第6話 祐弥

「帰らせていただきます」

 まるで夫婦喧嘩の常套句の様な言葉に祐弥はゆっくりと頷いてみせた。百合の瞳が涙で潤んでいる。

「行ってらっしゃい」

 そう言いつつも、彼女の手を離さなかった。言いたいことは山ほどあるが、それを口にした所で、彼女は聞く耳を持たないだろう。

「離して」

 彼女の怒った顔に祐弥は微笑んだ。

「一つだけ、ここに置いて行ってほしい」

 祐弥の言葉に彼女の表情が曇った。溜めていた涙が溢れ、頬を伝って床に沈んで行く。

「最低」

 彼女の言葉に祐弥は目を伏せた。



 橋本 直人は自分が見た未来を祐弥に話した。御魂伏の解体は無事に終わるが、百合が母親の元へ帰ってしまっても本当に良いのかと……狛も寿命を使い果たして死んでしまう。椿の魂は開放され、輪廻へ還るが、それを差し引いても失う物が大きくはないかと祐弥に話したが、かくいう祐弥はそれを聞いても表情一つ変えなかった。

「それでいい」

 祐弥の言葉に直人は目を伏せた。

「俺にはよく分からないんだけど」

 直人の呟きに祐弥は首を傾げた。

「百合ちゃんの事、好きなんだろ?」

「彼女が何を選ぶかは彼女の意志であって、俺の気持ちは関係無い」

「百合ちゃんが死んじゃうのに?」

 祐弥の瞳が宙空を泳いだ。木々の間から見える晴れた空が、降り積もった足元の雪を溶かしている。

「別に構わない」

 祐弥の冷たい言葉が冬の寒空に吸い込まれていく。

「何? 百合ちゃんと喧嘩でもしたの?」

「いや……」

「だったら何で?」

 直人の言葉に祐弥は嘆息した。御魂伏の解体の為に里まで迎えに行った事を心底後悔する。正直、説明するのが面倒臭かった。

「お前、自分の嫁にするって言ったじゃん」

 そう言われ、祐弥は視線を逸らせた。

「それは、そうでも言わなきゃお前達が納得しないと思ったからで……」

 直人は信じられないと言いたげな顔で祐弥を見つめた。

「じゃあ俺が百合ちゃんを貰う」

 祐弥が珍しく驚いた様な呆れた様な顔をした。

「は?」

「俺が百合ちゃんと付き合ったって文句無いだろ?」

 直人の発言に祐弥は一瞬困惑した様な表情を浮かべた。

「え、いや……まあ……」

 想定していなかったのか、祐弥が戸惑っている。そんな祐弥を他所に直人は元来た道を戻り始めた。

「じゃあ百合ちゃんに告白しに行くから早く百合ちゃんとこに連れてけ!」

 直人が息巻いていると、祐弥は視線を宙に泳がせた。



 眼の前に真珠が並んでいる。美奈と百合はそれを眺めながら瞳を輝かせていた。大玉の真珠がついたネックレスの下には零が沢山並んだ値札が置かれている。その数字を見て溜息を吐くと、二人は顔を上げ、お互いに笑い合った。

「まあ、私達にはイミテーションで充分よね」

 美奈が呟くと、百合は頷いた。お店を出て商店街を歩くと、道すがら百合は尋ねた。

「美奈さん、本当に今日、ご予定は無かったのでしょうか?」

 今朝、智弥の家に遊びに行ったら、祐弥から百合の事を頼まれ、そのまま商店街へ遊びに出ていた。

「平気平気。家に居たら年末の大掃除手伝わされるから友達の家で勉強してくるって言って出て来たの。百合ちゃんの方こそ大丈夫? てっきり祐弥くんとデートだと思ってたんだけど……」

 と、言いつつ、自分も智弥と逢引のつもりだったので少し凹んでいたのだが、それでも百合との買い物はそれなりに楽しかった。

「……少し距離を置かれました」

 百合の言葉に美奈は意外そうな顔をした。

「え? そうなの?」

「なんかよそよそしいというか……話はするんですけど、なんていうか……」

 百合がそう話して俯くと、美奈は百合の頭を撫でた。

「男なら祐弥くんだけじゃないわよ!」

「美奈さん……智弥さんと良い感じなんじゃないんですか?」

「ええ? 告白されただけよ。クリスマスプレゼントが軟膏よ? 信じられる?」

 美奈の言葉に百合は頭の中で想像した。

「……雰囲気崩れますね」

「でしょう? ムードの欠片も無いでしょう? 喜劇よ」

 美奈が笑うと、百合もつられて笑う。

「まあそういう所に惚れちゃったから仕方ないんだけどね」

 そこまで話して美奈は百合へ視線を戻した。

「祐弥くんは? クリスマスプレゼントくれなかったの?」

「……はい」

 百合の返答に美奈は目を丸くした。

「え、準備してなかったのかな?」

「そうみたいです。特にクリスマスとか気にして無かったみたいで……誕生日の事も私から切り出せなくて……」

「うわぁ……それは落ち込むわぁ……」

 美奈はそこまで話して百合の手を取った。

「強請ってみたら?」

「へ?」

「指輪が欲しいって言うのよ! 婚約指輪!」

 美奈が叫ぶように言うと、百合は顔を真っ赤にした。

「いや、でも結婚とか……そこまで考えてくれては無いと思います……」

「結い紐の儀したんでしょ? そこまでやられて結婚しませんとか言ったらただの詐欺よ」

 百合は恥しそうに顔を真っ赤にする。美奈はそんな百合を見ていて微笑ましかった。商店街を歩いていると、ばったり二人組の男に出くわした。見覚えのある背中に向かって美奈が声をかける。

「あれ? 智弥くん?」

 振り返った彼がサングラスをかけているのを見て美奈は首を傾げていたが、直ぐに百合が説明した。

「智弥さんの双子の弟さんで、神崎 和弥さんです」

「ええ! 嘘ぉ!?」

 美奈が叫ぶと、和弥はサングラスを取った。黒い革ジャンの下から虎の絵が覗くと、美奈はヤンキーだと思った。

「へえ……中々可愛らしい」

「坊っちゃん、またナンパしたら駄目ですよ!」

 眼鏡をかけた少し小柄な少年が和弥の裾を引っ張ると和弥は明後日の方向を見た。視線の先に祐弥と直人の姿を認めると、和弥は面白そうに不敵な笑みを浮かべた。

「伊織、お前だったらこのお嬢ちゃんのどっちと付き合う?」

「どっちも却下です」

「言うと思った」

 そうこう話していると、祐弥と直人が合流するが、百合はなんとなく美奈の後ろへ隠れる様に身を翻した。

「百合ちゃん、久しぶり」

 直人に声をかけられ、百合はにこりと微笑んだ。

「直人くん、久しぶり。春香さんも元気?」

 月次な話しが続き、その最中一言も喋らない祐弥を見て和弥は腕を組んだ。

「祐弥、お前百合ちゃんにプレゼント渡したか?」

 和弥に急に聞かれ、祐弥は軽く首を傾げた。

「そもそも、キリストの降誕祭に何かを誰かに贈るという習慣がおかしな話で……」

「違ぇよ。二十四日がお嬢ちゃんの誕生日だったから聞いてんだ」

 和弥の言葉に祐弥は驚いた様に百合を見つめた。百合は少し俯いていたが、必死に笑顔を作った。

「まさか自分の彼女の誕生日忘れてたとか無いよな?」

「いや、そもそも知らなかったんだが……」

「はあ? 彼女の誕生日知らないとかどんな神経してんだよ」

 和弥が詰ると、祐弥は溜息を吐いて俯いた。

「産褥の母の姿を忘れぬのが何よりの誕生日。とか言うなよ?」

「お前は読心術でも心得てるのか」

「お前だったらそう言いそうだと思ったんだよ。良いから祝ってやれ」

 和弥がそう言うと、直人が口をついた。

「百合ちゃん、遅くなっちゃったけどお誕生日おめでとう」

 百合はそれを聞いてにこりと笑った。

「ありがとう」

「それで……その……」

 直人が恥しそうに右手を差し出すと、百合は首を傾げた。

「好きです! お付き合いして下さい!」

 深々と頭を下げた直人が声を上げると、百合は困惑していた。

「え、ええ?!」

 驚いて祐弥を見つめるが、祐弥の表情は変わらない。百合はそんな祐弥に不安を覚えた。

「えと……」

「じゃあこうしようぜ」

 にやにやと不敵な笑みを浮かべ、和弥が提案した。

「お嬢ちゃんが気に入った物を買って来た奴がお嬢ちゃんとデートするってのはどう?」

 和弥の提案に直人は手を挙げた。

「賛成!」

「じゃあ十分後にまたここに集合な」

 和弥がそう言うと、直人が颯爽と走り去って行くが、祐弥は微動だにしなかった。

「お? もう棄権か?」

 和弥の言葉に祐弥は目を細めた。百合が不安そうな顔をしていると、そっと近付いて手を取った。

「我が命の全けむかぎり忘れめやいや日に異には念ひ益とも」

 祐弥が和歌を呟くと、百合は振り払う様に手を引っ込めた。

「恋ひ恋ひてあへる時だに愛しき言つくしてよ長くと思はば」

 百合が冷たく言い返すと、祐弥は嘆息したが、その会話を聞いていた三人は二人が何を言っているのか解らなかった。

「何か形あるものが欲しいのか?」

 祐弥の問いかけに美奈は心の中で「今よ! 指輪って言うのよ!」とエールを送るが、百合は少し考えて首を横に振った。

「お前を不安にさせているならそれは俺が悪いんだろうけど、俺の言葉を信じてくれない女に、何をやっても気休めにしかならないだろう。不満があるなら聞くが、俺の事が信じられないなら、それまでの男だったというだけだろう」

「明神くんは私の事好き?」

 百合の質問に祐弥は嘆息する。

「好きだと言ったら君は安心するのか? 君が欲しい答えは何? 正解がないならその質問は狡いと思う」

「おい」

 堪らなくなって和弥が口を挟んだ。

「何なんだよその言い方……」

「俺がさっき言った和歌に対して、真心の籠もった言葉が欲しいと彼女が返したんだ。つまり、俺の言葉が嘘なんじゃないかと疑っている」

 和弥はそれを聞いて顎を触った。

「そりゃあ、お前が悪い」

「それは解っている。彼女の誕生日を知ろうともしなかった。今迄口が訊けなかった事を理由に連絡一つしなかった。彼女からの手紙も読んでないし、返事も出さなかった。だから、彼女を不安にさせたのは俺が悪いんだ。それで俺の事が信じられないと言うのであればそれはそれでいい。お前が幸せなら付き合う相手は俺でなくても構わないと思う」

 祐弥の言葉に、今迄黙っていた伊織が口を挟んだ。

「そこまで解っているなら謝るくらいしたらどうなんです?」

「許してほしいとは思ってない」

 祐弥が即答すると、和弥は眉根を寄せた。

「会えない間、ずっとお前の幸せを願っていたのは事実だし、それが伝わらなくても俺は構わない。俺はお前が幸せになる選択をしてほしいと思っている。お前は俺なんか居なくても自分で幸せを享受出来る女だと信じている」

 祐弥の言葉に和弥が吹き出す様に笑った。悪い事をしたと思ってるけど謝らないなんて小学生かと笑いが込み上げる。

「坊っちゃんの弟と言うだけはありますね」

 伊織が呆れた様に言うと、祐弥は言葉を続けた。

「別れよう」

 百合の不安げな顔が一層曇った。

「お前が俺の隣で笑っていてくれないなら俺はお前の傍に居る必要ないし、お前が不幸なら俺の存在意義は無い。お金や物でお前の気持ちを繋ぎ止めたいとも思ってない。お前が生まれてきてくれたことに感謝こそすれ、この瞬間にも死に向かっている最中に、俺みたいなくだらない男の為に苦しむのは人生勿体ないと思う」

 百合の瞳に涙が浮かんだ。

「い……」

 嫌だと言い掛けた最中、和弥が言葉を制した。

「一切皆苦?」

 祐弥が一度瞳を宙へ飛ばして目を伏せた。

「じゃあ俺と付き合おうぜ」

 和弥がそう言うと、向こうから走って戻って来た直人が声を上げた。

「ええ?! それ狡いですよ!」

「もう十分経ったか?」

「まだ五分くらいですよ」

 和弥の質問に伊織が腕時計を眺めながら応えた。

「百合ちゃんごめん、俺、金持ってないや」

 直人の発言に美奈が吹き出して笑う。百合は驚いて目を瞬かせた。

「その……家に帰れば勿論小遣いはあるんだけど、それって俺が働いて稼いだ金じゃなくて、親から貰ったものじゃん。俺、バイトしたことないし……どうせならちゃんと、自分で稼いだ金でプレゼント買いたいからさ、ちょっと待っててくれないかな?」

 直人の言葉に百合はにっこりと笑って頷いた。その様子を見ていた祐弥の目が慈愛に満ちている事に和弥は気付いていた。

「よーし、じゃあカラオケでも行くか」

 和弥が切り出すと、祐弥は不思議そうに和弥を見上げた。

「……そんなことをしている暇は……」

「ああん? 他人の恋路を邪魔してんじゃねえ。嫌なら着いて来んな。伊織も言ってやれ。一発殴るんだろ?」

 伊織はそう言われて和弥を一瞥し、祐弥へ視線を投げた。

「なんだか本人目の前にするとどうでもよくなりました。だって全然成長してないんですから。こんな未熟な阿呆に関わっている時間が勿体無いです。そしてこんな阿呆に惚れる百合お嬢さんも阿呆です。本来の自分を好きだと言うならまだしも、源氏物語の紫みたいに理想の女性に仕立てて飽きたら捨てるような男に惚れているなんて傍から見ていて滑稽です」

 祐弥の表情は変わらなかったが、百合は不満気に眉を潜めた。

「違います。私が、明神くんの事が好きで、明神くんの事を理解したくて勉強しただけです」

「それで理解出来た上での別れ話なの?」

 伊織に問い質され、百合は俯いた。祐弥を見つめるが、祐弥の表情は変わらない。

「私の為……なんだよね?」

 百合の質問に祐弥はゆっくりと瞬きした。

「私が牡丹じゃなくなったってことなのかな?」

「……牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ」

 祐弥の言葉に百合は服の裾を握り締めた。

「解った……」

 百合がそう呟くと、祐弥は二、三歩後退し、その場を離れた。



 薄暗いカラオケ店の部屋に直人の声が響いていた。直人は音程を何度も外している。

「お〜ヘタクソ〜」

 和弥が言うと、直人は顔を真っ赤にしてマイクを握り直した。

「仕方ないだろ! 初めてなんだから!」

 直人の発言にその場に居た全員が目を丸くし、伊織が真っ先に声を上げた。

「はあ? 中学生ですよね? カラオケくらい……」

「里にはカラオケ店が一軒もないんだよ! 飲み屋は知らないけど!」

 直人が叫ぶ様に言うと、美奈は笑った。

「山の北側の子って割とそうよね」

「なんてど田舎……」

 美奈の話しに伊織が呆れていた。

「そう言うお嬢ちゃんも田舎娘っぽいがな」

 和弥が不意にそう言うと、美奈は眉根を寄せた。

「ヤンキーみたいな人に言われたく無いです」

「あ? 何着ようと俺の勝手だろ。他人の趣味に口出しするもんじゃねぇ」

「先に田舎娘に喧嘩吹っかけたのはそちらですよ?」

 美奈と和弥の間に火花が飛び交うと、カラオケの得点で勝負しようということになった。伊織は呆れた様に溜息を吐いた。

「夜と霧は読んだ?」

 伊織に聞かれ、百合は少し首を傾げた。

「ヴィクトール・フランクルのでしょうか? 確かホロコーストの話しですよね? アンネの日記なら読んだのですが、まだ読んだ事は無いです」

 百合の話しに伊織は溜息を吐いた。

「それなら一度読んどくと良い。多分、あいつとこれからも付き合うってなったら役に立つと思う」

「何故?」

「どう見てもPTSDだろあれ。早めに病院行けと思うが、本人は自覚しているみたいだし、それを受け入れて付き合うってなったら相当しんどいと思う。あいつの言う通り、他の男に乗り換えた方がよっぽど楽だと思う」

 伊織の話しに、百合は考える様にゆっくりと瞬きをした。

「伊織さんは好きな人は居ないのですか?」

 百合の率直な質問に伊織は思わず突っ伏した。

「居なくて悪いか……って、今それ関係無い」

「私、心に障害がある人を好きになったんじゃなくて、好きになった人が偶々心に障害を抱えていたってだけですよ?」

 百合の言葉に伊織は不満気に眉根を寄せた。

「私、明神くんが色んな事を知っているからとか、不思議な力を持っていたからとか、優しいからって理由で好きになったわけではないんです。初めて声をかけてくれた時、こんな自分に気付いて、私自身を見てくれて、気にかけてくれたから好きになったんです。ただすれ違っただけだったら好きになんてなっていません」

 百合の真剣な眼差しに伊織は呆れていた。

「言っとくけど、あいつのあんたに対する好きは仁愛ではなく博愛だ」

「そんなの分かっています」

 百合が少し怒った様に言うと、伊織は不思議そうに首を傾げた。

「あんたな……」

「明神くんは誰にでも優しいです。私の幸せを願ってさっさと身を引くような意気地なしです。私が他の男の人と一緒に居て笑っていても、焼き餅一つ焼いてくれない酷い男の子です。好きと言ってくれた次の瞬間に別れ話をするような偏屈な子です」

 伊織は意外そうに目を丸くした。

「そこまで解ってて……」

「でもそれは、全部私の事を思ってする行動なんです」

 百合の言葉に伊織は再び眉根を寄せた。

「そう信じているなら全くお気楽なお嬢さんだ」

 百合は不満そうに唇を結んだ。

「あいつは自分の事しか考えてない。あんたの幸せを願っていると言いながら、あんたの気持ちを考えてない。それに気付いたからあんたはあいつに嫌気が差して自ら海に飛び込んだ。あいつはそのことをあんたに思い出されることを恐れているんだ。今があれなら、千年前もどうせ同じだったでしょう? 我が身可愛さにあんたの気持ちを踏み躙った筈だ。あいつは嘘つきだよ。他人の幸せを願っていると言いながら腹の底では他人の幸せを呪っている。それに本人も気付いているからあんたの気持ちが後ろめたくて遠ざけようとする。それなのにあんたがあいつの言動を好意的に捉えるから呆れているんですよ。別れを切り出されたなら引き下がっ方が身の為です。また無理矢理襲われるのが関の山ですから」

「明神くんはそんなことしません。伊織さんって、明神くんの事何も知らないんですね」

 百合が反論すると、伊織は肩を竦めた。

「まあ、今回は会ってから日は浅いけど、大昔はあいつが泣きべそかいてる頃から知ってる。怪我をした犬や猫をやたら拾って帰って来るから賢兄によく怒られてた。それの延長であんたを拾って帰って来たことも知ってる。あいつは弱い。あいつは自分の為に、自分の心の傷を埋める為に周りを利用する。最低な男だよ」

「巧言令色鮮し仁……周りを利用する人ってお喋りで周りにいい顔しかしないと思うんです。でも、明神くんは自慢話をしないし、私に媚び諂ったりしないですよ」

 百合の話しを聞いて伊織は少し首を傾げた。

「それは怯えているんだ」

「そうです。自分を曝け出すことを躊躇って、怯えて萎縮してしまっているんです。それを隠す為に必死に背伸びして、誰にでも手を差し伸べる。誰にも心配かけなくて済むように、自分は一人でも立っていられるから誰もこっちに振り返るなよって意地張って、自分が困った時、誰かに助けられることを恐れているんです」

「誰かに助けられることを恥だと思ってる」

「甘え方が解ってないだけですよ」

 百合の話しに伊織が驚いた様に目を丸くした。

「まあ……確かに……」

「すごく不器用で悲しい人です」

 百合の言葉に伊織は目を伏せた。



 祐弥が屋敷の玄関へ入ると、そのまま隣の襖を開けた。押し入れからミシンと生地を取り出すと、手早く生地を幾つかに切る。祐弥が来た事に気付いた智弥が部屋を覗くと、ミシンで何やら縫っているのを見て目を丸くした。

「えと……何してるの?」

 御魂伏の解体の為に直人を呼びに行った筈なのだが、直人の姿はない。待ちくたびれた刹那と霞雲も部屋を覗きに来て困惑していた。

「直人は?」

「遊びに行った」

「はぁ?」

 霞雲が聞き返すが、祐弥は手早く見繕うと、出来上がった生地に本を挟んだ。ミシンを片付け、白と水色の水引を取り出すと手早くまた何か作っている。

「祐弥?」

 刹那が声をかけると、祐弥は手を止めずに視線だけ寄越した。

「御魂伏の解体をするんじゃなかったの?」

 刹那が問い質すと、祐弥は出来上がった水引の形を整え、小さな和紙に包んだ蘇香と一緒に本に挟んだ。新しい付箋と、薄いメモ帳を挟み、三色ボールペンを差し入れると、包み紙を取り出してキャラメル包みをする。赤い江戸打紐を掛けて吉祥結びを作り上げると、祐弥は智弥に差し出した。

「百合に渡しておいて」

「自分で渡したら?」

 智弥が受け取らないでいると、祐弥は少し目を伏せた。

「百合ちゃん喜ぶと思うよ? 僕も美奈に、クリスマスプレゼントにヒルロイドソフト渡したら喜んでくれたから」

 智弥の発言に、刹那が吹き出し、腹を抱えて蹲った。霞雲は驚き、刹那の背中を擦る。

「え? 何?」

「手に塗る軟膏のことよ」

 刹那が説明すると、霞雲は驚いて智弥を見上げた。

「ええ?! クリスマスプレゼントに? せめてハンドクリームくらいにしてやれよ。女子高生だろ? 普通、クリスマスプレゼントっていったら花とか菓子とか小洒落た小物とかだろ。軟膏つったら敬老の日とかにおばあちゃんに渡すもんだろそれ!」

 霞雲に言われ、智弥は驚いた様に目を丸くし、冷や汗を流した。

「え、そうゆうものなの?」

「あかん、クリスマスに、女子高生に軟膏とかこいつは傑作だ」

 刹那が腹を抱えて笑いながら言っている。

「ばばあ扱いしてんじゃねーよってよく怒られなかったな。向こうは絶対にブランドバッグとか期待してただろうに……」

「高校生相手にそれは無いでしょ。けど、それなりの値段のキラキラしたものを連想するわよね。ネックレスとかイヤリングとか、ぬいぐるみとか定番じゃない。それらを差し置いて軟膏って巫山戯んなって私なら突き返してるわよ」

 刹那の話しに智弥の顔がどんどん青くなる。

「俺は良いと思う」

 涙目になっている智弥に祐弥が声をかけた。

「ちゃんと相手の事を観察して、よく考えてそれを選んだのなら、安易に定番の物を買い与えておくよりは全然良いと思う。美奈も、それを喜んで受け取ってくれたんだろう? 突き返されたわけではないなら良い」

 祐弥の言葉に智弥は微笑んで頷いた。

「祐も、百合ちゃんの事を考えてそれを選んで作ったなら、直接渡してあげなよ」

「俺さ、あいつのこと好きじゃないんだよ」

 意外な言葉に智弥は戸惑った。

「どうして?」

「智弥の心の中で美奈は笑ってる?」

 祐弥の問いに察しがついたのか、智弥は少し困った顔をした。

「……勿論」

「俺の中では、あいついつも泣いてるんだよ。心配そうな不安気な顔して、こっちの様子を伺って……」

「そんなこと無いよ。百合ちゃん、祐に会えて嬉しそうだったよ」

「それは解ってる」

 祐弥が肯定すると、智弥は微笑んだ。

「あいつが笑う度に後ろめたくなる」

 智弥はそっと祐弥の頭を撫でた。

「千年前のあいつも、その前のあいつも泣いてた。俺が彼女の為に良かれと思ってしたことが全部裏目に出たんだ。そうと解っていてあいつの傍に居たくない」

「悪気が無かったことはちゃんと伝わってるよ」

「だから嫌なんだよ」

 祐弥の冷たい言葉に智弥は手を引っ込めた。

「彼女は優しいから許してくれる。その彼女の優しさに甘えてしまおうとする自分が情けない。彼女を見ていると自分が惨めに思えてくる」

 智弥は驚いて思わず祐弥を抱き締めた。

「百合ちゃん、優しいもんね。可愛いもんね。祐弥の為にって沢山本を読んで勉強してたもんね。そこまで自分に尽くしてくれたことが重荷なの?」

 智弥の質問に祐弥は目を閉じた。

「……解らない。彼女の成長が嬉しい。彼女の一途な気持ちが心地良い。でも、彼女の傍に居ることで彼女を不幸にしてしまう自分が許せない」

「なら、優しくしてあげればいいよ」

「自分を偽って惰性で付き合う事で、彼女に本来あった筈の幸せを俺が取り上げてしまうのは嫌だ」

 祐弥の言葉に刹那と霞雲は顔を見合わせた。

「俺は自分が一番嫌い。そんな俺が嫌いな俺に惚れているだなんてどうかしてる」

「祐……」

「何も言わずにただ咲いているだけ、花の方がずっとましなんだよ」

 智弥はゆっくりと考えるように瞬きをした。花だったら喋らないし、何処にも行かないと言いたいのだろう。

「行かないでって素直に言えば良いのに」

「惚れた弱みに漬け込んで束縛するのは嫌だ」

「相手の気持ちを優先させたいってのは解るけど、磐永姫の元へ帰ったら死んでしまうってことくらい伝えておいたら? それでもお母さんの元へ帰ると言われたら……帰らないでほしいって、お願いしてみたらどう?」

 祐弥はゆっくりと首を横に振った。

「遅かれ早かれ、壊れてしまった彼女の魂を修復し終わったら帰すつもりでいた。だから彼女が自ら帰ると言うなら俺はそれで良いと思う。彼女が母親に会いたがっていたのも知っているし、磐永姫が娘をずっと探していたことも知っている。それなのに、今更俺の気持ち一つで引き止めるなんて間違ってる。でも、可能であればずっとこのまま傍にいてほしい。でも無理矢理諦めさせて俺の言う事を聞かせるのも愛じゃない」

 祐弥の話しに刹那は俯いていた。

「いっそのことまた壊れてしまえば良いとさえ思うんだ。そうすればこっちへ置いておく理由になる」

「それも出来ないんでしょう?」

 智弥は優しく問い質した。祐弥は俯いたまま返事はない。

「自分の気持ち、ちゃんと話してあげなよ。祐弥だって、このまま離れ離れになるの嫌でしょう?」

 やっと祐弥が頷くと、離して頭を撫でた。

「それ渡して、ごめんねって謝ったら、百合ちゃん笑ってくれると思うよ? そしたらその笑顔を忘れないように心の中に仕舞っておけば、いつでも百合ちゃんに会えるでしょう? ちゃんと彼女を見てあげて。君が好きになった大切な人の笑顔をもう忘れちゃ駄目だよ?」

 祐弥がこくりと頷くが、表情はやはり硬い。

「それにしても和弥と伊織くんも遅いね。もうこっちに着いてても良い頃だと思うんだけど……」

「美奈とデート中」

 ぽつりと祐弥が呟くと、智弥は呆気に囚われた。

「え……?」

「だから、美奈をナンパして一緒にカラオケに行った」

「何でそれを早く言ってくれないかなぁ?」

 智弥が苦笑いを浮かべると、祐弥は軽く肩を竦めた。

「聞かれなかったから」

「霞雲、式神貸して!」

「え、ええー」

 霞雲が嫌そうな顔をしつつも呪符を構えて呪文を唱える。大きな白虎が姿を現すと、霞雲と智弥が飛び乗る。刹那が祐弥の襟首捕まえて飛び乗った。

「ちょっと待って! 定員オーバー!」

「気合で乗り切れ」

 刹那が根性論を持ち出すと、霞雲は涙目になっていた。

「酷ぉ……」

 ぶつぶつ呟きながらも、白虎が縁側へ出て空へ駆け上る。祐弥は雪を貯めた重い雲を眺めながら何から話せば良いだろうかと考えていた。

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