8-7 斬撃

「ここが……第五階層」


 第四階層出口にあったのは、立派な階段だった。まるで王宮のように、しっかり磨かれた白い貴石でできた。魔導トーチに、きらきらと輝く。第四階層までの「坂道に雑に段を刻み、とりあえず滑りにくくした」階層間通路とは、大違いだ。


 階段はずっと続いていた。三十分ほども。深い。もう何段進んだかわからなくなったとき、突然視界が開けた。


 明るい。魔導トーチなど不要。天井と壁、床までもが白銀に輝き、眩しいほどだ。


「ここ、本当に洞窟……」


 ノエルが呟いた。


「まるで神殿じゃない」


 たしかに。


 第五階層は、ひとつの空間になっていた。小ぶりな体育館ほどの大きさ。ここまでの階層のような不定形の洞窟状ではなく、垂直の壁が四方を囲み、中央に教壇のような形に、盛り上がった部分がある。周囲に複雑な紋様もんようが刻まれている。荘厳な雰囲気だ。


「あそこが祭壇だよ」


 俺の胸から身を乗り出し、プティンが腕を伸ばした。


「あそこに、召喚の珠がある。王家の伝承では、そこに手をかざし祈るんだ」

「それで守護神を召喚できるんだな」

「正確には、再召喚だね。守護神はすでに召喚済み。でもなぜか消えちゃったからさ」


 はあ、不具合の出たパソコンを再起動するみたいなもんか。それかアプリ再インストール的な。それかリセマラとか。


 ……まあどうでもいいか。俺、なにアホなこと考えてるんだろ。


「数年前だったよな、守護神が消えたの」

「いつ消えたか正確にはわからないんだよ、ブッシュ。消失に気が付いたのが数年前というだけで」


 そういやそうだった。


 そもそもは、大事故から始まったんだよな。ノエルの両親は代々功績を残してきた近衛兵の家系。剣術士と魔道士の夫婦だった。数年前、ふたりが調査で赴いた山中で大規模魔法事故があり、山ひとつ吹っ飛んで多数が犠牲になった。ノエルの両親も。魔道士である母親の責任とされ、ノエルが今でも苦しめられているのは、言うまでもない。


 前後して王国屈指の科学者が一家揃って失踪した。あまりに続く王国の災厄に守護神の異変を感じ巫女を用い召喚したが守護神は顕れず、その消失が明らかになった――。


 そういう話だったよな。だから「気がついたのは数年前」で、間違いではない。


「奇妙な場所じゃのう……。空気にマナが満ち満ちておる」


 興味深げに、ボーリックが周囲を眺め渡している。


「すさまじい濃度じゃ。これほどのマナ濃度など、聞いたことすらないわい」

「伝承のとおり、敵やモンスターは居ないようだな」


 ガトーは安堵の表情。握り締めていた短剣の柄を、やっと離した。


「長い間、ここには誰も踏み込んでいない。それだけにもしやモンスターでも湧いていては……と危惧していたが」

「パパ、ここ空気がおいしいね」

「そうだな、マカロン」


 マジだ。第四階層までは、えた土の臭いに獣臭さやカビの臭い、それに腐敗臭などが入り混じった、なんとも言えない悪臭が漂っていた。よくあそこで弁当なんか食えたなって話で。


 でもここは違う。フィトンチッド溢れる森林か、柔らかな薫風抜ける夏の山頂のようないい香りがする。深呼吸するだけで、体内に力が満ちてくる。ボーリックが言うように、大気にマナが満ちているためだろうか。


「マカロンがいい子にしてたからよ」


 マカロンの目の高さまでしゃがみ込むと、ティラミスが頭を撫でてやっている。


「だから神様も、マカロンのこと大好きなのよ」

「だから空気がおいしいんだね、ママ」

「そうよ」

「えへっ。ママとパパが大好きだからだよ、あたしがいい子にしてたの」

「あ……ありがとう、マカロン。そう言ってくれて」


 思わず……といった様子で、ぎゅっと抱き締めている。


「ママもマカロンのこと、大好きよ。たとえ……これから何が起こったとしても」


 ティラミス、まだ十五歳かそこらなのに、育児うまいなあ……。これだけ愛情を注ぎ込まれたら、そらまっすぐないい子に育つわ。


 俺は舌を巻いた。ティラミスがこれで十五歳って、マジで信じられんわ。いつも冷静で落ち着いてるからなあ……。たとえ危険なダンジョンを進んでいるときでさえ。


「いよいよ再召喚ね」


 エリンはほっと息を吐いた。


「クイニーの馬鹿も、もう少し頑張ればよかったのにね。王命パーティーを危機に晒して逃亡なんかしたら、手配書が回る。これからすっごく生きにくなる。あそこで留まっていれば、こうして任務に成功し、救国の英雄と称えられた上に、莫大な成功報酬だって手に入ったのに」

「まあ、そこまで頭が回らんで小銭に目が眩むからこそ、小悪党に身をやつしておるんじゃろ。それにエリン、まだ成功したわけではないぞ。守護神が消えた以上、召喚装置に致命的なエラーが出ている可能性だってある。召喚装置が暴走してわしら全滅という事態だって、充分考えられるわい」

「脅かさないでよ」

「ええい、グダグダ言っていても仕方ない」


 焦れたように、ランスロット卿が大声を上げた。


「とっとと再召喚しよう」


 俺を見て。


「ブッシュ、お前がリーダーだ。責任を持って装置を起動しろ」


 こんなときだけリーダー扱いしやがって。ボーリックが言ったように、起動時の暴走だって考えられる。そうすれば一番危険なのは起動者。その役目を俺に押し付けようって肚は見えてる。


「まあいいか……」


 苦笑いすると、深呼吸して心を鎮めた。マカロンとティラミスのためにも、俺はこの大役をやり遂げてみせる。


「全員、俺の後ろについて進め。俺が起動する」


 祭壇まで進んだ。側面だけでなく、祭壇上部にも細かな模様が彫り込まれている。それらは祭壇の中央に向けた形となっていて、中央部には、ソフトボールくらいの大きな宝石が嵌め込まれていた。


「これが召喚の珠か」


 深い茜色あかねいろ。透明な真球で、模様はこの珠を取り囲むように放射状に走っている。


「ブッシュ、祭壇の前に六芒星りくぼうせいの模様があるでしょ」


 プティンが指差した。たしかに地面に、星形が刻まれている。


「珠を起動すると、あそこに守護神があらわれるはずだよ。仮初かりそめの女神姿として」

「へえ……」

「守護神自体に形はないからね。人間が安心するように、そうした形を取るんだ」

「なにをぶつぶつやっておる」


 背後から、ランスロット卿が怒鳴ってきた。


「早くせんか。いよいよ私の伝説、クライマックスだというのに」


 はあそうかよ。


 振り返って、わざと呆れ返った顔を見せつけてやったわ。アホらし。俺のすぐ後ろに、マカロンの手を取ったティラミス。ティラミスの後ろに隠れるようにして、焦れ顔のヒゲ野郎が俺を睨んでいる。よっぽど怖いのか、剣の柄に手を掛けたままだ。


 けっ。結局女のケツに隠れてるだけじゃねえか。しかもなるだけ前に陣取って、守護神に顔を売ろうってか。守護神が現れたら、いの一番に「自分が召喚した」とか謎アピールしそうだわ。


 クソヒゲの背後に、ノエルとエリンの女子ふたり。その後ろにボーリック。最後尾にいるガトーは、ここまで来たのに抜け目なく周囲に目を配っている。


 さすがは王女の懐刀として世界を飛び回るスカウトだわ。ここまで来ても浮かれることなく、しっかり警戒してやがる。


「なら行くぞ。全員、万一のときに備えろ」


 向き直ると、俺は手を伸ばした。珠の上に手をかざし、表面に手を置く。


「いいよ、ブッシュ」


 プティンが声を上げた。


「そこで目を閉じ祈って。守護神様、今一度、御姿みすがたをおあらわしたまえ……と」


 言われたとおりに。一心に祈っていると、ふと、手のひらが震えた。珠が脈動している。心臓のようにどくんどくんと。手が熱くなってきた。ぬるま湯の温度をとうに超え、熱燗ほどにも。


 手を引っ込めようか迷った瞬間、奇妙な感覚が俺を支配した。


 ――この珠、もしかして俺は知っている? そう、この世界に来てから毎日のように触れ合った心の感触がする。温かで優しい……。そう……これは……もしやティラミスの……。




「バシッ!」




 ラップ音がして、手が弾き飛ばされた。


「顕現したっ! ――うそっ!」


 プティンの歓声は、すぐに叫びに変わった。


「再召喚されてないよ、ブッシュ。何も顕現していない」


 たしかに。


 目の前にある六芒星には、誰も立っていない。ただ虚しい、祭りの後の飾りのようだ。そのとき――。


「見よっ!」


 ボーリックだ。まっすぐ、ティラミスを指差している。言われるまでもない。ティラミスの体は、金色の輝きに包まれていた。神々しく。


「ママ……」


 マカロンが絶句する。


「マカロン……」


 ティラミスが、マカロンの頬を撫でた。


「私はね――」

「ふははははっ」


 ランスロット卿が、大声で哄笑している。


「間抜けが。あっさり生身の肉体に再顕現されおって。邪神の正体を見破ったときから、お前が守護神の写身うつしみであることはわかっておったわい」


 剣を抜くと、天にかざす。神殺しの剣は、ぬらぬらと青く輝いている。いつもよりはるかに強く。


「魔王様、今こそ無敵のご加護をっ! 将来魔王様に仇なすとかいう、ふざけた勇者とやらも一緒にやれますぞっ!」


 どこからともなく雷鳴が鳴り響き真っ黒の稲光がランスロット卿に落ちると、その体を闇色の霧が包んだ。


「守護神め、喰らえっ!」

「ティラミスっ!」


 駆け込んだ俺が野郎とティラミスの間に飛び込んだ瞬間、神殺しの剣がティラミスを真っ向から切り裂いた。俺やマカロンと一緒に。

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