第二小節 武藤りきた
数年後。
僕はある女の子の助言をきっかけにドラムを練習し始めていた。
それまで僕は親に「音楽で食べていける人なんて一万人に一人。絶対にやめなさい。」と言われていたのもあって、ミュージシャンになるつもりはなかった。
あくまでも一音楽ファンとして一生を終えるつもりだった。
しかしその女の子のおかげで、たとえ食っていけないとしても「ミュージシャンになりたい」、特に「ドラマーになりたい」と思うようになった。
これについては前に話したので、ご興味がおありならば
そちら(五次元の学士
https://kakuyomu.jp/works/16816700428851475085
)をご覧いただきたい。
いずれにしても僕がドラムを叩こうと思ったいくつかの最大の理由のうちの一つが、P-Funkのこのビデオを観てしまったことだった。
Jerome Brailey のドラムはグルーヴィーでファンキーで、かつカッチリしていて非のうちどころがない。特にダブルキックは最高だ。
数々のドラマーを観て、聴いてきたが、僕にとっては今もって、Jerome Braileyを超えるドラマーはいない。ちなみにYouTubeを観ても、殆どがサングラスをかけた動画ばかりなので、未だにどういう顔なのかはよく知らない。
26歳の頃、少しはドラムが叩けるようになった僕はプロドラマーになりたい、と思っていた。
だがどうすればいいのかわからない。
当時はwindows95が発売された直後位で、インターネットというものが普及し始めた頃だった。
僕はバンドのメンバー募集のサイトを発見し、そこでドラマーを募集しているバンドマン数人と交流してみたが、どうもその人たちとバンド活動していてもプロになれる気がしなかった。
僕は26歳にして音楽の専門学校に通うことにした。
今思えば「気楽なもんだ」と思うが、当時既に鬱だか統合失調症だかを抱えていた僕としては必死の選択だった。
ある年下のドラマーとこの専門学校で友達になった。
僕はその友達と交流する中で、ある失敗をしてしまう。
僕はとにかくP-Funkがいかに素晴らしいバンドであるかをその友達に伝えたかった。
Jerome Braileyのドラミングを是非聞いて貰ってその素晴らしさを知って欲しかった。
その友達が「僕はX Japanが好き」、と言っていたにもかかわらず。
僕はまだ若かった。
X JapanとP-Funkではジャンルが違いすぎる事にすら気づいていなかった。
僕は例の海賊ビデオ屋で入手した、The MothershipConnectionをその友達に貸してしまった。
彼が大して興味がなさそうな顔をしているのにも気づかずに。
その友達と決して喧嘩をしたわけではないのだが、僕は別件の理由があって彼と疎遠にならざるを得なくなってしまった。
その別件についてはいつかまた機会があったら話すかもしれないが、簡単に言うと、先程言ったように、僕は当時既に鬱だか統合失調症だかの精神疾患を患っていて(病識はあまりなかった)、僕は結局専門学校に通うことができず、従って友達も殆どできず、行きづらくなって、学費も払えなくなり、辞めてしまったのだ。
今思えばどう考えても病気だったのでどうしようもなかったのだが、つい最近までずっと自分を情けなく感じていた。
結果的に、僕は命の次に大切にしていたThe Mothership Connectionのビデオを、友達に貸したまま疎遠になってしまい、手放してしまった。
僕は人生何度目かの引きこもり生活に戻った。
そうこうしているうちに僕の二十代は終わろうとしていた。
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