8-9 守護神顕現

 術式が暴走して、眼前の映像は途切れた。強い光で包まれ、なにも見えない。五秒、十秒……三十秒ほども。


「どうしたんだ、ティラミス」

「今、見えてきますよ、ブッシュさん」


 ようやく、映像の視界が戻った。


「なにもないじゃないか」

「ええ」


 地の底の映像だったのに、今は空が見えている。といっても青空ではなく、土気色の。この山から、大量の土塊つちくれが飛んだためだろう。


「山ひとつ吹き飛んだ……。あの魔導事故の真相は、こういうことだったのか」

「そうです」


 視界が戻ると、魔族がそこここに転がっていた。雑魚からレッサーデーモンまで、全て。手や脚のない胴体もある。野郎どもは死んだのだろう。次々に虹色の煙となって消えていっているから。


「レッサーデーモンさえ死んだほどの衝撃だ。なぜランスロット卿は死なずに今も生きているんだ」

「魔王の加護を受けていたのです。吹き飛んだ彼はどこかで目を覚まし、無傷で服すら傷んでいないのを確認後、逃げたのでしょう」

「憎まれっ子世にはばかるどころじゃねえな」

「私は生き残りを捜しました。……少なくともそこには、五人の人間がいたので」


 青い影がゆらゆらと、あたりをさまよった。


「ノエルの両親、マカロンの両親は、残念ながら亡くなっていました。ただ……」


 岩の窪みで、影が止まった。岩陰に、折り重なるようにして黒焦げの体が見えていた。なにかを守るかのように、背を見せ丸まって。


 影が揺らぐと、遺体が丁寧に脇に移された。そこには……。


「赤ん坊だ。生きている」


 顔を真っ赤にして激しく泣く赤ん坊が、現れた。無傷だ。


「マカロンの両親は、咄嗟にマカロンをかばい、安全と思われる岩場の陰に隠したのです。術式暴走の衝撃を、身を挺して受け止めて……」


 俺の隣、ティラミスの瞳から、涙がひと筋流れた。


「悪いのは魔族です。ですが自分の身を守るためとは言え、私は人間を巻き込んでしまった。この子には何の罪もない。人里離れた山中では、大爆発の調査隊が来る頃には死んでしまうでしょう」


 ほっと息を吐いた。


「私にはふたつの選択肢があった。引きずり出された地脈に戻り、元居た場所に帰ること。これまでどおり、王国のために巫女を通じて神託を下す道です。もうひとつは……」


 昏睡を続けるマカロンの髪を、そっと撫でた。


「守護神としての本分を捨て、ひとりの人間として存在を再構築すること。そうすればこの幼子を救える。……ただ、守護神としての能力は、ほとんど無くなる。人間になることに、大量のエネルギーを使うから」

「守護神でなくなると、辺境の魔導障壁ってのも消えるのか」

「いえ、そのままです。ただし、もう修復はできない。ただの壁のようなものになる」

「なるほど」


 建てたものの修理はできない万里の長城みたいなもんか。なにかで突き崩されれば、そこからいくらでも魔族が侵入してくるという。


「そうして私は――」

「マカロンを救うことを選んだんだな」


 ティラミスが人化したから、これ以降、いくら巫女が喚ぼうとしても顕れなかったんだな、神域に。守護神が居るべき場所は、空っぽになったから。


 と、俺が見ている映像に変化が起こった。青い揺らぎが一転、金色に輝くと、すぐ輝きは消えて……。あとには、全裸の少女が立っていた。


 ティラミスだ。


 数年前というのに、今と全く同じ姿で。十五歳くらいの外見で。


 おずおずと手を伸ばすと、ティラミスは覚束おぼつかない手付きで赤ん坊を抱き上げる。胸に抱かれると、赤ん坊は泣き止んだ。ティラミスの胸に頬を埋め、本能的に乳首を探そうとしている。


「――こうして守護神は消え、ティラミスという存在が誕生したのです。マカロンと名付けた乳飲み子を抱える、母親として」

「そうか……」


 抱き寄せてやった。


「それからずっと、苦労したんだな。なんせお前は神。人間の暮らしなど、なにも知らない状態から、赤ん坊を育てたんだ。しかも少女の姿形で」

「精一杯はやったんです。けれど……」


 また涙の粒が浮かんだ。


「マカロンには苦労をさせてしまって……。ろくにご飯すら与えることができず。でも……でもブッシュさんと出会えた。ブッシュさんと暮らすようになり、『パパ』を得てマカロンの心は落ち着いた。それに私も……」


 俺の胸に額を寄せる。


「ひとりで命を背負っていた重圧から解放された。私には人間のような感情はない。でもブッシュさんと知り合ってからは徐々に、人間らしい感情が生まれつつあります。やがて……もっと普通の女の子になれる。それに……」


 俺の目を見つめてきた。


「それに守護神としての私の力が、次第に戻ってきた。ブッシュさんと一緒に暮らすようになって。それはおそらく……ブッシュさんの力。誰も知らない、ブッシュさんだけの」


 そういや、俺には謎のエンカレッジ能力があるんじゃないかと、ボーリックなんかも口にしていたな。その力が、ティラミスにも働いたってことか。


「だからブッシュさんは大事な人なの。マカロンのためだけじゃない、私にとっても大事な……パパ。私は、ブッシュさんのママになりたい」

「ありがとうな」


 そっと抱いてやった。この細い体で、なにもわからない世界で子供を育ててきたんだ。さぞや辛く、苦しかったことだろう。


 これでティラミスとマカロンの物語は理解できた。……だが俺には、まだわからないことがある。


「……なあティラミス。ランスロット卿が悪党なのは、魔導事故の現場でわかったんだろ。なんで再度出会ったときに、俺に言わなかった。いくら権力を持っていようが関係ねえ。ガトーとふたりで、野郎をなます斬りにしてやったのに」

「復讐というような感情は、私にはありません。ただ……王家を守護することは、私の責務。それはこの体になった今でも同じ。だからこそ、ランスロット卿の同行を、あのときブッシュさんに進言したのです」


 例の第三階層モンスターモッシュフロアで、二グループが合流したときの話だな。たしかにあのとき、ティラミスはランスロット卿放逐に反対した。


「どういうことよ」

「彼には魔王の加護がある。それを引き出してから倒せば、魔王本体にも遠隔で大きなダメージを与えられる。……そのためには、ランスロット卿が大きく動くまで泳がせる必要があったのです」

「正体を見せたところで討滅すれば、ランスロット卿だけでなく、魔王自体にも大損害を与えられるってことか」


 俺は考えた。たしかに、これなら一石二鳥だ。魔王に大ダメージを与えられれば、王国を守るという、守護神の本分にも沿っている。


 人間になったことで、ティラミスは守護神の力のほとんどを失った。力のバランスは魔王側に大きく傾いている。魔王に大ダメージを与えることができたら、天秤はまた釣り合いを取り戻す。


「たしかに、それはいい手だな」


 悪の本質をあらわにした野郎を今頃、俺のパーティーは全力で攻撃しているはずだ。ランスロット卿は、残ったガトーやボーリックが倒すだろう。


「けど、根本的な疑問が残る」


 俺は続けた。


「そもそも、なんでランスロット卿は守護神再召喚なんてクエストのチームに入ったんだ。守護神を復活させれば、たしかに王国で栄誉を得るだろうさ。でもあいつが崇める魔王にとっては痛手だろう」


 なんせ守護神を操るために、魔王はあの山中での術式起動までやったわけだからな。


「守護神を自由に操ることには失敗した。ですから守護神という存在を殺そうと考えたのでしょう」

「なるほど。守護神はなぜか消えてしまった。倒すには守護神の再召喚が必要。だからこそ再召喚チームを率いて、再召喚に成功した途端、斬りかかってきたわけか」

「ええ。そのために、彼は神殺しの剣を用意していた。守護神に致命的なダメージを与えるために。……魔王から下げ渡されたのでしょう」

「徴税のとき、没落名家から分捕ったって話だったけど」

「フェイクですよ。そんな剣を持っている理由をごまかすための。自ら、偽情報を流したのです。街の噂として」

「そうか……」


 魔王の入れ知恵だな、きっと。


「けれど、魔王に大損害を与えようという私の目論見は、大きな代償を伴ってしまった……」


 ティラミスの瞳から、涙がひと粒こぼれた。


「神殺しの剣です。私達三人、人間としての命を奪うだけでなく、私の体内に再召喚された守護神の魂までもが斬られた。もう復活はできない」

「俺達は無駄死にじゃないさ。そうだろティラミス」


 ティラミスの体を抱き寄せた。


「ガトーやボーリックが、ランスロット卿を倒してくれる。そうすれば王家に害を成すランスロット卿だけでなく、背後にいる魔王にまで大ダメージを与えられる。俺達の勝ちだ」


 ふと、俺は思い出した。


 そう言えばあのクソヒゲ野郎、ティラミスが邪神の正体を暴いてからは、態度がころっと変わりやがった。ガトーの疑念を一蹴し、先に行こうとせがんで。あれは、ティラミスこそが守護神だと、初めて気づいたからなんだな。その上で、再召喚でティラミスに守護神としての本質が露わになる瞬間を、待ってたってことか。そのときなら守護神を殺せるから。


 それに、マカロンが魔王を倒す勇者と聞いて、興味を惹かれた様子だった。あれも、魔王の敵に育つ可能性を同時に潰し、魔王にアピールするチャンスだと思ったんだな。


「そうかもしれません。……ですが私は結局、マカロンを守り切れなかった。ブッシュさんの命も……」


 ティラミスの瞳から、涙が流れた。


「ごめんなさい……」

「仕方ないさ。神の力を失ったんだ。お前は自らの力を全て使い、マカロンを立派に育てた。現世に何の知識もない、十五歳の子供の体だぞ。奇跡と言っていい。全て、お前の努力のおかげだ」


 頬の涙を、指で拭ってやった。


「今、こうなったのだって、お前の責任じゃない。できることを全部したんだろ。お前が居なかったらそもそも、俺もマカロンもとうに死んでた。何度もダンジョンで助けられてきたからな。俺のパーティーが全滅せず第五階層まで進めたのはティラミス、お前の功績だ」

「ブッシュさん……」


 強く抱いてやる。


「俺は幸せだよ、ティラミス。これからお前やマカロンと三人、天国で暮らせるんだからな。幸せな親子として。三人で仲良くやろうや。天国からタルト王女や王国の手助けでもしながら……」

「あ、ありがとうございます……」


 マカロンを挟むようにして、俺達は抱き合った。


「私……、ティラミスになってから、今が一番幸せ。大好きな人とふたり、かわいいマカロンを育てられるなんて……あっ!」


 そのとき、なにかが起こった。眼前の映像が、奇妙に歪み始めている。凄い風が、この世界に吹いている。幻影の過去が全部吹き飛ばされていく。人物も、風景も、大地や太陽でさえも。


 それに体が、なんだかむず痒い。なにか、高速エレベーターで一気に降下しているときのような。


「おう。俺達、とうとう死んだか。天国に行くんだな」

「いいえ違います」


 慌てた様子で、ティラミスは俺から離れた。


「ほらマカロン、立ちなさい」

「うーん……眠いよう、ママ」


 意外なことに、マカロンは返事をした。昏睡したまま天国に行くんじゃないのかよ。顔色も戻ってきている。


「しっかりしなさい。あなたはブッシュさんの娘。パパに恥をかかせてはいけませんよ」

「う、うんママ。あたし頑張るね」


 ティラミスの腕からぴょんと降りると、大地に立った。


「えへーっ。あたしのパパ、かっこいい」

「どういうことだ、ティラミス」

「わかりませんブッシュさん」


 首を振った。


「ただ、わかっていることもあります。私達は……戻されます」

「戻される?」

「現世へ」

「生き返るってのかよ」

「ええそうです。……凄い力を感じる。これはもしや――」


 なにか言おうとティラミスが口を開いた瞬間、俺の視界はブラックアウトした。


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