僕はもう、とっくにキミが好きだけど

だんご

第1話

 僕、上甲じょうこうゆう


 なぞかけでもなんでもなく、言葉通りの意味だ。

 僕は彼女のことが好きだけど、彼女は僕のことが好きじゃない。それでも僕と彼女は付き合っている、というだけのこと。

 それを健全ではないという人もいるかもしれない。だけど、お互いへの想いが均衡しているカップルなんて果たしてこの世にどれだけいるだろうか。

 たとえ想い合っている恋人同士だとしても、互いに向ける熱量が釣り合っていることの方が稀なんじゃないだろうか。


 僕の場合はそれがちょっと極端だっただけ。


 だから、世にいる数多のカップルと同じように、少しでも想いの天秤を釣り合わせようと僕は今日も頑張るのだ。



 朝、駅に着いた僕は待ち合わせている相手を探す――どうやら目的の人は先に着いていたらしい。

 少し眠たげな様子でスマートフォンを見つめているその子に僕は声をかけた。


「おはよう、陽菜」

「あ!優、おはよー」


 こちらに気がつくと、嬉しそうに挨拶を返してくる女の子。

 日下くさか陽菜ひな――名前から受ける印象通りに温かな笑顔を浮かべた彼女は同じ学校に通う同級生であり、数か月前から僕の恋人だ。


 駅で合流した僕と陽菜は、いつも通り連れだって学校へ向かう。

 何気ない会話を交わしながら陽菜と一緒に歩くこの時間が、僕は結構好きだった。


「最近急に冷え込むようになったけど、今日は一段と寒いね」

「ほんとにねー、私冷え性だからこの時期は辛い……」

「ホッカイロあるけどいる?」

「ありがと。でも、私的にはカイロよりこっちの方がいいかなっ!」

「ちょ!?」


 そういって僕の手を握ってくる陽菜。

 今まで手を繋いだことがなかったというわけではないけれど、通学路で手を繋いだことなんてほとんどない。

 周囲にちらほらと自分と同じ制服を着た学生の姿がみえることもあって、この状況はだいぶ恥ずかしいものがあった。


「えへへ、優の手はあったかいねえ」


 そんな僕の内心を知ってか知らずか、陽菜はご満悦だ。


「……これだと片手しか温かくならないんじゃない?」

「ふふん、心もあったかくなるからトータルだとこれが一番あったかいんだよ」


 気恥ずかしさのあまり口をついて出た照れ隠しも陽菜の謎理論に一蹴され、僕と陽菜は仲良く手を繋ぎながら登校することになった。



 そんなこんなで学校に着くまであとほんの少しとなった頃。

 同じ学校に通う生徒たちの視線がどんどん増えていくことなどものともせず、陽菜は依然として僕の手を握り続けていた。


 ……まぁ、うん。僕だって好きな女の子と手が繋げるのは嬉しいし。

 繋いでいる手から伝わる温もりは、陽菜の言う通り心まで温かくしてくれる気がする。

 これはこれで悪くないんじゃなかろうか、なんて羞恥心から意識を逸らすように考えた時、隣を歩く陽菜が一瞬固まったような気がした。

 心なしか繋いでいる手も強張っており、一体どうしたのかと隣を見る。


 そこには先ほどまでのにこやかな様子とは一転、どこか痛みに耐えるような表情を浮かべた陽菜がいて。

 その視線は、前方の曲がり角からついさっき現れたらしい一組の男女カップルに向けられていた。


(ああ、なるほど)

 

 納得すると同時に、温かいと感じていた心と体が冷めていくのを感じる。

 陽菜が切なげな視線で見ていた男女、もっと言うとその男の方。

 彼の名前は月城つきしろさとし

 陽菜が昔好きだった――いや、きっと今でも好きな人だ。


 同性の僕の目から見ても魅力的なイケメンに内心恨み言を零しつつ、僕はどうして陽菜と付き合うことになったのかを思い出していた。




「私、日下陽菜っていいます!上甲じょうこう君……でいいのかな?これからよろしくね!」

「よ、よろしく……」


 正直なことを言うと、第一印象は『あ、苦手なタイプ……』。


 学年が上がり、新しくなったクラスでたまたま隣同士の席になっただけ。

 劇的さなんて何もないそれが、僕と陽菜の出会いだった。


 色素の薄い髪に、整った顔立ち。人好きのしそうな笑顔に、初対面と言って差し支えない相手に躊躇なく話しかけられる社交性。

 いかにも陽といったオーラを振りまくその女の子は、地味で内向的な僕にはあまりにも眩しくて。


(ま、どうせ日下さんも社交辞令で言ってるだけだろうし)


 よろしく、なんて口では言っておきながら、内心ではそんな性格の悪いことを考えていた。


 しかし、僕のひねくれた予想はあっさりと裏切られることになる。

 

「やば!優、数学の宿題やってくるの忘れた!見せて!」

「はぁ、しょうがないなあ陽菜は……」

「うぅ……面目ない……」

「あ、英語の宿題忘れたから見せてください」

「どの口で私にしょうがないとか言ってたのかな!?」


 隣同士になって1か月も経った頃。

 担任があまり席替えをしない方針らしく、未だに隣の席同士だった僕と陽菜はすっかり仲良くなっていた。


 ……いやだってさ。いくら僕がひねくれものな陰キャでもさ。

 来る日も来る日も、「ねえねえ上甲君」なんて言って楽しそうに話しかけてくる女の子がいたら、そりゃあ邪険になんてできないし絆されもするというものだ。

 しかも、いざ話してみると案外話しやすいし。

 意外にも趣味や嗜好が似通っていることが判明した隣人の女の子は、人見知りな僕の希少な"友人"カテゴリーにあっさりと収まってしまった。

 陽菜の方は僕と違ってたくさん友達がいたけれど、隣の席ということもあってか僕と一緒に過ごしている時間が一番長かったように思う。


 とはいえ、この時点で僕が陽菜に抱いているのは間違いなく友情だったし、そこに恋情という不純物は混ざっていなかった。そしてそれは陽菜も同じだったに違いない。



 その証拠に、出会ってから僕と陽菜が出会って3か月くらい経ったころ。僕たちはそれぞれ別の人に恋をした。

 

 陽菜が好きになったのは月城つきしろさとしという名前の、少女漫画の王子様ヒーローみたいな男の子。

 容姿、性格共にイケメンでスポーツ万能、我が校の中でもぶっちぎりの倍率を誇るであろう月城君のことを好きになった陽菜を、僕は無謀だと笑えなかった。


 だって、僕の恋路は陽菜よりさらに険しいものだったから。

 乙倉おとくら美姫みき――成績優秀で心根も優しく、美姫という名前に全く負けていない容姿を持つ女の子。

 月城君に勝るとも劣らない人気を誇る高嶺の花を、僕は好きになってしまった。

 

 美少女で明るい性格の陽菜と違い、わりと本気で取り柄のない僕の恋が成就する確率は非常に低い。マボ〇シじまがみえる確率よりも低い。

 

 それでも、可能性がゼロでないなら挑戦したくなるのが恋というものらしい。

 

 文化祭の準備で一緒の班になりちょっと優しくされたから、というお手軽かつ全く同じ理由で恋に落ちたらしい僕と陽菜。

 お互いのチョロさをひとしきり笑い合った後、どちらともなく口を開いた。


「「ね、僕(私)達協力しない?」」

 

 この日から、僕と陽菜の関係は友人兼お互いの恋を実らせるための協力者になった。



「乙倉さん攻略のために、優にはこの画像みたいなかっこいい感じを目指してもらおうと思います」

「……あのね、陽菜。こういうのはかっこいい人がするからかっこよくなるのであって、僕みたいなのがしたところで――」

「ハイ駄目ー!もうね、恰好以前にそのメンタリティが既にダサいよ!……ってどうしたのそんな苦しそうに」

「じょ、女子からのダサいがこうも威力があるものとは思わず……」

「あー……ごめんね?でも、私に言われてそんなダメージ入るなら乙倉さんにもし言われたら優やばいんじゃないの」

「乙倉さんはそんなこと言わない……」

「いや、ダサいってストレートに言ったりはしないかもだけど……苦笑いしながら『こ、個性的ですね……』とか言われたらどーすんの」

「…………死ぬかもしれない」

「そっかー死ぬかー。じゃ、死なないためにも今度の休み服とか髪とか弄りにいくよー」

「あ、ありがたい……!陽菜、あなたが神か!」

「ふふん、崇め奉っていいよ!乙倉さんと付き合った時の予行練習だと思ってちゃんとエスコートしてね?私も月城君とのデートの練習だと思うから」

「僕が助けてもらうのにエスコートとは……まあ、うん。月城君には遠く及ばないだろうけど、できる限り頑張るよ」



 陽菜曰く、減点方式ならまあまあだけど加点方式ならダメダメらしい僕の見た目を少しでもマシにするためおしゃれを学んだり――



「えー、陽菜さんや。これは一体何かな?」

「……?どうみても乙女の健気さに満ち満ちた手造り弁当だよね?」

「これが!?炭よりも炭って感じのこれが!?」

「ほら、男の子って茶色系のおかずが好きなんでしょ?じゃあ黒だったらもっと嬉しいってことに……」

「ならないよ!?彩度が下がるほどいいとかそういうシステムじゃないからね!?」

「もぅ、冗談だよ。ま、私だってこれが失敗ってことはわかってるし。次はもっと上手く……」

「いや、そもそも論いきなり手作り弁当は少し……だいぶ重くない?」

「え゛……。男の子をオトすにはまず胃袋からじゃなかったの!?」

「間違ってはないのかもだけど、手料理振舞うのはもう少し先の段階じゃないかなぁ」

「そんなぁ……」

「まあでもそのいつかのために料理を練習しておくのは悪くないと思うよ」

「そ、そうだよね!そのときは優が味見してくれる?」

「……陽菜とは友達になれたと思ってたのに、まさか殺したいほど憎まれていたなんて……」

「友達に対する言い草じゃないよねえ!?」


 恋愛的な方面に関しては想像を絶するポンコツだった陽菜と有効そうなアプローチを一緒に考えたり――


 一対一で遊びに行くには勇気好感度その他諸々足りていないということで、僕と陽菜、乙倉さんと月城君の四人で遊びに行ったりもした。


 あーでもないこーでもないと陽菜と言い合いながら意中の人に振り向いてもらうための試行錯誤を重ねる日々はとても楽しくて、ずっと続けていたいくらいだった。

 でも、そういうわけにもいかない。ずっと続けていたいと思うほど楽しい日々だとしても、それは手段であって目的ではない。

 だから、僕と陽菜が協力関係になってからしばらくが経ったある日。

 作戦会議と称して何度も立ち寄ったファストフード店で、僕は陽菜に切り出した。


「そろそろ、乙倉さんに告白しようと思うんだ」


 それなりの緊張と覚悟をもって告げたその言葉を聞いた陽菜は、一瞬ポカンとした後――


「ふふっ、あははっ!」


 ――おかしそうに笑い始めた。


「笑うとこ!?笑われるレベルで無理ってこと!?」


 心外だと憤る僕。だが、それは早とちりだったらしい。

 陽菜は笑いながら、僕の勘違いを訂正した。


「違う違う。そうじゃなくてさ。私も同じこと考えてたから。だから笑っちゃったの」

 

 同じことを考えていた。それが意味するのはつまり――


「陽菜も、月城君に告白しようと思ってるってこと?」

「うん、そうだよ。二人とも同じタイミングで同じこと考えてたんだ―と思うと、なんかおかしくて」


 同じ時期同じ理由で恋に落ちた僕と陽菜だったけど、どうやら告白を決意するタイミングも同じだったらしい。

 そう考えると確かに少し面白くて、僕も思わず笑ってしまった。


「ははっ、そっか。陽菜も僕と同じだったんだね。……でもよかったぁ。お前には到底無理だよって笑いだったらどうしようかと」

「もう、私がそんなことするわけないじゃん。それに、優だったら全然無理じゃないと思うよ。すっごくかっこよくなったもん」


 微笑みながらそんなことを言う陽菜。

 今までこんなにストレートに褒められたことはなかったので驚いた。

 急にどうしたのかと考えてみれば、思い当たるのは告白を決意したことだけで。

 僕のことを勇気づけるためなんだろうと推測できてしまったら、普段照れくさくて口にできないことを言わないわけにもいかなかった。


「それを言うなら、さ。陽菜は……元から可愛かったけど、もっと可愛くなったと思うよ。だから、その、陽菜ならどんな男でも好きになる、と思う」


 陽菜と比べるとだいぶ不格好な応援になってしまったけど、ちゃんとその意図は伝わったらしい。

 陽菜は嬉しそうに笑ってくれた。


 そんな照れくさいやり取りの後、告白の方法について散々話し合って。


「もし明日優が振られたら私が慰めてあげるね。あー、でも月城君と付き合ってる私が慰めたら嫌味になっちゃうかな」

「何を言ってるのかなあ陽菜。陽菜こそ振られたら僕のとこにおいでよ、乙倉さんの恋人になった僕がどうすればよかったかアドバイスしてあげるからさ」


 別れ際、そんな軽口を叩き合ったけれど、僕は陽菜の告白が成功することを心から願っていたし、陽菜もきっと同じように願ってくれていたと思う。

 

 だから陽菜も、僕も、きっと大丈夫。

 

 そう思いながら迎えた翌日、僕たちが目にしたのはまるで恋人のように手を繋ぎながら登校してくる乙倉さんと月城君の姿だった。



 僕と陽菜が告白することを決意した翌日――美男美女カップル誕生の話題で持ち切りだった日。

 僕と陽菜は昨日と同じようにファストフード店を訪れていた。

 目的は乙倉さんと月城君にどう振り向いてもらうための作戦会議……ではなく、お互いの傷を舐め合うためだった。

 

 告白もせずに失恋することになった辛さに、一人じゃ到底耐えられそうになかったのだ。


「っ……私、本当に月城君のこと好きだったんだよ。今だってこうして泣いちゃうくらい好きなんだよ……。でもね……月城君と乙倉さんが付き合い始めたって知ったとき、お似合いだな、そりゃあ私じゃ勝てないなって思っちゃった……。それがなんか、すごく悔しくてさぁ……!」

「わかるよ……僕だって乙倉さんのこと、本気で好きだった……!でも、月城君と付き合い始めたって聞いてどこか納得してる自分もいて……。失恋したこともショックだけど、自分の気持ちがその程度だったって突き付けられてるような気がして、辛い」


 涙を流しながら、鼻をすすりながら、胸の内をあらかた吐き出していく。

 それでもまだ、つけられたばかりの傷は耐えられそうにないくらい痛んでいて。

 気づけば僕は、こんなことを口にしていた。

 

「ねえ、陽菜。僕たち、付き合ってみない?」


 控えめに言って、この時の僕は最低最悪なクズ野郎だったと思う。

 本気で好きだった、なんて言っていながら失恋したその日に別の女の子に告白したのだから。

 自棄になっていなかったとはとても言えない。でも、誰でもよかったわけじゃない。

 今まで一緒に頑張ってきて、同じ痛みを抱えることになった陽菜だからこそ、僕はこんな提案を持ち掛けたのだ。相手が陽菜じゃなかったら、こんなことは絶対に言わなかった。

 もちろん、そんなことは何の免罪符にもなりやしないけど。

 

 僕が異性として陽菜のことを好きなわけじゃなかったのは、誰よりも陽菜が理解していたと思う。

 それでも、それなのに。

 

「そう、だね。いいよ。付き合おっか、私たち」


 彼女は僕の告白に応えてくれた。


 この時の陽菜が何を想っていたかはわからない。

 僕と同じようなことを考えていたのかもしれないし、あまりに情けない僕の様子を見て憐れんでくれたのかもしれないし、はたまたもっと別の理由があったのかもしれない。


 それは定かではないけれど、この日から僕と陽菜の関係が、友人でも協力者でもなく、恋人になったのは確かだった。


 それから、一度変わってしまった関係をリセットする勇気をもてないまま。

 傷心を癒すため、なんて言いながら二人であちこち遊びに行って。

 彼氏彼女という大義名分があるからか、お互いにシンパシーをおぼえるようになったからか、友人同士だった時よりも少し距離が近くなって。


 気づけば僕は陽菜のことを本当に好きになって、今に至るというわけだ。



 乙倉さんへ抱いていた恋心や未練はすっかり掻き消えて、残ったのは陽菜を愛しく思う気持ちだけ。

 今の僕は自棄になったからでも、傷を舐め合うためでもなく、陽菜のことが好きだから付き合っているのだと迷いなく言えるし、願わくば陽菜とこの先もずっと一緒にいたいと思っている。


 でも、それはあくまで僕だけの話だ。

 薄情で簡単な僕と違って、陽菜はまだ前の恋を忘れていないのだろう。

 前を歩く月城君と乙倉さんふたりを浮かない顔で見つめているのがその証明だ。


 いまだに陽菜に想われている月城君のことが羨ましくてしかたがなかった。

 その想いを僕に向けてほしいと陽菜に言いたかった。

 でもこんな状況になってしまった理由を思えば、僕が何かを言えるはずもなく。


 いつか、陽菜にも僕のことを好きになってもらおう。

 多少歪な形とはいえ、僕と陽菜は付き合っているのだ。だったら今後、好きになってもらえる機会はいくらでもあるはず。

 いつものようにそんなことを考えて、僕は胸の痛みを誤魔化した。



 しかし数日後、僕の考えはあまりに悠長だったことを思い知ることになる。

 どうやら、乙倉さんと月城君が別れたらしい。

 我が校きっての美男美女カップルの破局にざわつく教室で一人、僕はこれからどうするべきかをずっと考えていた。




「陽菜、ちょっと話したいことがあってさ。放課後、時間もらえないかな?」


 僕がそう声をかけると、陽菜の表情があからさまに硬くなった。

 改まったような誘い方に何かを察したのか、僕の声音や雰囲気がそうさせてしまうようなものだったのか。

 少なくとも楽しい話にならないことは伝わったに違いない。

 陽菜は「うん。わかった」とだけ言って、諦めたように微笑んだ。



 放課後、いつかと比べて最近はめっきり訪れていなかったファストフード店にて、僕と陽菜は向き合うように座っていた。

 普段と違い、僕たちの間にはどんよりと重い沈黙が落ちている。

 僕はどう話を切り出したものかと迷っていたし、陽菜は月城君と乙倉さんが別れたことを知ってからずっと元気がない。……やっぱり、月城君がフリーになったにも関わらず僕と付き合っている状態に思うところがあるのだろうか。

 

 これ以上黙っていると沈黙と自分の思考に押しつぶされて身動きが取れなくなってしまいそうだ。

 そう思った僕は、結論さえ違えなければいいと心のままに話すことにした。

 

「今更……というか、今だからこそ言うんだけどさ。僕、陽菜に告白した時、陽菜のこと好きじゃなかったんだよ。いや、好きじゃなかったって言うのは語弊があるかな。友達としては好きだったけど、異性として好きだったわけじゃないんだ」

「……うん」


 冷静に考えるまでもなく僕は酷いことを言っているのだけど、陽菜は特に動揺した様子もなく小さく頷いた。


「やっぱり、陽菜は気づいてるよね。それで、陽菜が僕の告白を受け入れてくれたのも多分、僕のことが異性として好きだったから……ってわけじゃないんじゃないかな?」

「……うん、そうだね」


 その答えに僕も驚きはしなかった。むしろ、ここで否定された方が驚いていたと思う。


「本当に今更だけど、好きでもないのに告白するなんてすごく失礼だったよね。あの時は、ごめん」

「……それをいうなら、告白を受け入れた私だって悪いよ。ごめんね、優」


 互いに謝り合う。

 付き合い始めてすぐにこれができていれば、間違いをそのままにしていなければ、僕たちの関係はもっと違ったものになっていたかもしれない。

 そんな考えが脳裏をかすめ――すぐさま振り払った。

 今の僕がするべきことは決して手に入らないもしもに想いを馳せることじゃなく、目の前の現実を最善のものにするための努力だ。


「陽菜の厚意に甘えて、告白のことはいったん横に置かせてもらうね。わりとその場の勢いで付き合い始めた僕たちだったけどさ。結構、相性よかったと思うんだよ。元々気が合う友達同士だったからってのもあると思うけど、陽菜の恋人として過ごす時間はすごく楽しかった」

「私も、だよ」


 陽菜は悲しそうに、僕の言葉を肯定した。


「陽菜にもそう思ってもらえてたなんて嬉しいな。でもさ、恋人として案外うまくやっていけて、なんだかんだ一緒に居る時間が増えるとさ。どうしてもわかっちゃうというか、気づいちゃうこともあるんだよ。陽菜の本当の気持ちとか、僕と陽菜が見つめる先が実は違うこととか」

「……」

「気づかない振りをしていようかとも思った。というか、そのつもりだった。でも、月城君と乙倉さんが別れちゃった以上、このままっていうのはよくないというか、不誠実だと思ってさ。これを言ったら、陽菜は困るだろうし、もしかしたら辛い思いをするかもしれない。でも、聞いてほしいんだ。僕と――」


 一度そこで言葉を切って、深く息を吸い込む。

 今まで話してきたのはあくまで前振り。

 今から伝えることこそが今回陽菜を呼び出した理由の全てであり、僕が考え抜いた末に出した結論。

 口にするのはかなりの勇気が必要だけど、口にしない方が絶対後悔する"お願い"だ。


 目の前の陽菜は寂しそうに微笑んでいる。

 どうしてそんな表情を浮かべているのか、僕にはわからないし推察する余裕もない。

 でも、それでいいと思った。

 陽菜が何を思っていたとしても、僕が言うべきことは変わらないから。

 僕が陽菜に伝えたいこと。それは――


「――僕と、これからも一緒にいてくれませんか?」 

「………………ふぇ?」


 僕の言葉を聞いた陽菜は、虚を突かれたように間の抜けた声を漏らした。

 ずっとたたえていた負の色が表情から抜け落ちて、困惑一色になっている。

 これは……もしかすると、僕の言いたいことが伝わっていなかったのかもしれない。

 そう考えた僕は、より直接的な表現で改めて告げた。


「これからも僕の、恋人でいてほしい。陽菜と、別れたくないんだ」

「なん、で……」


 なんで。

 そんなの決まっている。


「陽菜のことが好きだから」

「え……?」


 驚いたように目を見開く陽菜。

 無理はないのかもしれない。僕たちはお互いを好き合って付き合い始めたわけじゃないのだから。

 そんな相手から好きだと言われても信じられないのも当然だろう。

 でも、始まりこそ歪だったかもしれないが、今の僕は本気で僕は陽菜のことが好きだし、これからも陽菜のことが好きだと思う。

 だから、それをわかってほしくて、信じてほしくて、なおも僕は言葉を重ねた。


「陽菜のことが好きだ。陽菜が月城君のことを好きなのは知ってる。月城君が乙倉さんと別れた以上、今が陽菜の恋が成就するチャンスだってこともわかってる。けど、それならって潔く身を引くことなんてできない。他に好きな人がいても諦められないくらい、陽菜のことが本気で好きなんだ。必ず月城君にも負けないくらいかっこいい男になってみせるから。陽菜に一番だって思ってもらえるよう頑張るから。だからお願い。もう少しだけ僕にチャンスをくれませんか……?」


 自分勝手なことを言っている自覚はある。

 僕が言っていることは、陽菜に自分の好きな人を諦めてほしいと言っていることと同義。

 優しい陽菜のことだから、こんなことを言われれば困ってしまうにきまっている。

 だけどそんな陽菜の優しさに付け込んででも、僕は陽菜と別れたくないと思ったんだ。

 陽菜を幸せにするのは、他の誰でもなく自分がいいと願ったんだ。


 とはいえ、これはどこまでいっても所詮は"お願い"。

 陽菜に一言"嫌だ"と告げられてしまえば、僕にはもうどうすることもできない。

 だからこそ、僕は断頭台に立つ罪人のような気持ちで陽菜の言葉をじっと待っていたのだけど――陽菜の口から飛び出したのは、僕が全く予想もしていないものだった。


「優は、今でも乙倉さんのことが好きなんじゃなかったの……?」


 一瞬、何を言われたかわからず。

 頭の中で陽菜の言葉を反芻して、ようやく理解して。


「はぁっ!?」


 僕は素っ頓狂な声を上げた。

 あまりに大きな声だったからか、目の前の陽菜も周りのお客さんも驚いた様子でこちらを見ている。

 でも、今はそれを気にしていられる状態じゃなかった。


「なんで!?なんでそう思ったの!?いや、そりゃあ確かに乙倉さんのことは好きだったよ。でもそれはあくまで"だった"。今この瞬間、僕が好きなのは間違いなく陽菜だし、陽菜だけだよ」


 慌ててそう説明すると、陽菜は斜め下に視線を落としながら言った。


「だって……優、乙倉さんと月城君が一緒に居ることろ見るたびに、辛そうな顔で乙倉さんのこと見てたじゃん」


 拗ねるような、責めるような雰囲気でそんなことを言う陽菜。

 いや、確かに辛そうな顔はしてたかもしれないけど。でも、それは乙倉さんを見ていたんじゃなくて――


「あれは、月城君を見てたんだよ。陽菜が切なそうに月城君のことを見てたから、陽菜はまだ月城君のことが好きなんだろうと思って、それで――」


 僕の釈明は、陽菜の叫ぶような声に遮られた。 


「あれは、月城君じゃなくて乙倉さんを見てたの!優が乙倉さんのこと諦めてないんだろうなって思うと、胸が痛くてやるせなくて、なんで私のことを好きになってくれないんだろうって、思って……」


 だんだんとしりすぼみになっていく陽菜の言葉。

 それはきっと、自分自身の言葉に傷ついて耐えられなくなったから――ではなく、この状況に疑問をおぼえたからだろう。

 その証拠に陽菜はあれ?って顔をしているし、多分僕も同じような顔をしていると思う。

 

 えーと、これはもしかすると、もしかするか?

 僕の推測が当たっていれば、今までのやり取りは物凄い茶番であり、僕はとても恥ずかしい奴ということになってしまうんだけど……。

 とはいえ、確かめないわけにもいかない。恐る恐る、僕は陽菜に尋ねた。


「えーと、陽菜。つかぬことを聞くんだけどさ……」

「……うん」

「陽菜が"今"好きなのは、誰?」


 この問いの答えを聞くのが怖くて、目を逸らし続けてきた。

 そうしているうちに目を逸らせない状況になってしまったから、こうして陽菜と話をすることにした。

 今でも、怖いという感情がなくなったわけじゃない。でも、今は怖いというだけじゃなく期待もしてしまっていて――

 

「そんなの、優に決まってる」


 はたして、陽菜は僕の期待に応えてくれた。


 好きな人に好きだと言ってもらえることが、こんなに嬉しいことだとは思わなかった。

 喜びと安心感が胸いっぱいに広がっていく。

 

 そして同時に、言葉にできないほどの羞恥にも襲われていた。だってこの状況って――


「僕が一人でから回ってただけってことじゃん……」


 ああああああああ!恥ずかしい!恥ずかしい!!恥ずかしい!!!

 陽菜に言ったことはどれも嘘ではないけれど、なりふり構っていられないと思っていたから言えたことも多いわけで。

 自分の考えが誤解だったと知った後に振り返ってみると、とてもじゃないが耐えられるものではなかった。


「いや、から回ってたのは私も同じだから……先走ったのが優だっただけで」


 羞恥に悶える僕に、陽菜がフォローに見せかけた追撃をいれてくる。

 ついさっきまで儚げな雰囲気を散々出していたくせに、なんて彼女だ。


「僕が先走ったおかげで誤解が解けたんじゃん!大体、陽菜が一言僕に好きだって言ってくれてればこんなことにもならなかったのに!」

「はぁー!?それを言ったら優だって私に好きだって言ってくれたことなかったでしょ!」

「付き合うことになった経緯を考えたらバツが悪かったんだよ!それに、陽菜は月城君のこと好きだと思ってたから言えるわけないだろ!?言っても辛いだけだと思ったし、陽菜のこと困らせたくなかったんだよ!」

「私もそうだよ!優が乙倉さんのこと好きだと思ってたんだから好きなんて言えないに決まってるじゃん!なにさ、さっきは『どうしてもわかっちゃうというか、気づいちゃうこともあるんだよ』とか神妙な顔で言ってたくせに!なーんもわかってないし、気づいてないじゃん!私が好きなのは優だよ!バーカバーカ!」

「そこに触れたら戦争だよ!」


 しんみりした空気から一転、騒がしくてバカみたいな言い争いをする僕と陽菜。

 それすら楽しくて仕方がないのは、きっとお互いの想いが通じ合ったからだろう。

 

 散々じゃれ合った後、僕は陽菜に改めて告げた。


「あー……好きだよ、陽菜。これからもずっと隣にいてほしい」

「えへへ、私も優が大好きだよ。ずっと一緒にいようね!」


 片想いだと思っていた恋は、実は両想いだと知った。

 それでもやっぱり、僕の方がずっと陽菜のことを好きだと思う。

 今この瞬間、僕はまた陽菜のことが好きになったから。


 嬉しそうにはにかむ陽菜を見て、そんなことを考えた。 

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