第四小節  武藤りきた

この物語はフィクションです。実在する人物、団体、企業とは一切関係がありません。


生まれて初めて「働く事が楽しい」と感じた。

それまで、僕がやっていたすべてのバイトは、裏方の労働ばかりだった。

どういうことかと言うと、顧客と直接接するという仕事をやった事がなかった。

ウェイターの仕事は文字通り「接客」の仕事だ。接客の仕事を生まれて初めてやってみてわかった。


「お客さんは喜んでくれている。」


それまで僕はIT系の仕事ばかりしていたのもあり、「お客さん」とは「お金を払う代わりにあらゆるクレームをしてくる人たち」だと思い込んでいたのだが、その認識は誤りだった。


お客さんにコーヒーを持っていけば、笑顔で「有難う」と言ってくれるし、レジでお金を支払った後にはやはり笑顔で「ご馳走様」と言ってくれる。時には「ご苦労様」と労をねぎらってくれる人もいる。

そうではない人も勿論いたが、一部だった。大多数のお客さんは、クレーマーではなく、優しい人たちばかりだった。

働くこと自体は大変ではあったが、働いた分だけ殆どのお客さんは笑顔で答えてくれる。

それが何より嬉しく、働き甲斐があった。

楽しかった。

それまで「働くこととは殆ど刑罰に近い」と感じていた僕にとって、これは極めて新鮮な体験だった。


さらに言えば、店長の仲島さんは優しいし、能代という名前の年下のバイト仲間がたまたまギタリストで、一緒にバンドを組んで作曲したり、ライブを何度もやったり、店のBGMを選ぶのはDJをやっているかのようで、お客さんが好きな音楽をかけると喜んで貰えたり…。

僕はまるで学生時代に手にすることができなった青春を30歳手前にして与えて貰えたかのようだった。


ただ……。

一点だけ問題があった。


この物語はフィクションです。実在する人物、団体、企業とは一切関係がありません。


その喫茶店はMK社というコーヒー豆の焙煎会社がコーヒー豆を売るための直営の喫茶店だった。本社が秋葉原にあり、そこで豆の焙煎をしている。

つまり、僕が勤めていた店舗ではコーヒーが飲めると同時に、店内でコーヒー豆を買うことができる。また店内だけでなく入口の外で声を出しながら店頭販売もやっている。


MK社の焙煎部の部長の滝本という中年の男性が月に二・三度コーヒーの淹れ方やコーヒー豆の販売の仕方を本社から指導に来る。

その部長は次期社長と目される人物で、実質MK社の経営を任されていたのだが、人格者とは言い難い人物だった。

当時、パワーハラスメントという言葉はまだ日本にはなかったが、その部長は今でいうパワハラをしまくっていた。

部長が月に数度、店に顔を出す時は店長の仲島さんをはじめ従業員全員に緊張感が走る。

その部長が事あるごとに客の目の前で従業員を叱咤するからだ。

僕自身はその部長が来店するときはおとなしくしているので、あまり標的にされることはなかったが、店長に対しては酷かった。

店長は僕ら従業員達の盾になってくれている状態で、部長は来店する度に店長につらくあたった。


月のうち、大半は大変ながらもやりがいのある接客(キッチンを任されたりもした)、とバンド活動。恋もあった。

楽しかった。

しかし、月に二・三度、憂鬱な日がある。


そんな生活が続いた。

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