8-8 ××山脈最深部、数年前

「……さん」

「……」

「……シュさん。ブッシュさん」

「……テ、ティラミス」


 俺の意識は、どこか虚空から現実へと戻ってきた。


「ここは……」


 俺は立っていた。目の前には、奇妙に歪んだ光景が見えている。魚眼レンズで見ているかのように。どこかの山中の。始祖のダンジョン最下層ではなく。


「ここはどこだ」

「ブッシュさん、落ち着いて」


 ティラミスは、俺の隣に並んでいる。瞳を閉じ、ぐったりとしなだれかかるマカロンを胸に抱きかかえるようにして。マカロンはぴくりとも動かない。顔色は青白い。


「どういうことだ。……みんなは?」

「私達は死にかかっています」

「全員がか」

「私達三人。もう助からない」

「そうか……」


 次第に混乱が収まり、思考力が戻ってきた。


「ランスロット卿に斬られたんだな、俺達」

「ええ」


 ティラミスは頷いた。淡々とした表情。死の間際だというのに、まるで石ころでも拾った報告のようだ。


「あのクソ野郎っ。ヒゲ全部ぶち抜いてから、関節ひとつずつ切り離してやろうか」

「ブッシュさん……」


 俺の怒りをなだめるかのように、ティラミスが首を傾げた。


「それで……ここはどこなんだ」

「全てが終わった場所」

「終わった?」

「そして全てが始まった場所」

「どういうことだよ」

「ここは私の周囲で起こった現実の写しです。数年前の。私が死にかかっているから、周辺の地脈の記憶が再生されているの。……ほら見て。魔族よ」


 背丈ほども深い草をかき分けて、赤黒い肌の人型モンスターが現れた。何体も。


 ぐるぐる巻きに縛られた人間を、引きずるようにして歩いている。男と女。ふたりだ。高価そうな、仕立てのいい服を着ている。農夫でも冒険者でもない。有能な官吏といった雰囲気の若いカップルだ。


 女型のモンスターがなにかを抱え、そのふたりに見せつけている。なにか、布でくるまれた小さなものを。


「あれは……」

「あれは人間の赤ん坊。……マカロンです」

「えっ……」


 たしかに今、おくるみの中が垣間見えた。赤ん坊だ。


「あのふたりは、マカロンの本当の両親。赤ん坊を人質に取られたのです」

「どういうことだよ」

「以前、タルト王女から聞いたでしょう。王国屈指の科学者夫婦が、数年前に行方知れずになったと」

「そういえば……」


 聞いた記憶がある。たしか山ひとつ吹っ飛ばした例の魔導事故と、前後して起こった事件だったよな。このふたつの事件で、王国はどえらい痛手を被ったとか。


「じゃああのふたりは……」

「見て」


 いつの間にか、画面が切り替わっていた。山中に深く掘られた穴の底に。周囲に屈強な魔族が大勢張り付き、山を深く深く掘り進んでいる。


「あれはレッサーデーモン。悪鬼ですね。魔族でもかなり強い力を持つ種族です。おまけに群れで行動するので、とても危険なの」

「いや待てよ。そもそも魔族と戦う最前線には、守護神による魔導障壁があるはず。なんで魔族が入り込んでるんだよ。ここ王国内部だろ」

「障壁は、魔族による大規模侵攻を防げるというだけです。小規模の侵入は途切れることなく続いています。ただ小規模なので、王国兵によりほとんどは討滅されます。ごくわずかの魔族が追跡を逃れ、王国内部、誰も来ないような辺境に潜んでいるのでしょう。来たるべき魔族大侵攻の際、内部からも挙兵して一気に王国軍を潰すために」

「なるほど」


 それは充分考えられる話だ。こうして実際、そんな連中を目の前にしているわけだし。


「あれは……」


 そのレッサーデーモンを背後から蹴飛ばして回り、怒鳴りつけて指示している野郎がいる。デーモンよりはるかに小柄。魔族ではなく、人間だ。きざったらしいヒゲ姿の。


「ランスロット卿……」


 どういうことだ。ランスロット卿が魔族を仕切ってなにかさせているのか。


 魔族がなにか運び込んできた。ぼろぼろのテーブルかなにか。その上に汚らしい布を広げると、赤黒い珠をねじ込むようにして固定した。ソフトボールほどもある珠。涙の粒のように歪んでいて、ところどころ凹凸がある。


「あれは……」

「守護神を召喚するための合成貴石。マカロンのご両親に作らせたのです。優秀な科学者なので」

「赤ん坊を人質にして、言うことを聞かせたのか」


 そういえば、邪神の幻影攻撃を受けたとき、マカロンは「ランスロット卿」を怖いものとして見ていた。あのときは「嫌な野郎だからなあ」しか思わなかったが、もしかしたら赤ん坊のときのこの記憶が心の隅にあり、ランスロット卿の幻影がマカロンの前に現れたのかもしれない。


「……来た」


 急坂の通路で誰かが蹴られ転がされて、底まで落ちてきた。男女ふたり。王宮で見たことのある、近衛兵の制服を着ている。男は剣士で、女は魔道士の。すでに男は激しく暴行を受けていたらしく、顔は見る影もないほど赤黒く膨れ上がり、固まった血で髪はべったり頭に張り付いている。


「あのふたりは……」

「あれはノエルさんのご両親。彼らも誘拐されたのです」


 ティラミスの説明が続いた。


 魔導地脈に干渉する山中のこの実験により、周囲には不吉な兆候が現れていた。周辺の住民は恐れ、王宮に直訴までして。そのことを逆手に取り、ランスロット卿は主張した。王国の危機に繋がりかねない、調査せよ。近衛兵の、特に魔導力に優れた人材を投入して、と――。


「それでノエルの両親が調査担当として投入された。この山中に赴いたところでヒゲのクソ野郎と魔族に捕まり、拘束されたってわけか」

「ええ」

「ちょっと待て」


 俺の頭の中で、情報が高速に統合された。


「ではここは、数年前の大魔導事故の現場か。ノエルの母親が魔法暴走したとかいう」

「魔法暴走した……と『されている』現場です」

「マジかよ」


 あの場に、マカロンの両親も、ランスロット卿も居たってのか。


「ランスロット卿は、腐敗徴税官吏として悪の限りを尽くし、溜まったカルマのために魔王に魅入られたのです。そうして魔王を崇め、祈りを捧げてとある啓示を得ました」


 話はこうだった。魔王軍と王国との戦いは、長らく一進一退を続けていた。王国辺境に張られた守護神の魔導防壁が、優勢な魔族の侵攻を、強力に防いでいたからだ。


 人類蹂躙のためには守護神排除が近道と考えた魔王は、王国中枢部に強いコネクションを持つランスロット卿を取り込んだ。人類蹂躙の際は強大な魔力を与え、魔王側近として贅沢三昧、女も飽きるほど与えると誘惑し。


 ランスロット卿は、守護神の眠る始祖のダンジョンと地脈を通じる山を掘り、地脈まで到達させた。魔王の命じるまま。さらに拉致した科学者を脅し、まがい物の召喚貴石を速成させた。生まれたばかりの彼らの娘を人質にして。


 ランスロット卿は、次に王国屈指の魔道士に目をつけた。近衛兵夫婦だ。奸計かんけいでこれをさらうと、暴力と脅迫で言うことを聞かせ、召喚貴石を発動させた。守護神を召喚するために。


「魔王やランスロット卿は、守護神を召喚してなにをしようとしてたんだ」

「邪悪な意志を注入しようとしていました。魔族最強の魔道士を、そのためだけに用意して」


 はあ、パソコンに別OSをクリーンインストールするみたいなもんかな。ガワだけ守護神のまま、魔王の意志に従うゾンビ的な存在に変えようってわけか。そりゃ、王国中枢部に司令を下す守護神が悪の手に落ちれば、障壁消失だけでなく、内部からも王国は崩壊しそうだわ。


「でもそれは成功しなかった。だってそうだろ。王国はまだ存続してる」

「ええ」


 ティラミスは頷いた。


「私は喚び出された。ノエルの母親によって。守護神召喚は魔族には無理。どうしても人間の魔道士が必要だったのです」

「で、召喚後は魔族の出番ってわけか」

「虫の形を取る邪悪な意志の術式を、魔族魔道士は不定形の私に打ち込もうとしました」

「やっぱりティラミス、お前は守護神なんだな。マカロンのママでも姉でもなく。いつぞやサバラン宿でのナイフ決闘で俺が急にナイフ使いに開眼して勝ったのも、お前の力だろ」

「……」


 ティラミスは答えなかった。眠り続けるマカロンを愛おしそうにぎゅっと抱くと、続けた。


「でも、功を焦ったランスロット卿が、致命的なミスを犯した。まだ術式起動中というのに魔族魔道士に強要し、未完成の術式を私に撃ち込んだのです。……見て」


 眼の前の映像に、ぼやっとした青い影が見えた。あれが、召喚された守護神――つまりティラミスの本性だろう。ランスロット卿に後ろから蹴られた魔族魔道士の手から、どす黒い炎が飛んだ。青い影に向け。


 と、青い影が強く明滅し始めた。小さくなったり大きくなったり、サイズも激しく変動している。


「私は戦った。入ってきた邪悪な術式と。乗っ取られたはずなんです。でもランスロット卿の失策で、術式は完璧ではなかった。かろうじて術式の鉤爪かぎづめを外し、外に向けることに成功した。でもその結果、魔族の術式は暴走して……」


 と、映像は強い光で包まれ、なにも見えなくなった。五秒、十秒……三十秒ほども。

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