8-10 魂の捧げ物

「ブッシュ様……」


 声が聞こえた。


 誰だろうこれ……。聞き覚えがある……。


「ブッシュ様、目を開いて。……お願い」


 黄泉よみの混濁から魂が戻ってくると、思い出した。


 この声は妖精プティン……いや、タルト王女。


 目を開けると、天井が見えた。始祖のダンジョン、第五階層。マカロンとティラミスを抱いたまま、俺は倒れていた。どえらく眩しい。


 頭を起こすと、パーティーのみんなが見えた。全員、眩しさに体をすくめ、目を細めてなんとか見ようとしていた。なにかを。クソヒゲ野郎、ランスロット卿もいる。神殺しの剣を握ったまま、目を開けられていない。


 光は、俺の背後からだ。


 がばっと身を起こすと、空中にプティンが浮かんでいた。瞳を閉じ、両腕を大きく広げて。プティンの体は、真夏の太陽のように黄金に輝いている。


「良かった……。お戻りになられたのですね」


 プティンは口を動かしていない。なのにその体から、声は発せられていた。


「う……ん、パパ……」

「ブッシュ……さん」


 ティラミスとマカロンが、俺の腕の中で体を動かした。


「プティン……いやお前、タルトか」

「ブッシュ様に、わたくしのまごころを贈ります。一生に一度の……」


 見ると、俺の体の傷は消えていた。俺の家族、ふたりの体からも。邪悪な術式の込められた剣で斬られたというのに。


「見よ、ブッシュが立つぞい」

「信じられない。死んだはずじゃない……」

「ああ、ブッシュ」


 ノエルの瞳からは、涙が流れていた。


「よかった……。本当に……よかったわ」

「まさか……姫様は、みそぎをしていたのか」


 ガトーの呟きが聞こえた。


「一介の冒険者のために、生涯一度、自らを捧げる祈りを込めて。……ブッシュを魂の連れ合いに選ぶなどと」

「立つぞっ、マカロン、ティラミス」

「うんパパッ!」

「ブッシュさん」


 俺は立ち上がった。ふたりを抱いたまま。俺の復活を見て取ったためか、プティンの輝きが消える。


「全員、ランスロット卿を倒せっ!」


 俺は叫んだ。


「こいつは魔王の手先。今、加護を受けた状態のまま倒せば、魔王本体にも大きなダメージを与えられるからなっ」

「とっくにやっておるわい」


 ボーリックは首を振っている。


「だが無理じゃ。こやつ、無敵の加護を受けておる」

「魔王の力を得たんだ。魔王の命を受けていることを、もはや隠す意味がなくなったから」

「大丈夫だよっ、ブッシュ」


 プティンが飛んで戻ってきた。もういつものキャラに戻っている。俺の胸に潜り込んで――。


「姫様の禊の力で、属性キャンセルしたから」

「くそっ!」


 ランスロット卿が毒づいた。斬られる直前にこいつの体を取り巻いた紫の魔導効果が、たしかに消えている。


「禊の力は、二度は使えんぞ、底辺っ!」


 斬りかかってきた、精一杯。無敵加護が無くては八人相手に逃げられるわけがないと、さすがに気づいたのだろう。やけくその突進だ。


 ランスロット卿をすぐ側まで引き付けた上で回転し、俺は野郎の剣筋をかわした。そのまま回り、勢いのついた短剣で脇腹を裂く。王宮で学んだ、例の「俺唯一の剣技」だ。


 軟らかなロース肉を包丁で切ったような感触があった。


「ぐおっ」


 ランスロット卿が腹を押さえた。


「このカスっ! これはマカロン両親の分だっ!」


――ボコッ――


 ケツ側から思いっ切り、金玉を蹴り上げてやったわ。タマの潰れる、気味の悪い感触がした。


「うっ……」


 今にも飛び出しそうなほど、ランスロット卿が目を剥いた。絶句する。腹を押さえたまま、ぴょんぴょん飛び跳ね始めた。


「ノエル両親の分も喰らえやっ」


 切り裂かれた腹にも蹴りを入れる。


「痛っ!」


 もう半泣きだ。苦しそうに、体をよじってやがる。


「さっきはよくもパパとママをーっ!」


 押さえた左腕ごと腹を、ものすごい速度で、マカロンが突きまくった。腕が千切れかかり、大量の血が腹から噴き出すまで。


「もういいのよ、マカロン」


 背後から、ティラミスが優しく抱きとめた。


「この人はもう、地獄に落ちます」

「ぐうう……うう……うっ」


 膝を着くと、ランスロット卿はそのまま地面に崩れ落ちた。


「い……痛いよう……」


 幼児のように泣き叫んで。


「はあ……はあ……」


 マカロンは、肩で大きく息をしている。俺とティラミスが自分と一緒に斬られるを目の当たりにしたからか、すごい闘志だ。全身からオーラのようなものが立ち上っている。俺も初めて目にする現象だ。


「あの姿……。たしかに勇者か……」


 ガトーは、短剣を鞘に収めた。


「どうやら、ブッシュの話に嘘はなさそうだな」

「わしらが手を出すまでもなかったのう……。ブッシュとマカロンで瞬殺じゃ」

「それにしても、貴族様が魔王の手先なんてね」


 軽蔑しきった瞳を、エリンがランスロット卿に向けた。


「悪徳徴税吏だけで、一生分の贅沢ができただろうに。……欲深な男」


 倒れ込んだまま、ランスロット卿は、もぞもぞと体を動かしている。芋虫のように。血まみれの顔から、顔色が失われつつある。


「ま、魔王様……」


 唇が動いた。


「私を見捨てなさるのか。この……魔王様の……忠実な下僕しもべ……を……」


 その瞬間、どこか地の底から、大音声が響いた。地鳴りのようだが、かろうじて声にも聞こえる。


「ふん。使い物にならん奴だ」


 侮蔑の響きを帯びている。


「ま……魔王様」

「少しは役立つかと思えば、この体たらく。お前を使ったのは時間の無駄だったようだな」

「魔王じゃっ!」


 ボーリックが杖を構えた。


「皆、油断するでないぞ」

「まあ、その体は有効利用させてもらうか。守護神はまだ顕現しておるしな」

「あっ! 熱いっ!」


 死にかけのランスロット卿が、腹を裂かれているとは思えないほどの大声を出した。


「ひいいーっ! け、剣がっ!」


 右手を振り、神殺しの剣を放そうとしているようだが、磁石のようにぴったりくっついて離れない。その剣から鉄色の触手が何本も生えると、ランスロット卿の腕に突き刺さった。そのまま蔓草つるくさのように腕を覆い始める。


「痛いっ。こ、怖いっ。た、魂が乗っ取られるっ!」

「気を付けて、ブッシュ」


 プティンが俺の胸を叩いた。


「もの凄い魔力を感じるよ。すぐ離れてっ!」

「見よっ!」


 ボーリックが杖で指す。


「全身が覆われておる」


 ランスロット卿は最後までなにか叫んでいたが、口が覆われるとそれもできなくなった。それでも蠢いていたが、ふっと息絶えるように動かなくなる。もはや鉄色の藁人形も同然だ。


「し、死んだの?」

「いやエリン。嫌な予感がする。戦闘準備しろっ!」

「うんっ」


 カタカタとハンドルを回し、ボウガンの弓を引き始めた。


 と、突然、ランスロット卿が立ち上がった。立ち上がるというより、倒れる姿を逆回転で再生したようだ。


 剣から生じた蔓に覆われ、体長は三メートルほどにも膨れ上がっている。頭を覆った鉄の蔓が退くと、顔が現れた。気取ったヒゲ面貴族ではない。鉄色の皮膚に蛇眼。口は大きく裂けて、中から牙が覗いている。


「グ、グレーターデーモン……」


 ボーリックが絶句する。


「悪鬼の中でも、特に凶悪なモンスターではないか。生半可な剣や魔法は通じんぞっ」

「まずい。全員戦闘だっ」


 俺は叫んだ。ランスロット卿の肉体を依代よりしろに、凶悪悪鬼を魔王が送り込んできたのだろう。


「こいつを倒さないと、地上へも帰還できない。やるしかないぞっ!」


 矢継ぎ早に、俺は戦闘フォーメーションを指示した。

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