第3話 神の御石

 土御門 霞雲は憮然としていた。予定としては今頃、暖房のきいた部屋で炬燵に入り、テレビゲームをしながらアイスを食べているはずだった。

「なあ、何で俺も行かなきゃなんねぇの?」

 雪のちらつく中、前を歩いていた刹那の背中に声を掛けた。

「どうせ暇でしょ?」

 刹那に素っ気なく言われ、霞雲は不貞腐れている。

「暇じゃない」

「どうせゲーム三昧か家でゴロゴロしてるだけでしょ」

 図星を刺され、頭を抱える。こいつは読心術でも心得ているのかと疑いたくなるが、まあ幼馴染なので大抵のパターンを知られているというだけだろう。

「それで?」

「前にこっちに来た時に私と同じ苗字の表札を掲げた蒲鉾屋さんを見たのよ。割と珍しいから、祖父に聞いたら元々、こっちに住んでたんですって」

 霞雲はそれを聞いて刹那の苗字を思い出した。

「え? そう?」

「ちっこいつ私の苗字間違えて覚えてる」

 刹那が眉間に皺を寄せて睨むと、霞雲は蛇に睨まれた鼠の様に身を縮めた。

「薬師寺だろ?」

「薬師神だ」

 霞雲はそれを聞いて首を傾げた。

「『ん』が一つ抜けてるだけだろ」

「名前、今日から牝牛にする?」

 一瞬意味が解らなかったが、霞雲→かうん→かう→Cow→牝牛と変換したらしい。

「あ〜、俺、術者の家系だからそもそも霞雲って本名じゃないし、どっちでも良いかな」

 刹那にとっては意外だったのか、振り返った。

「え、嘘ぉ」

「呪術者にとって自分の名前なんて命取りだからな。明神だってそうだったろ? 普通は呪詛除けで本名なんて早々誰にでも公開するもんじゃねぇよ」

 霞雲の言葉に刹那は呆れていた。大きな溜息を吐いて再び歩を進める。

「それで? その薬師神って苗字が何なの?」

「その苗字の発祥地がどうやらここの穴井天満宮ってとこらしいのよ」

「それで?」

「何か手掛かりがあるんじゃないかと思って」

 霞雲は暗い夜空を見上げ、落胆する。

「え、それに俺、居る?」

「女子高生に一人旅なんて許可出来ない。土御門んとこの息子でも誘って行けって親に言われたのよ」

 霞雲は不満そうな顔をしたが、もうこうなっては後の祭りである。

「霞雲は本家で何か見つけたんでしょ?」

 刹那の言葉に霞雲は深い溜息を吐いた。強くなる為に本家へちょこちょこ通っていたのだが、その時に偶然……だと思うが、神の御石というものを手に入れた。手に取ると消えてしまったが、あれから少し変な夢を見た。

「あんまり思い出したくない」

 霞雲の言葉に刹那は少し笑った。

「怖がってんの?」

「いや、大変だった……」

 霞雲は思い返しながら呟いた。刹那は神社に着くと、神社の鳥居の前で刹那は軽く一礼した。

「何かよく分からないけど……」

「いや、俺も正直よく解らん。兄弟の中では上から五番目だったから割と年若の部類だった。多分、詳しい事情を知っていたのは上の兄貴達だけだったんだろうと思う……上の三柱は役職就いてたのに、何で次男坊だけ戦に駆り出されて俺達は逃げなきゃならなかったのかとか、親父が幽閉された理由もよく知らない。末っ子が何処で女拾って来たのかも……末っ子が磐永姫を鎮める為に犠牲になったって事くらいしか知らない」

 刹那はそれを聞いて嘆息した。もう日は暮れていて、何となく恐ろしい雰囲気に感じる。石段を上りかけると、丁度石段の中間辺りに大き目のびー玉くらいの石が浮かんでいた。霞雲と刹那か目を丸くしていると、ついと石が刹那の眼の前まで飛んで来る。刹那は恐る恐るその石を取った。



「それで、何で坊っちゃんがご令嬢のお迎えに態々行かなければならないのですか?」

 伊織は施設の子どもたちが思い思いに作ってくれた歪なクッキーを一口齧った。少し焦げてほろ苦いが、食べられなくはない。

「しゃーねーだろ。一人で帰って来いってのも不安だし……」

「放っておけば良いんです。あんな女……」

 伊織がつんと顔を背けて言うと、和弥は首を傾げた。

「何だよ喧嘩したのか?」

「喧嘩などしていません。少し思う所があります」

 伊織はそう言ってずれた眼鏡を直した。

「例の一件から思い出したことがあり、親の遺品を少し整理してみたんです。写真や家系図は殆燃えてしまったのに、桐の箱に入れて親が神棚に飾っていた石だけは残っていたんです。それを思い出して……」

 伊織はそこまで話して顔を顰めた。和弥はそれを聞いて首を傾げる。

「それで?」

「大昔のある神の記憶でした。末っ子があの女を拾って来たせいで家族がバラバラになってしまったんです」

「お嬢ちゃんとは関係無いだろ」

「その女の生まれ変わりがあのご令嬢なんですよ」

 伊織の言葉に和弥は眉を潜めた。成る程、前の記憶に感化されてしまっているのだ。

「昔と今を混同するな」

「そうは行かないでしょう」

 伊織が言うと、和弥は嘆息した。

「あれの母親が血眼になって探していたのをご存知ないでしょう? 霊留にされていると知れば連れ戻そうとするのが親心です」

 和弥はそれを聞くと、腕を組んだ。

「坊っちゃんならどうなんですか? 自分の娘が誘拐されて、生きている……今回は転生という形ではありますが、居ると判ったなら取り返そうとしないんですか?」

「それは……」

「だから、隠したんでしょう?」

 伊織の声に怒気が混ざっていた。

「末っ子があんな形で彼女を壊してしまったから、親元に返せなくなって隠したのでしょう? 自分のせいで弟が壊れた事に責任を感じていたのでしょう? 兄さん達は昔っからあいつに甘いんですよ!」

 和弥は伊織の鼻先で手を叩くと、面食らって伊織は黙り込んだ。

「解ったから落ち着け」

 伊織はゆっくりと深呼吸し、俯いた。

「すみません。言い過ぎました」

「いや、おかげで何となくお嬢ちゃんが危険だと言うことは解った。とりあえず俺は明日、迎えに行く予定だが……伊織は待ってるか?」

「行きます」

 和弥はそれを聞いて少し笑った。

「一発引っ叩かないと怒りが治まりません」

「女に手を出すなよ」

「末っ子の方です」

 和弥はそれを聞いて考えるように顎を触った。

「お前、末っ子嫌いだったの?」

「高天原へ迎えに行く話が出た時から僕は反対してました。あんな血が半分しか繋がってない混ざりもの……こっちへ連れて来ても母親に会いたい、家に帰りたいとずっと泣き喚いていたじゃないですか。あれが泣く度に嵐が起こって、どれだけ僕達が苦労したか……!」

 伊織が苦虫を噛み締めた様な顔をして言葉を止める。

「解っています。母親が殺されて、住み慣れた家を出なければならなくなって、まだ幼いのに今迄会ったことも無かった僕達が兄弟だと言った所で、不安しか無いのも解ります。でも、天司神にも地司神にも見つからないようにと苦労して育ててやった恩を仇で返したんですよ? あいつのせいで……」

 伊織の脳裏に白髪碧眼の幼子がにこりと笑う姿が思い浮かんだ。何処へ行っても付いて来る姿が可愛らしかった事を思い出す。

「……だからあれが泣けなくなった時、心底ざまあみろと思ったんです。おかげで嵐も起こさなくなったし、平穏でした。管理がしやすかった。怖がって屋敷から一歩も出なくなって、笑ったり怒ったりもしない。あのままにしておけば良かったんです。なのに皆同情して、猫可愛がりして、甘やかして……その結果が、身を滅ぼしたんです」

 和弥は黙って伊織の話しを聞いていた。

「末っ子が泣けなくなった理由は?」

「貴方が殺したんですよ」

 伊織の言葉に眉を潜めた。

「両目の見えない母親の代わりに、高天原で末っ子のお世話をしていた従者が居ました。それを貴方が、末っ子の眼の前で殺したじゃありませんか」

 思わず、額から冷たい汗が流れた。伊織の瞳が、僅かに濁っていた。



 刹那の掌の中で石が消えると、霞雲は刹那の様子を伺った。自分の時と同じだが、どうも雰囲気がおかしい。

「霞雲、式神で直ぐに智弥と祐弥の所へ行ける?」

「直にっつったって、バスでも小一時間かかる距離有るんだぞ? 俺の体力の方が保たねぇよ」

 霞雲が嫌そうな顔をすると、刹那は霞雲の肩を叩いた。

「気合いで乗り切れ」

「うっわぁ……」

「息切れしたら治してやる」

「ったくしゃぁねぇなぁ」

 霞雲は札を取り出すと、呪文を唱えて息を吹きかけた。手から離れた呪符が白虎の姿に変わると、霞雲と刹那は背中に乗り込む。吹き付ける雪に霞雲が身を竦めると、霞雲と刹那の周りに翡翠色の結界が現れた。

「風除けくらいしか出来ないけど……」

「暖房完備してぇ」

「虎じゃなくて車とか出せないの?」

「免許持ってねぇし、車なんて発想がそもそもねぇし、そもそも俺は四次元ポケット持った青狸じゃねぇ」

 霞雲がぶつぶつ言うと、白虎は飛び上がって空を駆けた。

「何で智弥ん所に?」

「智弥というか、多分一番危ないのは祐弥の方だと思う」

 刹那の言葉に霞雲は首を傾げた。

「あの子、一度死んでるのに磐永姫の娘の力で寿命をすげ替えてるのよ」

「いや、それは解るけど……」

「向こうもそれに気付いたとしたら、祐弥が娘の居場所を知っていると勘付くはずなのよ」

 刹那の話しに霞雲は目を丸くした。

「え、じゃあ……」

「磐永姫本人は来ないだろうけど、誰か使いを寄越すはずよ。御魂伏の中に娘の意識が封じられていると知れば封印を解くはず。でも解かれて無いとすれば、封印場所は解ってない。なら、祐弥にその場所を聞きに来るはず。御魂伏の解体を断念したのに祐弥がその場所を話すはずがない。何が何でも娘の居場所を知ろうとしていたとしたら智弥を人質に取る。それが出来なければ話すまで祐弥を拷問するんじゃないかと思う」

 刹那の話しに血の気が引く思いだった。

「何でそんな……」

「向こうは祐弥が……いえ、隱神が娘を誘拐して隠したんだと思っているからよ」

 霞雲は冷や汗を流した。

「何で? だって俺、あの娘が自分から海に身を投げた所を見た。それにあの娘は自分の母親を守る為にこの地を離れるのだと言っていた。それなのになんで……」

「誰かが悪者を買って出てやらないと治まりつかない時代だったのよ。だからといってあの子が全部一人で背負う必要なんて無かった」

 刹那はそう話して目を伏せた。

「まだ、無事だと良いんだけど……」

「もし、祐弥が御魂伏の場所を言わなかったら?」

「神崎と智弥の話しでは椿と一緒に消えたと言っていたから、誰も封印場所を知らないはず。場所の特定が出来るとすれば椿を人間の姿にした祐弥くらいなのよ。だから祐弥が死ねば封印の正確な場所は解らなくなる。多分、あの屋敷の何処かに隠世に繋がる道があって、そこに封印してあるんだろうと予想は付くけど……

 祐弥が死んだら誰もそこへ辿り着けなくなる。そうと解ったら殺しはしないと思うけど……祐弥が死んだらそれこそあの里一帯、山も何もかも手当たり次第に壊して探し回るんでしょうね。今の所、あの辺で大きな地震や災害があったというニュースは聞いてない。だからまだ二人は無事だと思う。逆に祐弥が蘇っているのに向こうが何もしてこないなんてことは考えられないのよ」

 刹那の話しに霞雲は冷や汗を流した。

「向こうが二人を野放しにしているとすれば、再び娘と接触する機会を待つくらいだけど、もう一度祐弥を殺してしまえば磐永姫の娘の力で復活する可能性も向こうは考えるでしょうね。まあ、親だったら娘の力で蘇った命を取り上げるなんて事はしないでしょうけど……手や足の指切り落とすくらいで済ませて貰ってんならまだ良い方だろうけど、用済みになったら植物状態が良いとこなんじゃない?」

 霞雲は想像して寒気がした。

「けど、あいつだったらそんなの……」

「神様の使いを無下に追い返す? それとも始末する? そんな事をしたら援軍が来るのは目に見えてるでしょ。またこの土地を戦場にするつもり? そんな事になったらまた天司神の阿呆がしゃしゃり出て来んのよ? 向こうの思う壺よ」

「俺、その天司神の阿呆に心当たりが有るとすれば須佐之男とか瓊瓊杵命とかくらいしか思い付かないんだけど……」

「もうあいつらの名前なんか思い出したくないからどうでもいい」

「……そういや、高天原で須佐之男と一悶着あったとか聞いた事あったな……」

「駆けっこで私が勝ったら半べそかいて大暴れしたのよあの阿呆。お姉さんの権力振り翳してやりたい放題の我儘で……聡兄と賢兄も手を焼いてた。ああもう、思い出しただけで腹立つ」

 霞雲はそれを聞いて思わず笑った。駆けっこかよ……しょうもない。けれどももしかしたら、刹那の男嫌いの本当の原因はこれかもしれないと思った。

 二人はあれこれと大昔の話しをしながら雪の降る闇夜を進んで行った。



 神崎は施設帰りにぼうっと考え込んでいた。伊織の言っていた事が頭から離れないが、自分は記憶が無いから何とも言えない。智弥に相談しようかと思って携帯電話を取り出した。

「もしもし?」

 直ぐに女性が電話口に出たものだから一瞬、番号を間違えただろうかと画面を確認した。鳴神家と表示された画面を睨み、再び耳にあてる。

「えと……神崎だけど……」

「え? その声智弥くんですよね?」

 どうやら智弥の知り合いらしい。そういえばさっきの電話は公衆電話からだったから家にいないのだろう。智弥に彼女が居るなんて話しは聞かなかったが、祐弥が居るのに自分の彼女を置いて自分だけ出掛けるなんて普通は有り得ないと思うので、看護婦さんとかケアセンターの人の可能性を考えた。が、声色はどう聞いても未成年……となると考えられるのは祐弥の新しい恋人ではないか? と結論に到った。そうなると百合は今、何処でどうしているのか心配になる。

「あ〜、智弥戻ったら、弟から電話あったって伝えとけ」

「弟? 祐弥くんならここに居ますけど……他にも兄弟が居たんですね?」

 ほくそ笑む様子から、多分まだ智弥だと思っているのだろう。智弥だったとしたら何故、そんな事をする必要があるんだと問いたいが、もしも可能性があるとすれば、智弥が俺になりすまして家の様子を伺う為に電話をかけたという所だろうか? もしかして智弥の奴、彼女と喧嘩して家を出て行った? そこへ自分が電話を掛けてきて、「弟だと白々しい嘘を吐きやがって」とか思われているのでは無いだろうか? そうなるとまた下手に何か喋るのも憚られる。

「祐弥に代わって」

「祐弥くん、喋れないの知ってるよね?」

「言付けるだけだ」

「何か怪しい」

 こいつっ……と思ったが、怒りを堪えた。

「智弥の双子の弟で、神崎 和弥だ。そう伝えて貰えれば解る」

「神崎 和弥?」

 不思議そうに相手の女が繰り返した。

「私の娘、可愛かった?」

 そう言われ、一瞬何の事を言われているのか解らなかった。けれども眼の前にあの黒い中型犬が姿を現すと、和弥は息を吐いた。

「ああ。とっても」

 赤い髪をした椿の姿が思い浮かんだ。鉄が和弥の元へ歩み寄り、体の中へ入る。

「そう……なら良かった」

「お前に似て良い女に育った」

「ふふっ……当たり前です。私の娘なんですから」

 女は嬉しそうに言った。

「蝶がこちらにいらしています。様子を見ていますが、今の所定期的に連絡を取っている様子はありませんので、個人的に動いているのでしょう」

「蝶……」

 そう言えば虫に気をつけろと言われたが、その事を指していたのか。脳裏に花畑で花冠を作って遊んでいる幼女達を思い出した。一人は桜色の髪をしていて、一人は黒髪だった。その隣に赤い髪の椿……によく似た幼子が居た。その周りを警戒するように幾つもの小さな蝶が飛び交っている。

「そういえば居たな」

「お知り合いですか」

「まあ……いや、そうなると少し厄介だな」

「今は彼のおかげで頭に上っていた血が下って来ていますので、様子を見てお話ししようかと思うのですが……何分、私が亡くなった後の事なので説明のしようがありません、それで、夫にそれとなく事情を話して貰おうと思っていたのですが……」

 和弥の脳裏に智弥の姿が思い浮かんだ。

「俺がそっちに居ないからあいつの記憶が戻らないのか」

「そういう事です」

 親父の奴、面倒くさい事をしやがってこの野郎……と思った所でしょうがない。

「お嬢さんがこちらに居るのはあまり賢明ではありませんね。磐永姫様ご本人とは向こうで軽くお話しをされたそうです。それで磐永姫様は様子見といった所なのでしょう」

 和弥は頭を掻き毟ると溜息を吐いた。

「もっと早く気付いてやれば良かった」

「駄目ですね」

 和弥は首を傾げた。

「貴方、直ぐに殺してしまうでしょう? 私の時の様に……」

 言葉とは裏腹に少し嬉しそうに言って電話が切れた。和弥の脳裏に苦い記憶が思い起こされると、深い溜息を吐いた。



「賢兄の奴、何で豊雲之神の従者殺しちゃったのかな? 高天原で、末っ子のお世話してたんだから、こっちに来たなら一緒に住めば良かったのに」

 霞雲が呟くと、刹那は考え込んでいた。

「私はその現場を見てないからなんとも言えないけど、私が小さい頃は聡兄と賢兄が取り合いしてたのよね。兄貴二人は元々一つのエネルギー体だったのに、父さんの手に余るからって二つに別けたのよ。まあ、それが悲劇の始まりよね。同じ女に惚れちゃうのは仕方なかったのよ。向こうがいい迷惑だけど……」

 刹那の話しに霞雲は口をへの字に曲げていた。

「だったら尚更……」

「天の岩屋事件が起こった時に賢兄が最前線に出てたんだけど、その間に聡兄が彼女にプロポーズしたのよ。賢兄からすれば抜け駆けみたいなもんよね。まあそれを根に持ってたのかどうかは分からないけど……」

「天の岩屋事件?」

 須佐之男の横暴に耐え兼ねた天照大御神が引き籠もった事件かと霞雲は首を傾げた。

「表向はお姉さんが弟を庇う形で、自分から天の岩屋へ入ったなんて言っていたけど、どうやら弟一派がお姉さんを権力の座から引摺り下ろそうと策略して起こった事件らしいのよ。お姉さんが居なくなればその座に自分が居座れると思っていたんでしょうけど、とんでもない。日食が起きてその後何日も昼が来なくなったものだから慌ててお姉さんを幽閉した場所へ行ったけど、大岩で塞がれていて自分一人では開けられないから、半べそかいて他の神々を呼び寄せたってわけ。阿呆な話しでしょ?」

「はあ……成る程」

 まあ、姉の方が権力あったのに、弟の乱暴ぶりに耐え兼ねて引き籠もるよりは確かに得心がいく。自分は当時まだ幼かったのでそれを知らないが、兄達は苦労しただろうと想像する。そういえばあの頃、父も兄三柱も忙しそうにしていた気がする。

「あれで神逐になって高天原も落ち着いたと思ったのにね、葦原でも好き勝手していたから地司神から抗議の声が上がって、天司神と地司神との全面戦争に発展していくわけよ。姉は弟を庇うし、父さんは須佐之男の愚行で戦争なんか反対だって言ったら幽閉されちゃうし……そのうち葦原平定を名目に、反発する神々を殺して行ったのよ。それではあまりにも上の面目丸潰れだから国譲り神話なんて美談にしてるけどね」

 霞雲は刹那の話しを聞きながら闇の中を見据えた。そろそろ、智弥が居る港町に着く頃だった。

「そもそも高天原からあんなものを葦原に持って降りなきゃよかったのに……」

「あんなもの?」

「あいつ、カモを葦原に持ち込んだのよ」

 一瞬、水辺に居る鴨を思い浮かべたが、直ぐに顔が青褪めた。

「……じゃあもしかして、須佐之男が倒した八岐の大蛇も全部自作自演?」

「そりゃそうでしょ。だってあいつが葦原に来るまで、そんな怪獣が葦原に居たなんて話し聞いたこと無かった。そんなの居たら地司神が放っておくはずない。だから全面戦争にまで発展しちゃったのよ」

 霞雲は必死に自分の知識を巡らせた。

「須佐之男は、厄払いの神として祀られてるのに……」

「だから、その厄がそもそも無かった国では、厄払いってなんやそれって話しでしょ? だから、自分で厄を持ち込んで、それを祓うパフォーマンスの為に、高天原からそれを持ち出したってわけ。地司神からすればいい迷惑よね。他所から来て、その土地を荒らして英雄気取りなんだもの」

 成る程、高天原では荒々しい迷惑な神だったのに、葦原へ流されてから英雄として語られた裏にはそんな事があったのか……全くの別人なのではないかと思ったりもしたが、あれが自作自演だったとしたら納得もいく。

「見つけた」

 不意に刹那が声を上げた。霞雲は闇の中でぽつぽつと光る街灯を眺めるが、何処に何があるのかまでは正確に分からない。

「え? 智弥?」

「違う」

 ひょいと刹那が飛び降りると、霞雲は驚いた。三メートル程下の地面に着地する刹那が、そのまま道路沿いに駆けて行く。霞雲は虎の背中に乗ったまま旋回し、刹那の後を追った。

 刹那は闇夜に佇む人影の肩を掴んだ。振り返った人影が、困惑した様な表情を見せる。

「何であんたがそんなもの持ってんのよ……」

 刹那は冷や汗を拭って顔を上げた。後から来た霞雲が白虎を消して札を構える。

「刹那!」

「何であんたが、祐弥の両眼を持ってんのかって聞いてんのよ!」

 闇の中で、それはくすりとほくそ笑んだ。

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