第三話

「雨、いつ止むんだろう」

「冷え込んできたね」

 しばらく。思い出話に花を咲かせて待っていた雨は、どうやら通り雨ではなかったみたいで。

 お寺が山のほうにあるせいで冷気が差し込んでくるようになったし、そろそろどうにかしなきゃいけないんだけど……。

「どうしよっか」

「………」

 おかーさんを呼んだ方がいいかなー……う、だめだ、自転車を引っ張り出してきたのが仇になってきている。

 バカバカバカ。迷惑かけちゃってるし……どうしよう。

 どうするか。

「ハルくんって門限とかあるの?」

「八時半。先週やっと許されたばかりなんだけど、こんなすぐ破ったらまたなにか言われちゃいそうだから……少し焦ってる」

 うーん困った。

 それに彼が本当に最後だっていうんなら、お家にも連れて行ってあげたいし。

 休憩所の屋根から顔を覗かせて、だんだんと暗くなってきた空模様を眺めても、しばらく止みそうにない事実に悲しくなる。

 これは覚悟するしかないんじゃないかなー。

「……よし、ハルくん!」

「ん?」

「全力ダッシュで帰るよ!」

 握り拳を固めて、この雨の中自転車を押しながら家まで帰る覚悟を決める。と、少しだけぽかんとしたような表情の後、ちょっとだけ嬉しそうな顔を浮かべてハルくんは。

「うん、っ」

 いつかのように、あたしの手を取ってくれるのだ。


 ◆ ◆ ◆


「うひゃー」

「さむい!」

 おお。珍しい声を聞いた気がする。

 駆け足気味にパチャパチャと水たまりを踏みつけて帰り道。

 ハルくんはもうこの辺の地理はぜんぜんわからないようであたしを頼りにしてくれてるんだけど、ちょっとプレッシャー。

 さすがに迷子になっている余裕はないので自分を信じて進むしかないけどね。

「はー……」

 さっむ!

 早くしないと風邪ひいちゃいそうだ、本当に自転車持ってきたことを悔みそう。

 滅多なことはするもんじゃないね。めちゃくちゃ邪魔じゃない? これ。

「押そうか?」

 優しい言葉をかけられた。

 でも大丈夫、さすがにそんな迷惑はかけられない。

「その角曲がったらもうすぐだから、行こう」

 なんで今日に限って折り畳み傘すら忘れてきちゃったんだろう。

 びしょびしょになってきた、薄地だから肌に張り付いて気持ち悪いし、彼の視界のなかに立つことも出来ない。

 だって恥ずかしいし!

「ああ……なつかしいな」

「思い出す?」

 こんな雑談しているような場合じゃないんだけどね。

 ほらほら、ここの公園。あの砂場で遊んだ覚えがある。いつかの雨の日、雨宿りしたのもここの遊具じゃなかったかな。

 子供の頃はずいぶん離れた場所に感じていたけど、今こうやってみると五分もかからない距離なんだ。

 ほんとなつかしい。あたしはずっとここにいたはずなのに、どこかおかしな気分だ。

「いったんハルくんお家行く前にあたしの方おいでよ」

「え? いいの?」

「うん。服乾かしたりしなきゃアレだし、最悪お父さんが帰り送ってってくれると思うし」

「……ありがとう」

 よーし到着。一安心。

 っはー、本当にどうなることかと思った!

「ただいまー!」

「大丈夫?」

「あ、お、お久しぶりです……」

「あら……あらあらまあまあ」

「……彼氏じゃないから。ハルくん。さっきそこで出会ったの」

 あらあらまあまあじゃねーんだ。

 出迎えてくれたおかーさんは一枚だけタオルを持ってきてくれていたので、それをハルくんに回しつつ何を考えてか口元を隠しながら楽しそうにするおかーさんを、厄介払いじゃないけど追加のタオルを催促して追い払う。

 ふー。

 でも昨日急にハルくんの話をした途端翌日に連れてきているって、変に思われるだろうなあ。

 イヤだイヤだ。

 ここ数日のあたしの行動、あとあと響きそうなくらい考えて行動出来てない気がする。

「へっくし」

「大丈夫?」

「だいじうぶ……上がって上がって」

「あ、うん」

 靴は一日おかないとだめだろうなあ……靴下も。

 ハルくんは事前に靴下だけ脱いで被害を軽減していたみたいだけどね! しっかりしてるなって思いました、まる。

「ごめん。先ちょっとお風呂入ってくる」

「あ、うん。あの、おばさんすみません、ドライヤー借りていいですか?」

「ハルくんイケメンになったわねー。よかったら夕飯も一緒にどうぞ」

「あ、えっと……はい。ありがとうございます」

 このよそよそしいやり取りは中間あたりにいるあたし的になんか妙な気分になる。

「ハルくんあたしの部屋わかるでしょ、そっちに行ってて」

「あ、ありがとう」

「何も触んないでよ?」

「もちろん」

 よーしちゃちゃっとお風呂入ろう!

 そして早く着替えちゃいたい。


 ◆ ◆ ◆


 んーっ、自分の部屋にノックするのって変な感じ。

 ちょっと身だしなみを整える自分がいて恥ずかしくなってしまいながら。

「いる?」

「あ」

「……なーに見てたのよ」

 がちゃりと開けて部屋に入ると、びくっとした様子のハルくんが机に向かって立った状態でいたので、面白半分でじとっと見ると。

「いや、違う違う」

「あやしい……」

 むふ、と顎に手を当ててすぐ疑う。と、両手を上げながら彼は特に慌てるそぶりもなく白状した。

 ちょっと探偵モードに入っていたのに、ノリが悪いなあ。なんて。

「これ。壁に飾っていたから」

「なるほどね」

 どうやら彼は、ジグソーパズルを見ていたみたいだ。

 ざんねん。いや、あたしの部屋にはいろいろあるから、変なものじゃなくて安心したけど。

「ずっとこのままにしてたの?」

「うん。実は」

 あたし一人だけで完成させてしまうのは、すぐに違うって思ったから。

 なんだけど、それを数年経った今でもそのままにしているっていうのがバレたのは少しだけ照れくさい。別にやましいことではないんだけど、どこかそれに近いような、ずっとあたしだけの秘密だったから。

 変な気分になってしまう。

 と。

「じゃあ、はい」

「え?」

 最後の一ピースを手渡されて驚いた。

 そうか、彼に渡したままだった……少しだけ、あたたかい。

「よかったら」

 ドキドキした。はにかむ彼の表情に、つい胸のどこかが飛び跳ねて、照れてしまうくらい暑くなって。

「い、いいの?」

 鮮やかに蘇る思い出のなかで、昔の光景と今の光景が重なって、たまらない。ちょっと泣きそうな気分になってくる。

「な、なんかドキドキしてきたね……あはは」

 自分をごまかすようにそんなことを言いながら、それでも真剣にジグソーパズルを見つめて止まない。

 ど、どうしよう。終わっちゃう。違う、完成するんだ。

 不思議な感覚だった。どっちつかずにブレる感情で、完成させるべきなのか、そうじゃないのか、うまく言語化出来ない。

 もったいない。とはまた違う。なんというか、ちょっと難しくて。

 でも、完成させたいのは事実だから。


「――っ」


 ぱち。

「……七年ぶりに、なのかな」

「……うん」

 壮大だ。美しく、完成された世界には、遜色なんてひとつもない。

 今までは生きていなかったのに、顔がなかったのに、まるで息を吹き返して動き出している。

 その感動がたまらないくらい、嬉しくて、胸の高まりが抑えられなくて。

「これが、みたかったんだよ」

 額縁に戻してもう一度壁に飾る。二人で並んで眺めたそのジグソーパズルは、当時の気持ちが一気に戻ってくるようだった。

 ――でも、その横顔に。

「ん?」


 どこかまたひとつ離れたような心の距離を、感じざるを得ないのだ。


 ◆ ◆ ◆


 雨音はもう大人しくなっていた。

「まだもう少しかかるけど、時間は大丈夫かしら?」

「あ、はい。ありがとうございます」

「あれだったら、電話しときましょうか?」

「あっ……いや、大丈夫です。門限が八時半なので。それまでに帰れば問題ありません」

 一階に降りてみると、美味しい匂いのなかにいたおかーさんが心配するようにそう言っていたけど、ちょっと困ったようにハルくんがそう言うと深くは追求せず引き下がってくれていた。

 それにどこかほっとしつつ、「じゃあちょっと外出るね」と言い残して隣のお家。ハルくんの実家へと向かう。

「まだ少しだけ降ってるね」

「でもこれならもうすぐ止みそうだ。送ってもらわなくても大丈夫かも」

「えぇ?」

 しばらく接していて思ったけど、ハルくんはあまり手を掛けられるのが苦手なようだった。

 あたしからすれば受け取ればいい良心なんだけど、どこか遠慮してしまう。

 そんなところにちょっとしたもの悲しさを覚えながら、でも仕方ないのかなと思ったり。

「鍵は持ってるの?」

「うん。今日のために、合鍵だけど」

 がちゃりと。


「――っ、まあ、予想してたけどね」


「大丈夫?」

「……うん」

 踏み込んだ室内は、真っ青に冷え切っているようだった。

 仄暗い。人気がなくてどこか寂しい。靴もなくて、カーペットも。抜け落ちたような生活感に、彼の深い深呼吸が耳に残る。

 見かねてあたしは、壁をなぞりながら思い出の糸をたぐる。

「あたし、何回かしか来たことないんだけど、どれも覚えているよ」

「………」

「一回目は確かあんたがよくしていた遊びを教えてもらおーって思って、来たことがある。図鑑ばっかりでつまんないって思ったなあ」

「図鑑おもしろいよ?」

「もう。二回目は、確かおかーさんが忙しい時で、預けられていたんだよね。寂しくなくて嬉しかった。それで、三回目はお泊まり」

「沙希ちゃんは寝相悪かったよね」

「え? うそだあ」

「嘘じゃないよ、顔蹴られたもん」

「……ゴメン」

 吹き出すように笑われてしまった。

 ふくれっ面で抗議していると、ちょっとだけ明るい雰囲気になったけど、ふいに。

「ああ……なつかしいな」

「?……あ」

 しゃがんで、壁の片隅に描かれたなんでもないような落書きを指でなぞる彼を見る。

 蹲るような彼の背中に、ぽんと優しく手を置いた。

「………」

 彼のいまを知るたびに、どこか難しい気持ちになる。

 あたしは彼に、何をしてあげられるんだろうか。





「彼氏か」

「ちっがうよ! ハルくん! 友達! そういうんじゃないから!」

 家に戻ると、いつのまにか帰ってきたおとーさんにハルくんを見られてそう言われ、ちょっとイラッとしてしまった。

 もう!

「あ……えっと、お久しぶりです。望月晴です」

「おお、望月さん家の子か。大きくなったなあ」

 わしゃわしゃされてる。お互いの両親もそれなりに仲が良かったから、どこかなつかしいというか、心が温まる感じだ。

「ほら、ご飯にしましょう」

「はーい。ハルくんそこ座ってて」

「あ、うん」

「どうだハル。元気にしていたか」

「はい」

 さあさあご飯だ。手持ち無沙汰にしていたハルくんはおとーさんに構われていてちょっとかわいそうにも思ったけど、あたしはおかーさんの手伝いに励む。

 わああ、ちょっとだけ豪華。急に連れていたのに、さすがおかーさんだ。

 だいすき。

 あああ、お腹が減ってきたなあ……!

「おいしそう」

「んっふふー」

 料理を運んでいるとハルくんにそう言われてちょっと嬉しくなった。でしょでしょ。

「いっぱい食べてね」

「ありがとうございます!」

 みんなで席に座る。

 子供の頃も一緒にこうやって食卓を囲んだことはあるのに、ちょっと変な気分だ。きっとはたから見たらあたしの顔はいますごく赤い。

 隣り合って、すぐ側に感じる彼の存在にドキドキして。

 今日は本当に、素敵な一日だと思う。


「いただきます」


 ……いや、これは、素敵な一日なのだ。

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