第二部「王女の婚約者」編

第一章 タルト王女の心、揺れる

1-1 秘密の任務

「ブッシュ様、お待たせしました」


 王宮の貴賓室に、王女の従者が顔を覗かせた。


「姫様がお呼びです。こちらに……」

「おう」


 その日、俺は王宮に呼び出された。もちろん、家族にプティン、それにノエルといった俺のチームも一緒だ。なにか喫緊きっきんの課題があり、相談に乗ってくれとの話だった。


「ブッシュ様、お待ち申しておりました」


 いつもの王女の執務室だ。タルト王女は、立ち上がって俺達を迎えてくれた。


「ブッシュ……」


 ノエルが俺の袖を引いた。眉を寄せている。


「わかってる」


 大きな執務室に居たのは、タルト王女とおつきの「じい」、ふたりだけ。侍従だの護衛の近衛兵だのはひとりも居ない。つまりごく少ない関係者だけで厳秘げんぴにしないとならない、相当にヤバい案件ということだ。なんせ辺境で偵察中のガトーはともかく、王女側近のムキムキ近衛兵とかも居なからな。


「本日ブッシュ様にお出で願ったのは、ひとつお願いの儀があるためです」


 説明を始めたタルト王女の表情は、心なしか厳しい。


「ブッシュ……」


 不安げに見上げてきたので、プティンの頭を撫でてやった。姫の緊張感が伝わったのだろう。なんせソウルメイトだからな。


「まだ王宮でも知っておる者はごくわずかなのじゃが……」


 言いにくそうに、じいが唸った。


「実は、姫様に縁談が持ち上がったのじゃ」

「それは……」


 つい、言葉に詰まった。抱き合って眠ったあの晩のことが、脳裏を駆け巡る。


「その……」


 姫様は俺の目を見ず、握り締めた自分のこぶしを見下ろしている。


「なんと言ったらいいか……」

「わあ、姫様結婚するの? いいなあー……」


 無邪気に言い放つと、マカロンはテーブルの上の焼き菓子をつまんだ。


「あたしも将来、パパと結婚するんだー」

「そう。良かったわね、マカロンちゃん」


 王女は微笑んだ。


「こんな素敵なレディーに慕われるブッシュ様は果報者ね」

「お相手はどなたなんですか」


 早口で、ノエルが割り込んできた。姫様の幼なじみだけに、いろいろ心配なんだろう。


「ブルトン公国じゃ」

「ブルトン公国……。なるほど、ありえますね」


 俺は表向き記憶喪失で、ティラミスは守護神だ。事情をよく知らない俺達ふたりに向け、じいが解説してくれた。


 ブルトン公国は小国だが、海岸沿いの地の利を生かした貿易で、ここ数十年、めきめきと力を付けてきた。ここチューリング王国の同盟国でもある。だが国王を擁する歴史ある国ではなく、権威は低い。


「それもあり、長く輝かしい足跡を誇る我が国、チューリング王国との婚姻を望んだのであろう」

「その戦略、わからなくはないですね」


 ティラミスは淡々とした口調だ。


「人間の世界では、ありそうな話です」

「それで、お相手は」


 ノエルが畳み掛ける。


「たしかブルトン公は、ご子息ご息女は少なかったはず」

「ブルトン公の血を引くのは、ご長兄の嫡子ちゃくしアラン様だけじゃ。他に子はない」

「では姫様の嫁入りを望まれたのですね。でも姫様も、我が国ただひとりの直系後継者。その話は飲めないのでは」


 タルトには兄弟姉妹はないもんな。いずれこの国を継ぐんだから、嫁として出ることは難しいだろう。


「国王もそのように判断なされた。ブルトン公国の使者にそう告げると、使者はこう答えた。ならばブルトン公国のアラン公子をチューリング王国に婿入りさせましょう――と」

「えっ、ひとり息子を婿に出すの? ならブルトン公国はお世継ぎが途切れて、廃国になるじゃない」


 驚いたためか、ノエルは普通の口調になっている。


「先様は、自国には養子を取ると申されておる」

「でもブルトン公国は、昇り龍よ。地位の高い嫁を取って、ここぞとばかり権勢を上げるのが常道。なのに肝心の跡取りを他国に出すのはおかしいわ。なにか……」


 ノエルは王女の顔を見た。


「なにか裏があるのでは。たとえば……そのご長兄は性格破綻者で、自国など継がせられないとか。とてつもない無能……とか」

「ノエル……」


 タルト王女は、ノエルの手を取った。


「他国のお世継ぎを、そのように言ってはいけません」

「とはいえ、ノエルの懸念はもっとも。……というか、我らも心配しておる。先方が婿入りまで譲歩している以上、断るなら相当の理由が必要だ。しかも期限があり、時間は限られる……」


 じいは俺を見た。


「なのでブッシュ殿をお呼びしたのじゃ」

「ブッシュ様……」


 タルト王女は、初めて俺の目を見た。心なしか、瞳が潤んでいる。


「ブルトン公国に赴き、アラン様のことを探って頂けないでしょうか。どうか……」


 声が震えている。


「わたくし……その……どうしたら……」

「任せろ、タルト」


 反射的に声が出た。


「お前には大きな借りがある」


 みそぎのことは口に出せない。じいに知られたら、とんでもない騒ぎになるからな。


「俺もチームも、命を救われたと言っていい。その恩に報いるためにも、全力で調べよう」

「ブッシュ様……」


 こらえきれなくなったのか、タルト王女の瞳から、涙がひと粒だけ落ちた。


「わしは正直、ブッシュ殿には頼みたくなかったのじゃ」


 苦しげに、じいが言葉を押し出した。


「その……王女はわしが……守らんと……じゃが……」


 ほっと息を吐いた。


「この期に及んでは仕方ない。ガトーもおらんし」


 はあこれ、タルト王女の気持ち、薄々感づいてるな。


 救国の英雄とはいえ、俺は地位も低いただの流れ者。王女の相手になんかそもそも、なれる立場じゃない。おつきの後見役としてはそりゃ、なるだけ俺を遠ざけようとするだろうさ。


「俺がやる。王女のために。なあタルト」

「はい、ブッシュ様」

「前に約束したろ。俺はお前が幸せになる道を、必ず見つけ出してみせる。だから心配するな。俺のチームで、ブルトン公国に入ろう。先方には秘密だ。無名の流れ者として入り込み、内部を探るさ。タルト、お前の隠密としてな」

「ありがとうございます、ブッシュ様。わたくし……」


 またひと筋、涙が流れた。


「ブッシュ様におすがりします。どうか……どうか……」


 あとはもう、言葉にならなかった。




●いよいよ始まった新たなる冒険。ブッシュと家族はブルトン公国に早駆け馬車を飛ばすが……。第二部のブッシュにご期待下さい。

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