2-5 家族を養う金をなんとしても手に入れてやる

 いかん……俺、負けそうだ……。


 指を三か所も傷つけ、テーブルには俺の血溜まりが広がってきた。俺の左手は、血の海に浮かぶもみじのようだ……。


「パパッ!」

「大丈夫だ、マカロン」


 言ってはみたが、どうともならない。絶望が心に広がった。と――


「――って、うおっ!?」


 突然、俺の手が加速した。




 ――たたたたたたたっ。




 動画の倍速消化並の速度。しかも指にナイフを刺さずに済んでいる。マジこれ、早送りで現実を見ているかのようだ。


「おっ!」

「ブッシュが……」

「すげえ……。こんなん見たことねえ」

「やばいぞパパタナシュー、加速しろっ」

「ブッシュお前、ガチ短剣使いだったのか……」

「そのスキル、なんでこれまで隠してきた」

「そうだそうだ。それがあるなら無能とか陰口叩かれなかったのに」


 いや知るか。俺社畜の力じゃない。多分だが、俺の「ガワ」になったブッシュって野郎が、チートスキルかなにか持ってたんだろうさ。なんでそれを使わず無能扱いされてたのかは、俺は知らんが。


 それか、自分でもよくわからんが中身の俺社畜が、なにかに覚醒でもしたとか。……よくわからんがとにかく、あっという間に追いついた。


「くそっブッシュめっ!」


 相手も加速した。九周を回ったのが、ほぼ同時。パパタナシューのほうが、わずかに早い。そのとき――。


「いてっ!」


 野郎のナイフが、人差し指をかすったようだ。


「よしっ!」

「行けっブッシュ、チャンスだ」

「ブッシュッ! ブッシュッ!」

「パパ!」

「ブッシュさん……」


 テーブルを取り囲んで皆が大声を上げる中、受傷でもたついたパパタナシューを抜き去り、俺のナイフが、親指と人差し指の間に戻った。


「ゴールっ!」


 審判が叫んだ。


「勝利者、ブッシュっ!」

「うおーっ!」

「マジかよ!」


 店内はもう、大騒ぎだ。


「無能のブッシュ、あだ名返上だな」

「口だけブッシュで有名だったのに」

「ナイフが良かっただけだろう」


 誰か知らんが、余計なお世話だ。


「パパーっ!」


 マカロンが抱き着いてくる。血まみれのテーブルから、俺は手を離した。


「文句ねえな、パパタナシュー」

「お、おう……」


 切れた人差し指を握ったまま、顔を歪めている。


「俺の負けだ、ブッシュ」


 じっと見つめてくる。


「これまで馬鹿にして悪かった。あんたには、でっけえタマが付いてやがる。……おい、金貨を出してやれ」

「あ、ああ……」


 パパタナシューの仲間が巾着から金貨を取り出すと、俺の前に置いた。直径五センチくらいか。思ったより大きい。俺の血溜まりの真ん中だから、赤に金色の、奇妙な日の丸のようだ。


「パパタナシュー、お前さんはさすがだな。約束を守るなんて、さすがは冒険者だ」


 一応、持ち上げておいた。逆恨みされて夜襲とかはカンベンだからな。勝者ほど、敗者に気を配らないと。


「パパタナシュー、あんたが公正に戦ってくれた礼だ。あんたのパーティーからギャラリーまで、ここで飲んでる全員に、俺が酒を一杯奢るぜ」


 おおーっと、歓声が上がった。誰彼ともなく、肩を叩かれる。


「ブッシュ、おめえ男としてレベル上げたな」

「追放されて、なにか覚醒したんか」

「今のお前なら、雇ってくれるパーティーだってあるぞ!」


 そうかよ。現金な野郎どもだわ、全く。


「マカロン、金貨持って厨房で注文しろ。……ちゃんとお釣りはもらうんだぞ」

「うん、パパ!」


 金貨に付いた血を服で拭うと、厨房へと走る。


 この世界の通貨価値は、まださっぱりわからん。だが金貨なら、相当に高額なはず。たとえば転生前の世界で言えば、一万円相当ってこたないだろ。それに百万は行かないな。そこまで高額だと、パパタナシューがあっさり賭けのチップにするはずがない。


 おそらく十万とか、そのあたりの感覚だろう。こいつはパーティー全員の「今日の稼ぎ」だと言っていた。数人が命がけで一日働いての報酬と考えれば、まあ妥当だ。


 なら酒なんか何杯奢っても、俺は大儲け。家族を養う原資にできる。マカロンとティラミスに、外出用の服を買ってやりたいしな。ちょっとした菓子くらい食わせてやったら、マカロン、大喜びだろう。ティラミスだってママとは言えど、俺の世界なら女子高生になったかどうかくらい。この世界にケーキがあるのか知らんが、食べさせてやったら喜ぶに違いない。


「ブッシュさん……」


 勝負の行方を黙って見つめていたティラミスが、スカートの裾を引き裂いた。かわいいひざが丸見えになったが、かまわず手の血を拭いてくれる。


「手当てします」


 細く裂いた布を、俺の指に巻いてくる。器用に。


「すみません……」


 包帯代わりの布に、涙がぽつりと落ちた。


「マカロンのために……こんな……」


 手当ての済んだ手を、胸に抱く。


「気にすんな。俺はマカロンのパパだ。家族を守るのは当然じゃないか」

「はい……はい」


 ティラミスの瞳から、透明な涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。


「泣くなティラミス。痛くもなんともないぞ、俺は」


 精一杯、強がってみせた。まあ実際は、どえらく痛むんだけどな。


「パパー。お酒、料理長さんが持ってきてくれるって」


 マカロンが戻ってくると、大歓声が巻き起こった。


「いやーいいものを見せてもらったわ」

「今晩は酒がうまいな」

「そりゃおめえ、ただ酒だからだろ」

「そうとも言う」


 もう大騒ぎ。ティラミスとマカロンを抱いたまま俺は、酒場の喧騒に身を晒していた。家族を守ったという満足感に包まれて。


 ……だが俺は気づかなかった。食堂の隅、薄汚れたスカウト装束の男がひとり、喧騒に参加せず、酒を手にいきさつをすべて見ていたことを。それが翌日、とんでもない事件を引き起こすことも。




●パパタナシューとの決闘に勝った夜、ブッシュはくつろぎの時を迎える。怪我で体を洗えないブッシュに、マカロンは一緒に入って洗ってあげると大喜び。だが……。

次話「マカロンの秘密」明日公開。お楽しみに!


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