「2017年 辰巳真司 48歳」act-9 <密かな想い>
雅子の母親からの電話は、その日の夜八時頃だった。
受話器から聞こえる低い声は、雅子の不在を告げると緊迫したものになった。
辰巳は電話を切ると、居間で焼酎を飲んでいる父親に「雅子がいないって、高橋のおばちゃんが」と告げると表に飛び出した。昼前に、茹でたあずきの鍋を持ってやって来た雅子は、そのまま家に帰っていなかった。
外に出るとちょうど前方から雅子の兄、秀夫が走って来た。
「真司、雅子知らん?」
辰巳が通う中学を昨年卒業し実家の畜産を手伝う秀夫は、雅子同様辰巳の幼い頃からの遊び相手だ。
「今電話でおばちゃんにも言ったけど、昼に見たきりで‥」
転げるように玄関から出てきた辰巳の父親が、「それっきりだぁ」と続けた。
「雅子がおったら家に電話頼むわ。じっちゃんがいるから」
秀夫はそう言い裏山の方に走って行った。
「父さんは酔ってるから家にいなよ」
辰巳は足元の怪しい父を玄関に押し込め、下駄箱の上に置かれた懐中電灯を手にした。
雅子を見つけたのは、それから小一時間ほどした時だ。辰巳の自宅裏にある馬小屋‥と言っても馬がいるわけではない。幼稚園の頃までは、確か二郎という名の馬がいたことをぼんやりと覚えているが、小学校に通う時分には、むしろ秀夫や雅子と遊ぶ秘密基地のような場所であった。
その小屋の隅にうずくまる彼女を見つけた辰巳は、「何だ、こんな近くにいたん?」と、安堵よりも拍子抜けした言葉をかけた。月明かりに照らされた雅子は、辰巳の顔を見て物乞いをするような目で言った
「あの子のこと好きなん?」
思いがけない言葉に辰巳は「そんなんじゃないよ」と、いつぞやの教室と同じような口調で否定し、「偶然会った父さんがウチに来いって誘ったんだ」と付け加えた。
「本当に?」
辰巳は、消え入りそうな彼女の言葉に頷きながら、「私、大きくなったら真ちゃんのお嫁さんになってあげる」と言って笑う、無邪気な少女の顔を思い出していた。
雅子を自宅に送り届けると、駆けつけた駐在に彼女の両親が平謝りしている脇で、辰巳の父親は「良かったなぁ、みんなで一杯飲むか」と、集まった近隣の住民達に呑気な声をかけた。やんわりとした断りの言葉と共に引き上げていく集団の反対側から、「俺が付き合うぞ」と雅子のじっちゃんの声がした。
その翌日から二日間、雅子は学校を欠席しそしてそのまま夏休みになった。
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