「2017年 辰巳真司 48歳」act-7 <最悪な出会い>

その日以来、暗黙の了解のように浅間神社が待ち合わせ場所となった。そこから吊り橋を渡るまでの数百メートルが二人の時間だ。時折知った顔と擦れ違うこともあるが、徐々にそれも気にならなくなっていた。

ただ辰巳にはたったひとり、どうしても会いたくない人物がいた。


その人物と出会ってしまったのは、夏休みが近付いた七月半ばの週末のことだ。

梅雨は明けたようで、強い西日が並んで帰る二人の影をくっきりと後方に伸ばしている。いつの間にか日も長くなったようだ。

吊り橋にさしかかる少し手前、その人物は二人の前方からユラユラと陽炎のように現れた。そして辰巳の姿を見つけ、素っ頓狂な声をかけてきた。

「よー真司、今帰りか?」

辰巳は観念したかのように「父さんだよ」と平井由美に告げた。

「あの、平井です。先月転校して来ました」

あわてて取り繕う彼女に対し、辰巳の父はやけにつばの広い麦わら帽子を取りながら言った。

「平井さん‥転校して来たの。いやぁ、ウチは向こうなんだけど、増田さんとこにトマト届けてやろうと思ってね」

「そんな、何の説明もなく増田さんとか言ってもわからないよ」

「そうだなぁ。あっ、平井さん」

辰巳の父親は抱えていたずた袋から、トマトをふたつ取り出して平井由美に手渡した。

「さっき畑から捥いで来たんだ」

そう言うと、恐縮しながら受け取る彼女に「美味いぞ」と付け加えた。

「ごめん」

小さく囁いた辰巳に対し、彼女は大げさなほど首を振り「すごく嬉しい」と誇らしげに両手のトマトを掲げた。

泥の付いたトマトで、彼女の白い指先が汚れている。


会ってほしくなかった‥悲しいくらい田舎の匂いのする自分の父親を、都会から来た少女に知られたくなかった。

「じゃあ、増田さんとこ行って来るから」

父親は辰巳にそう告げると、去り際に信じられない言葉を彼女に言った。

「平井さん、明後日の日曜日ウチに遊びにいらっしゃい。吊り橋渡ってまっすぐ行くとポストがあるから、そこを右に曲がってすぐだ。昼前くらいに来てくれたらいいぞ」

もはや、謝罪の言葉も思い付かなかった。

異端を敬遠することが田舎のひとつの在り方だとしたら、一方で異端という概念すら持ち合わせない稚拙な無垢さがある。辰巳の父親は、後者の権化のような人物であった。唯一の救いは、その権化の背を、平井由美が笑顔で見送ってくれたことぐらいか。

「遊びに行っちゃおうかな」

悪戯っぽく笑う彼女の手の中で、トマトが夕日に染まっていた。

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