第一話
――ピピピピ、ピピピピと続く電子音に目が覚めた。
「ふわぅあ……」
身体が重たい。まだ起き上がれる気がしない。
ずいぶんと懐かしい夢を見ていたような気がする。
子供の頃の、もうぜんぜん忘れていたような、そんな。
「なんで急に……」
呻きながら、のっそりとした起床。後頭部をガシガシと掻きながらすぐ横のカーテンをシャーっと開け、差し込む日差しを目に馴染ませながらぼうっと眺める。
そうそう、あの隣のお家。
あれ以来買い手が付いていないようで、無人となって久しい一軒家に、今朝見た夢のせいで昔のことを思い出す。
ちょうどあそこの対面の窓のところが、彼のお部屋だったんだ。
外に出られない時でもあそこから遊んでた。さすがに飛び移ってあっちに行ったりこっちに行ったりだとか、バカなことはしなかったけど、それでも。
なつかしいなー……。
今頃どうしているのだろう。
確かあたしと同い年だったよね? あれ? 違ったっけ、子供の頃は歳なんて気にすることなかったから、覚えてないなぁ。
「おはよ」
「今日もゴミ出しお願い出来る?」
「あー……そうだった。ん」
一階に降りてリビングへ。
すっかり忘れてた、いつもより少しだけ早く外に出ないといけないのか今日。
朝ごはんを食べて、すぐに身支度するようにしよう。
「いただきます」
おっ、唐揚げがありますね。今日のお弁当はそれか、うまうま。
んへへ、一番の好物だ。
冷凍は嫌い。おかーさんが作ってくれたやつが好き。
だから今日はいつもよりツイてる日。朝から唐揚げを揚げてくれるなんて大好きだ。
「そういえば今日、転校生がいるんじゃなかったかしら」
「へ? この時期に?」
「あなたがこの前言ってきたんじゃない」
「あー……」
そーだったっけ。
まだ寝ぼけているんだなあたし。
それにしても転校生……転校生か、転校生……。
まさか? ないない、そんな都合よく夢なんか見ない。
「ごちそうさま」
うーん。なんかもやもやする。
普段なら気にしないけど、なんか今日はあり得そうな気がしてしまう。
自室に戻り、お着替えタイム。
制服に着替えながら壁にかけた額縁の中のジグソーパズルを眺めてみる。
「ううーん」
当時飾ったまま、それから動かしてないせいでちょっと埃が積もっているけど。
真ん中のピースは空いたままだ。どこにやったのかは、覚えている。
「たーしーかーこーこーのーなーかーにーっ……あった」
うん。我ながら、なんとも微妙な感じだ。確かに恋はしていたけど、あの子のことが大好きだったけど、ここまで大切に取っておいてあるのもいったいどうなんだろう。
机の隅にある小物入れから最後のピースを抜き出して眺めてみる。
そう、これ、確か蓄光で光るやつで、表面にざらざらしたのが付いているんだよね。
なつかしー……久しぶりに手にとったなあ。
いやこんなことしている時間はないんですけれども。
「いってきます」
なんかあるような気がしたから。
思い出のピースは財布の中に入れることにした。
もしかしたら、なんて一縷の望みでも思いつつ、でもどうせ会っても話しかけられないんだろーなーなんて思いつつ、それでも。
彼にもう一度会えるのならば、これを完成させられると嬉しい。
◆ ◆ ◆
「よっ、おはよ!」
「ウッ、おはよ……」
バシっと背中を叩きながら目の前に躍り出た友達に、呻きながら朝の挨拶。
いつも突然くるから予測出来ない。
そして毎回咳き込みそうになりつつ。
「ねーね、聞いた? イケメンらしいよ転校生!」
「どっから情報得てるのよあんた」
「もちろん内緒。東京からの子だってー」
イケメン。イケメンか……確かにあの子はイケメンだった。まぁかわいい系だったけど。
そっか、もう彼も高校生か。妹みたい〜!って散々思っていたけれど、男の子だもんね。もうイケメンになっていたっておかしくない。
東京……はちょっとわからないな。
あたしは子供だったし、縁もないような場所だから。
「どうしたの沙希?」
「え? ううん、なんでもないよ?」
「楽しみじゃないのかー!」
「いやいやいや……まあそれなりに楽しみではあるけど」
ここらへんは田舎だし、転校生が来るなんて初めての経験だ。
普通に楽しみではある。
それに都会の子なんでしょ? なんか、すぐ人集りが出来そう。
あたしもほら、パンケーキとかさ? 原宿の美味しいスイーツ店とかすっごく気になる。美味しいものいっぱいあるんだろうなーって、食の事ばっかで恥ずかしいけども。
興味あるなあ。東京なんて未知だよ未知。
ここらの田舎レベルが知れるというものだ。
「名前とかは判らないの?」
「さすがに……あ、でもでも、ここらへんに縁がある人だっていうのは聞いた! ちょっと昔は住んでたみたいだよ!」
「えっ」
な、なんだそれ。都合が良いにも程がある。
妙にドキドキしてきたよ、本当にもしかして彼なのかな?
ほ、本当に……? なっ、なんか不思議な感覚だ。段々と、本当にそんな気がしてしまう。
もしかして本当に彼なんじゃないか? 正夢という奴なんじゃないのか?
「どーしたー? おーい」
ついついにやけてしまいそうになる。もしそうだったら、嬉しくて、たまらなくて、どうにかなってしまいそうだ。
彼はあたしを覚えていてくれるだろうか。あの時の思い出を残してくれているだろうか。
あたしは……正直、今日夢見るまで思い出すこともなかった子供の頃の記憶だったけれど、もし彼にも同じような奇跡が起きているならば――。
「――初めまして。高瀬連って言います」
朝のホームルーム。黒板に大きくそう名前を書きながら、かっこいい髪型をした彼は、しかしあたしの知る彼とは違う名前の人だった。
◆ ◆ ◆
「もー……」
なんなんだよ、違うじゃんか!
ものすごくげんなりと肩を下ろしながら部活終わりの下校時。下駄箱から靴を取り出していると、今朝と同じように友達があたしの背中をバンと叩きながら現れた。
「どしたー転校生がタイプじゃなかったのかー?」
「そんなんじゃないって」
「でもけっこうイイよね。こんな田舎にきちゃってカワイソー。普通にイケメンだった」
「否定はしない」
実際予想通り彼はめちゃくちゃにされていました。連くん大人気。
あたしはというと、無駄に期待していたぶんものすごく凹んでしまって、お昼休みも授業の合間も帰りのホームルームも特に話しかけにいく元気がなかった。
そして特になにも思わない。
「はぁーあ……」
「どしたんどしたん」
ずっと彼女が心配してくれている。さすが持つべきものは友達だ。
持つべきものは友達なんだけど、ショックを受けている理由が自分でも笑っちゃうくらいくだらなくて、夢見すぎだから話せない。絶対バカにされるし。
意図的に無視した風にしていると、少しの沈黙のあと。
「あー、わかった、ハルくんかもって期待したんでしょ」
「なっ、はぁ!?」
んんん! ゲホッ! ゴホッ! なんだ! なぜバレた!
ハハーンと鼻を鳴らしながらドヤ顔で咳込むあたしを見る彼女に、我ながらあからさますぎる気の動転を見せる。
「わかりやす……」
「チッ、違うわ! 違うから! その顔ヤメロ!」
「まさかの腹バンうっ」
ふー、ふー、ふー、ふー……。
ひとまず落ち着こう。図星を突かれたからってこんなんじゃだめだ、ていうかなに?
なんでバレた。そんな分かりやすいのかあたしは。
「ハルくん私らの一個下やん。転校して同じ学年なるわけないって」
「……え、あれ?」
そうだったっけ?
ん? でも子供の時、「おんなじー!」って駄菓子屋さんのおばちゃんに年齢聞かれた時そう答えた気がするんだけどな……。
「あ、そっか。あたし早生まれだから……」
「うーん天然」
あー……そっか。えっと、じゃあ彼とは同い年なんだけど、学年が違うってことなのか。
あああ、なんか恥ずかしい。すっごく恥ずかしい。
そりゃ違うよ! ていうか、余計なんか夢見すぎだよ! もう!
「初恋引きずりすぎではー? さすが数々の男をフっただけある」
「うるさーいー!」
別にそういう意味じゃない!っていうか、そんな幼い頃の思い出をこの青春を謳歌するべき高校生活に持ち込むわけがないでしょ! バカ!
理想が高いのは認めるけど、そりゃ、いい人がいたら付き合ってみたいなーとかはいつだって思うよ! あたしだって恋したいさ!
でも、うちの高校の男子は猿だから、ちょっと嫌なだけ。
あと、女の子の友達しか作ってこなかったら特に接点もない男の子に言い寄られても怖いし、困るのだ。あたしになにを求めているんだろうって。
だから……だから、なのだから。
フってることとこれはなんの関係もありません。
「ハルくんねー。なんで引っ越したんだっけ。突然のことだったから私も覚えてないなー」
「……うん」
「まあ仕方ない。諦めよ。前を向きたまえ、乙女よ」
「なんか腹立つ」
明後日の方向を見つめながら悟った風にいう彼女を睨みつつ。
そんな雑談もよそに別れを告げて一人となり、また少しだけ歩いて帰宅。
着替え、夕飯を食べ、今日は少しだけ長くお風呂に浸かる。
「なんだったんだろうなー……」
チャプチャプと。
ちょっとのぼせそうになるくらいの温度で口元まで埋まりながら、指先で波紋を作ってぐるぐるぐるぐる考える。
我ながらなぜこんなにも囚われているのかわからない。
ただ幼少の頃の思い出、ってだけなはずなんだけどなー。
いや、ちょっと嘘ついた。
それなりに子供の頃はショックだったから。
「まだなんか期待してるの? あたし」
正直いうと、彼のことは確かに大好きだ。
でも、今朝まではほとんど忘れていたような思い出だし、話題にしたのだって久しぶり。
今更、こういうのもなんだけど吹っ切れた子供の頃の記憶。
それがこんなに気が気でならないのは不自然で、でも考える頭は回らなくて。
「イヤだイヤだ……」
ため息をつきながら瞑目して、沈む。
――ああ、一つ思い出した。あれから少しした頃に、調べたんだっけ。
『月光浴』
あの子と作ったジグソーパズルの原画名。ラッセンといえばイルカの印象が強いけれど、その作品はシャチの群れの話。
半分沈んだ大きな蒼月を後ろに、二匹のシャチが飛び跳ねて笑ってる。周りの群れのシャチはそれを見守るわけではなく、どこかその月を眺めるように顔を上げていたり、背ビレだけを浮かべて遠くの方で泳いでいて。
でもその二匹だけは、月なんかを気にしないで二人の世界に没入するのだ。
外界なんて気にせずに、二人だけ。二匹だけ。
きっと誰も彼らの邪魔をすることは出来ないだろう。海をかき分け、身を躍動させて跳躍し、綺麗な飛沫を立ち上げては、月の光が乱射するような。
素敵だなあって思う。美しいなあって感動する。
羨ましいなあって、ちょっとだけ思うような。
「ぷはぁ。はー」
……うん。なんでもない。
「出よ」
あつい。
◆ ◆ ◆
つめたい。
「ん〜〜〜っ!」
やっぱりアイスは美味しいなぁ。キーンてするけど、今はそれが心地いいくらい。
あとちょっとでのぼせそうだった。危ないね、まだ少しだけふらってしそう。
シャクっと噛んだオレンジアイスバーの冷たさに悶えつつ。
「ねぇねぇおかーさん」
「ん?」
「ハルくんってさ、お隣にいたじゃん」
「ああ……沙希が好きだった子」
「バッ、ちがっ……わないけどっ、そのハルくん! なんで引っ越したんだっけ」
特に何も考えず聞いた。ふっ、と、お母さんの顔が少しだけ暗くなって、あたしはアイスを食べる手を止める。
「ああ……その、交通事故。だったのよ」
「え……」
「言ってなかったわね。確かあなたとあの子がこのお家で遊んでいた時なんだけれど、ご両親が交通事故に遭いましてって。町内会経由で私の方まで来て」
「うそぉ……」
「最終的にあちらさんの親戚の方がお家まで来て、あの子とお別れしたでしょ」
「そう、だったったっけ……」
信じられない。そうだっただろうか?
いや子供の認識能力だから、知らず知らずのうちにそうなっていたのかもしれないけれど、それでもだって衝撃が強すぎる。
ちょっと呆然としちゃう。
「確かここらへんのお寺にお墓があるはずよ。たまにお参り来ているそうだけど」
「う、嘘?」
「はじめの何年かはこのお家まで親戚さんが来て『すみませんすみません』っていろいろくれていたもの。覚えてない? 美味しいぶどう」
「あ、ある……あるけど……そ、それっていつ?」
「そうねぇ……さすがにもう交流はなくなったけど、確か今ぐらいの時期じゃなかったかしら」
鳥肌が立ってきた。
ふいに思い出したことに、食べ終えたアイスの棒を捨てることもせずに咥えながらドタバタと階段上がって二階まで。
自室へと入り、すぐさま壁にかけた額縁の裏に書いてある〝あたし達の最終日〟を確認する。
「――っ」
ああ、明日だ。
明日なんだ、そうなんだ。
「………!」
言い知れぬ感覚に胸が高鳴るようだった。
もしかしたら、会えるかも。だなんて。
不謹慎かもしれないし、迷惑かもしれない。あたしのことなんてすっぱり忘れているかもしれないし、そもそもいないかもしれないし。
でも、きっと、今日一日のことはなにか意味がある気がしてしまって。
「大丈夫ー?」
「大丈夫! おやすみー!」
一階から聞こえたおかーさんの声に返事を返す。
行動するなら明日。
きっとそれで、今日見た夢の意味を知れるような気がするから。
――明日、ちょっと行ってみようかな。
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