8-4 対「邪神」戦

「プティン、大混乱だ。正気に戻せないか」

「やってみる。ブッシュは敵を牽制してて」

「おうっ」


 飛び上がった妖精プティンが、俺の上に浮く。短剣を構え直した俺は、野郎を睨みつけた。クソ上司姿の邪神は、皮肉な笑みを浮かべたまま、動かない。どうやら、まずは錯乱して踏み込んでくる奴を潰し、こちらの手勢を減らす算段のようだ。


 てことはこいつ、知性があるってことだ。反射的に狩りをする動物のようなモンスターではなく。異世界の邪神とはいえ、さすがは曲がりなりにも「神」と名前がつく存在のことだけはある。


「ブッシュさん、用心して」

「ティラミスわかってる。お前はもう定位置に戻れ」

「はい」


 俺を正気に戻すために、最前衛まで走ってきてくれたんだ。ありがとうな、ティラミス。


「えーいっ」


 頭上でプティンの声がしたと思ったら一瞬、空間が歪むように衝撃が走った。


「お、俺……」

「わしは」

「あたし、どうして……」


 三々五々、声がする。


「正気に戻ったら全員、立て直せっ。敵の姿は幻だ。最初の計画どおり、前衛は牽制。スカウトと魔道士が攻撃だ」

「おう」

「任せろ」


 頼もしい声がした。


「ボーリック」


 邪神野郎を睨み牽制しながら、俺は叫んだ。


「やれっ」

「わかっておるわい。人使いが荒いぞ」


 大声で笑うと同時に、魔法が撃ち出された。ボーリックとプティンから。邪神に向かい。敵の本当の姿や属性がわからないので、当たり判定のない無属性魔法だ。


「タコは死ねっ!」


 エリンの声。俺のすぐ脇、両側を、矢が飛び交い始めた。エリンとガトー、ふたりのスカウトから。半分くらいの矢はぱらぱらと落ちたが、残りはどこかに刺さった。俺に見えるクソ上司の体だけでなく、その周囲の空間まで。


 つまり見えてない部分にも、体があるってことだ。この調子ならいずれ、本当の輪郭がわかるかもしれない。


 突然、吠え声が響いた。敵の位置から。クソ上司が近づいてくると、手を振る。と、腕のリーチのはるか先というのに、俺とクイニーの剣は弾かれた。なにか硬いものに当たって。


「ヤバっ」


 慌てて剣をしっかり握り直した。どうやら幻惑で間合いに呼び込み攻撃する技が無駄と判断したようだ。自ら積極的に出てきての、肉弾戦狙いか……。


 なんにつけ、吠え声だけで無言なのが不気味。もはや幻影での惑わせは無意味と悟ったのか、俺の目に映るクソ上司は侮蔑の表情を仮面のように貼り付けたまま。人形より無機的だ。


「いてっ!」


 クイニーが、腹を押さえて後退った。手の間から、血が滲んでいる。踏み込みすぎてやられたのだろう。


「クイニーっ」


 ノエルから緑色の回復魔法が飛んできた。


「へへっ、助かる。さすがはノエルの姉御だ」


 クイニーはだが、前線には戻らず、脇に飛び逃げた。


「ブッシュの兄貴」


 嫌な笑顔を、俺に向ける。


「前線に戻れ、クイニー。俺ひとりだと牽制が崩壊する」

「ここまでだ。俺は撤退する」

「はあ? 今は戦闘中だ。戦わないと死ぬぞ」

「そうでもねえぜ、ほら」


 握った左手を開くと、ふたつの珠が現れた。


「それは……」

「帰還の珠、それにマーカーストーンだ」


 また握ると、帰還の珠の操作に入る。


「な、無い……」


 ガトーが懐を探っている。


「くそっ。いつの間にスリやがった!」

「まあみんな、頑張って戦ってくれ。帰還の珠は消費アイテムらしいから俺が使えば消える。だが、マーカーストーンは違う。こいつは高く売れるぜ。今回のシノギは、これで充分よ。もう少しで大金だったが、死にたくはねえ」

「待て、せめて全員退避させろ。ひとり抜けると厳しい」

「悪いなブッシュの兄貴。みんな頑張ってくれ」

「この、こそ泥がっ!」


 ガトーの放った矢は、だが虚空を通り抜けた。壁に当たって、悲しげな音を立てる。クイニーが消えたからだ。帰還の珠の効果によって。もうダンジョン入り口まで戻っているはず。とっとと走り逃げていることだろう。どこか……悪仲間の隠れ家にでも向かい。


「くそっ」


 毒づいた俺の体は、大きく持っていかれた。壁に叩きつけられる。


 痛い。どえらく痛い。気絶しそうなほど。


 見ると、脇腹から血がどくどくと流れ出している。クイニーに気を取られたため、邪神の攻撃を受けたんだ。


「ひいーっ!」


 ランスロット卿は、後ろを向いて逃げ出した。部屋の壁に張り付いて、頭を抱えてしゃがみ込んでいる。


「パパをよくもーっ!」


 駆け込んできたマカロンが、邪神に飛びかかる。が、あっという間に投げられ、俺のように壁に叩きつけられた。


「い……痛いよう……」


 ずるずると崩れ落ちると顔を歪め、初めて泣き言を口にした。どこか骨が折れたのかもしれない。


「マカロンちゃん」


 ノエルの回復魔法が俺達ふたりに飛んでくる。気がつくと邪神はさらに進み、もうすっかり小部屋の中まで入ってきている。俺とクイニーが前衛から消え、陣形は崩れたも同然だ。敵の正面に立つのは、スカウトふたり、それにティラミスだ。スカウトはもう弓を諦めた。近接接敵は不可避と見て、ふたりとも短剣を抜き放っている。


「喰らうがよいわっ!」


 ボーリック渾身の地属性魔法が炸裂。天井を崩して野郎の頭上に巨石を落とした。もはや「無難な無属性で」などと寝言を言っている場合ではない。属性相性のリスクを無視して、手持ちで最大限強力な魔法を撃ち出したのだろう。


「えーいっ!」


 巨石に潰された邪神を、プティンのアイスジャベリンが襲う。氷のつららが突き刺さると、岩の破片が飛び散った。




 ――ドンッ――




 轟音と共に、氷の槍も巨石も吹き飛んだ。舞い上がる土煙の中、邪神が宙に浮いている。クソ上司姿で。気取ったスーツには、汚れひとつ着いていない。もちろん幻影だからだろう。


「もうダメじゃ」

「弱音を吐くな、ボーリック。俺が行くっ」


 立ち上がった。


 ノエルの回復魔法で、傷は塞がった。痛覚も一時的に麻痺しており、痛みは感じない。やるなら今しかない。たとえ刺し違えても、野郎をぶち殺す。


 俺は剣を構えた。


「ダメよブッシュ。死んじゃう」


 悲痛な叫びだ。悪いなノエル。パパとして、俺はマカロンとティラミスを守る義務がある。たとえここで死ぬとしても、戦う姿をマカロンに見せておきたい。それが父親の義務だから……。


 ――そのとき。


 キーンという、なにか耳をつんざく音がした。邪神のすぐ前から。同時に、太陽のような輝きが現れた。……ティラミスの体を包み込むように。


「ティラミス!?」

「……」


 両手を広げ、ティラミスは邪神の前に身を晒している。無防備に。激しい風が巻き起こり、きれいな金髪を強く揺らした。


「これは……」


 光が収まると、ティラミスは倒れていた。ぐったりと。その前、すぐのところに邪神が立っている。クソ上司の姿ではなく、なにか気持ちの悪いなめくじのような姿で。


「なんだ、これ」

「ブッシュ、これがこいつの本当の姿だよっ」


 プティンが叫ぶ。


「ティラミスがやったんだよ」


 そうか。ティラミスの力で、敵の擬態が破れたってことか。


 濁った緑色とも茶色ともつかない色。体長二メートル。なめくじのように這っているが、脇にカニのような脚部が十数本生えている。あの脚で剣を払われ、俺は腹を裂かれたんだな。


 もたげた頭には、目らしき突起が、五つ突き出ていた。しめじのような形で、先端が黒い。口と思しき裂け目からは粘液が垂れ、でたらめに生えた牙が覗いている。


「全員攻撃っ! ティラミスを守れ」


 叫んだ。


「毒矢で目を潰せ。ボーリック、こいつは炎に弱そうだ。燃やせ」

「おうよっ」


 詠唱の声が聞こえると同時に、スカウトふたりの矢衾が、目を狙い飛びまくった。


「プティン、お前は口だ。あの奥に槍を突き通せっ。焼き鳥だ。口から串刺しにしろ」

「ブッシュっ!」


 俺の胸の中で、妖精プティンは両手で印を結び始めた。

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