2-7 ツインヘッドトルネードシャーク「アサイラム」

「ブッシュさん」


 操船室から姿を現した船長が、浮かない顔で甲板を歩いてきた。俺の耳元で大声を出す。


「そろそろ……ヤバい海域です」

「そうか……」


 俺のパーティーは、臨時に甲板に固定された椅子で休んでいる。もちろん、戦闘まで体力を温存するためだ。強い海風に髪をなぶらせながら、ティラミスはマカロンに茶を飲ませている。脱水症状に陥らないように。


「こっちは準備万端だ。いつでもいい。……事前に戦闘準備をしていたほうがいいか」

「いえ。野郎は背びれ見せて泳いでくるので。それまでは安全です。休んでいて下さい」

「わかった。心構えだけはさせておく」


 手を叩いて注意を促すと、剣の柄を叩いてみせた。全員が頷く。高速で突っ走ってるから、舳先が切り裂く波と向かい風で、とにかく轟音だ。怒鳴るより身振りのほうが早い。


「船長っ!」


 船員Bが、操船室から顔を出した。恐怖に目を見開いている。


「で、出やした。野郎です。アサイラムの――」

「早速か……」


 心の中で溜息をつくと、俺は仲間に手を振った。……が、言うまでもなかった。全員立ち上がり、装備の最終確認を始めている。


「どこだっ」


 船長が叫ぶ。


「右舷二時の方向っ。距離五十メートルに背びれっ。普通のサメじゃない。奴です」

「取舵。魔導機関減速っ。ブッシュさんたちが戦いやすいよう、揺れを防げっ」

「へい。波に舳先を向けますっ」


 操船室内部に向かい、船員Bはなにか叫んだ。


「どれ、顔合わせといくか」


 右舷側に立つ。額に手を当てて目を細める……と、見えたっ! 取舵を取ったので、今は右四時の方角に見えている。野太い背びれが。普通のサメのようにつるっとした肌ではなく、ごつごつしていて岩のようだ。


 距離は四十メートルにまで縮まっている。動きからして、はっきりこちらを認識している。まっすぐ進んできているからな。


「見てパパ」


 いつの間にか、マカロンが隣に立っていた。例のモンスターを指差す。


「かっこいいね、あの子」

「そうだな」


 怖いもの知らずだなあ……まだ幼児なのに。


「海の子は、見たの初めて」

「ちょっと不吉ね」


 ノエルも側に来ていた。


「海中が青く輝いている」


 ここは沖合だから、海は深い藍色だ。だがひれの周囲だけ、ミントブルーの光で包まれている。


「体が発光してるんだろう。……多分、餌になる魚やイカを集めるためだ」


 てことは野郎、深海でも活動してるのかもな。現実世界のチョウチンアンコウのように。でもあの岩石のような肌といい発光といい、なんとなくゴジラっぽいな。ここはゲーム世界だから他社の知的財産たるゴジラなんか出ないとは思うが、モンスターデザインに影響を受けてるのかもしれない。


「……放射熱線とか吐かなきゃいいが」

「なにそれ」


 ノエルが眉を寄せた。


「ああ気にすんな。俺の前世の話だ」

「そう。……ならいいけど」

「プティン、そろそろ出てこい」

「うん、ブッシュ」


 俺の襟元から、ごそごそとプティンが這い出してきた。


「ひっ……」


 俺達を遠巻きにしていた船員Aは、目を見開いている。


「あ、あれは……まさか……妖精」

「だから言ったろ。ブッシュさんに任せときゃ安心だって」


 船長が怒鳴った。


「それよりおめえらはしっかり操船しろ。船を揺らすな」

「へ、へいっ」


 慌てたように、操船室に駆け込んだ。


「どうだティラミス。なにか感じるか」

「はいブッシュパパ……」


 ぐんぐん近づいてくる背びれを、じっと見つめている。


「なにか……怒りを感じます。独りはぐれて、凶暴になっているような」

「群れの仲間が全部死んだとかかもだよ、ブッシュ」


 俺の肩に座り、プティンが大声を出した。


「それでたった独りで迷子になって、恐怖と怒りで我を忘れているのかも」

「そんなに叫ぶな。いくら風があるったって、ちゃんと聞こえる。もうかなり減速したし」

「ごめんごめん」

「いいかみんな。初手は作戦通りだ。それで野郎の出方を見よう」

「プティンの魔法と、私のボウガンよね」

「そうだノエル」

「あたしは毒矢のボウガンだよね。連射終わったら、ショートボウに持ち替えて」

「そうよマカロン。ママはみんなを補佐するわ。ポーションとかで」

「トビウオのように飛んで攻撃してくる可能性もある。そんときは俺が」


 槍を構えてみせた。


「この槍でみんなを守る。守備的前衛として。攻撃主体はあくまでノエルとプティン、それにマカロンだ」

「ボクに任せてーっ」


 プティンが胸を張った。


「ばーんばん、魔法撃つから」

「もう距離十メートルだ。詠唱に入れ」


 プティンを胸の定位置に押し込んだ。


「全員、距離五で戦闘開始っ。可能なら初手で倒すぞっ」

「うん」

「はい」

「ええ」

「任せてー、パパ」

「よしっ!」


 全員の前に立ち、槍を構えた。


「今だっ!」


 掛け声と共に、背びれのわずか前方を狙い、マカロンとノエルの毒矢、それにプティンの雷撃が飛んだ。わずかに前なのはもちろん、矢の到達時間を考えてのこと。雷撃魔法なのは、水属性モンスターだけに、感電に弱いと考えたからだ。


 矢の着弾と共に、水面に水しぶきが立った。そこに、目もくらむ雷撃の轟音が加わる。――と、アサイラムとかいうサメ型モンスターの背びれが、つっと海中に消えた。


「効いたぞっ!」


 見守っていた船員や船長から、歓声が上がった。


「まさか妖精まで連れているなんてな」

「さすがはブッシュさんだ。英雄中の英雄じゃないか」

「おめえはブッシュさん一行を馬鹿にしてたろ。ガキと女ばっかりだとか抜かして」

「誰だってそう思うだろ」

「すまねえブッシュさん。これからはあんたのこと、兄貴と呼ばしてもらうぜ」

「いや……」


 船長の瞳が曇った。アサイラムが沈んだ反対側、つまり左舷を睨んでいる。


「野郎、あっちに逃げた」


 たしかに、海面が青く輝いている。その輝きはどんどん強くなり、海面がいきなり盛り上がった。


「見ろっ!」


 船員が叫ぶ。


「面舵一杯っ! 全速後退、巻き込まれるなっ!」


 魔導エンジンが咆哮し、船体が大きく振動した。その瞬間、海面から巨大な渦が立ち上った。


「た……竜巻……」


 腰が抜けたように、へなへなと船員Cが倒れ込んだ。


「あそこに居るぞっ!」

「アサイラムだ。全身が見えるっ」


 竜巻のちょうど中央あたり、五メートルくらいの青黒いモンスターが、渦に逆らうようにぐるぐる泳いでいる。


 たしかにサメ型。開かれた大きな口で、不揃いの牙が並んでいる。体表はごつごつしていて、いかにも頑丈そう。それが証拠に、マカロンとノエルの毒矢は一本も刺さっていない。それになにより……。


「なによあれ……」


 ノエルが呟いた。


「頭が……ふたつ……」


 ひとつの野太い胴体からは、二股の頭が生えていた。


「ツインヘッドシャークトルネードだ……」


 自分の声が、他人の言葉のように聞こえた。

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