第四話
「そろそろ……」
それから。
楽しい夕食を終えて、一息ついている頃に時計を見たハルくんがちょっとだけハッとするようにそう言って立ち上がった。
「もういくの?」
まだもう少しこうしていられると思っていたあたしはそれにちょっと戸惑って、でも門限を見るとご飯を食べた時間からそうゆっくりしてられるはずもなく。
ざらついた気持ちが一気に表面に出てきて、どこかもんもんとした気分のままあたしも続いて立ち上がる。
「送って行かなくて平気か?」
「はい。大丈夫です。雨も止んだみたいですし、電車もあると思うので」
乾かした学ランを羽織りながら部屋の隅に置いていた鞄を取るハルくんが、どこかあっさりしているみたいで嫌だった。
「じゃああたし駅まで送るよ」
「大丈夫だよ」
「送るから。ちょっと待ってて」
「……うん」
どたどたと。締め付けられるような胸を抱えながら、自室に戻って一度深呼吸した。
うん、やっぱり、こんなんじゃない。
これで終われないよ、あたし。
七年前は、自覚なくお別れが来て、仕方ないと思っていたけれど、今は……深く自覚する。
今日を最後にもうこっちに来ることはないだろうって言った。
忙しくなるからって。
ひとつひとつ、指折り数えるようにやり残したことを達成して、まるで決別するようなほど意思を固めていく彼に、本当は背中を押してあげるべきなんだろうけど。
だめだ、無理だ、あたしには。
二度目の別れほど辛いものはないし、あたしは、あたしは。
「………」
――あたしはきっと、卑怯なんだと思う。
◆ ◆ ◆
「別に良かったのに」
「いいでしょー。せっかくなんだし。ちょっと話したいこともあるしさ」
夜。ひんやりとしたような空気に身を縮み込ませながら、駅へと向かって二人で歩いていた。
「話って?」
ふー……深呼吸。
ちょっとバクバクしている心臓が声音を安定させてくれなくて、落ち着きを待つ。
「今日、やりたいことは全部出来ましたか」
一歩一歩。顔は見ない。
足元の水たまりを見つめながら、ちょっとだけ彼よりも早い歩調で歩きながら。
「うん」
「本当に?」
「うん。両親と会えたし、沙希ちゃんと会えたし、自分の家も見てこれた。それに……」
考える。ぐるぐるぐるぐる、ばかなあたしにはどうにも答えが見えてこないけど。
「ジグソーパズルも、完成させられたしね」
―――。
「沙希ちゃん?」
その言葉を聞いた途端、立ち止まってしまったあたしに、訝しむようなハルくんの声があたしの顔を覗き込もうとした。
顔が見られるのが嫌で、すぐにまた歩き出す。
「そっか。よかった」
「……うん」
「あっちで頑張れそう?」
「うん。おかげさまで」
前を見ていた。ずっとずっと遠くを見て、今に呪われた彼は未来を見つめていて。
いつからこうなったんだろう。
時が止まってしまっていたのは、あたしのほうだけだったみたいだ。
「あたしさ」
しばらく歩いて、駅のホームが見えてきて、とうとう終わりが近づいていると思ったら、感情がぶれ始めているのを自覚する。
「うん」
振り返った。あたしの顔は、きっと見送る顔じゃない。
「あんたともっと遊びたい。一緒にいたい。終わらせたくないよ」
自分がこんなになるなんて、思いもしなかった。
言葉にした途端に、一気に感情の波がうねりになって、重たく沈んで苦しくなる。
「ど、どうしたの?」
「行かないでよ。つらいよ。寂しいよ」
本当に、バカだと思う。
台無しだ。たぶん。きっと、嫌がられるかもしれないけど。
ずっと握りしめて、ぎゅっと痛いくらいに握りしめていたそれを、ン。とあたしは無理に差し出す。
「え?……な、なんで」
「完成させたら!」
「っ」
「終わっちゃう気が、したの!」
「沙希ちゃん……」
ずっと引っかかっていた。ずっとわからないでいた感情を、わからないふりをしていたあたしの嫌な部分を、言葉にすると痛かった。
「いい、いいよ、いつでもいい。余裕がある時で構わないし、なんだったらこれでもう終わっちゃってもいいけど、持ってて。またここにきてよ。まだっ、続けたい、んだよ」
嫌だった。たまらなかった。
ずっと見たかったジグソーパズルを、あたしはいつのまにか続き物のように感じていたんだと思う。不完全だからこその意味を感じて、それが正しい姿のように思い込んで。
あたしはこれを、今が延長線上であることを認めてくれる唯一の存在だと思った。
急に奪われて、一人ぼっちに残されて、一緒に見てくれる人がいなくて、どんどん温度のなくなっていくピースを握りしめて。
埋めてしまえば終わってしまう。完成させれば続かなくなる。
「あんたのこと、大好きだった」
勝手な話でしょう。笑えてしまうような、迷惑でしかないような、そんな。
泣きじゃくって、今やっと羽ばたこうとしている彼にしがみついて、障害になろうとしている。誰もいなくなった巣箱を見るのが嫌だからって、飛び立とうとしている先で彼が傷付くのを知って、そんな世界にあたしが手を振って送り出すこの現実が嫌で、身勝手でしかなくて。
あたし、自分がこんなに重たい女だったなんて、思わなかったな。
「約束を、破ってごめん」
「もう、来ないなんて言わないでよ……あたし、ずっと、待ってるからさぁ……!」
あの雨の日、物陰に隠れた二人の約束は、些細なもの。
ちょっと粗暴で、女の子らしくなくて、やんちゃだったあたしが、唯一よく遊んでくれた、構ってくれた親友に対する、未来への夢。
「ずっと一緒にいて欲しかった……!」
彼のせいじゃない。彼は悪くない。その真実をも知って、それなのに彼へと言ってしまうあたしは本当に愚かでしかない。
「泣かないで」
仕方なかったんだ。あれは。誰も悪くない不幸の連鎖でしかなくて、だからこそ誰かに何かを言うことは罪悪感の押し付けばかりで。
我ながら卑怯だと思う。でも、これを終わらせたくはない。離れた道を、分かれていく道を、そのままにしておきたくない。
この奇跡的に起きたようなねじれを、一本の道としてこのまま、続けていきたいから。
「また来るよ。絶対。このピースを持って」
だからこうやって、彼に未練を生ませてしまう。またここに来る理由を、押し付けて。
最低だ。自虐に寝込んでしまいたくなるくらい、今のあたしをあたしは嫌いだ。
でも、だからこそ、信じてくださいと言う。
あたしのためにそう言ってくれた貴方を、後悔させることはないように励むから。
「ごめん、ごめん、許して……っ」
「ううん。沙希ちゃん」
しがみつくと、優しく手を回してくれたその熱は、昔にはなかったもの。今だからこそあるもの。
「今日はありがとう。楽しかった」
こんな運命に翻弄されないくらい、強かでありたい。自分の道を自分で決められる人生を、二人で見つけて進んでいきたい。
「がんばってね」
「うん」
あの絵のような蒼月が、あたしたちを見守ってくれていた。
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