「2019年 榊 謙一郎 49歳」act-2 <青いリボンの少女>

細かい経緯は曖昧だ。とにかくあの日、家で飼っていた大好きな小太郎という猫が、首に青いリボンを巻いて帰って来た。確か小学校に通い始めた頃だ。

「あら、可愛い」と母親が抱き上げ「かっこいいじゃないか」と父親は笑っていた。が、健一郎は違った。見知らぬ誰かが巻いたリボン‥その気配に支配されている小太郎が嫌でたまらなかった。


リボンを巻いた人物が判明したのは、数日後だった。

学校からの帰り道、遊歩道。健一郎はチロチロと歩く小太郎を見かけ、駆け寄ろうとした。しかし、その視線の先で小太郎はひょいと垣根を飛び越え姿を消す。中を覗くと小さなアパートがあり、その入り口からエプロンをした女性が現れた。


「ゆみちゃん」


女性が視線を上に向けると二階の窓が開き、健一郎と同じくらいの年の女の子が顔を出した。少女は、はじけるような笑顔で「すぐ行く」と叫ぶと転がるようにアパートの入り口にやって来た。

健一郎は、危うく声をあげそうになった。三つ編みにされた彼女の髪に、青いリボンが結ばれていたからだ。

少女は小太郎を抱き上げ頬ずりをしている。同じ色のリボンが、目の前で仲良く弾んでいた。


その日の夜、健一郎はリボンを小太郎の首から外し、ゴミ箱に投げ捨てた。

チクリと感じた胸の痛みを、当時は幼すぎて理解できなかった‥


次にその少女を見かけたのは、ひと月ほど経った頃だ。

健一郎は小太郎を胸に抱いた父親と、遊歩道を散歩していた。ふと気づくと視線の先にあの垣根があり、その脇の路地に一台のトラックが停まっている。

荷台には段ボール箱が山積みにされ、その隙間から赤い三輪車が見えていた。

「引越しかな」と父親が呟いた時、垣根の陰から小さな女の子が飛び出してきた。三つ編みの髪、そして青いリボン‥


健一郎は思わず足を止めた。父親の腕に抱かれた小太郎に気付き少女がにっこり微笑む。健一郎は父親から小太郎を引き離し自分の胸にギュッと抱きしめ歩き始めた。「どうした?」という父親の声に答えない。まっすぐ前を向いて歩く。少女の気配がだんだん大きくなり、その目の前を通り過ぎた瞬間、小太郎が「ニャア」とひと声鳴いた。


遊歩道が車道に繋がる分岐点。そこまで歩いて振り返ると、少女はまだ健一郎達を見つめている。


三つ編みに結ばれた青いリボンが、ぽつんと小さく風に揺れていた。

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