2-4 家族のためなら痛みなど感じん

「やってみるか……試しに」

「うん。それでこそ、マカロンのパパだわ」


 ナイフ決闘に負けたら負けたで、最悪逃げればいいや。別に律儀に言うことを聞いてやる必要なんかない。ここはなんでもありの異世界だからな。


 ティラミスを差し出すなんて嫌だ。この場からふたり抱えてダッシュで逃げればいい。サバランの宿屋には二度と顔を出せなくなるだろうが、とりあえず三人とも風呂で体を洗いまくって身ぎれいになったことだし、服だってまともだ。そのままどこか他の宿にでも押しかけて、住み込みの仕事を探すさ。前世でドブを這い回ってきた底辺社畜。その程度の度胸と交渉力なら、備わってるからな。


「なら受けてやるわ、パパタナシュー」

「おう」


 店内が、今日イチで盛り上がった。他のテーブルの連中さえも。なんといっても、ここは冒険者宿。気の荒い連中が集まってるだろうし、多分こうした「イベント」は大好物だろう。ダンジョンで連日切った張ったやっている、明日をも知れぬ命の野郎どもだろうし。


「さて……」


 誰かが渡してくれた短刀を、逆手に握った。短刀と言っても、ちょっと大ぶりのナイフくらいな感じ。刃もそう反ってないから、こうした決闘には向いている。……いや向いてるってのも変だが。ただ、それにしても……


「なんだよこれ、よく切れそうじゃん……」

「当たり前だろ。冒険者の得物だぞ」


 くそっ。なまくら刀くれればいいのに……。こんなん、もし指に刺したら、どえらく痛いに決まってるじゃんよ。


「さて……」


 パパタナシューとかいう野郎が、立ち上がってテーブルに左手を着いた。指を目一杯開く。


「準備はいいか、ブッシュ」

「ちょっと待て……」


 汗でナイフが滑る。革巻きの握りを、俺は服でごしごしこすった。いつの間にか、手のひらにどえらく汗、かいてるし。


「始める前からそんなんで大丈夫かあ、ブッシュ」


 ギャラリーから野次が飛んでくる。


「やかましいわ。んなら、てめえが代わりにやってみろ」

「わはははははっ」

「ちげえねえ」

「言うじゃねえか、ブッシュ」

「お前、しばらく見ないうちに、キャラ変わったな」


 なんか知らんが受けた。ったく、他人事だと思いやがって、どいつもこいつも。


「よし、いいぞっ!」


 蛮勇を振り絞って叫んだ。


「俺が審判をやろう」


 長剣を下げた戦士が、立ち上がった。こいつら、いくらダンジョン帰りだからって、武器くらい置いてから飲みに来いや。それこそ喧嘩になったら、どうなるかわからないだろうがよ。


「いいかふたりとも、俺のカウントで始めるんだ。さんにいいちゼロな、三二一〇だぞ」

「よし」

「わかった」


 こんな見ものを見逃してたまるかとばかり、ほとんどの客は席を立ち、俺達を取り囲んでいる。俺の横に、ティラミスが立っている。マカロンを後ろから抱いて。


「大丈夫、ブッシュさん、勝てるよ」

「パパ……お願い、勝って」

「任せろ。パパの強いところ、見せてやる」

「パパ、好き」


 ティラミスの手を振り切って、マカロンが抱き着いてきた。と、俺の心にふつふつと愛おしさが湧いてきた。例の「父性愛」って奴さ。俺はこいつを守る。成り行きとはいえ、父親だからな。


「始めろ」

「よし、さん……にい……いち……」


 改めて、短剣を握り締めた。また汗が出て少し滑るが、もう中断はできない。


「ゼロっ!」

「やってやるっ!」


 始めた。まず親指と人差指の間。次に人差し指と中指の間。えーと……親指と人差指の間に戻って……っと。


 静まり返った店内に、小気味のいいトントンという音が響く。俺とパパタナシューのナイフの。


「そーれ、一周」


 ギャラリーから声がかかった。


「ブッシュも一周」

「もっと気張れ、ふたりとも」

「どうした、いつもより遅えじゃねえか、パパタナシュー」

「ここからよ。ほれ二周」


 パパタナシューは余裕の声。俺はまだ一周をなんとか終えたところ。そっちを見る余裕もない。ともかく左手を睨んで、トントンやるだけだ。


「パパタナシュー、三周」

「しっかりしろ、ブッシュ。おめえの嫁が、今晩抱かれるんだぞ」

「ほっとけ、ハゲ」

「おいおい、俺はハゲてねえぞ」


 知るか。こっちはイッパイイッパイだわ。負けたら逃げるだけだしな。誰がティラミスを抱かせるかっての。


「ビビってんじゃねえぞ、ブッシュ」

「ガキのナイフ工作かよ」


 どんどん離される。相手がもう五周めにかかっているというのに、俺はまだ三周めだ。


「くそっ」


 やってやるさ。俺だって男だ。改めて短剣を握り締めると、加速した。もう要領はわかった。あとはやるだけだ。


「おっ、ブッシュ速えぞ」

「パパタナシューに追いつくんじゃね」

「まあ見てろって。そうはうまくはいかん」

「いてっ!」


 思いっ切り小指に突き刺した。


「ほらな」

「わははははっ」


 もうギャラリー大喜びだ。


 くそっ。どえらく痛む。指は神経が集まってるから、ちょっと切るだけでも痛いとかなんとか昔読んだ気がするが、とりあえずそれどころじゃない。傷から血が噴き出てきた。


「パパッ!」


 マカロンの叫び声が聞こえる。


「血が……」

「大丈夫。痛くなんかないぞっ、マカロン」


 微笑んで安心させてやりたいが、マカロンを見る余裕はない。


「わははははっ」


 またしてもギャラリーが湧いた。こいつら……マジ他人事だと思いやがって。


「もういいよパパ、止めてっ」


 マカロンが叫んだが、そうは行くか。こんなん痛くない。そう思い込む。底辺社畜にだって、意地があるからな。


「うおーっ!」


 気合の叫びを上げ、俺はさらにナイフを速く動かした。


「パパタナシュー、七周」

「ブッシュ六周」

「いてっ!」


 もう一度、今度は人差し指と中指を同時に傷つけた。雑に動かしているせいで、ナイフの刃が横に向いたからだ。しかもヤバい血管切れたぞ、これ。凄い勢いで、テーブルに血溜まりができ始めてるからな。


 頭がくらくらしてきた。いかん……俺、負けそうだ……。


 この世界にそうした存在がいるのか知らんが、神に祈った。俺はいい、どうかマカロンとティラミスだけは守ってほしいと。




●家族を守るため、ブッシュは全力で決闘に臨む。その姿を、陰からじっと見つめている男がいた……。

次話「家族を養う金を、なんとしても手に入れる」、明日公開!

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