1-3 峠越え

 山の稜線りょうせんは、わずかな範囲だけ人工的に削り取られていた。そこを直角に横切る形で、馬が踏み分けた跡がある。それが道路だ。


 チューリング王国タルト王女の元を出発して、三週間。俺達パーティーの馬車は、ブルトン公国へと通じる最後の山脈を越えようとしていた。


「もうすぐかな、パパ」


 御者席の隣、俺の膝の上から、マカロンが顔を見上げてきた。田舎の山道だけに、馬車はどえらく揺れる。安全のため、俺はマカロンをしっかり抱いていた。


「ああ。長かったなー」

「楽しかったよー、あたし」


 晩春の陽射しに、稜線の岩は白く輝いている。森林限界より標高が高いため、周囲に森林は無い。ところどころ疎林そりんがぱらぱらある以外は、背の低い草がまばらに生える岩場だ。稜線間近で風が強いため、背の高い草では生きられないのだろう。


「良かったわね、マカロン。パパに抱っこしてもらえて」


 馬車の窓から顔を出して、ティラミスが微笑んだ。


「えへーっ。ママも抱っこしてもらいなよ」


 無邪気に、とんでもないことを口にする。


「そうね……」


 ティラミスは、俺をじっと見つめた。


「でももう、そこはいっぱいかな」


 実際そうだ。御者席で馬の手綱を握るのは、回復魔道士ノエル。御者役をこなせるのは、俺のチームではノエルだけだ。馬車の上下動と風に、ノエルの髪が揺れている。


 王女の幼なじみで本来生まれの良いノエルは、王宮育ち。育ちが育ちだけに馬術の心得があり、助かっている。道中安全な平地で俺も練習させてもらってはいるが、まだまだ馬車を自在に操れるとは、とても言い難い。


「ここは岩がもろいし危険だわ、ブッシュ。稜線を越えたら、休憩にしましょう」


 ノエルが微笑む。


「そこでたっぷり、親子の触れ合いをするといいわ」

「ボクも少し、疲れたよー」


 妖精プティンが、俺の胸から顔を覗かせた。


「ねえねえブッシュ、休憩のとき、保存食のケーキ食べてもいいよね。ねえねえ」

「わかったわかった。みんな、好きなだけ食え」

「わーい!」

「わーいっ」


 プティンとマカロンは、ふたりしてバンザイ。大喜びだ。


「ケーキ、おいしいよねー」

「そうそう」


 ノエルも頷いている。


 まあ女子は甘いもん、好きだよなーマジで。妖精プティンとか元守護神ティラミスまでそうだからな。このケーキは糖分たっぷりでカロリー豊富、さらに保存性に優れている。だから冒険の携行食糧にはもってこい。余るほど馬車内に積んである。


「ほら、見えた」


 稜線の切り通しを越えると、ノエルが指差した。くねくね下る長坂。そのはるか下、海沿いに建物が固まっている。


「あれがブルトン公国だよ、ブッシュ」

「わあ、かわいい国だねー、パパ」

「そうだな」


 たしかにきれいな国だ。前世知識で言うなら、地中海の小都市といった趣。なんたってブルトン公国は都市国家だからな。


 公国は東西北の三方を、狷介けんかいな山脈に囲まれている。外部と通じる道路は、山脈にひと筋だけ切り開かれた、獣道も同然のもの。大型馬車ともなると、擦れ違うのにも苦労するはずだ。


 幸い俺達の馬車は貧乏家族に偽装した、二頭曳き連絡馬車だ。小さいから擦れ違いや取り回しには、そう困らない。家族旅行の体なんで単頭曳きでもいいんだが、人里離れた山中で馬が骨を折ったりすると、俺達まで全滅する危険性がある。だからリスク分散のために二頭曳きにしている。最悪どちらかが倒れても、旅は続けられるからな。


 公国の南方は湾になっており、その先は大洋。都市の小ささからは信じられないくらい立派な巨大桟橋が造られており、大小の商船やら漁船やらが鈴生すずなりに停泊している。


 要するに東西南北と、大軍勢の侵入は困難。公国の周囲に城壁が無いのは、必要性自体がないからだろう。


 唯一、海からなら可能とは思うが、軍艦連ねて大軍勢で侵攻するまでの旨味がない。なんたって本当に小さな都市国家だからな。実際、わずかな荘園農地が都市の周囲に広がってはいるが、すぐ山に飲み込まれているし。


 山の上から、険しい坂道が続いている。なるだけ平坦な斜面を探るように七曲りする山道は、そのまま公国に向かい下りてゆく。


「よし。停められそうな場所があれば、休憩しよう。この距離なら、夜までには公国に入れる。早めに移動して、宿を探そう。なんやかやは明日からだ」




●次話、ブルトン公国に入り込んだブッシュファミリーは、ブルトン公と嫡子ちゃくしアランの情報を探る。街の人々から聞き出したのは、一代でこの街を稀代の貿易港に育て上げた、ブルトン公の才覚だった。違和感を感じたブッシュは、さらなる調査に乗り出すが……。

次話「貿易立国」、明後日公開。

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