「2017年 辰巳真司 48歳」act-6 <待ち合わせ>
翌日。夜半過ぎから降り始めた雨は、時間を追うごとに少しづつ勢いを増し、薄暗い教室には朝から蛍光灯が点けられていた。
一限目の始まりを告げるチャイムが鳴り、若い国語の女教師が教室に入って来た。日直の号令で立ち上がり、礼をした辰巳が着席した時だった。隣の席から伸びた手が、素早く小さな紙切れを机の上に置いた。二つ折りの紙片を開くと、短い言葉が書かれている。
—待ってるー
身体中の血液が逆流した。思わず隣の席を見ると、平井由美は何食わぬ顔で教科書の項をペラペラとめくっている。自然を繕う彼女の表情が、今の行為の秘めやかさを伝えていた。辰巳は、慌てて紙片をズボンのポケットにねじり込んだ。
放課後。辰巳は入学してから一度しか入ったことのない図書室にいた。いかにも、という感じの眼鏡をかけた女子生徒が一人、分厚い本を読んでいる。
辰巳は少し離れた席で、平井由美が書いた文字を見つめていた。“待ってる”という言葉の意味することはわかる。しかし、その言葉の持つ現実が理解できない。もしかしたら彼女は自分のことを‥否、どう考えても、彼女が自分に特別な感情を持つわけがない。平井由美はグレーのブレザー服を着て東京から来たのだ。音楽という共通項はあるものの、自分とは全てがあまりに違いすぎる。
辰巳は、紙片を二つ折りにして生徒手帳の間に挟み、それを胸ポケットに入れると図書室を出た。
少し小降りになった雨のお墓通り。下校する生徒の姿はまばらだった。帰宅部と呼ばれるクラブ活動をしない生徒達が、一斉に下校した後であり、部活をする者はまだ校内にいる。この時間なら、あまり目立つことはないだろう。図書室で時間をつぶした理由はそこにあった。
裏山墓地を過ぎ、浅間神社が見えてきた時だ。その鳥居の下に佇む、小さな赤い傘が見えた。辰巳は思わず足を止める。赤い傘がゆっくりと翻り、不安そうな顔が一瞬のぞき、辰巳に気がつくと笑顔になった。言葉の意味など、どうでも良い。明らかな現実として、そこに平井由美がいた。
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