第二話

「ごめん! 今日は部活パスさせて!」

「別にいいけど……」

 パンッと後生頼むように両手を合わせながら頭を下げていると、あたしの勢いとは反対に面食らった様子の友人は頬をかきながらそう言った。

「ありがと! じゃあね!」

「変な子……」

 ものすごい戸惑ったようなその一言を背にしながらすぐに帰る支度をする。

 途中で転校生とすれ違って何か声を掛けられそうだったけど、とりあえず無視。忙しそうにしてれば察してくれるでしょ、申し訳ないけど、今度聞いてあげるから今は他の人に当たってくれ!

 校舎玄関から忙しそうに靴を履き替え、よっとっほとたたらを踏みながら外に出る。

「えぇ……天気わっる……」

 うそでしょ。

 そのうち雨でも降りそうだ、えー、せっかく今日はわざわざチャリを引っ張り出して、午後は動き回る気満々だったのに不安だなあ。

 天気予報見忘れちゃったんだよね。時期じゃないから折り畳み傘も忘れちゃったし。

 まぁ行くしかないか。

 行こうって決めたんだもん、昨日からの気持ちに整理をつけるためにも、このあやふやな気持ちはここで終わらせたい。

「はぁ……本当にこれでいいのかな……」

 ガッコンと駐輪場から持ち出して、しばらく。

 緊張で喉が渇いてきた。

 めちゃくちゃドキドキする。

 おかーさんから聞いたお寺はこの町から少し離れた方にあって、歩きだとそこそこ。チャリだとびゅーん。

 駅から近いらしいんだけど、あんまり行ったことのない方面だからちょっと不安。

 迷子になったら笑えないね。

 たぶん、この道で、合ってるはずなんだけど。

「………」

 うん、迷った。

 かれこれ数十分、いっこうにお寺って感じの建物が見当たらない。

 鳥居……があるのは神社だっけ、それすらもあたしには怪しいんだ。

 本当に来た覚えない道だなぁ。

 絶妙に入り組んだ住宅地のせいで自分が今どの辺にいるのかわからなくなってくるんだよ。方向音痴と言われたら本当に言い返せない。

 人に聞くー……のは嫌だし。

 調べるしかないか、地図の見方すごく苦手で嫌なんだけど。

 時間に余裕持つために部活パスしといてよかった。

 ――なんてしながらまたしばらく、グルグルと見覚えあるようなないような場所を進んでいると、ちょっと変わった石造りの門が目の前に急に現れた。

 ガラッと変わったその一角にある看板を確認し、やっとだと学校を出てからかれこれ三十分近く立っていることに焦りながら。

 お寺だ。不法侵入とかないよね?

 階段を上がり、石畳をそそくさと。多分大丈夫だ、お坊さんは怖いけどお寺ってそういうものだろうし、第一人もいなさそうだからバレないバレない。

 それでもお墓が見える霊園入り口まで行くと、さすがに踏み止まって。

「うー……怖いなぁ」

 バチ当たりなことはさすがにしたくないし……。

 せいぜい桶や酌のあるところで待機しよっか。

 今日の目的は張り込みだからね、ものすっごくくだらない話だけど。

 いやしかしだいぶ時間を無駄にしてしまった、本当は、門限まで張り込んで来ないなら来ない。居たら居たでちょっと話したい。

 それくらいとことんやったるぞの気持ちでいたんだけど、くそう。

 ちょっとだけ悔いが残りそうだ。

 と、思っていたんだけど。

「あのひと……」

 爪先立ちで園内を見渡しているとこの辺りでは見慣れない学生服の男の子が見えて、とたん気持ちが跳ね上がる。

 今のあたしってはたから見たらすごい不審者なんだろうなぁ。

 ……でも、うん。ちょっと勇気、出してみよう。

「あの」

 そそそと近づき、おずおずを声をかける。

「……?」

 声をかけられるなんて思ってなかったのか、ちょっと面白いくらいにビクッとしながら振り返る彼は、――ああ。



「私のこと、覚えてる?」



 ◆ ◆ ◆


「本当に、沙希ちゃんなんだ」

 せっかくだからと分けてもらった線香に、お参りさせて頂きながら。

「うん」

 立ち上がり、改めて向かい合うと目線を少し上にしなきゃいけなくなっていて、幼い頃との違いを感じる。

「ひさしぶり」

「変わったね」

 ううーん、ハルくん。結構大人びた子になったなぁ。

 転校生よりイケメンって言ったらその子に失礼だけど、あたしのタイプにはこっちが合う。

 背も高いし、髪の毛サラサラだし、ただ最近切っていないのか鬱陶しそうな前髪やもやしっ子って感じの細身は気になるけど。

 ちょっと、まあ霊園だってこともあるけど少し元気ないし、ちょっと心配になる感じ。

「なんでここにいたの?」

「んんっ」

 い、言えない……! 夢で見たからとは言えない……!

 ゲフンゲフン。わざとらしい咳でごまかして。

 いやあだってさ! 本当にいるとは思わないじゃん! 嘘みたいだよ! ちょっと怖いよ!

 そしてすっごいドキドキしてる。

 正直声をかけた決め手だってここらへんで見ない学生服だからだってだけなのに、まさか本当に彼だったとは予測出来るはずがない。

 対面に立って、こうやってまじまじと見ると懐かしい気持ちから所々に面影を感じられるけど、それでもだ。ぜんぜん当時のような感覚を取り戻せない。

 〜〜〜っ、どうしよ!

「あ、あのさ、時間ある?」

「うん。なんか、夢みたいだ」

「じゃ、じゃあ……えっと……」

 ふー。

 どうしよう。コマッタ。

 なんて切り出せばいい!? 普通に考えて数年ぶりにお墓参りに来たらずっと昔の幼馴染みが待ち伏せしてて、「ジグソーパズル……」とか言い出したら恐怖じゃない!?

 うあああ困った。本当に困った。お誘いは出来たけど、話を切り出せる気がしない。

 というか、というか、ひとまずそれはどうでもいいのだ。言っちゃえば口実でしかないわけで、世間話でもしてあっちでも元気にしているんだなあってあたしが思えれば、それで。

 だから、だから、なんでテンパってるんだあたしは!


「沙希ちゃん」

「へ?」

「雨降ってきた」

「――あ、ちょちょ、ちょっと雨宿りしよう!」

 すぐ見えた休憩所の方まで急いで向かい、冷えた空気を寒く思いながら一休み。

 ついでに深呼吸して、いったん落ち着きを持つ。

「ふー……」

「懐かしいね。前もこんなことなかった?」

「ふぇ? あー、ハルくん風邪引いてたよね」

 それは、いつか町内を冒険した時の話だ。

 たしか今日みたいに天気がちょっと優れない日で、いつもみたいにハルくんをあたしが連れ回しているときで。

 案の定その日は雨が降ってきたんだけど、でも小雨なうちって楽しくてさ? 見慣れた公園が別物に見えたし、水溜りの反射は綺麗だったし、葉っぱの先に付いた水滴は美しくて、今じゃ考えられないけどカタツムリさえ拾ったりして、遊んじゃってて。

 でもやっぱ雨って寒くて、今みたいに天井のあるところに隠れて、それで……。

「………」

 一緒に思い出してなんとも言えない空気感になってしまった。

 子供の頃のちょっとベタな口約束だ。

 最終的にあたしが転んで膝をすりむき、びしょ濡れで帰宅しては怒られ、翌日はハルくんが風邪を引いて遊べなくなっちゃうっていう散々だけど、ひたすら楽しかった思い出。

「もう転んじゃダメだよ」

「プッ、なにそれ。怒るよ」

 さすがにあたしはもう大人ですから。

 カタツムリは触れないし雨ではしゃがなくなったし転んだりはしません。

「もう……」

 んふふ。

 懐かしい気持ちでいっぱいだ。

 なんでハルくんいなくなっちゃったんだろうって、ずっと思っていたもん。

 当時の寂しかった気持ちが、今では嬉しさで溢れそうになる。

 だから。

「ハルくんさ」

「ん?」

「これ、覚えてる?」

 財布の中から取り出したジグソーパズルをしばらく眺め、切り出す決意をしては、最後のその一ピースを手渡す。

 だいぶ冷えて、それだけではなんでもないような、ただの一ピースを。


「――覚えてる。覚えてるよ」


 ハルくんは、それをまじまじと見て、じんわりとさせた目で。泣き出しそうな声音で、ちょっとだけはにかみながらそう繰り返していた。

 その予想外な姿に、ついぎょっとして心配する。

「だ、大丈夫?」

 ぽろぽろと溢れ出す涙を拭って、「あ、あれ」だなんて自覚もなくそう笑って、うずくまるように上体を倒した彼の背中をさすってあげながら顔を覗くと。

「沙希ちゃん……」

「ん?」

「話を聞いて欲しいんだ」

「――うん」


 ◆ ◆ ◆


 ガコンッと自販機から出てきた熱々の缶とペットボトルを回収し、抱えながら休憩所に急いで戻る。

「はい。本当にコーヒーでいいの?」

「うん。ありがとう」

 ませちゃってもう。

 ホットレモンを選んでしまったあたしが恥ずかしくなってしまうではないか。微糖のミルクコーヒーを御所望するあたり、本当に飲めるんだなって感じでいけすかないなと思いながら。

 なんとか彼も一旦の落ち着きを取り戻せたようだった。

「あの日のこと、覚えてる?」

 あの日のこと。あの日のこと。

 ぐりぐりと両手の中で温かいペットボトルを揉みながら、あの日のことを考える。

 うん、とあたしが頷くと、ちょっとだけ嬉しそうにはにかんだあと、ハルくんは続けた。

「あの日、両親が他界したんだ」

「……うん」

「当時はまったく気付けていなかったんだけど、どうやら、事故に遭ってしまったみたいで。それを葬式の時に聞かされて、飾られた両親の遺影に理解して。子供だったから実感もわかなかったけど、叔母に引き取られ、一変した生活が苦しかった」

 つらつらと。

 そう語る彼の寂しげな横顔に、胸が軋む感覚がどうにもキライで。

「叔母の家には九歳年上のいとこがいたんだ。当時はちょうどセンター試験に忙しい時期で、叔母もいとこもピリピリしてて。僕はある種の邪魔者で、疎まれていたんだと思う。いとこは優しくなかったし、叔母はぞんざいだった」

 だから、その言葉を聞いた時、ものすごく激昂した。

「はぁ!? なにそれ」

「仕方ないとも思うよ」

 苦笑しながらそう言われても、あたしは納得出来ていない。

 な、なんで、なんでハルくんがそんな目に遭わなきゃいけないの?

 辛いのは彼でしょ? 悲しいのは彼でしょ?

「引き取ったのはおばさんじゃんか」

 ――おばさんとは多分、面識はある。時々差し入れを持ってきていたあの人が、きっとそうだったんだろう。

 優しそうな雰囲気の人だと思っていたのに、騙された気分だ。信じられない。

「でも、叔母さんがいなかったら本当に僕は路頭に迷っていたし、感謝はしているんだ」


「……おかしいよ」

 出来ないなら引き取らなきゃよかったんだ。ただ偽善者を気取って、その責任も負えないくせにでしゃばって。

 同情はする。叔母っていうことは妹さんか弟さんが事故にってことなんでしょう。辛いだろうし、悲しいだろうし、その時やれることを精一杯やっていたのかもしれないけど!

 ――中途半端に差し出した手のひらが、一番ひどいんだよ。

「ありがとう」

 そうやってはにかんだ彼が、本当にしたたかで。

「あたし、知らなかった……幼なじみがそんな目にあってるなんて、ぜんぜん……」

「うん」

 ああ、ほんと信じられない。

 もっと早く知れていたら、知れていたら……。考えても、たぶんきっと子供だったあたしには何もしてあげられなくて、今だって何かしてあげられることも出来なくて、それが本当に恥ずかしい。

 もっと明るく再会出来るんじゃないかと思ってた。

 浮き足立ってて、ばかみたいだ。

「本当はこのあと実家に寄って、それから沙希ちゃんに会いに行こうかなって思ってたんだよ。きっと、ここに来るのも最後かなって思ったから」

「え……?」

「高校に上がってからはバイトを始める予定なんだ。まだ家を出る手段はないけど、今までみたいに何も出来ない訳じゃないだろうから」

「……そうっ、か」

「今日は両親へその決意を伝えにきた。だからもう、来ないかもしれないし、それはわからないけどね」

 きゅっと胸が軋むようだった。

 どこか下手になったような笑顔で、ちょっと感情の読み取りにくい表情で、そう言う彼に。

 今日が最後、これで最後。

 そう思うと、彼のいない生活になって七年。平気で居たはずだったのに、たまらなくなってしまって。

「じゃあ、これからなんだね」

 そうやって絞り出すように言うと、彼は嬉しそうに笑った。

「うん」

 分かれた道が、徐々に重なって一本道になったと思ったら、またこうやってずれていく。

 離れていく。

 あたしはその感覚がどうにもキライで、彼を離したくないように思った。

「………」

 ――ここでさようならをしたら、それこそ彼を見捨ててしまうような気がした。

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