6-8 王女に頼られる

「まあ……」


 王女が食事の手を止めた。


「それではブッシュ様は、まだ記憶喪失が治っていらっしゃらないのね」


 心配げに、眉を寄せている。


「ええまあ」


 嘘だが。そもそも記憶喪失でもなんでもないし。ただ転生してどうのというのは、この世界の住人にとってはたわ言も同然だからな。聞かせるわけにはいかない。


「でもいいんだ。俺は楽しくやってるし。追放されるほど無能な俺の記憶なんて、どうせロクなもんじゃないからな」

「ご謙遜ですね。……ブッシュ様には隠された能力がある、それは確信まで高まったと、ガトーも申しておりました」

「だといいんだがなー。俺、新入社員の頃のデスマーチで、課長にケツ蹴られたこともあるし。『この、使えん奴が』とか言われて。まあ実際あの頃は部署も俺のスキルと合ってなかったし、怒られるのも当然だったんだけど」

「ふふっ」


 王女が微笑むと、カールした柔らかそうな金髪が揺れた。


「ブッシュ様のお話、時折半分くらい異国の言葉のような気がしますわね。……でもなぜでしょう、わたくしもそのとき一緒に席を並べて苦労していたような気がします。……お話が上手ですのね」


 それだったら、どれほど良かったろうな。底辺社畜のブラック労働とはいえ、スーツを着た転生タルトが、俺と一緒に地獄を見ながら励ましてくれてたら……。


 でも現実は残酷だ。そんな夢を見る喜びすら、俺には与えられなかった。


「底辺社畜話ならいくらでもあるからなー。……そうだ、盆休みも取れず深夜残業してるとき、ボロビルのエアコンが壊れて汗だくで書類書きまくってた話、しようか」

「意味はわからないけれど、なんだか楽しそう……」


 うっとりしている。いや楽しくはないわ。地獄だろ。てか地獄だ。うん地獄だった。なんなら正月休みに取引先に呼び出され怒鳴られた話もしようか。


「ブッシュはね、違う世界に生きてるんだよ」


 プティンがフォークとナイフを置いた。ここ王宮には、ちゃんと妖精用の小さな食器やカトラリーが用意されてて驚いたわ。まあ王女のソウルメイトだってんなら、それも当然かもしれんけどさ。ままごとサイズなのに細かな模様が施された陶器とか、どえらい工芸技術だぞ、これ。


「ボクたちの知らない世界。時折、そんな気がするんだ」


 さすが妖精。勘が鋭いな。前世ではあるが、まあそんなもんだし。


「私達は皆、運命の囚人です」


 ティラミスが「らしくない」ことを言い出した。


「ブッシュさんだけではなく、私やマカロンだって、運命の流れに押し流されて生きている。きっと……王女様だって」

「そうですね、ティラミスさん」


 真剣な瞳で、王女が頷いた。


「さすがはブッシュ様の奥方様。神域巫女や賢者様のように賢いのですね」

「ママは世界一だよ」


 むしゃむしゃと肉を食べながら、マカロンが口を挟んだ。


「おいおいマカロン、パパはどうなんだ」

「パパも世界一」

「じゃあママとパパ、どちらが世界一なんだ」

「それは……」


 ぱたりと、銀の匙を置いた。


「パパの意地悪ぅーっ。どっちも世界一って言ったら、どっちも世界一だよ」

「ごめんごめん」

「マカロンちゃんも、なんだかふっくらしてきましたね。肌の色も良くなったし」

「ええ王女」


 それは俺も感じてる。


「王女が持たせてくれる、栄養満点の弁当のおかげかな」


 それにうまいことおだて上げるとなんでも食わせてくれる、「サバランじいじ」のな。マジ、ふたりには感謝してる。


 ティラミスもすっかり肉がついてきて、もうダイエット女子でもなんでもない。普通にかわいい美少女だ。街を歩くと、男はみんな振り返って見てるからな。こうして王女と並んでいても、一歩も引けを取らない。玉を磨くように大事に大事に育てられてきた王女と、残飯やバッタ、ネズミを食べてきたホームレス上がりのティラミスがだぞ。こんな奇跡あるか。


「本当は、もっといいものをご用意したいのです。ですが、ノエル両親の例の事故からこっち、作物が大きく育たなくなって」

「そりゃただの偶然だろ」


 そんなの信じてたら迷信じゃん。


「直接的な因果関係はないようです。王立科学院の学者の方々の推測では、大爆発で山ひとつ無くなったため、山裾に降る雨が消えたためとか」


 なるほど。水分を多く含んだ風が山に当たって駆け上ると分厚い雲が生じて、山裾に大雨や大雪をもたらす。あれと同じってことか。


「でもそれ、その地域限定の話だろ。広い王国全体に影響が出るわけはない」

「そうは思うのですが、科学院には権威の方がいらっしゃって、鶴の一声にて……」


 溜息と共に、王女は口を濁した。


「そりゃ腐ってんな」


 前世でもその手の話、聞いたことがあるわ。特に科学が政治の下に位置付けられていた国で、頻繁に起きたとか。


「科学院の幹部連中、一掃したらどうだ」

「科学院に所属するためには、幹部からの推薦が必要。そこで派閥ができますし、登院のために『謝礼』が飛び交う事態です」

「賄賂か」

「わたくしは、そうは言いません」


 そりゃあな、立場ってのがある。それなりに権力を持ってるところを無闇につつくと、王女といえども得はないだろう。


「長い歴史があるのです。当初の理想がいつの間にか悪意のシステムに埋もれるのは、人の歴史ではありがちなことでしょうね」


 ティラミスが口を挟んできた。


「そうですね、本当に」


 王女は頷いた。


「事故が原因という説明は、庶民にも流れています。凶作の原因が、必要なのです。ティラミスさんも仰るように、人の心は弱いものなので」

「それもあってね、世間でノエルへの風当たりが強いんだ。ボク、頭に来てさ」


 憤ったように、プティンが肉を食いちぎった。


「事故と無関係の子供に、なんの罪があるのさ」

「そうか……」


 ランチのテーブルは、重い沈黙に包まれた。


「あたしがなんとかするよっ」


 マカロンが声を上げた。


「退治すればいいんでしょ、悪い人を」

「そうね」


 王女は微笑んだ。


「いずれ、マカロンちゃんにお願いするかもしれないわ」


 それから俺に視線を移す。


「すみませんブッシュ様。ブッシュ様との楽しい食事にするつもりだったのに、なんだか嫌な話ばかりに……。わたくしが不躾ぶしつけで……」

「いいんだよ、王女。あんた、毎日重圧に苦しんでるんだろ」


 俺は、王女の瞳をじっと見つめた。灰色の、澄み切った瞳を。


「俺に愚痴ることで重圧がわずかでも和らぐなら、俺は嬉しいんだわ。ティラミスやマカロンも同じさ。俺……」


 思わず、自分でも意外な言葉が口をいて出た。


「このクエストが終わっても、王女の役に立ってやるよ。まあまつりごとや策略ってのは俺には向かないだろうけどさ。王女の頭痛の種、その端っこくらいは、潰してやるからさ」


 なんだろ、俺。子育てするようになってから、人の役に立つのが楽しくなってきたわ。転生、パパ活、ダンジョンでのパーティープレイと続いてマジ、性格変わってきたのかも知れんな。


「ブッシュ様……」


 王女の灰色の瞳が、しっとりと濡れてきた。


「あ……ありがとうございます。そのお言葉、わたくしにはもったいないほどの励ましです」


 手を伸ばすと、俺の手をぎゅっと握ってきた。


「ねっ王女様。言ったでしょ、ブッシュは心の支えになるって。あの晩のボクの予言、忘れないでよねっ」

「ええプティン」


 王女が微笑むと、涙が一粒だけ、頬をつたった。


「あなたの言う通りになったらわたくし……」


 俺の手を離した。


「いえ……、そうなるかは、女神様のお導き次第ね」




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