第6話

 ホタルと風間先輩が付き合い始めて二か月ほどが経った。

 

 ホタルに恋人ができたと知ったあの日。

 家に帰りついたころにはようやく体が感情に追いついて、干からびてしまうんじゃないかと思うくらい涙が出てきたし、なんなら次の日は学校を休んだりもした。

 しかし時の流れというのは優秀で、今では普通に学校生活を送れる程度には立ち直っている。

 それでもいまだにホタルの顔を見ると胸が痛むし、どうしようもなく泣きたくなる瞬間があるのは、僕はまだホタルのことを完全に振り切れてはいないからだろう。

 今日もついホタルを視線で追ってしまい、ふと気づいた。


「ホタル、今日具合悪い?」

「……え?ユキ、急にどうしたの?」


 ホタルと風間先輩が付き合い初めて以降、僕とホタルが話す頻度は少し減ったと思う。

 僕はホタルと話すと辛い気持ちになることも多かったし、向こうも彼氏ができて僕ばかりに構っているわけにもいかなくなったのだろう。

 とはいえ、元気がなさそうな様子を見て知らん顔をするほど僕とホタルの関係は冷めきっていない。

 叶わぬ恋だと分かっていても、僕はまだホタルのことが好きなのだ。

 好きな女の子が辛そうにしていたら何があったか気になるに決まっている。


「なんか辛そうというか、元気がなさそうに見えたから」

「あはは……そうかな。私はいつも通りのつもりなんだけど」


 そんなはずがない。 

 直接言うことこそないものの、僕がどれだけホタルのことを見てきたと思っているんだ。

 普段と様子が違うことくらいわからないはずがない。


「僕の勘違いならそれはそれでいいんだけど……。体調がよくないようなら無理せず保健室行った方がいいよ?」

「ほんとにそういうのじゃないんだよ。私は大丈夫だから、気にしないで……?」


 どうみても大丈夫とは程遠い状態ではあるものの、そんな風に言われてしまうとこれ以上は余計なお世話になってしまう気がした。

 ……いざとなればホタルには頼れる恋人がいるんだし、僕にできるのはせいぜいホタルが無理をしていないか気を配っておく程度だろう。

 そんな風に考えてしまう自分がいかにも負け犬に思えて、僕は無性に悲しくなった。

 


 そんなことがあってから数日経った休日、僕は以前ホタルと一緒に服を買いに来たショッピングモールへ1人で来ていた。

 目的はお菓子作りの材料とラッピングのためのあれこれだ。


 というのも、ここ最近ずっとホタルの元気がない。

 ホタルの異常に僕が気づいた日からずっと、ホタルはしんどそうなままだ。

 誰しも気分が落ち込む時くらいあるだろうと最初こそ思っていたのだけど、どうやら一過性のものという雰囲気じゃない。

 だけど、ホタルに元気がない理由を尋ねても問題ない、気にしないでほしいの一点張り。

 足りない頭でどうしたものかと悩んだ末、お菓子でも作って差し入れれば少しは気分が上を向くんじゃないかと考えた次第だ。


 で、ホタルが少しでも元気になってくれるところを想像しながら、無事に買い物を済ませたところまではよかったんだけど……。

 今、僕の心はこれ以上ないってくらい冷え切っていた。というのも――


「君、すっごく可愛いね。今暇だったりする?」


 ナンパされているのだ。男に。

 ナンパされること自体は別にいい。

 いやまったくもってよくはないし、心底不本意ではあるものの、今まで何回かこういうことはあったのだ。

 だからある程度こういった状況には慣れているし、適当にあしらってあーめんどくさかったで済ませればいい。少なくともここまで冷たい気持ちになることはない。

 

 僕の心が過去最高に冷たくなっている理由。

 それは僕をナンパしている男がだからだ。

 ホタルという彼女がいるはずの男にナンパされている状況。控えめに言って業腹だった。


「よかったら一緒にお茶でもどうかな?もちろんおごるからさ」


 僕に向かってぺらぺらと調子のいいことを喋り続けているイケメンを冷めた目で見る。

 コイツは男を口説いていることをわかっているのだろうか。

 男を男と見抜ける人でないとナンパを成功させるのは難しいと思いますよ、先輩。なんて心の中で毒づきながら、僕は笑顔で言ってやった。


「あなたみたいな軽薄な人、絶対にお断りです」



 夕方、僕はファミレスに1人で来ていた。

 今日は家族が全員家におらず、夕飯は好きにしてほしいとあらかじめ言われていたからだ。

 当初の予定では自分で作るつもりだったけど、先の一件のせいで今日はもう作る気力がない。

 注文した料理が運ばれてくるのを待ちながら、僕は今日あった出来事を思い返していた。


 僕を女と勘違いしてナンパしてきた風間先輩。

 あれはいったいどういうつもりなのだろう。

 こんなことを言うと僕が自意識過剰みたいだけど、風間先輩の視線からはわかりやすく下心を感じた。

 ここでいう下心は好意とかじゃなくて、もっとぎらついてどろどろとした、直接的な欲望だ。

 ホタルという彼女がいるのに他の女(女じゃないけど)にそういった視線を向けるのはどうかと思う。というか許せない。

 まあ、ホタルにそんな視線を向けるのもそれはそれで許せないんだけど。

 

 もしかすると、ホタルが最近元気がなかったのは風間先輩が浮気性だったことに気づいてしまったからなのかもしれない。

 休み明けにもう少し踏み込んでみようと結論付けて、イライラもやもやしていた思考を打ち切る。

 そのタイミングでちょうど注文した料理が運ばれてきたので、いただきますと手を合わせて箸を料理に伸ばした……ところで僕はぴたりと固まった。

 

「すんませーん、3名なんすけど」


 理由は、さっきナンパされた時とそっくりな声が聞こえてきたから。

 思わず店の方へ目を向けると、これまた僕をナンパしてきたやつにそっくりなイケメンが入店してきたところで……というか、本人だった。


 風間先輩とその友人らしき男子二人の三人組グループは、あろうことか僕の後ろのテーブルを陣取った。

 咄嗟に顔を伏せたものの、バレやしないか僕はひやひやしっぱなしだ。

 しかしそんな僕の心配は杞憂だったようで、先輩たち三人は食事を注文した後周囲のことなど知ったものかという音量で話し始めた。


「いやーそれにしても今日は残念だったな陽」

「だなー、あんな可愛い子に振られちまってよぉ」

「チッ……」


 不機嫌そうに舌打ちをする風間先輩。

 その様子は、ホタルから聞いていた風間先輩像とも、僕をナンパしてきたときとの印象とも大きく異なるものだ。


「爽やかな笑顔で話しかけたのにばっさり断られてたのは笑ったわー」

「すみません、とか急いでるので……とかじゃなくて絶対にお断りですって言われてたもんなー。イケメンざまあ」

「ほんとうるせえなあお前らは!あんなクソ女むしろこっちから願い下げだっつーの!」


 機嫌の悪さなど意にも介さぬ様子で、友人らしき人たちが風間先輩を弄る。

 クソ女とは僕のことだろうか。残念、女じゃないんですよこれが。


「おお、負け犬が吠えてる吠えてる。いやでもあの子は外面に騙されなくてえらかったよなあ。コイツ一応顔だけならイケメンなのに」

「それな。どうせ陽、あの子がもし釣れてたとしてもちょっと遊んでポイするつもりだっただろ?」

「あん?そんなの当たり前に決まってんだろ。あの女、顔はよかったけど全然胸はなかったしな」


 男に胸があるわけないだろうが。


「うわ、最低だわコイツ」

「おいおい、彼女いるのにナンパとかする時点でこいつが最低なのはわかりきってたことだろ?」

「それもそうだったわ。お前、今誰と付き合ってんだっけ?」

「ああ?3組の月野だけど?」


 聞こえてきたそんなセリフに僕の心臓が大きく跳ねた。

 ホタルの苗字は相墨であって、間違っても月野なんて苗字じゃない。

 でも、こいつはホタルの彼氏なはずで……。


「あれ?お前の今の彼女年下じゃなかったのかよ。確か相墨って名前の」


 ちょうど僕が聞きたくて仕方がなかったことが話題に上がっている。

 なんとなく身構えてしまったのは、この後に続く言葉を予想していたかもしれない。


「あ?そいつとはこの前別れたわ」


 決定的なその言葉。 

 ホタルに対する僕の気持ちを考えれば喜んでしかるべき内容なのに、どういうわけか全く嬉しくなかった。


「なんで別れたん?めっちゃ可愛い子だったよな?」

「すげーつまんなかったからだよ。付き合って2週間くらいたっても恥ずかしいとか言ってちっとも触らせてくんねーし」

「あーそれは辛いなあ」

「今どきカマトトぶっても男受け悪いわな」

「そのくせ手作り弁当とか作ってくんの。しかもそれがクソ下手でさ、見た目も味も市販の食ってる方がよっぽどましってレベルのやつ。んなもんに時間使うくらいならヤらせろっつーの」

「うわ、だっる」

「あんな女だってわかってたら優しくしたりしなかったのにな。それなりに時間もかけてやったのにマジで期待外れ。顔に騙されたわ。そんなタイミングで月野に言い寄られたもんだからさっさと乗り換えたわけ」

「いうて月野も十分重そうな雰囲気あるけどな」

「月野は余計な世話焼かねえし、普通にヤらせてくれるし。やっぱ彼女にするならああいう女だわ」

「と、彼女がいるにも関わらずナンパしてワンチャン狙ってるクズが申しております」

「飯と同じだよ、同じ味ばっかだと飽きるだろうが。時には新鮮さも大事なんだよ」

「うわーイケメン腹立つわー」


 後ろの席から聞こえてくる聞くに堪えない会話。

 すっかり冷めてしまった料理を無理やり胃に押し込んで、僕は店を後にした。



 休み明け。

 かつてホタルに好きな人がいると告げられた時と同じシチュエーション、二人きりになった教室で僕はホタルに尋ねた。


「ねえホタル。すごく嫌なことを聞くけど、もしかして風間先輩と別れた……?」


 婉曲さの欠片もないストレートな問いかけ。

 僕の問いにホタルは一度目を見開いた後、諦めたように泣き笑いの表情を浮かべた。


「あはは、バレちゃった。うん、ちょっと前にね、"お前といてもつまらない"って振られちゃった」


 そっか。わざわざそれをホタルに言ったのか。

 怒りのあまり何も言葉を発せずにいると、ホタルは震える声で言った。


「その、ごめんね……?ユキにはいっぱい協力してもらったのに、こんなことになっちゃって」

「僕に謝ることなんて一つもないよ」


 別に僕に謝ることなんて一つもない。

 むしろあっさり先輩と別れてくれて僕としては感謝したいくらいだ。

 ホタルへの気持ちが思い出に変わってしまう前に、こうしてもう一度チャンスを得られたんだから。

 

 そういう意味では、僕は風間先輩にも感謝しないといけないのだろう。

 ただまあ、それはそれとして。

 僕の好きな子を泣かしたのだから、八つ当たりくらいには付き合ってもらおうか。



「先輩、ちょっとお話があるんですけど」

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