須貝の庄から木村様が参りました。なんでも外田様から自分の代わりに秋生様を迎えに行けと頼まれたそうでございます」

「あいつはどこまでいい加減なんだ」

 流石に山崎は怒って、今度は両手で腹を叩いた。


「山崎殿、久しぶりだなあ」

「木村は変わりないか」

 館の庭に姿を現した木村は、おそらく自分の館から連れてきた小者を数名、従えていた。羽代城の番方である山崎の配下とは違い彼らは簡単な具足もつけていない。しかし一人一丁、頑丈な小銃を装備していた。外見は和製だが筒に施錠を施し、威力を上げている改造銃である。

 羽代城から領地内各地に貸し出されている銃で、名目は害獣の駆逐だがもちろん実戦にも十分転用できる武器である。

 木村は物々しい装備とは場違いに、相変わらず人の良い笑みで修之輔にも話しかけてきた。

「秋生も久しぶりだなあ。なんだ、また男前が上がったんじゃないか」

「前に木村から送ってもらった茶はとても良いものだった。須貝での茶の栽培も上手くいっているようで何よりだ」

 まあな、と木村が笑みを深くする。

「今回はそれを見に来るんだろう。昨日の夜遅くに、外田さんが今いる場所を離れられないっていう伝令があったから儂がきたぞ、さあ行こう」

 今にも出発しそうな木村の言い様に山崎が口を挟む。

「外田はなんだってこっちに来られなかったんだ」

 珍しく厳しい山崎の口調に、木村が申し訳なさそうに頭を掻く。

「なんでも浅井の宿で一悶着あって、それが長引いていると」

「ああ、浅井か」

 山崎が肩の力を抜く。


 浅井の宿場付近でこのところ小競り合いが頻発しているのは、城に出入りする者なら誰でも知っていることだった。

 本来なら宿場には姿を現さない付近の農民が数名徒党を組んで宿場の商家に押し掛ける他、その宿場の中でも宿泊客同士が刀を抜いて斬り合いを始めることもある。

 そんな小競り合いの場を収めるために頼られるのが剣術に長けた者達で構成されている外田たちの部隊である。

 徒士兵をまとめて軍隊として使う山崎や、少数精鋭の修之輔たち馬廻り組とは異なり、剣術を制圧に用いる外田たちは武士を相手にすることを目的にした組織でもあった。替えが効くものではない。


「浅井には秋生もこの後、向かうのだろう。それまでに抑え込んでいてもらいたいものだ」

「外田さんたちですからね、大丈夫でしょう」

 深刻さの違う山崎と木村の会話がひと段落ついてから、修之輔たちは郡代の館を出た。羽代城へ向かう山崎たちを二叉路で見送り、修之輔と木村はそれぞれの配下を引き連れて領地の中ほどにある須貝の庄へと向かった。


「秋生、たたらの村はどうだった」

 馬の背に揺られながら木村が聞いてきた。

「それほど変わりはなかった。ただ勝手に山に入るものがいる、という話があったが」

「楠か」

 木村が何でもないことのようにその原因を当ててきた。それには理由がある。

 木村は、羽代藩が栽培を推奨している茶の木の品種の改良や接ぎ木の方法などに通じている。その能力を見込まれて、樟脳の増産の検討を藩から命じられていた。

「楠は茶とは違って栽培というわけにはいかない。現時点では山に自生しているものを切り出すしか方法がないから、いずれそういういうことになるとは予想していた」

「木村ほどの知識があっても、楠を手なづけることは難しいか」

「そもそも木が成長する速さが違い過ぎる」

「というと」

 修之輔が話の先を促すと、木村は周囲に見えてきた茶の畑を目線で示した。

「茶の木は五年から八年程度で茶葉が取れるようになる。しかも葉を取っても同じ木がまた翌年葉を伸ばす。しっかり育ててやれば二十年、三十年と育て続けることができる」

 付近の茶畑にはぽつぽつと農民の姿があった。冬のこの季節、葉を摘んでいるのではなく花を摘んでいるのだという。

「花は葉から養分を奪ってしまうから、咲いた端から摘んでいかないと良い茶ができない」

 茶葉が取れる時期だけでなく、その他の季節にも小まめに世話が欠かせないというが、その世話こそが何年も同じ茶の木を栽培し続けられる理由になっているという。

「だが樟脳は茶のようなわけにはいかない。樟脳を取るためには、楠を根元から切り倒さねばならんからな。樟脳が取れるような大きさに育つにはそれこそ二十年、三十年と育て続ける必要がある。そして、一度切り倒したらもうそこまでだ」

 葉を摘めばいい茶と、幹から樟脳を抽出する楠とでは、同じ木本であっても利用する方法がまるで違うという事実が、羽代での樟脳の計画的な生産を難しくしているのだと木村は言った。


 須貝の庄に入ると景色は一変した。山肌の斜面一面に茶の木が植えられ、寒風の下でも真緑の葉を茂らせている。微かな香りはこの地域の茶の木が持つ独特な香気である。緩やかな坂を上っていくと木村の屋敷が見えてきた。

 元々木村の家はこの地の規模の大きな農家であったので家屋は立派な造りだ。広い敷地には茶を加工するための道具と、道具を改良している最中とみられる木組みがあった。

 そして少し離れたところにもくもくと煙を出している小屋があった。

「あれが樟脳を取りだしているところだ」

 木村に案内されて小屋に入ると、鋭い匂いが鼻だけでなく目にも突き刺さるように感じた。

「無理するな、秋生。慣れないうちは誰でもそうだ」

 揮発性のある香りは薄れれば香料ともなるが、蒸気で蒸して濃縮しているこの場で、その刺激は強すぎた。

「しばらくその着物には虫がつかないぞ」

 木村が笑いながら言う。


 屋敷の座敷で、修之輔は木村から茶の栽培の現状と、樟脳を継続的に生産することの問題点を改めて聞いた。茶の栽培に問題はない。やはり山に生える楠を材料とした樟脳の生産が、山間地に接する地域では共通した課題となっているようだった

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